138.友
年の暮れ、木の葉に珍しく雪が降っていた。
今回は単独任務だったので、俺は一人で火影執務室に向かった。四代目の顔を一目見ただけで、良くないことが起きたのだろうと分かる。ひとまず任務報告を済ませると、四代目は小さく息を吐いてから、面を外してくれないかと言った。俺は言われるまま、暗部の面を外した。
冷たい空気が、肌を刺す。
四代目は顔の前で手を組み、しばらく目を閉じていた。
「澪様が亡くなられたそうだ。現場の状況からして、自殺でまず間違いないと警務部は結論付けた。娘の――の母親の墓前で、亡くなっていたそうだ」
俺は衝撃のあまり、言葉を失った。の祖母である澪様は、俺にとっても知らない相手じゃない。父の尊敬する忍びであり、プロフェッサーと呼ばれた三代目の右腕。数多の忍猫を従え、情報戦において右に出る者はいない。今のなど足元にも及ばないだろう。
澪様は父が死んだあとも、俺を気にかけてくれていた。のような厚かましさとは違う。多くは語らず、遠くからただ見守ってくれていた。
そのことに気づいたのは、オビトを失ったあとだ。俺は一人じゃなかった。ずっと前から仲間がいた、のに。見守ってくれる人がいたのに。
俺はあのとき、俺の気持ちなんかお前に分かるはずがないと言った。ずっと俺を諦めないで声をかけ続けてきたを、そう罵って突き放した。目の前であんな形で父親を亡くした俺の気持ちなんか、分かるはずがないと。
こんなことを、望んだわけじゃない。
「ひとまず忌引としてには五日間の休暇を命じてある。今は戦時中じゃない。最後の家族を見送る時間くらいは作ってやれる」
四代目の視線から逃げるように、俺は瞼を伏せた。なぜそんな話を、俺にするのか。俺はあいつにとって、何者でもないのに。
「君は彼女の友人だろう? 少し、気にかけてあげてくれないかな」
「……分かりました」
話を早く切り上げるために、俺はおとなしく頷いた。面を手にしたまま火影邸の外に出ると、雪はまだ降り続いていた。
友人? 俺はあいつの友人なのか?
――違う。俺にあいつの友を名乗る資格なんかない。友人らしいことなど、俺はあいつに一度たりともしてやったことはない。
あいつの友情を、俺はいつだって撥ねつけてきた。
今さら、どんな顔をして。
の家を半日ほど見ていたが、誰も出入りする様子はなかった。あのときと同じだ。父さんが自死したあと、まるで腫れ物でも扱うように誰も触れてはこなかった。
「犬臭いにゃ」
不意に聞こえてきた声に振り向けば、路地の少し離れたところに忍猫がひとり座っていた。子どもの頃からずっとのそばにいた、空色の忍び服を着た忍猫だ。名前は知らない。
俺は冷たく目を細めて、問いかける。
「なぜ澪様を死なせた」
「何のことにゃ?」
「とぼけるな。お前たちが気づかないはずがない。なぜ死なせた。澪様が望んだのか?」
「お前に何の関係があるにゃ?」
軽い調子で切り捨てられ、俺は何も言えなくなった。そうだ、俺には関係ない。澪様が自ら死を選んでも、がそのことで深く傷ついているとしても、俺には何の関係もない。
お前には関係ないと、ずっとあいつを拒んできたのは俺のほうなのだから。
立ち去る直前、俺はもう一度の家を振り返った。まともに敷居をまたいだのは、たったの一度だけ。十年前、父さんに連れられて初めて彼女に出会った、あのときだけ。
雪はやんでいたが、冷え込みはより一層強くなる。
俺はまた逃げるように、足早にその場から立ち去った。
***
葬儀の手配はほとんどヒルゼン様が取り仕切ってくれた。私は自室でぼんやりと、将棋盤の前でただ時間を潰した。
もちろん、頭になんかちっとも入ってこない。
ばあちゃんが死んだと、あの日フガクさんから聞かされた私は全く実感が湧かなかった。戦争を経て、母さんは死んだ。父さんは記憶にない頃にとっくに死んだ。サクモおじさんも、オビトもリンも、大事な人たちは次々と逝ってしまった。
でも、ばあちゃんは生きてくれていた。霧隠れで危険な状態になって、ライを失っても、生きて帰ってきてくれた。私にとって最後の家族だった。
戦争が終わって、ばあちゃんは今度こそ引退した。静かに余生を過ごす。私が一人前になるのを見ていてくれる。そう、思い込んでいた。
病院の地下にある小部屋で遺体を見たとき、私の中で何かが壊れていくのを感じた。
「澪様は娘の墓の前で亡くなっていた。現場の状況、そして検死結果から見ても、自殺で間違いないと思われる。心当たりは?」
遺書のようなものは見つからなかったらしい。フガクさんの声が、やけに遠くに聞こえる。解剖室の前のベンチに倒れ込んだ私は、俯いたまま小さく首を振った。
そんなものがあるなら、止めていた。
いや、本当は気づいていたんじゃないのか? この一か月ほど、ばあちゃんの姿を見ていない。同じ家に住んでいたのに。おかしいって、思わなかったのか? 気づいていて、構わなかったんじゃないのか? 死んで母さんのところに行きたかったの?
フガクさんは私の足元に座っているアイとサクを見て、鋭く目を細めた。
「お前たちも何も、気づかなかったと?」
「知らないにゃ」
「うちはにお前呼ばわりされる筋合いはないにゃ」
ふたりはいつもの調子でそう切り捨てた。アイとサクだって、生まれたときからばあちゃんのそばにいたはずだ。ふたりは私の世話役だったとしても、よくばあちゃんのそばにもいた。
それなのに、何とも思わないんだろうか。ライのときと同じように、そういえば帰ってこないなぁ、くらいで終わるんだろうか。
二十年そばにいても、愛着も湧かないんだろうか。
よろよろと家に戻ると、ヒルゼン様が待っていた。火影を退いてから、顔を合わせたのはほんの数回だけ。今も凛と立って、威厳を感じさせる佇まいだった。
最後に見たばあちゃんの姿とは、まるで違う。
「この度は、お悔やみを申し上げる」
ヒルゼン様は仰々しくそう言って頭を下げた。きっと、何を言えばいいか分からなかったんだと思う。私だって、そうだ。
客間に入ってもらって、お茶をいれて戻った。沈黙が落ち着かなかった。ストーブの火が時々パチパチと爆ぜて、アイとサクはそのそばで丸くなっている。耐えられなくなって口を開こうとしたとき、ヒルゼン様が徐ろに話し始めた。
「お前が責任を感じる必要はない」
見透かされているようで、どきりとした。それと同時に、ひどく腹が立った。
「何で……そんなこと、言えるんですか。ばあちゃんが何で死んだかなんて、分からないのに。それとも何か、ご存知なんですか?」
こんなことをヒルゼン様に言っても仕方ない。ヒルゼン様だって、知っていたら止めたはずだ。私はただ、やり場のないこの気持ちをぶつけたいだけ。
「澪がこのような最期を選んだ理由は、私にも分からぬ。あやつは気丈なくノ一だったが、本当は人一倍、他者の痛みに敏感な、繊細な者でもあった。三度の大戦を経て思うところがあったのかもしれんし、あるいは、ようやく肩の荷を下ろすときが来たと考えたのかもしれぬ。お前の成長を見て安堵こそすれ、それが死を選ぶ理由になったとは到底考えられぬ」
肩の荷を下ろすときが来た?
私はまだまだ、半人前なのに?
私一人でを背負えるはずが、ないのに?
この不条理な世界に、孫をたった一人、また勝手に期待して放り出すの?
教えてもらいたいことが、まだまだたくさんあったのに。
ばあちゃんの葬儀には、多くの人たちが来てくれた。私の知らない忍びも大勢いた。でもみんな、最低限のお悔やみを口にするだけで多くは語らなかった。
アオバも来てくれたけど、私は相方の顔さえまともに見られなかった。
母さんの葬儀は、どうだったんだろう。どれくらいの人が来たんだろう。何で私は、出なかったんだっけ。
私の代わりに泣いてくれた、あのときのオビトの顔が思い浮かんだ。
ゲンマと、ゲンマの家族は、葬儀が終わったあとに顔を出してくれた。
「遅くなってごめんなさい」
ゲンマのおばさんに正面から抱きしめられ、指先まで冷え切った身体がゆっくり溶けていくようだった。おばさんに会うのも、何か月ぶりだろう。本部勤務が始まってから毎日忙しくて、全然顔も見ていなかった。
でも、ゲンマの家族の温もりは、やっぱり私は一人なんだという事実を突きつけてくる。
どれだけ大切に思ってくれる人がいても、本当の家族になれるわけじゃない。
私の家族は、みんないなくなった。
カカシも、こんな気持ちだったのかな。誰にも、分かるはずないって。
最後の家族が、自分を残して行ってしまった気持ちなんて。
おじさんとおばさんが帰ったあと、最後に一人残ったのは、喪服のポケットに不機嫌そうに両手を突っ込んだゲンマだった。