157.信頼


 アオバとの偵察任務、今回はちょっと危なかったけど何とか必要な情報は持ち帰れた。疲れた。

「アオバ〜ちょっと甘いもの食べて帰ろうよ」
「お前、一応諜報員だろ。忍べ」
「えーーーいいじゃん堂々としてれば逆に目立たないよ」
「俺は帰るぞ。さっさと帰って寝る」

 私の提案をすげなく切り捨てて、アオバがまた歩き出す。不貞腐れる私の肩に、突然重量物がのしかかった。

、すぐに帰るにゃ」

 アイだ。いつものように尻尾で顔を叩かれて、私は眉根を寄せる。

「何よ、おやつならそんなに急がなくても」
「そうじゃないにゃ。嫌な感じがするにゃ」

 アイがそう言った矢先、空からたくさんのカラスの鳴き声がして、私たちは顔を上げた。アオバがサングラスのブリッジを押し上げて、うめく。

「……木の葉の方角から来てるな」
「木の葉で何かあったの?」

 アオバの口寄せではなく、普通のカラスがこれだけ騒ぐのも珍しい。アイはカラスたちの声を聞いて不機嫌そうに低く唸ったけど、すぐに私の頬を肉球でグイグイと押した。

「何もないにゃ。でも、嫌な風が吹いてるにゃ」


***


 私とアオバがまっすぐ里に帰還したとき、薄暗い空には満月が上がっていた。一見、変わったことは特になさそうだ。門番も平然とした様子で「お帰りなさい」と出迎えてくれたし、通りを行きかう人々の顔つきも、別にいつもと何ら変わりはない。
 でも、アイの言っていることは確かに分かった。空気がどこか冷たくて、ピリピリしている。理由は分からなくても、心臓がぎゅっと絞られるようだった。

、お前は里の様子を見てこい。俺は四代目のところに行く」
「分かった」

 アオバはその瞬間にはもう消えていて、私は近くの路地で忍猫たちを口寄せした。集まってくれたのは、アイやサクを含めて全部で八匹。いつも決まった顔ぶれが現れるわけじゃなくて、そのときの気分でも変わるらしい。つまり、絶対的な信頼じゃない。
 ばあちゃんの呼びかけならきっと、みんな応えてくれたのに。

 でも、アイとサク、そしてレイは必ず来てくれる。

「みんな、分かってるね? まずは情報収集。必要があれば他の人たちの補助。気になることがあれば私に教えて」
「分かってるにゃ」

 尻尾を大きく振って、アイたちが姿を消す。路地から大通りに出ようと振り返ったところで、私は何かにぶつかってよろめいた。

 仕事着のゲンマが、不機嫌そうに千本を咥えたまま私を見下ろしていた。

「何ぼーっとしてんだ」
「ごめん。大きすぎて壁かと思った」
「壁ならぶつかっていいのかよ。任務に出てたんじゃなかったのか?」
「今帰ってきたの。でもゲンマ、何か変」
「何が変だよ。いつも通りだよ」
「ゲンマのことじゃない!」

 ゲンマと話してるときのこの感じ、好きだけど今はそれどころじゃない。

 そのとき、どこからか地面を揺るがすような爆音が響いた。ほとんど同時に遠くから人々の悲鳴があがり、辺りを包む空気がまた変わった。
 私の知る限り、木の葉隠れの里でこんな衝撃を感じたことは一度もない。

 ゲンマと顔を見合わせて大通りに出ようとしたとき、私の肩にアイが戻ってきた。

、面倒なことになったにゃ」
「何が起きてるの?」
「九尾にゃ。封印が解けたにゃ」

 アイが「ちょっと面倒」くらいの口振りで言ったので、私はひっくり返りそうになった。九尾って、もしかして――クシナさんの身に、何か。
 私たち情報部だけでなく、護衛部や尋問部など、本部の機密に近い人間はクシナさんが人柱力であることを知っている。ゲンマも火影の護衛小隊として、知らされているはずだった。

 もう一度ゲンマと顔を見合わせて、今度こそ大通りに飛び出す。建物も密集しているし距離があるのかここから九尾の姿は見えなかったけど、爆音や咆哮のような音が次々と聞こえてきて、道行く人たちもざわついていた。
 九尾なんて、伝説上の生き物みたいなものだ。まるで実感が湧かない。でもこの息苦しい空気を肌で感じるだけでも、尋常じゃない恐ろしさを覚えた。

 尾獣。
 こんなものを、植え付けられたリン。もちろん、クシナさんも。
 どれだけの痛みを負ったんだろう。忍びという、暗い歴史の中で。
 何のために、忍びなんか生まれたんだろう。

 ゲンマはきっと四代目のところに行く。私は里を回ってアイたちと情報収集。それからアオバと合流する。
 そう思ったけど、私たちが動くよりも先に、通りかかったゲンマのおじさんが駆け寄ってきた。

「お前たち、ここにいたのか」
「おじさん! 九尾って、ほんとに?」
「そうだ。東側に突然現れて周辺は大混乱だ。母さんもコトネもネネコも、もう避難所に向かっている。ゲンマ、お前は本部の屋上に行き、火影様の指示を待て。、お前は本部前だ、急げ」

 おじさんはどこかで上からの指示を聞いたんだろう。分かったと短く返して、私たちは火影邸に向かった。
 火影邸の前には、若い忍びたちが集められていた。恐らく、全員未成年。カカシやガイもいた。

 カカシは私を見ると、気づきもしなかったみたいにすぐに目を逸らした。

 ガイとは一緒にいるのに、私は無視なんだ。
 やっぱりカカシは、ずっと私のことなんか嫌いなんだろうな。分かっていても、胸が痛んだ。

「集まったな」

 上忍が二人現れて、私たちを見渡す。そうしている間にも、轟音、爆音、九尾の雄叫び、人々の悲鳴――そんなものが絶えず轟いていた。

「お前たち未成年は民間人の避難経路の確保、怪我人の救護に回れ。九尾には決して近づくな」
「どういうこと?」

 口を挟んだのは、険しい顔をした紅だ。
 私たちに指示を出している上忍の一人は、紅の父親の一閃さんだった。

 一閃さんは紅に顔を向け、淡々と告げる。

「これは他国との戦争ではない。お前たち若い忍びが命を懸ける必要はない」
「勝手なことを言うな! 里がこんな状況になってるっていうのに、黙って見ていられるか!」
「よせ、紅」

 アスマが制しても、紅は怒りを抑えられない様子だった。紅があんなに激昂している姿を、私は初めて見た。

 でも一閃さんはどういうわけか、その強面に穏やかな笑みを浮かべた。紅も、驚いたように目を見張った。

「紅、お前は女だ。生きて、せめて私の孫となる子に火の意志を託してくれ」

 一閃さんも、その傍らに立つツイさんも、覚悟を決めてここにいる。
 一閃さんは、最後にもう一度、紅の顔をまっすぐに見て微笑んだ。

「お前を、信じているぞ」

 涙に揺らぐ紅の瞳を見て、私は少し、羨ましいなと思ってしまった。

 紅もきっと、家族から愛されて育った。信じていると、当たり前のように伝えてくれる家族。

 そして私たちは、手分けして民間人の避難誘導や、怪我人の救護や収容などに当たった。自分だけが四代目の護衛に行けないと涙ぐむイワシを励ましながら、怪我人の応急処置をこなしていく。

「イワシ、四代目を守ることだけが護衛の仕事じゃない。四代目の守っているこの里の人たちを守ることだって、立派な護衛の務め。でしょ?」

 私がそう言って聞かせると、イワシは目元を拭いながら頷いた。

 遠目に見える荒々しい九尾は、どう見ても化け物だった。あんなもの、抑えられるはずがない。あんなものを各国が保有し、国家間のバランスを保とうとしているなんて。
 最強にして最悪の生物兵器。それが尾獣だ。

 あんなものをずっと、クシナさんは。

 あんなに明るい笑顔の下で。

 サクやレイたちの情報を集めながら、逃げ遅れた人たちの救援にも向かった。九尾に近づきすぎると思ったときは、大人の忍びへ伝達するよう忍猫たちに頼んだ。
 ゲンマやライドウは、どこに向かったんだろう。四代目、それにヒルゼン様はどこに。

 助けられなかった命も、たくさんあった。避難所に連れて行って、そこで息を引き取る人も。リンのおじさんが目の前で息絶えたとき、私の中でまた一つの扉が閉じた気がした。

 忍びなんて、何もできない。忍びなんて、本当に必要なんだろうか。
 あんな化物を、里に抱えてまで。

 九尾が忽然とその姿を消したとき、私は安堵というよりもどこか不吉なものを感じた。一体、どこに行ったの? それとも、封印に成功した?

「レイ、状況はどうなってるの? 九尾は封印できたの? クシナさんは? 四代目は?」

 やがて静かに戻ってきたレイは、私の顔を見て、消え入りそうな声でこう言った。

「アイが、死んだにゃ」