177.依頼
サクは私が目覚めるとき、いつも枕元で丸くなっていた。
私はあの夜から、一か月近く眠っていたらしい。任務から戻ったばかりのシビさんが解毒してくれて、それから医療部の薬を混ぜた点滴を毎日入れてもらっていたそうだ。ようやく目覚めても、ベッドから降りられるようになるまで一週間近くかかった。
その間、ゲンマは一度も現れなかった。
「あいつは今任務中にゃ。戻ってきたら来るにゃ」
「うるさい。聞いてない」
すげなく切り捨てて、私はベッド脇のテーブルから水の入ったコップを取った。もう、日常生活に支障はない。もうすぐ退院できる。
水を一口飲んだところで、病室のドアが外からノックされた。担当の看護師さんかな。いつもこれくらいの時間に検温に来てくれる。
でも、顔を見せたのは、落ち着いた様子で微笑むヒルゼン様だった。私は思わず水を噴き出しそうになった。
「元気そうだな、」
「あ、はい……もう大丈夫です。ご迷惑、おかけしました……」
ヒルゼン様もしばらく慌ただしいとかで、あの夜以来、顔を合わせるのは初めてだった。勝手な行動に出たことで、罰を受けるかもしれない。もしかしたら、特別上忍の話もなかったことになるかも。期待してくれていたのに、あっさりと裏切って。
惨めな気持ちで下を向く私に、ヒルゼン様は静かにこう切り出した。
「、本当にすまなかった。お前がこんな目に遭ったのは、私のせいだ」
「え……何で、ヒルゼン様が謝るんですか? 私が命令を逸脱して勝手な行動を取ったんです。自業自得です。私こそ、ご迷惑をおかけして……」
責めればいいのに。でもきっと、ヒルゼン様はそういう人だ。全てを自分がかぶる覚悟でここに立っている。火影とはつまり、そういう人たちのことだ。
「あやつを……止められなかった。今回のことは、全て私の責任だ」
「ヒルゼン様……もう、顔を上げてください」
深々と頭を下げたヒルゼン様が、徐ろに顔を上げる。そしてその鋭い瞳が、まっすぐに私を射抜いた。
「――暗部として、これからは私の下で働いてくれぬか」
***
退院したあとも、私は一週間の自宅療養を言い渡された。
大丈夫かな。私、戻るところあるかな。もう二か月以上も留守にしてるもんね。アオバ、私のことなんか忘れちゃったかな。めんどくさい後輩がいなくなって清々してるかな。
そんなことを考えたら、寂しくて胸が潰れそうになった。
おかしいな。アオバのことなんか、元々大嫌いだったはずなのに。
いつの間にか、頼りになる相棒だって認めざるを得なくなってたな。
自宅療養といっても、もうほとんど以前のように動ける。無論、鈍っているから以前と同じようにとはいかないけど。
身体を動かすために、里外れの訓練場に向かった。誰もいないことを確認してから、片手でポーチの中を探る。筒状のケースから取り出した千本を指の間に挟んで、幹に据え付けられた的に意識を集中した。
思惑通りの場所に刺さったのは、十本のうち五本。それからしばらく練習を続けたけど、私は全く集中できなかった。
理由は自分で分かっている。
あの日、ヒルゼン様から暗部入隊を依頼されたからだ。
命令ではなく、あくまで頼みであると。
「お前の能力は暗部に非常に適している。今回の件も、お前のお陰で実験所を見つけることができた。これからは、私の手足となって働いてくれぬか」
想像もしなかった申し出に、しばらく声も出なかった。サクは私の枕元で丸くなったまま、耳も動かさなかった。
「それは……命令ですか?」
「そうではない。これは私の個人的な頼みだ。お前に、私の仕事を手伝ってほしい」
個人的な頼みと言われても、他でもない火影の頼みだ。おいそれと断れないし、何より私の頭にはカカシの顔が浮かんでいた。
『放っておけないだろう!! カカシが、あんな死んだ魚みたいな目をしてたら……』
放っておけないからと、あの頃ガイはカカシを追って暗部に入ろうとしていた。四代目にも、ダンゾウ様にも断られたって言ってたけど。
カカシは今、どうしているだろう。
四代目を亡くしてからの、カカシは。
大蛇丸さんの一件で、レイに様子は探ってもらっていた。でも私は、一度も彼の顔を見ていない。
私なんかに心配されたくないかな。お節介かな。
私なんかいなくても、しっかりやってるかな。
返事は、療養期間中に考えてほしいと言われた。アオバはどう思うかな。私がいなくなっても何とも思わないかな。きっと、そうだろうな。
いのいちさんは? いのいちさんは何も、私に強制したりしないだろうな。お前が決めろって言うだろうな。
私にはもう、家族はいないし。自分のことは、自分で決めるしかないよね。
後ろ手に忍具ポーチを探り、細長いそれを取り出す。淡い緑色をした筒形のホルダーは、かつてヒルゼン様から贈られた千本の収納ケースだ。
ヒルゼン様は、昔からずっと私を気にかけてくれていた。
そしてばあちゃん亡き今、の管理さえ担ってくれている。
カカシと一緒に、ヒルゼン様の手足となって働くというのも、悪い話じゃないかもしれない。
ホルダーをポーチに仕舞うとき、指先が柔らかな布地に触れた。
覗かなくとも分かる。ほんの数か月前にゲンマのおばさんからもらったお守りだ。
思わずゲンマの顔が浮かんだけど、私は振り払うようにして大股で歩き出した。
「おう、。久し振りだな」
しばらく通りを歩くと、後ろから声をかけられた。
相変わらず恰幅のいいチョウザさんが、気の良い笑顔でこちらに歩いてくるところだった。