168.子ども


 同じタイミングで特別上忍に昇格したアンコは大蛇丸さんの教え子で、私より二つ年下だけど実力は折り紙付き。特別上忍にするには若すぎるという声もあったらしいけど、大蛇丸さん譲りの研究力と多彩な術の使い手として、同じくらい推薦の声も根強かったそうだ。
 今回の特別上忍昇格は、他国へのアピールもある。実力が伴っていれば年齢は問題ないとして、アンコも私たちと同時に特別上忍になった。

 もっとも、彼女の口寄せは蛇。忍猫使いの私とは、相性が悪い。

「猫なんて気まぐれすぎて当てになるんですかね」

 一度二人で組んだことがあるけど、アンコは敵意剥き出しって感じだった。私、何かしたかな?

「あんたがどうっていうより、アンコの師匠の大蛇丸様が澪様と一悶着あったって話よ。大蛇丸様からその話聞いてたんじゃない?」

 一緒に特別上忍になってから、紅とはまた顔を合わせることが増えてきた。本部配属になってからあまり会うことはなかったけど、懐かしい顔と仕事ができるのはやっぱり嬉しい。

「へー……それ、どこ情報?」
「うちの父さん」

 紅のお父さんの一閃さんが殉職して、半年以上経つ。彼女の口からその話題が出てきて私はどきりとしたけど、紅は特に顔色を変えることもなかった。大人、だな。
 最後に紅に向けた一閃さんの笑顔が、忘れられない。

 夕暮れ時、火影邸の近くで立ち話をしていた私たちだけど、ふと顔を上げたら、視界の隅に見知った顔が映った。私は軽く右手を挙げて、声をかける。

「あ、アスマ! こっちこっち」

 一人で歩いていたアスマは私の声でこちらを見やったあと、急に表情を曇らせて視線を逸らした。え、何その反応?

「悪い、急いでんだ。じゃあな」
「あ、うん……」

 なんか、そっけなかったな。そんなに忙しいのかな。怪訝に思いながらもアスマの背中を見送ると、紅の大げさなため息が耳に入った。

「紅、どうしたの?」
「ふぅ……あいつ、拗ねてんのよ」
「は? 何? アスマのこと?」
「そ。今回、私とライドウが特別上忍になったでしょ。それにあんたたち元チョウザ班は全員。何で自分だけ、って面白くないみたい。ほんと、子どもなんだから」
「えー……アスマ、そんなこと気にしてたの?」

 飄々としてるように見えて、意外すぎる。でも確かに、私だって同期がみんな昇格したのに自分だけが取り残されたら、自分だけが駄目なんだって落ち込んでしまうかもしれない。
 私だけが何もないって、劣等感にまみれていた下積み時代を思い出した。

 まぁ、今だって似たようなもんだけど。

 それでも、ここまで積み重ねてきた経験があるから、今こうやって人の上に立ちながら、もっと広い視点で世界を見てみたいって思える。シスイとの出会いがまた、私の考えを和らげてくれた。

「あ、ゲンマにライドウじゃない」

 シスイのことを考えていた私は、気配に気づかなかった。
 紅の声に慌てて顔を上げれば、火影邸からゲンマとライドウが二人で出てくるところだった。

 ゲンマがこちらを見て顔を強張らせるのを見たら、私までまた緊張してしまう。任務の外で顔を合わせるのは、特別上忍になってから初めてだ。

 紅が平然とした面持ちで二人に声をかける。

「仕事、終わったの?」
「あぁ。ちょうど戻ってきたところだ」
「奇遇ね。私たちも終わったところ。久し振りに、食事でも行く?」
「いいぞ。お前らも――」

 ライドウが言いかけた言葉を、紅が袖を引いて遮った。ライドウは紅の視線を受けて、私とゲンマを露骨に凝視したあと、

「……何でもない。紅、俺たちだけで行くか」
「そうしましょう。、せっかくだけどまたね」
「え? ちょ、紅、ライドウ……」

 ちょっと待って。私の心臓がバクバクと早鐘を打つことなんてお構いなしに、二人は背中を向けて立ち去った。ちょっと待ってよ。今の、何?
 紅もライドウも、絶対わざと私とゲンマをここに残したでしょ?

 ちょっと待ってよ、何でこんなことするの? 二人までまさかあんな噂、鵜呑みにしてるの?

 緊張しすぎて、ゲンマのほうを見られない。どうしよう。仕事で一緒になるときは、これまで学んだことを総動員して平静を保っている。でもいきなり仲間たちに露骨に二人きりにされて、恥ずかしさのあまり身動きも取れなかった。

「俺たちは……帰るか」

 ゲンマが静かにそう言ったので、私は足元に視線を落としたまま、うんと小さく頷いた。どうしよう。一緒にいるだけなのに、息が苦しい。私、本当にどうかしてる。

 この二か月、忙しさを理由にゲンマから逃げてたんだって気づいた。

 私の家に着くまで、私たちは一言も喋らなかった。ゲンマから半歩遅れて、後ろ手を組んで俯いて歩く。時々ちらりとゲンマを見ると、いつもみたいにポケットに両手を突っ込んで、口元の千本を揺らしながら歩いている。
 千本が揺れているのは、多分、落ち着かないから。

 私だって、落ち着かない。最後にオフで会ったのなんて、私の誕生日の夜以来だ。

 会いたくなんか、なかった。

「じゃあ……ここで。お疲れ」
「待てよ」

 うちの門の前で別れようとした私に、ゲンマは静かに声をかけた。思わず足を止めたけど、振り返ることはできなかった。

「ちょっと上がっていいか?」

 その問いかけに、一瞬で心臓が跳ねる。一緒になんか、帰るんじゃなかった。

「でも……ゲンマ、忙しいでしょ。無理しなくていいよ」
「俺が、上がりてぇって言ってんだよ」

 ゲンマの声色が少し変わる。これ、絶対怒ってる。顔なんかとても見られなかった。

「でも……」

 家なんか上げたら、もう絶対戻れなくなる。
 あの夜の私は、どうかしていた。

 見つめ合うだけで、心臓が壊れそうになるのに。もしもまた、あんな距離に近づかれたら。
 やっぱり離れたくないって、認めるしかなくなったら。

 次にゲンマが発した声は、低くはっきりと苛立っていた。

「嫌なら、そう言えばいいだろ」
「そ、そんなこと言ってない」

 反射的に返してしまった言葉に、自分自身、失望する。嫌だって言えばいいのに。もうゲンマには会いたくないって。一言、そう言えばいいのに。
 本当は会いたい。毎日だって会いたい。でも、そうなってしまったら、もう戻れなくなるから。

 振り向いた視線の先で、ゲンマは苦々しげに顔をしかめていた。
 めちゃくちゃ怒ってるのが分かった。

「じゃあ何だよ。忙しいとか言うなよ。どっかの誰かに会う時間は作れるんだもんな?」

 ゲンマのぞんざいな物言いに、わけが分からず私は目を見開いた。誰のこと? 何の話? 頭の中でグルグルと考えて――はたと思い当たった人物の名前を、恐る恐る口にする。

「ひょっとして……シスイのこと言ってるの?」
「へぇ、うちはのガキと会ってんのかよ。とは反りが合わないって聞いてるけど、シスイには会うんだな」

 何それ。ゲンマは明らかに拗ねて、怒っていた。急に身体が芯から熱くなって、同時にどうしようもできない怒りが湧き上がってくる。思わず唇を噛んでから、ゲンマの仏頂面を睨みつけた。

「何それ。ゲンマに関係ないじゃん」
「そうだよな。別に、俺なんかお前の何でもないもんな」

 ゲンマの言う通りだ。ゲンマは私の何でもない。私たちの関係に、明確な名前なんかついてない。幼なじみ? お兄ちゃん? 元チームメイト? 同僚? 全部嘘じゃないのに、全部が的外れな気がするからだ。
 明確な名前なんか、つけたくない。私が一番よく分かってる。

 でも、だからって。

「……何で、そんな言い方するの?」

 絞り出した声が、震えた。嫌いだって言って、撥ね付ければいいのに。これ以上そばにいたら、離れられなくなるのに。
 でもやっぱり、手放すことはできなくて。どっちつかずに引き留めようとして。

 私は本当に、最低の女だ。