161.自覚


 どれくらいそうしてたか、分からないけど。

 触れ合ったところは熱いくらいでも、ゲンマの背中に回した手の甲が少し冷えてきて、もうだいぶ夜も更けてきたのが分かった。ゲンマも少し落ち着いたのか、たまに鼻水を啜る音が聞こえるくらいで、泣き声はしなくなった。
 時々、まるで赤ちゃんでもあやすみたいに背中をトントン叩いてみると、ゲンマはそれこそ子どもみたいに、また私の頭に顔をこすりつけてきた。ほんとに大きな子どもだな。

「落ち着いた?」
「ん……」
「よかった。あのね、ゲンマ。ちょっと言いにくいんだけど、明日も仕事だし、そろそろ……」
「嫌だ」

 あまりに自然に即答してきたので、一瞬聞き逃しそうになった。いつものゲンマならこんなとき、悪いとか言ってすぐ離れそうなのに。
 ゲンマは少し緩みかけていた腕をまたきつく私の身体に巻きつけて、掠れた声で言った。

「嫌だ。行くな」
「え、だって……」
「朝まで、ここにいろ」

 んっ? え、はっ?

 さすがにびっくりして、声が出ない。いくら、気が済むまでゲンマに胸を貸してあげたくても、私たちはもう子どもじゃない。
 正確には私はまだ未成年だけど、でももう昔みたいに、あんなふうに、子どもじゃない。

「ゲンマ、でもそんなの……」
「今日だけ。今日だけだから」

 ゲンマがまたきつく私の背中を抱き寄せて、頭の上に顔をこすりつけてきた。

「今日だけ、一緒にいてくれたら……明日から俺、また頑張るから」
「……ゲンマ」
「今日だけ……一緒にいてくれ」

 心臓の音が、ひどく喧しく響く。肌で直接感じる、ゲンマの鼓動も。
 私たちは多分もう、お互いに分かってる。何とも思ってなかったら、こんなことするわけない。

 それでも離れたくなくて、気づかない振りをしているだけだ。

 でも、今日だけ。こんなふうにゲンマが甘えるのは、十年の付き合いの中で初めてだから。
 ゲンマは私が苦しいとき、いつもこうやって支えてくれたんだから。

「……今日だけ、だよ」

 ゲンマがこれまで、ずっと私にしてくれてきたことを返すだけ。
 そう自分に言い聞かせて、私はもう一度ゲンマの広い背中をぎゅっと抱きしめた。


***


 恥ずかしすぎて、死ぬかと思った。

 朝まで一緒にいてほしいってことは、つまり、そういうことで。
 歯ブラシない! 取ってくる! って慌てて喚いたけど、そんなもんいいって言われて布団に引きずり込まれた。これ、絶対おかしい。いくら私が未成年だって、おかしいことくらい分かる。

 ゲンマの薫りが染み付いた布団の中で、ゲンマに抱き寄せられて身体を寄せ合う。片手で肩を抱かれて、もう片方の手が私の手を握った。
 こんなの絶対おかしいのに、私は何も言えなかった。心臓がバクバクして、口から飛び出しそう。全身が熱くて、真冬だというのに汗さえ噴き出してきた。

 ゲンマの指先も、すごく熱い気がする。

 もっと距離を取りたいのに、金縛りにでもあったみたいに動けない。

 何より、この異常事態が、嫌じゃない自分に気づいて絶対に認めたくなかった。

 だって認めてしまったら、もう、戻れないから。
 誰も好きにならないし、誰とも結婚しないって、決めたから。

 ゲンマが結婚しろって言い出したとき、ほんとは嬉しかった。嬉しかったけど、ものすごく怖かった。ゲンマにとって家族とは、温かく、無条件に受け入れてくれるものだろう。
 でも、私は違う。私の家族はバラバラだった。最後には、私一人が残された。私がいたって、家族はみんないなくなった。サクだって、アイがいなければもう私の呼びかけにも応えない。

 家族になれば、きっとバラバラになる。

 だから、ゲンマが一言も好きって言わなかったことを盾にして、あんなのゲンマの本心じゃないって思った。思い込もうとした。ゲンマがどれくらい私を大事にしてきてくれたか、分かっているのに。
 ほんとは、ゲンマの気持ちなんて。

 嫌だ、認めたくない。怖い。今のままがいい。

 それなのに、この手を離せなくて。

 四代目の言葉が、また頭の中に響いてきた。

『お互いが疲弊する前に、どうかそのことを忘れないで』

 応えられないなら、手放さないと。
 でも、ゲンマがいなくなったら? この十年、いつもそばにいてくれたゲンマがいなくなったら、私は立っていられる?

 今日、ゲンマが初めて涙を見せてくれたことが、嬉しくて。
 私も、もしかしたらゲンマの役に立てるかもしれないことが嬉しくて。

 ほんとは私がそばにいたいだけなのに、ゲンマが甘えてくれたことに甘えて、優柔不断な私はこんなにおかしな関係を続けている。

 いつからこんなに、好きになってしまったんだろう。


***


 が俺の変化に気づいてくれたことも、気遣って飯を持ってきてくれたことも、無理しなくていいと言ってくれたことも、全てが俺の胸を震わせた。
 好きだ。大好きだ。お前しかいないんだ。

 もう、離したくない。

 こんな気持ち、誰にも言うつもりはなかった。俺たちがついていったとしても、四代目は喜ばなかっただろう。四代目は命を懸けた封印で俺たちを守った。木の葉の里を、守った。
 四代目はきっと、微笑みながらこう言うだろう。それが火影の仕事だからと。

 分かっている。分かっているのに。最後に見せた四代目の笑顔が、俺を苦しめる。
 本当にあれで、良かったんだろうか。ライドウたちは、俺を恨んではいないだろうか。

 今さら何を悔いたって意味はない。四代目はもういない。クシナさんと、お腹の子どもと共に命を落とした。イクチたちは本当に、クシナさんの出産を楽しみにしていた。

 俺たちは復職した三代目の護衛を務めることになった。本当に俺たちでいいんですか、と問うた俺に、三代目は不敵に微笑んだ。

「お前たちの他に誰がおるというのだ」

 四代目を守れなかった俺たちに、本当に務まるのか。誰も口には出さなかったが、誰もがそう思っているのが分かった。
 だからこそ、誰かが率先して引っ張っていかなければならない。そう自分に言い聞かせたが、それが俺でいいのかとも思った。俺があのとき止めなければ、もしかしたら。

 分かっている。誰も俺を責めてなどいない。あいつらは、そんなやつらじゃない。
 俺を責めているのは、俺自身だ。

「ゲンマは、間違ったことしてないよ」

 のまっすぐな眼差しが、罪悪感に苦しむ俺の心を溶かしていく。の前だけは、俺の心を覆う鎧が解けていくのを感じた。
 の前ならば、どんな肩書きも関係ない。俺はずっと、俺でいられる。

 好きだ。もう二度と、離したくない。

 お前が幸せになるなら、お前の隣にいるのが俺じゃなくてもいい。本気でそう、思っていたのに。
 やっぱり嫌だ。お前の隣は、俺がいい。

 お前だって――嫌じゃ、ないだろ?

 朝まで一緒にいてほしい、という無茶苦茶な頼みを、は拒まなかった。こんなこと、イクチや親父に知られたらきっと袋叩きに遭う。本部の連中の耳にでも入れば、ライドウにだってボコボコにされるだろう。あいつの腕力では、シャレにならない。殺される。

 俺だって、自分が一線を越えたことを言っている自覚はある。俺はもう大人で、はまだ子どもだ。は結婚だってできないし、色任務だって受けられない年齢だ。絶対に駄目だ。間違いが起きうるような状況を作るべきじゃない。
 コマノと付き合っていたときは、互いに子どもだった。あの頃とは明らかに状況が違う。

 それでも、今日だけ。今はまだ、この温もりを手放したくない。明日からまた鎧をまとって踏み出すために、今はまだ、の腕の中にいたい。

 お前の信頼を裏切るような真似は、絶対にしないから。

 イクチの顔、四代目の顔、そして澪様の顔が、次々と俺の脳裏に浮かんだ。
 焦っているわけじゃない。焦らないために、この温もりを胸に刻みつけて、また明日から、目の前の現実に帰るために。

 お前のところに、いつも帰りたいから。

 お前の温もりを今、俺の全部に刻ませてほしい。