163.名残


「特別上忍……ですか?」
「そうだ。アオバ、、お前たち二人に話が来ている」

 いのいちさんに別室に呼ばれたと思ったら、思ってもみなかった話で私は呆然と立ち尽くした。ちらりと横目でアオバを見ても、いまひとつ表情は読めない。ま、いつものことだけど。

 特別上忍といえば、上忍と中忍の間に位置するちょっと特殊なポジションだ。上忍は火影を補佐する重要な役割があるため、トップクラスの実力はもちろん政治的手腕が問われる場合もある。
 でも特別上忍は、いわゆる特定分野の専門家。私とアオバが選ばれるとすれば。

「アオバは分析、は諜報分野だ。戦時中の働き、それに九尾の一件でも、お前たちの働きにより被害を最小限に抑えられたからな」
「このタイミングで、ですか」

 アオバがサングラスを押し上げながら尋ねると、いのいちさんはアオバに向き直って告げた。

「お前たちも知っての通り、他国との戦争は一旦回避されたと思われる。が、木の葉の戦力低下は事実。この機にお前たち若い者たちを昇格させ、戦力の底上げと対外アピールを狙う。これまで以上に働いてもらうぞ」
「……は」

 アオバは淡々と答えた。私も顎を引いて、小さく頷く。

「つまり上忍の待遇にはできないが、上忍並みに働いてもらうってことだ」

 事務室への帰り道、アオバが不満げに漏らした言葉に私は慌てて周囲を見回した。

「アオバ、ばか! 口に出したらダメなやつ!」
「本当のことだろう。それにしても、お前まで特別上忍とはな」

 サングラスの奥から胡散臭そうな目で睨まれて、私は思わず頬を膨らませた。

「アオバは分析、私は諜報。諜報のことならこれからは特別上忍に聞いてください」
「調子に乗るなよ」

 アオバに頭を軽く小突かれて、思わず笑ってしまう。一人じゃなくてよかった。アオバと一緒なら、これまで通りやれる気がする。
 やれるかな。これまで通り。ふと湧き上がる不安に、そっと瞼を伏せる。

 アイとサクがいないのに、これまで通りの仕事ができるんだろうか。
 いや、これまで以上の仕事が。


***


「あ、ちゃん! 今度、特別上忍になるんだって? さすがだね、でも遅いくらいだよね。前から推薦はあったんだしさ」

 通りで私を見つけて駆け寄ってきたイクチは、満面の笑みでそう言った。相変わらず、耳が早いな。前から推薦があったとか、知らないし。

 イクチも外での任務がないときは基本的に里の復興作業に従事している。私は人手が足りないとかで、今日は仮設住宅で行われる炊き出しの手伝い。こういう任務は珍しいし、料理は嫌いじゃないから、腕が鳴る。

「ゲンマも今回特別上忍になるんだって。聞いた?」
「そうなんだ……ううん、知らない」
「要人警護分野だってさ。偉そうに。あいつに敬語使いたくねーなー。あ、ちゃんには使うよ。正式に昇格したらね」
「やめてよ、これまで通りにして……」

 イクチの口からゲンマの名前が出てきたとき、顔が熱くなった。ゲンマと朝まで一緒に過ごしてから、不知火家の人とまともに話すのは初めてだった。何だかすごく居心地が悪かった。
 何もない。別に何もないんだけど。

 不自然に目を泳がせる私に、イクチは少しだけ声を落とした。

「ゲンマと何かあった?」
「な、何にもない……」

 私、ほんとに諜報員なんだろうか。これでほんとに諜報のスペシャリストとか呼ばれる立場になろうとしてるんだろうか。みっともない。
 イクチは私の耳元でひっそりと囁いた。

「あいつ、クソがつくほど不器用だろ? 妙なことされたらいつでも言ってね。絞めてやるから」
「ほ、ほんとにいいから……何でもないよ」

 駄目だ。身体まで熱くなってきた。ばか、ばかばか。こんなとこで何思い出してんのよ。

 俯く私の傍らで、イクチが突然大きな声を出した。

「あ、ゲンマ! お前、ちょっとこっち来い!」
「ばっ!!」

 ばか、ばか、イクチのばか。私が慌てて振り向くと、作業場のほうから腕まくりしたゲンマが歩いてくるところだった。私がいるのに気づいた途端、その端正な顔が引きつった。
 あっけらかんとした様子で、イクチが話し続ける。

「なーなー、ちゃんが特別上忍になる前にどっかでお祝いしよーぜ」
「あのな。一応正式な通達はまだなんだぞ、黙ってろよ。あと俺も昇格すんだけど」
「お前はどうでもいい」
「そうかよ。精々こき使ってやるよ、不知火中忍」
「お前、覚えてろよ……言っとくが人望は俺のほうがあるからな」
「自分で言うやつほど大したことねぇんだよ」

 ゲンマは頭を掻きながら息をついたけど、ふと私のほうを見たら急に表情が強張った。そんな顔を見たら、私だって緊張してしまう。
 あの夜から、仕事中にまともに顔を合わせたのなんて初めてだった。

「イクチ、サボってないでこっち手ぇ貸せ!」
「へーいへい。じゃあねちゃん、また」

 慌ただしく走り回っている男性に催促され、イクチはヘラっと笑いながら手を振り去っていった。つまり残されたのは、私とゲンマ。
 すごくドキドキしてしまって、まともに顔も見られない。でもこんなの、変だ。今は仕事中だ。

「あ、じゃあ私も行かないと……」


 顔も見ないまま背中を向けようとした私を、ゲンマが呼び止めた。足は止めたけど、振り返ることはできなかった。

「そろそろ誕生日だろ。うちの母さん、来て欲しがってたけど」
「あ、うん……」

 どうしよう。今さら、ゲンマの実家で誕生祝いをしてもらうなんて。しかも今は、イクチ一家もいる。ネネコちゃんには会いたいけど、今の感じだと、イクチには絶対ゲンマと何かあったってバレてる。ごまかせる気がしない。

 もごもごと歯切れの悪い私の背中に、ゲンマは控えめに言ってきた。

「お前も忙しいと、思うけど……昇格したら多分、今より忙しくなるだろ? 最後だと思って、付き合ってやってくんねぇか? 母さん、楽しみにしてっから」

 最後。そっか。最後になるかも、しれないんだ。そう思ったらすごく寂しくて、私は自然と振り返っていた。
 見つめ合うだけで、心臓が跳ねる。頬に熱がこもるのを、息を吐いてやり過ごす。

 私は木の葉の諜報員だ。顔色ひとつ整えることなんて造作もない。

「うん。ありがとね、ゲンマ」