144.誤解
「みんな、ご苦労様。あ、ゲンマは少し残ってくれないかな?」
二週間の任務から戻り、四代目への報告を終えると、どういうわけか俺だけ呼び止められた。ライドウとイワシが静かに出ていき、二人だけになった執務室で四代目が穏やかに微笑む。
「楽にしていいよ。お説教とかじゃないから」
「はぁ……」
「疲れてるだろうから、手短に話すね。しばらくアオバは他の小隊と任務に出ていて、は亥の刻までには退勤しているそうだよ」
四代目があっさりと告げてきた内容に、俺は度肝を抜かれた。今まさに考えていたのはのことだったからだ。
俺たちが任務に出る前、はアオバと偵察任務に出ていた。澪様が亡くなって凡そ二か月。は相変わらず忙しそうで、ほとんど顔を合わせる機会もなかった。そもそも、俺はから避けられているような気さえした。
あの日、一人にしてと追い返されてから、まともに口を利いていない。
本部で見かけるは、以前と同じように明るく振る舞っていた。いや、以前にも増して明るいくらいだった。
つまり、そういうことだ。は昔から分かりやすい。明らかに、無理をしている。
沈黙する俺を見て、四代目は笑みを消した。そして組んだ手の上で疲れたように瞼を伏せる。
「あんなことがあったからね。もちろん、仕事はきっちりこなしてくれるよ。きっちりすぎるくらいだ。なんだか俺の部下を見ているみたいで……少し、心配になってね」
「……どうして、俺にそんな話を?」
「君が彼女を大事にしてることは、分かってるよ。もちろん、彼女も君を大切に思ってる」
高まりかけた熱はすぐに萎えていった。四代目の耳に例の噂が届いていても不思議じゃないし、クシナさんは顔を合わせる度に「は元気?」と無邪気に声をかけてくる。
だがあんな噂、真に受けないでほしかった。が好きなのは、俺じゃない。
「……四代目まで、あんな噂、信じてるんですか? 俺たちはただの、昔のチームメイトです」
「本部で広がってた噂のことかい? そんなものなくても、君たちを見ていれば分かるよ」
その言葉に、今度こそ喉の奥から燃えるような熱が込み上げてきた。イクチやコマノ、紅たちの顔が思い出されて、羞恥で焼けそうになる。
同時に、やはりやるせなさが脳裏を支配して胸が苦しくなった。が好きなのは俺じゃない。が本当に好きなのは――俺なんかじゃなくて、あんたなんだよ。
「でもは、俺のことなんか……幼なじみとしか、思ってないです」
「フフッ、ようやく認めたね。君はのことが好きだって。最初から相思相愛なんて、余程のことがないと難しいんじゃないかな」
先程から俺の心臓は、高鳴りと落ち込みとを忙しなく繰り返していた。
四代目が穏やかに微笑んで、顔を上げる。
「ゲンマ、君はいい男だよ。それに何と言っても二枚目だ。もっと自信を持ってもいいんじゃないかな」
やめてほしい。忍びとしても、人としても、何より夫としても完璧なあんたにそんなことを言われても、何の気休めにもならない。
醜い感情に支配された俺なんか、あんたの足下にも及ばないというのに。
「余計なお節介かもしれないけど、顔でも見せてあげたらどうかな。『ただの幼なじみ』でも、気にかけてくれる仲間がいることは彼女にとっても嬉しいはずだからね」
果たして、そうだろうか。
目前に迫る俺を、は一人にしてと拒絶したのに。
ならば俺は、このままを放っておくのか? が呼んでくれないからと、また子どものように拗ねて背を向けるのか?
が自ら一人になろうとするのを、黙って見過ごすのか?
「……はい」
俺が消え入りそうな声で呟くと、四代目は安心したように目を細めた。
***
こんな時間に突然訪ねることが、褒められたことじゃないなんて分かっている。
だが俺たちは、非番でなければよっぽど夜しか家にいない。は帰りが深夜になることもあるし、アオバが戻ってくればきっとまた忙しくなる。今、話しておかなければと自分に言い訳をして、俺はの家の呼び鈴を鳴らした。
鳴らしたあと、何か手土産でも持ってくればよかったと後悔した。
が玄関先に出てくるまで、少し時間がかかった。風呂かもしれないし、ひょっとして寝ているのかも。だが顔を見せたはベストこそ脱いでいたが、まだ忍び服のままだった。普段はポニーテールにしている長い髪を下ろし、俺を見上げる瞳が戸惑いに揺れた。
の心は、二か月前のあの日と同じところで止まっているのが分かった。
「ゲンマ……どうしたの、こんな時間に」
「遅くなって悪い。誕生日おめでとう」
出し抜けにそう言った俺に、は目を丸くした。その鳩みたいな顔も、全てが愛おしいと思う。
だがは喜ぶどころか、表情を曇らせて視線を落とした。
「うん……ありがと」
誕生祝いを口にするくらいなら、それこそ本当に何か持ってくれば良かった。
だがきっと今のは、プレゼントをもらったところで笑顔にはならないだろう。
やっぱり一人になんて、しておけない。
「呼べって言っただろ。何で呼ばない」
つい、言葉尻が強くなってしまった。はこちらから視線を外したまま、小さく拗ねたような声を出した。
「……別に、来てほしいと思わなかったもん」
「そうかよ。仕事だけしてりゃ考えたくないこと考えなくてすむもんな?」
こんな言い方をしたいわけじゃない。は一瞬怒ったように表情を強張らせたが、すぐに目を閉じて振り払うように頭を振った。
「ゲンマに関係ないじゃん。忙しいでしょ、もう放っといてよ」
は全く、俺の目を見ようとしない。
本音じゃないなんてこと、もう、とっくに分かってんだよ。
気付いたときには、俺はまたの腕を引いてその小さな身体を腕の中に抱き締めていた。あのときよりもずっと、きつく、刻み付けるように。
密着する身体から強く感じる鼓動は、きっと俺だけのものだ。
は応えることも抵抗することもなかったが、やがて消え入りそうな声でこう言った。
「ゲンマ、こんなことしてちゃダメだよ。好きな子できても、私のせいで誤解されちゃうよ」
何で、そんなこと言うんだよ。
俺が好きなのは、お前だけなんだよ。
「……俺のことはいい。俺は、お前が一番大事だって言ってんだろ。つらいときくらい、そばにいさせろよ」
「……甘やかさないでよ。そんなこと言ったら、私、一生ゲンマに甘えちゃうよ」
腕の中のが、僅かに声を震わせる。その声を聞いたら、心臓がきつく締め付けられるようだった。
乾いた喉に唾を流し込み、ようやく口を開く。
「俺は……いいよ」
「いいわけないでしょ、バカ。私のせいでこの先ゲンマが恋愛も結婚もできなかったら、私、おじさんにもおばさんにも会わせる顔がないよ」
何だよ、それ。俺がそばにいることより、俺が他の女と結婚することのほうが大事なのかよ。自分のことよりも、俺の両親を安心させることのほうが大事なのかよ。
もっと自分を、大事にしてやれよ。
「俺はいい。お前は……いいのかよ。俺のせいで、もし……結婚できなかったら」
聞きたくない。が自分の結婚を、どう考えているかなんて。後継ぎを残すため、いつか俺以外の誰かと結婚するかもしれないことなんて。
だが次にが口にしたのは、俺が想像もしていなかった答えだった。
「そんなのもう、どうでもいいよ。私、結婚なんか絶対しないから」