166.慧眼


「お前」
「……何よ」

 事務室でアオバに呼び止められたと思ったら、振り向いた私をアオバは上から下まで探るようにしつこくガン見した。めちゃくちゃ気持ち悪い。

「何よ。じろじろ見ないで」
「……お前、何か変わったか?」
「はぁ? アオバ先輩、目でも腐ったんですか? 何も変わりませんよ」

 私は嫌味たっぷりに返したけど、分析班の同僚が横から呆れた様子で口を挟んだ。

「アオバさん、よく見てください。、最近、口紅つけてるんですよ」
「あぁ、なるほどな。大して変わらないから気づかなかった」
「うるさいな! ほっといてよ!」

 急に恥ずかしくなって怒鳴る私に、アオバはサングラスを押し上げながら冷たく言い放つ。

「なんだ、急に色気づいて。そんなことをしてもゲンマは何とも思わないぞ」
「うるさいっ!! ゲンマは関係ないっ!!」

 ――なくは、ないんだけど。そんなこと、口が裂けても言わない。

 アオバは例の噂を本気にしているのかいないのか、よく分からない茶化し方をしてくる。怒って声を張り上げる私に、鼻で笑ってみせた。

「まぁ、そんなものをつけたところで、お前みたいなガキなんて誰も相手にしない」
「だから関係ないって言ってんでしょ!」
「お前はせいぜい自来也様の玩具くらいが関の山だな」
「絶対イヤだ!!」

 自来也さんといえば、つい先日里に帰ってきたばかりだ。四代目は、自来也さんの一番弟子だ。彼は私に気づくといつものように軽快に笑ったけど、その横顔には翳りが見えた。

「九尾の封印を妨げた何者かがいる、か」

 その話はもう自来也さんの耳にも入っていた。諜報に関わるようになって、ゲンマに話せないことも増えた。四代目やクシナさんのこと、二人の息子のこと。アイの死の真相。一人で抱えるのが重すぎることも、一人で抱えなければならない。それが、諜報員だ。

「クシナの護衛には手練の暗部がついておったはず。その上、の忍猫を始末できるとなれば並大抵の相手ではない。お前一人では死ぬぞ」
「……分かって、います」

 クシナさんの護衛についていた暗部やビワコ様たちが何者に殺害されたか。これは結局、里として結論が出なかった。
 アイに関しては、の口寄せという理由で里としての調査はない。あのあとすぐレイたちに痕跡を追ってもらったが、敵は時空間忍術の使い手かもしれない。たどれるものは、何も見つからなかったそうだ。

 ただ、敵が四代目と戦闘になったと思われる場所は見つかった。四代目が使う特殊な形のクナイをメイが発見したらしい。
 でも私が訪れたときには、すでに里から派遣された暗部にすべての痕跡が消されていた。

「九尾の襲撃が何者かによって意図的に引き起こされたものであると知られれば混乱が起きる。迅速に痕跡を消す必要があった。悪く思うな」

 ヒルゼン様は私にそう言った。言っていることは分かる。でも、手がかりになるかもしれなかったのに。
 ヒルゼン様でも見つけられなかったものを、私に見つけられるとは思えないけれど。

「自来也様、お帰りでしたか」

 そのとき突然声が聞こえて私は飛び上がった。まったく気づかなかった。木陰から姿を見せたのは、まだあどけなさを残した十歳くらいの男の子だった。でも中忍ベストはすでに馴染んでいて、かなりの若さで昇格したんだろうなということが一目で分かる。
 自来也さんはその男の子を見て、気さくに笑ってみせた。

「おう、シスイか。久しいのう」

 シスイ。その名前に、目を見張る。うちはシスイ。うちは一族屈指の幻術使いで、四代目に勝るとも劣らない瞬身の使い手と聞く。ここまで若いとは知らなかった。

、うちはシスイだ。何度か仕事を手伝ってもらったことがあってのう。お前はうちはとあまり接点がないかもしれんが」

 うちはは本部からも独立した警務部に勤める者が多く、任務を共にすることもほとんどない。そもそもうちはとは木の葉創設時から水と油と言われていて、うちはの家紋を身に着けた大人に、見えるところで陰口を叩かれたこともある。

「そうですね……オビトはうちはと言っても、ちょっと特殊でしたから」
「オビトとのことは知ってます、さん」

 シスイはそう言って、穏やかな笑い方で私をまっすぐに見た。オビト以外に、うちは一族からそんな目で見られたことは一度もなかった。

「俺の祖父はオビトの祖父の友人でした。標さんのこともよく知ってます」

 うちは一族の人間からその名前が出てくることにも驚いた。標ばあちゃんは家の出でありながら、うちはに嫁いだ。同族婚姻が一般的なうちはで他所の人間と結婚するだけでも異例なのに、それがとあって風当たりは相当強かったらしい。オビトだって苦労したはずだ。
 でもオビトは、あんなに優しくまっすぐに育った。私なんかより、ずっと。標ばあちゃんが、オビトのおじいちゃんは身内をとても大事にする人だったと話していたことを思い出した。

 出来こそ月とスッポンといった感じだが、シスイにはどこか、オビトを見るような懐かしさが感じられる。

 思わず涙がにじんだ私に、自来也さんは笑顔で言ってきた。

「シスイの祖父のカガミさんは、三代目や澪様たちと同じ小隊で背中を預けあった仲だ。実力はさることながら、その広い視野と洞察力で二代目からも絶大な信頼を得ていたと聞く。カガミさんは一族や里の垣根を越え、より大きな視座から平和の在り方を考えようとしていた」

 一族や里の垣根を越えた、より大きな視座。平和の在り方。
 標ばあちゃんの言葉がまた蘇ってきた。オビトのおじいちゃんも、平和を愛する人だったと。

さん。一族は、平和のために長年祈ってきた一族だと聞いています。一度、お話してみたいと思ってました」

 シスイのまっすぐな眼差しが、私の胸を打つ。

 同時に、とてつもなく居心地が悪くなった。は、平和を祈る一族。五百年も祈り、舞って、何もなし得なかったから今この世界がある。

「私たちは……すでに祈りを捨てた。舞うことをやめた。平和って何なのか、目の前の戦争を止めることもできずに、目の前で仲間が死んでいくのも止められずに、ただもがいてきただけ。恥ずかしいよ、祈りの一族なんて」
「そうでしょうか」

 目線を落とす私に、シスイの落ち着いた声が届く。シスイは私が答えに窮して黙り込むのも構わず、静かにあとを続けた。

「舞うことだけが祈りなんでしょうか。平和を願い、もがき続けることも、祈りなんじゃないでしょうか。特別なことじゃない。さんも、俺も、平和を祈っている。もちろんオビトもそうだった。それでも舞うことが誰かの力になるなら、いつでもまた舞えばいい。違いますか?」

 驚いて、私はただ呆然とシスイの顔を見つめる。ほんの、十歳足らずの男の子だ。でもその眼差しが今は、もっと大人びて見える。目の前の事実ではなく、その先を見通す瞳。

 慧眼というのは、この子のためにある言葉なんだと初めて感じた。