137.「普通」


 体格差のあるアオバに肩を貸すのは至難の業だった。

 あのあとアイやサクの他、手を借りられる忍猫を口寄せして私はアオバの補助に入った。私も忍猫も決定打に欠けるため、霧を晴らすにはまずアオバが動ける状態にするしかない。アオバは敵の攻撃を受けて左足を負傷したが、嗅覚や聴覚も強い忍猫たちの指示を受け、敵に幻術をかけることに成功した。

 無事に霧が晴れ、敵が幻術にかかっている隙に私たちは撤退した。でもアオバが怪我をしているため、移動にかなり時間がかかった。左足を踏み込むたびに、アオバはこれまでに見たことがないくらい顔を歪めた。
 人混みに紛れるため、私たちは少し離れた大きな町に入って宿を探し、しばらく休息を取ることにした。

 兄妹という体で同じ部屋に泊まり、私はアオバの怪我を簡単に手当てした。避けたんだろうけど、恐らくあの大刀で深く傷ついている。忍猫の唾液には抗菌作用があるので、嫌々アイが舐めて、サクが尻尾を巻いて止血。これがなかったら多分危なかった。

「ごめん……私のせいで、怪我させて。霧隠れは……私にとって、仇みたいなもので。どうしても……冷静で、いられなくて。そのせいで巻き込んで……ごめん、なさい」

 アオバは寝るときにもサングラスを外さない。布団に横たわり、天井を見上げながら、彼は淡々と口を開いた。

「俺も両親を霧隠れに殺された。憎しみはもちろんある。だが、お前は忍びだろう。感情は切り離せ。それができないなら二度とお前とは組まない」

 アオバが自分の話をするのは初めてだった。私はばあちゃんの言葉を思い出して、膝の上で拳を握りしめる。アオバにもきっと、色々と思うところがあるんだろう。
 俯く私の耳に、アオバの小さな声が届いた。

「だが、さっきは助かった。お前がいなければ逃げられなかった」
「……だって、私のせいだし。ごめんなさい。アオバ、先輩……」

 尻すぼみに詫びると、アオバは小さく笑ったみたいだった。

「アオバでいい。思ってもいない敬称で呼ばれても気味が悪いからな」

 私は驚きのあまり言葉を失った。この半年ばかり、アオバはいつだって横柄で、年長者は敬えと上から目線で繰り返してきた。それが今、ほんの少しの笑顔を見せて、呼び捨てでいいって言ってる。槍でも降るんじゃないだろうか。
 でもなんだか、私もちょっと笑顔になってしまった。

「素直じゃないなぁ」
「大きなお世話だ。お前こそ可愛げがない」
「私に可愛げ求めてるの?」
「可愛げがないよりは可愛げがある相棒のほうがいいに決まってる」
「相棒って認めてくれた!」
「調子に乗るな」

 私はまだまだ半人前で、相方にだって迷惑をかける。

 でも、一人じゃないし、変わっていける。助け合いたくて強くなれる。

 生まれて初めて、相方っていいなって思えた。


***


 アオバと文書回収の任務を終えてから、すごく仕事がやりやすくなった。

 第一に、相方の顔を見てもストレスがたまらない。これが一番大きかった。顔を見るだけで胃が重くなる――しかもほぼ毎日、というのは地味に負担がかかっていたんだなと初めて気づいた。
 これまでは合わない相手がいても、この任務を終えるまでの辛抱だという気持ちで耐えてきた。が、相方だとそれが通用しない。結果論だけど、アオバと歩み寄れてよかった。

 もちろん、任務に感情を持ち込まないこと。持ち込むとしても、冷静さを欠くような扱いをしないこと。これを私は今まで以上に意識するようになった。

 そして、アオバがちゃんと言葉で自分のやり方を教えてくれるようになった。もちろん一から十までなんてことはなくて、一から二、くらいだけど。それでもアオバが資料整理のコツを教えてくれたとき、分析班の先輩がこれでもかというくらい目を丸くしていて驚いた。

「最近アオバと仲良さそうだな」

 資料室と分析班の部屋を往復している途中、ライドウとゲンマに会った。ライドウにそう声をかけられた私は、びっくりして首を傾げる。

「えっ? 別に、普通」
「そうか? ずいぶん仲良さそうに見えるぞ」
「だって、元が悪すぎたから。今は普通だよ。毎日一緒にいるんだし、普通が一番だよ」

 そう、普通が一番いい。必要以上に嫌われるのも、必要以上に好かれるのもきっと面倒だ。アオバは私のことなんか女だと思ってないし、プライベートに首を突っ込んでくることもない。たまにゲンマとのことをいじってくるけど、本気じゃないなって今なら分かる。程よくドライで、仕事だと思えば付き合いやすい。
 まぁ、別に私のことを女扱いしてくるのなんか、自来也さんくらいだし。自来也さんだって、本気じゃないに決まってるし。本気でも困るし。

 私はライドウの後ろで暗い顔をしているゲンマに気づいて声をかけた。

「ゲンマ、元気? 何かあった?」
「何だよ。別に普通だよ」

 別に、普通。どこかで聞いた言い回しだけど、まぁいっか。

「じゃあ私、資料の整理まだ途中だから。またねー」
「あぁ。またな、

 返事をしてくれたのは、ライドウだけ。
 千本の先を不機嫌そうに揺らしたゲンマは、さっさと踵を返して護衛部の事務室のほうに歩いていった。やっぱり変。でもまぁ、子どもじゃないんだし、自分の機嫌くらい自分で取るだろう。

 アオバと『普通』になってから、私は本部での仕事に以前にもましてやり甲斐を感じるようになった。アオバは口に出して褒めてくれることなんかないけど、私の集めた情報とか仮説の立て方とか、時々ちょっと口を開けて黙っているときは、少し感心してくれてるなって分かるようになった。
 アオバに褒められたくてやってるわけじゃないけど、これまでの経緯を思えば、私はやっぱりちょっと嬉しくなった。

 だから最近ばあちゃんの顔を見ないなとか、ご飯を作ってくれなくなったなとか、確かにちょっと気にはなったけど、それより仕事が楽しくて私はさほど気に留めなかった。
 いつもは私が起きるとばあちゃんはもう起きて朝ご飯を作ってくれていて、それを食べて出勤するというのがこの半年のルーティンだった。でも最近は居間にばあちゃんがいないから、一人でおにぎりと簡単な味噌汁、卵焼きを作って勝手に食べていく。昔を思えば別に大した負担じゃないし、いつまでも身内に甘えてるのもよくよく考えたら変だ。

 だから、別に、何とも思ってなかった。

 あの日、うちはの家紋を背負う警務部隊が、早朝から我が家を訪ねてくるまでは。

「失礼する」

 玄関で呼び鈴が鳴ったので、ちょうど着替えを終えたばかりの私が足早に向かうと、すでに引き戸を開けている男性には見覚えがあった。
 警務部隊長の、うちはフガクだ。

 フガクさんの後ろには、同じ警務部隊であろう強面の忍びが二人控えていた。

「フガクさん……警務部隊長が直々にお越しなんて、一体何の御用ですか?」

 底知れぬ不安が込み上げてくるのを真顔で抑え込みながら、問いかける。
 フガクさんは厳しい顔で唇を引き結び、ようやくひっそりと口を開いた。

「先ほど、澪様の遺体が発見された」