151.奮闘


 信じられないことに、ゲンマと一緒にネネコちゃんのお世話を押し付けられるばかりか、昼からの予定だった任務が早まったとかで、イクチは早々に屋敷を出て行ってしまった。

 私の腕の中で眠るネネコちゃんと、私の隣でぎこちなく固まっているゲンマ。

 緊張しすぎて息が詰まりそうだった。

「ゲ、ゲンマ、赤ちゃんのお世話、分かる? 私、全然知らないんだけど」
「し、知らねぇ」
「何で聞いてないの!?」
「これから聞くつもりだったんだよ!」

 任務が早まるのは仕方ないことだし、ゲンマだって好きでネネコちゃんのお世話を引き受けたわけじゃないだろう。でも、だからって!
 一応、万一のときはと言われて、家政婦さんの家は教えてもらってるけど。

 どうしよう。ネネコちゃんは私があやしてしばらくして何とか寝てくれたけど、このまま寝てるわけじゃないしご飯とかおしめとか、あと何だっけ? ミルクもいる? えーと、何だっけ。最悪、家政婦さんじゃなくてゲンマのおばさんに助けてもらう?

 オロオロしながらゲンマを見ると、ゲンマはなぜか呆けた顔をして私のことを見ていた。ちょっとドキッとしたけど、ちょっとイラッとした。

「なにぼーっとしてんの! どうするか考えてよ!」
「い、いいだろ、寝てんだからそのまま寝かしとけば」
「ずっと抱っこしとくの? 私が? 怖いよ、落としちゃったらどーすんの! ゲンマが抱っこしてよ!」
「俺がやったら起きるって」
「私だって分かんない!」

 そのとき、ネネコちゃんがちょっと身じろぎしたので、私たちは慌てて口を噤んだ。どうしよう。いくら赤ちゃんとはいえ、このままずっと抱っこしておく自信もない。ひとまず部屋に帰って、布団に寝かせよう。

 でも寝室に戻って布団の上にそっと下ろそうとしたら、ネネコちゃんはまた勢いよく泣き始めた。やばい、完全に起きちゃった。

「あ、ごめん、ごめんね……ねーーーゲンマ、どうしよ……」
「ちょ……ちょっと待ってろ、台所見てくる。確か、飯がまだだって言ってた」

 あ、そっか。お腹空いたのかな。でもこれくらいの赤ちゃんなら、ミルク? 離乳食? 全然分かんないし、やっぱりゲンマのおばさんに助けてもらったほうが。

 ネネコちゃんは、私がさっきみたいにゆらゆらしながら歌を聴かせても全然落ち着きそうになくて、途方に暮れていたところにゲンマが慌てた様子で戻ってきた。

「ネネコの飯、準備あるから食わせるか。ほら、ネネコ、ごはんだぞー」

 ゲンマが覗き込んで声をかけると、ネネコちゃんはより一層甲高い声で泣き喚いた。
 泣きそうになっているのはゲンマのほうだ。

「俺が何したってんだよ……」
「だってゲンマ、顔怖いもん。身体も大きいし声も低いし、ネネコちゃんびっくりするでしょ」
「おま……俺にどうしようもねぇ要素ばっかじゃねぇか……」
「顔と声はどうにかなるじゃん」
「なんねぇよアホ」
「ほら! そうやってすぐ怖い顔する!」

 私が強めの声を出したからか、ネネコちゃんはさらに大きな声で泣き出した。私は急いでネネコちゃんの背中を撫でながら、声のトーンを少し上げる。

「ごめんね、ネネコちゃん。ほら、おじちゃんがご飯にしよーって。お腹空いた? 食べる?」

 そのときふと、ネネコちゃんを抱き上げる腕に、私は冷たい湿気を感じた。
 これ、もしかして。

「ゲンマ……」
「あ?」
「……おしめの替え、どこ?」


***


 Dランク任務だと思えば、こんなもの、どうにでもなる。
 ――わけがない。こんなに小さくて、柔らかくて、儚い命が目の前にあるのに、もしも何かあったときに責任なんか取れない。

 イクチは、何でこんなことを私たちにさせたんだろう。

 大事な人たちの信頼に、応えられる私なんだろうか。

 結局あのあと、おしめを確認したらやっぱりおしっこが出ていた。隙間から漏れてしまったみたいで、私のベストもちょっと濡れていた。
 私たちはおしめの替え方もろくに分からなくて、ああでもないこうでもないって話し合いながら新しいおしめをつけたけど、多分ちゃんとつけられてなくて、またあとで漏れていた。しかも、うんち。片付けには骨が折れた。

 ご飯も大変だった。ネネコちゃんは匂いだけで食べるのを拒否したり、一口食べてくれたと思ったらこちらの手からスプーンを奪い取り、自分で食べようとするけど上手くいかなくて癇癪を起こしたり、途中から飽きたみたいでスプーンや食器を叩いたり放り投げたり。ママー! と叫んで泣くことも多かった。

 正直、本部で身につけた房中術がなければかなり厳しかった。つまり、精神コントロールだ。

 食事と呼んでいいのかよく分からない食事を終えて、二人でうんちのおしめを替えて、漏れたところを掃除して。それから私は食器の片付けや汚れたおしめ、それに私のベストを洗おうとしたけど、ゲンマは「俺がやる」と言って譲らなかった。

「俺がネネコといても顔怖くて泣かせるもんな。図体デカいし声も低いしな」
「根に持たないでよ。顔怖くたってゲンマも慣れといたほうがいいじゃん。私よりネネコちゃんのお世話する可能性高いじゃんか」
「普段は家政婦いるから、今日はたまたま。よっぽどこんなことねぇよ」

 結局ゲンマが後片付けに行ってしまったので、私はネネコちゃんを抱っこして縁側でぼんやり空を見上げていた。抱っこもおとなしくされてるわけじゃなくて、暴れたり小突かれたり泣かれたり鼻水こすりつけられたり、抱っこしてるだけなのにめちゃくちゃ疲れる。
 そして絶対に、落とせない。神経使う。やっぱりゲンマに抱っこしてほしい。泣かれたっていいじゃんか。疲れるよ。

 でも――ネネコちゃんの明るい笑顔に笑いかけられたら、それまでの疲れなんか一気に吹き飛びそうだった。
 可愛い。やっぱり、可愛いな。赤ちゃんだからそうなのかな。それとも、ネネコちゃんだから?

 私の太腿の上に乗ったネネコちゃんと声をあげて笑い合っていると、ゲンマが洗濯物を持って縁側まで出てきた。私の中忍ベストもある。ゲンマに洗われるなんて、なんか恥ずかしいな。

「楽しそうだな」
「だってネネコちゃん可愛いんだもん」
「俺が抱っこしても笑わねぇくせに……」
「すぐそういうこと言う」

 ふてくされた顔のゲンマが縁側のサンダルを突っかけて、庭先に出ていく。隅の洗濯竿に洗濯物を干す後ろ姿を眺めていると、なぜだか胸がぎゅっとなった。
 やっぱり、ゲンマと一緒にいると安心するな。子どもみたいなところもあるけど、バタバタしててもこうやって話をしながら一緒に考えられる。ゲンマと結婚する人は、幸せだろうなって思った。

 その瞬間、ゲンマのあのときの言葉が脳裏に甦ってきた。

『俺が幸せにする』

 身体中が熱くなってきて、思わずゲンマの背中から顔を背ける。ネネコちゃんに頬をペチペチ叩かれていたら、ちょっと冷静になってきた。私、何考えてるんだろ。

「ごめんくださーい!」

 そのとき、玄関の方から元気な声が聞こえた。