160.慟哭


 九尾襲来から一か月ほどは、里の備蓄から二日に一度配給があった。それから少しずつ物流も復活して、今は週に一度の配給を受けながら、制限はあるものの近くの商店で買い出しもできるようになってきた。仮設住宅のエリアでは炊き出しも頻繁に行われている。
 とはいえ、やっぱりそんなに豪華なものは作れない。今日は久しぶりにお肉が手に入ったから、つみれにしてあり合わせの野菜と煮込んでお鍋にした。シンプルな寄せ鍋。

「ごはん、ある?」
「あ……悪い、炊いてねぇ」
「どうしよ。今から炊いても遅いかな? うちから持ってこようか?」
「いや、お前がいいならいいよ」

 ゲンマは軽くそう言って笑ったけど、その横顔にやっぱり違和感を覚える。
 お鍋を少し温め直している間に、ゲンマが食器を出してくれた。お皿、そんなにないんだろうな。形の違うお皿に、あと、割り箸も。今度は自分の食器も持ってきたほうがいいかな。

 ごはんも炊かないで、準備もしてなくて、夜ごはんはどうするつもりだったんだろう。まさか食べてないのかな。疲れちゃって作る元気ないのかな。ひょっとして携帯食ばっか食べてるのかな。

 ゲンマと二人で食卓を囲むのは、別に初めてじゃない。同じチームだった頃、私の家でご飯を一緒に食べることもあった。どんどん美味くなるなって褒めてもらえて嬉しかった。それでも、ゲンマの作るご飯には敵わないなって今も思う。

 ゲンマは、私が持ってきたお鍋を少しつついて、しみじみした顔でつぶやいた。

「……うま」
「煮ただけだよ」
「お前の味付け、好き」

 なぜだかどきりとして、私は向かい合うゲンマから視線を逸らす。

「私もゲンマのごはん大好き。また食べたい」
「また今度、な」

 また作ってくれるって言われて嬉しいはずなのに、私の胸の中には不安が渦巻いていた。これは十年ゲンマと一緒にいて、きっと初めて感じる気持ちだ。
 ゲンマはいつもより食欲もないみたいだった。美味いって言いながら食べてくれたけど、すぐにお箸を置いて私が食べるのを見ていた。何だか落ち着かなくて、私も急いで食べた。

 ちょっと残ったお鍋、中身は置いていこう。ゲンマと一緒に後片付けをして、残った分は空いたお皿に移して、お鍋も洗っておいた。

 隣でお茶を淹れようとしてくれてるゲンマを、横目でじっと見る。食後にすぐまた千本を咥えていつものように飄々とした様子なのに、私の違和感はくすぶったままだ。

 お茶を淹れて急須を置いたゲンマのトレーナーの裾を、私は控えめに引っ張った。

「ゲンマ」
「ん?」

 首を捻ってこちらを見下ろすゲンマの瞳を、まっすぐ見上げる。しばらく曖昧な空気のまま見つめ合ったあと、私はちょっと迷ったけどそれを口に出した。

「無理しないでいいよ」

 ゲンマの顔から、微かに残る笑みさえも消えた。私はゲンマの裾をつかんだまま、その指先にぎゅっと力を込める。

「私といるときは、無理して笑わなくていいんだよ。ゲンマ、頑張ってるもん。私の前くらい、好きにしていいんだよ。大丈夫だから」

 するとゲンマの切れ長の瞳が瞬いて、頬が引きつったみたいに不自然に揺れた。咥えた千本の先が震えて、ゲンマがきつく目を閉じるのが見えたと思ったら、次の瞬間には大きな身体で正面から抱きしめられていた。
 ちょうど顔が当たるゲンマの胸元から、激しく脈打つ鼓動が聞こえる。すごくどきどきしたけど、何だか安心もした。

 ゲンマが泣くのを、生まれて初めて見た。

「……止めなければ、よかった」

 涙声でゲンマが囁くのを、黙って聞く。私の背中を抱きしめるゲンマの腕に、ぎゅっと力が入る。正直、痛いくらいだったけど、私は何も言わずにただゲンマの胸に身体を預けた。

「ライドウが……四代目についていくって言ったとき、俺が止めた……四代目が、里を守れって言ったから……それが四代目の意思だと思ったから……でも、止めなければ、よかった……」

 あぁ、そうだったんだ。ずっと、そのことで悩んでたんだ。
 ゲンマは過ぎたことをいつまでも悔やんだりしない。次に打つ手を考え、即座に行動に移す。そうやって積み重ねてきた信頼と実績で、実力で火影の護衛小隊に選ばれた。

 でも、ゲンマだって。本当は悩むし、悔やむ。ましてやそれが、守るべき火影を自分の判断で失ったかもしれないと考えたら、余計に。
 そんなこと、絶対にないのに。でも過ぎたことを、絶対なんて言ったところで仕方がない。

「ゲンマもライドウも、間違ってないと思うよ。ゲンマはそのとき、できることをやったでしょ? 九尾は、四代目じゃなかったら封印できなかったよ。四代目は……自分より、里のみんなを守ってって、言ったでしょ?」
「……ん、」
「ゲンマは、間違ったことしてないよ」

 また腕の力が強くなって、私の頭の上にゲンマの顔か何かがグリグリ押し付けられた。鼻水ついちゃわないかな。千本刺さらないかな。そんなことを、ぼんやりと考える。

「…分かってる、けど」
「うん」
「でも……自分が、許せねぇ。どうするのが、一番良かったのか……今も、分かんねぇ」
「……うん」

 私は小さく頷いて、押し付けられたゲンマの胸にさらに頬を擦り寄せる。ゲンマの匂いで、いっぱいになる。
 ゲンマがこちらにまた身体を倒してきて、肩まで完全に覆われる形になった。

「俺……四代目のこと、大好き、だった……」

 ゲンマが誰かのことをそんなふうに話すのを、初めて聞いた気がした。私は何とか腕を伸ばしてやっとゲンマの背中を抱き返す。大きくて硬い、すごく広い背中。大好きな匂い。

「うん、一緒だね。私も、大好きだったよ」

 ミナト先生は私の、初恋の人だ。でもいつしか遠く感じて、カカシやリンのことがあって、やがて気持ちも遠ざかってしまった。
 それでも、優しくて温かい陽だまりのようなあの人は、やっぱり嫌いにはなれなかったな。

 ゲンマの身体が震えて、啜り泣きが嗚咽に変わっていった。声をあげて泣きじゃくるゲンマの顔が私の頭に押し付けられて、髪が少し濡れてくるのが分かった。
 でもそんなの、どうだっていいや。

「うん……全部、出していいよ。中途半端しないで、真面目に泣いて、真面目に怒って。大丈夫だから。私が一緒にいるから」

 ゲンマの泣き声が一層大きくなって、私は彼の背中を時々撫でながら、包み込むように抱きしめた。
 全部、ゲンマが子どもの頃からずっと、私にしてきてくれたこと。

 今度は私の番だよ。

 自分の足でしっかり立って、大事な人たちにこの気持ちを返していけるような私でいたい。