156.壁


 アオバとの任務から帰還し、四代目に報告を終えると私だけが残るように指示された。アオバはにこりともせずにさっさと執務室を出ていき、私はひとり、四代目と向かい合う。

 深刻そうな顔をしているわけじゃないけど、やっぱり火影様に呼び止められるのはちょっと緊張する。
 いくらそれが、ミナト先生だったとしても。

「楽にしていいよ。お説教とかじゃないから」
「はぁ……」

 そんなことを言われても、はいそうですかと姿勢を崩せるわけじゃない。後ろ手を組んだまま動かない私を見て、四代目はくすりと笑った。

「最近どうだい? ネネコには会ってる?」
「いえ……あれから一回しか行けてなくて。ゲンマがいないのに私だけ行くのも気が引けるし」
「どうして? あんなに懐かれてるのに。ゲンマより君が行くほうがネネコも喜ぶだろう?」
「あはは……まぁ、そうかもしれないですけど、あそこは不知火の家だから」
「不知火本家である前に、あの家はイクチとコトネの家だよ。君は家族として歓迎されてる。ゲンマのことは気にする必要はない」

 何で四代目が、そんなことを言うんだろう。イクチから何か言われたのかな。私にもっと来てほしい、みたいな? 行きたいのは山々だけど、私にあんまり時間がないことはイクチだって分かってるはずだ。
 それに、いくら家族みたいに歓迎されたって、本当の家族になれるわけじゃない。

 私は、もう、ひとりだ。

「まぁ、君がどうしてもゲンマと一緒がいいと言うなら、もちろんそのほうがいいだろうけど」
「べ、別にそういうわけじゃ……」

 四代目まで、やけに含みのある言い方をする。最近またあの噂が本部に広がっているのは知っているけど、私たちは前ほど気にしなくなった。
 だって私たちは、兄妹みたいに育った幼なじみでしかないから。

「四代目こそ、どうなんですか。クシナさんはお元気ですか?」
「うん、元気にしてるよ。俺がいないときもよくネネコに会いに行ってるみたい。ネネコはお姉ちゃんになるからね」

 クシナさんの話をするとき、四代目は本当に優しい目をする。大切に思っていることが、すごく伝わってくる。
 結婚して、子どもを産んでいいのはこういう人たちだ。

 私にそんな資格はない。

「でも――大丈夫なんですか? 封印のほうは」

 私がそっと問いかけると、四代目は少し目を見開いたけど、すぐに穏やかに微笑んでみせた。

「手は打ってある。問題ないよ」
「……余計なことを言いました。すみません」
「いや。心配をかけてすまない。君たちみたいな優秀な部下がいてくれるから、安心して目の前のことに集中できるよ」

 里長である火影は、里の全ての人たちを気にかけていなければならない。でも火影だって、ひとりの人間だ。誰かの子であり、誰かの友であり、誰かの想い人であり、いつか誰かの親になる。
 身近な人たちを、いつも以上に大切にしたいことだって、当然ある。

「最近カカシには会ったかい?」

 四代目の口から突然飛び出した名前に、息を呑んだ。春先にツーマンセルの任務で組んで以来、顔も見ていない。さほど広くもないこの里でここまで会わないとなると、意図的に避けられているんじゃないかとさえ感じた。
 昔からそうだ。私はカカシに嫌われている。

「……いいえ」
「そう。最近のカカシの噂、聞いたことは?」

 いつの間にか四代目の顔からは笑みが消え去っている。私は口を噤んで考えを巡らせようとして、そんなことは無駄だとすぐに諦めた。

「無茶な戦い方ばかりしてるって話ですか?」
「そう。この間、君と組んだ任務のときは?」
「あのときは偵察メインでしたから。目立ったことは、特に。報告したとおりです」
「だよね」

 小さく息をついて、四代目は額に手を当てた。あまり見かけない仕草だった。

「リンの件があってから、心配で俺の目の届くところで働いてもらったほうがいいと思った。でも面で顔を隠すことで、心まで失くしていくようで……どうすれば良かったのか、分からないでいる」

 私だって、分かるわけない。自分のことさえ分からないのに。
 自分のせいで仲間を死なせたと思い込んでいるカカシに、何をしてやれるっていうんだ。

「ミナトせん……四代目に、ずっと、聞きたかったことがあるんです」

 つい、意識が数年前に戻ってしまった。慌てて言い直した私に、四代目は穏やかに微笑む。

「いいよ、ミナトで。ここには俺たちだけだ。何も気にすることはない」
「いえ、そういうわけには」

 改まって背筋を伸ばす私を見て、四代目は今度は苦笑いを浮かべた。

「君は誰にでも気さくに関わろうとするから、どのチームとも上手くやれるしとても頼りにしているよ。でも本当は、誰との間にも目には見えない高い壁を築いている。もちろん、それは君だけのせいじゃない」

 どきりとして、私は顔を上げた。バレてないなんて思ってない。でもこんなにもはっきりと指摘されて、羞恥のあまり身体が熱くなってきた。
 そのとおりだ。私は誰にでも心を開いているようで、本当は誰にも心の奥底を見せていない。

「君とカカシはよく似ている。でも君たちが決定的に違うところは、君には高い壁があると分かっていても尚、それを乗り越えようとしてくれる者がいることだ。それが誰なのか、もう分かっているね?」

 分かってる。そんなの、とっくに分かってる。私は四代目から目を逸らし、そっと唇を噛んだ。

「君が長い年月をかけて築き上げた壁を、簡単に崩せるとは思わない。でもほんの少しだけ、少しずつ削り取っていくことはできるかもしれない。お互いが疲弊する前に、どうかそのことを忘れないで」

 四代目の真剣な眼差しを、見つめ返す。ゲンマの顔が浮かんで、心臓がぎゅっとなった。

 私なんかに付き合わせたら。ゲンマはただ疲弊していくだけ。
 でも、手離せなくて。お兄ちゃんみたいだって甘えて。本当はそんなこと、思ってないのに。

 ゲンマが本当にお兄ちゃんだったら、私はこんなに苦しんでない。

「ミナト……先生」
「うん?」

 あの頃に、戻ったみたいだった。母さんを亡くしたばかりの私は、母さんのお墓の前でミナト先生に会ったんだ。

「ミナト先生は、戦争中に、もし……サクモおじさんと同じ状況になっていたら、どうしたと思いますか?」

 ずっと聞いてみたかった。まだ戦場を知らなかったあの頃、私にそれを聞く資格はないと思った。
 でも、今なら。

 四代目は表情を緩めて、少し背筋を伸ばした。

「俺も、仲間を見捨てたりはしないよ」
「……私も、そうすると思います」

 戦場を知った今、その思いはより一層強くなった。
 カカシだってきっと、オビトを失って分かったはずだ。

 サクモおじさんがあんな結末を選ばなければならなかったのは、きっと。