141.腫れ物


 四代目に強制的に休みを取らされ、次に出勤するときには年が明けていた。

 五日も休みなんて、取りたくなかった。一日も早く、仕事をしたかった。

 何も考えたくない。時間なんか欲しくない。

 憐れむような目で、見ないでほしい。

「おはようございまーすっ!」

 分析班の事務室に入るや否や明るく声をあげた私を見て、班員たちはしばらく沈黙した。
 分かっている。この空気感は仕方がない。静かに出勤しても明るく出勤しても気まずくなるのなら、後者のほうがずっといい。

 気を遣わないでほしいという意思表示になるから。

 他の班員が恐らく反応に困っている間に、アオバが進み出ていつものように横柄にサングラスを押し上げながら言ってきた。

「遅い。弛んでるぞ」
「ごめんなさいっ! でも遅刻はしてないよね!?」
「俺より遅ければ遅刻だ」
「理不尽っ!! 日によって時間違うんだからアオバがいつ出勤するなんて分かんないでしょ!」
「甘いな。お前の情報収集力はその程度か」
「あーーーはいはいはい、分かりました! 明日からアオバ先輩より先に出勤できるように情報収集します!!」

 私とアオバがいつもの掛け合いをしている間に、事務室の空気も少しずつ緩んだようだった。私は声には出さずに内心アオバに感謝する。
 アオバは葬儀でも、何も言わずにただ肩をポンと叩いてきただけだった。その距離感が、今はありがたかった。近すぎず、遠すぎず。今の私には、それがちょうどいい。

 ゲンマの顔は、しばらく見たくなかった。

 ゲンマはいつも、私が隠したい心の奥底まで見透かして逃さないから。これまで私がどれだけ誤魔化そうとしても、いつも正面からぶつかって、手を差し伸ばしてくれた。その度に引き上げられて、私は潰れないでここまでやって来られた。

 でも、今度ばかりは踏み込まないでほしかった。

 母さんが父さんよりサクモおじさんを好きだと気付いたときも、母さんが私のことなんか全然見てないって思い知らされたときも、自分の存在そのものがぐらつくような気がした。それでも仲間がいてくれたし、アイたちもそばにいてくれた。ばあちゃんだって、生きてた。
 一人じゃないと、思えた。思い込めた。

 でも、最後の家族が私を置いて死を選んだことで、自分は望まれてなどいなかったという思いは確信に変わってしまった。私はただ、血を残すためだけに生まれてきた。
 忍猫たちだって、絶対に何か知っているのに、私には何も言わない。

 私は、信頼に値しないと思われている。

 それでもアイやサクが私のそばにいてくれるのは、私を導くため。
 の血と使命を絶やさないため、未熟な私を生かすためだ。

 何のために、一人残されても戦うのか。

 目を閉じて、失われた仲間たちのことを考える。オビト、リン。掛け替えのない友人。

 平和を諦めないのは、使命のためじゃない。彼らのような犠牲を、二度と生まないため。
 のためじゃない。仲間たちのために、私は一人でも戦い続ける。

 私の存在が望まれなくたって、もういい。

 でもゲンマはそんな私を抱きしめて、一番大事だって言ってくれた。
 そんなこと、言ってほしくない。私はゲンマとは、違う。大事な人なんか、欲しくない。

 ほんとは嬉しくたって。どうしていいかなんて、分からない。
 いつかばあちゃんみたいに、大事な人を残していなくなるかもしれない。突然ぷつりと糸が切れて、私だって生きていられなくなるかもしれない。

 分からないよ、そんなこと。だから。

 お前が必要だなんて、言わないで。


***


 あれから少しずつ、周りも腫れ物に触るような扱いをしてこなくなった。私は以前のように遠慮なく仕事に向き合えることに安堵した。
 相変わらず、カカシを見かけることはない。慰霊碑に行ってみようかと考えたこともあるけど、私はまだあの場所に向かう気持ちにはなれなかった。

 ばあちゃんが自ら命を絶った、あの場所には。

 家当主のばあちゃんが亡くなったことで、私が家督を継ぐ話も持ち上がったけど、そもそも家は私一人しかいないし、資産もこの家と、里から離れたところにある神社くらいだ。今はまだ未成年ということと、しばらくは情報部の仕事に専念するためにと、里の上層部で話し合いが行われ、私が十八になるまではヒルゼン様が家の管理を担うこととなった。

「ご迷惑をおかけして、すみません」
「なに、気にするな。これくらいのことしかできぬが、何かあれば遠慮なく訪ねてくるがいい」

 ヒルゼン様の屋敷を出るとき、久しぶりにアスマに会った。紅と一緒にちょうど任務に出ていたようで、二人とも葬儀には来ていなかった。アスマはヒルゼン様との関係で、ばあちゃんとも面識があるはずだ。

「おう……元気か?」
「ハハ、何それ。いいよ、下手くそな気遣いしなくて」
「何だよ、それ」

 顔を見合わせて、思わず笑い合った。あぁ、いいな。こういう空気感、なんだか懐かしい。

 アスマが思い出したように片眉を上げて言った。

「そうだ、時間あるなら久しぶりに一局どうだ?」
「あ、ごめん……すぐ本部に戻らなきゃ。ヒルゼン様に用事あっただけだから」
「そうか。忙しそうだな。ま、あんまり気負いすぎんなよ」
「ふふ……ありがと、アスマ。紅にも宜しくね」

 アスマと話せて、少し気が楽になった。私、ちょっと考えすぎてたのかも。シカク先生に怒られちゃうな。悪い癖だって。
 あぁ、もうシカクさんって呼んだほうがいいのか。チョウザさんも、しばらく任務で里を離れているみたいで、ばあちゃんの葬儀にも来なかった。

 みんな、それぞれの場所でそれぞれの仕事をしている。
 考えても仕方のないことを、考えたって仕方がない。

 十五回目の誕生日は、アオバと外の任務に出ているときに迎えた。もちろんアオバは私の誕生日なんか知らないし、知っていたところで何もないだろう。
 それでいい。もう、誕生日なんかどういう気持ちで迎えていいか分からない。ゲンマにも、ゲンマの家族にも会わなくてよかった。もう、祝ってなんかほしくなかった。

 オビトやリンがお祝いを言いに来てくれたことなんか、とっくに過去の話だ。

 自分の誕生日が終わろうという頃に、私とアオバは無事里に帰還した。報告書を提出し、火影邸の前で別れて、まっすぐに帰路につく。
 一人の家。もう、誰も帰ってこない家。アイたちは気まぐれに現れて、気まぐれに消えていく。私は冷たい布団に倒れ込んで、泥のように眠る。

 それでも、その日、あの場所に行かなければならない気がした。

 重たい身体を引きずってシャワーを浴び、着替えを済ませて外に出る。寒さは少し和らいでも、まだ刺すような風が吹きつけた。
 途中で黄色いフリージアを一輪買って、里外れを目指す。ばあちゃんが死んでから、初めて訪れる場所だ。

 慰霊碑の前には、一年前と同じあの背中が見えた。