170.暗躍


「赤ん坊の誘拐……ですか」
「そうだ」

 ヒルゼン様に単独で呼ばれたと思ったら、話はこうだ。木の葉周辺地域で何年も前から、赤ん坊や子どもの誘拐事件が起きていた。当時は戦争中で、木の葉までその情報は届かなかった。地域もバラバラだったし、年齢や性別も共通点はほぼない。ただ幼い子どもということと、孤児がほとんどということ。
 それが半年前の九尾事件から、孤児以外も狙われるようになったということ。

「同一犯の確証はないし、関連もないかもしれぬ。お前にはまず、情報収集を頼みたい」
「……了解しました」

 こういう仕事なら、ツーマンセルで動くほうが効率がいい。アオバは外で長期任務に出ているけど、偵察班は何も、私たち二人だけじゃない。他のメンバーを回してもらうことも可能なのにと、若干の違和感を覚えた。
 私の予感を裏付けるように、ヒルゼン様は鋭く目を細めた。

「この件は極秘事項だ。よって他言無用。報告は私に直接持ってくるよう。報告書も不要だ」
「……了解です」

 報告書が不要ということは、表の仕事じゃない。こんなこと、これまでで初めてだ。
 絶対に何かある。

 でも、その真意を探ることが諜報員の仕事じゃない。

 私は浅く一礼して、火影室をあとにした。


***


 ヒルゼン様の指示で、私はしばらく情報部に顔を出すこともしなかった。諜報分野の特別上忍として、火影の密命を受けて動く。別に不自然でも何でもない。
 それでも、胸の奥にくすぶる不安は消し去ることができなかった。

、あいつらにゃ」

 肩に乗ったレイが耳元で囁く。結局あれから、サクは一度も仕事中には現れない。時々ふと気まぐれに現れて、口を挟んでは消える。主なサポートは、レイとメイが担ってくれた。

 月明かりもない深い夜。私は生い茂る木々の一角から、いかにもみすぼらしい掘っ立て小屋を見つめていた。

 ヒルゼン様からの情報を整理し、孤児院や寺院への聞き取りや、目撃者探し。ひっそり役場に侵入し、各地の公式や非公式記録の洗い出し。念のため木の葉の情報部に戻って記録を遡ったが、該当しそうなものは見当たらなかった。
 様々な情報を集めて精査し、たどり着いたひとつの結論は、人身売買を目的としたゴロツキたちによる犯行。

「思ったより早かったな」

 私の報告を受けて、ヒルゼン様は淡々とそう言った。その言葉自体に、どこか引っかかりを覚えたのは事実だ。

「引き続き、監視を続けてくれ。不審な動きがあればすぐに私に報告するように」
「……了解しました」

 おかしい。この程度の任務であれば極秘にする必要はないし、手前味噌だが私が出るまでもないだろう。それでも私を単独で動かした。まるで、さも大層な事件であるかのように。

、裏で暗部が動いてるにゃ」
「……でしょうね」

 ゴロツキたちのアジトに戻り、監視を続ける私の元にキュウが現れて耳打ちした。極秘とはいえ、私が単独で動くことは逆に言えば大きな案件であるとアピールすることになる。私の任務はあくまで陽動。裏で、もっと大きな思惑が動いている。

 だからといって、私の仕事が変わるわけじゃない。私は命令に従い、隠れ蓑に徹するだけだ。
 そう、思っていたのに。

「臭かったにゃ」

 偵察から戻ってきたセンが、物憂げに耳の後ろを掻きながら漏らした。

「何かあった?」
「町の中まで行ってたにゃ。犬臭かったにゃ」

 そのフレーズに思わずどきりとした私に追い打ちでもかけるように、センはさらりとこう続けた。

「カカシの臭いがしたにゃ」


***


 忍猫の嗅覚は忍犬に劣るけど、彼らは昔から嗅いできたにおいを嗅ぎ分ける、嗅覚とはまた違った特有の能力を持っている。私たちはそれを第六感と呼ぶけど、犬や蟲、蛇などルールや条件に従う口寄せ動物と契約している忍びからすれば、猫や第六感という不確かなものは信用できない、らしい。
 それを、自分自身の実力で黙らせてきたのがばあちゃんだ。

 嫌な予感がするなんて、人間だって元来持っている感覚だろうに。

 カカシだってにおいを残すようなヘマはしない。でも忍猫たちは単に嗅覚のみで感知しているわけじゃないから、他の口寄せにはできない捜索が可能――なこともある。
 毎回、じゃないのが弱いんだけど。

 暗部としてカカシが動いている。その陽動になるのなら、彼が動きやすいように大いに目立ってやればいい。私の仕事は、ここまでだ。
 そう思う反面、私はこの半年の自分を恥じた。

 私、自分のことで手一杯で、カカシのことなんか忘れていた。

 アイを失って、塞ぎ込むサクに何もしてあげられなくて。落ち込む間なく情報部としての仕事に奔走し、ようやく一息つけたと思ったら目についたのはゲンマで。
 何かしたいと思った。ずっと支えてくれたゲンマに、私も何か返したいって。

 それから私たちは、おかしくなった。ただの幼なじみなら絶対にしないようなことをしたし、きっとあの頃、互いのことしか見えていなかった。

 このままじゃ、離れられなくなる。私は、一人で生きて一人で死ぬって決めたのに。

 特別上忍になり、忙しさを理由に、私はシスイと過ごす時間に逃げた。あんなの、シスイにだって失礼だ。
 シスイと語り合う時間は有意義だった。もっと広い視野で世界を見たいと思った。でも私は、そのスタート地点にだって立てていなかった。

 私は、平和からもゲンマからも逃げていただけだ。

 目の前のことにかまけて、カカシを案じる気持ちなんか忘れてしまっていた。

 カカシは私にとっての原点だ。学びたい、強くなりたいと願ったことも、忍びとしての在り方を模索し続けられたのも。
 サクモおじさんや、カカシがいたから。

 私たちは似ていると、四代目は言った。いつかカカシの隣に立って、同じものを見たい。カカシが一人だと思い込んでいるなら、私がそれを否定する。

 でも、四代目を失ったこの里で、私はカカシのことを忘れていた。

 四代目を失ったカカシが、どんな思いでいるかなんて想像することもなく。

 こんな私に、カカシを案じる資格なんかない。

 ――それでも。

 今、カカシのためにできることは全部やりたい。
 今、彼の仕事を手助けすることができるなら。

「レイ、お願いがあるの」
「鰆五匹で手を打つにゃ」

 レイは肉より魚派だ。内陸部の木の葉では、貴重な食材と言える。
 アイやサクより、高くつくな。

「オッケー。分かってるよ」

 思わず笑みをこぼしながら、私は頷いてみせた。