150.赤ん坊
意図的に仕組んだわけじゃない。本当にたまたま、次の任務に必要な書類があったからだ。
まぁ、運ぶのがちゃんである必要はなかったし、何ならアオバの口寄せに頼んでもよかった。それくらいの仕事だが、それなら、とアオバに頼み込んでみただけだ。
「なぁ、アオバ? お前、後輩こき使ってんだろ? たまには休ませてやってもいいんじゃねぇ?」
「充分休ませてますが」
「ほんとか? お前、深夜まで資料整理させたりするんだろ? お前はさっさと帰るのに?」
「と、時々ですよ……」
「いいだろ、たまには。急ぎの任務もないんだろ?」
「まったく、どこまで地獄耳なんですか……分かりましたよ、今回だけですよ」
「あんがとな、アオバ。今度埋め合わせするよ。あぁ、自来也様の最新作のな――」
「ちょっ! や、やめてください、結構です、間に合ってます!!」
「そう? こないだサイン入りもらったんだけど、いる?」
「い、いりま……せん、いりませんって!」
人目を気にして周囲を見回すアオバの肩に腕を回して、俺はニヤリと笑ってみせた。
ちゃんのことは自来也様も気にしているし、もちろん自来也様はゲンマの片思いのことだって知っている。「恋する男は全員読め」と言って十八以上の男には手当たり次第に成人向けの最新作を配っているから、ゲンマももらっているはずだ。俺も例に漏れず押し付けられた。
六月のある日。去年から家政婦を頼んでいるサエがしばらく休暇を取りたいと言うので、一週間ばかり休ませることになった。俺もしばらく空いているから構わないが、俺の頭にふと名案が浮かんだ。
「ゲンマ、次の休み、ネネコのこと頼める?」
「はぁ?」
火影邸の前で鉢合わせたゲンマにそう提案すれば、ゲンマは千本の先を上げながら露骨に嫌そうな顔をした。
「身内をこき使うな。家政婦どうした」
「暇を取らせた」
「はぁ?」
「休暇だよ休暇。必要だろ、誰でも。お前も」
「だから、その貴重な休暇を何でお前んちの育児に費やさなきゃなんねぇんだよ」
「そう言うなよ。お前だってもうすぐ十九だ。赤ん坊の世話くらい練習しといて損はねぇだろ。な? 予行演習だよ」
「よっ……!!」
赤くなったゲンマが口から千本を落とした。ほんとに、分かりやすいやつだ。
「ま、とりあえず試しに頼むわ。あ、もちろん離乳食とか準備しとくし一通りのやり方は教える」
「当たり前だ」
「お、やる気か? やる気だな?」
「あーーーーもう、鬱陶しい!」
図星をさされると対応が雑になってくる。俺は高らかに笑ってゲンマの肩を抱き寄せた。
このときはただ単純に、ゲンマにも結婚について前向きに、そして身近に捉えてほしいと思っていただけだ。ちゃんを取り囲む壁は分厚い。それを切り崩す前に、ゲンマの気持ちが折れたら元も子もない。そんなにすぐに音を上げるタイプじゃないと思うが、たまには刺激をやるのも悪くないだろう。
が、そんなこんなでちゃんをうちに呼ぶことにも成功した。多分、来てくれる。アオバがヘマをやらかしてなければ。
朝一で呼びつけたゲンマと一緒にネネコの寝顔を見ていたら、玄関から呼び鈴が鳴った。
「あ、頼んであった資料かな。ゲンマ、取ってきて」
「お前……はぁ、分かったよ」
「そう言うなよ。今度飯でも奢ってやるから」
「飯じゃ全然足んねぇよ」
ぶつくさ言いながら、ゲンマはめんどくさそうに部屋を出ていった。全然足んねぇ、ね。正直、感謝してほしいくらいだけどな。
コトネは昨日からいない。一泊で友達と旅行に行きたいというので行かせた。ネネコはママママと言って泣いたが、ママこそたまには息抜きも必要だ。
俺は午後から任務。ゲンマとちゃんに夕方までネネコを頼んで、コトネがそれまでに帰ってくる。完璧だ。もちろん、コトネもこのことは承知している。
「普通、一歳にもなってねぇ赤ん坊を他人に任せて心配になんねぇのかよ」
「他人じゃないだろ。うちの指針は、死ななきゃ問題ない、だ。もちろん死なせたらお前を殺す」
「プレッシャーかけんなよ……じゃあ俺に頼むなよ……」
確かにまぁ、心配がないではない。だが昼まで俺がいるとして、所詮数時間だ。死ぬことはないだろう。
俺は寝ているネネコをそっと抱き上げて、音もなく玄関へと移動した。
「おはよう、ちゃん。ご苦労さま」
するとこちらを見る二人の仏頂面がそっくりで、俺は思わず笑ってしまった。
***
完全に仕組まれた。イクチのやつ、最初からそのつもりだったな。
今回の任務に必要な書類が本部から送られてくる、という話は聞いていた。が、が持ってくるなんて聞いてない。は玄関先に現れた俺を見て、ひどく気まずそうな顔をした。
それはそうだ。結婚しろ、なんて、いくらなんでもあんまりなプロポーズをしてから、四か月しか経っていないし、お互い忙しかったことを抜きにしても、まともに口を利いていない。
はどう見ても俺を避けていたし、俺もあのとき「また来る」と言い残しはしたが、どんな顔をして訪ねればいいか分からなかった。意を決しての家に寄っても、肝心のが留守にしていて、まったくタイミングが合わなかった。
イクチはあのとき、どんな形でも応援すると言った。言ったのに。
やり口が強引すぎんだろ! ニヤニヤしやがって!
「ちゃん、今日休みになったんだろ? 朝ごはんあるよ、食べた?」
「た、食べてるけど、休みって……」
「こないだも話したけど、今日ゲンマにネネコのこと頼んであるんだよね。心配だからちゃんも一緒にお願いできないかな? 今度埋め合わせするからさ」
こ、こいつ。戸惑うにあっけらかんと笑いかけるイクチに、俺は横から口を挟む。
「あのな、は暇じゃねぇんだよ。お前の埋め合わせはいつも飯だけだろーが、足んねぇよ!」
「ちゃんにはもっとちゃんとしたお返しするよ」
「俺にもしろよ! 甘えんな!」
「お前は食いすぎるんだから飯で充分だろ」
イクチと俺が口論しているうちに、イクチに抱っこされたネネコが目を覚ました。ギャンギャンと甲高い声で泣き始めるのを見て、俺は心臓がぎゅっとなる。まだ慣れない。何とかしねぇと。
狼狽える俺の横で、イクチは何とネネコをのほうに近づけた。は驚いた様子で目を丸くする。
あぁ、やっぱり可愛いな。ふとそんなことを考えた自分に気づいて、俺はまた別の意味で胸が締め付けられるのが分かった。
「ちゃん、抱っこしてみて」
「えぇっ? 無理だよ、コトネさんは?」
「友達と旅行。俺も昼から任務。だから、ね? お願い」
は二の句が継げないといった様子でしばらく黙り込んだ。
まずい、完全に引いてる。仕方ない、俺で泣きやんだことは一度たりともないが、ここは俺が。
俺が意を決して顔を上げたとき、ちょうどが手を伸ばしてネネコを抱き上げるところだった。
割れ物でも扱うみたいに慎重に、そして大真面目な顔で、がネネコの小さな身体を胸に抱きしめる。その姿に、俺は完全に心を奪われた。
好きだ、と、思った。