123.爪痕
本部に配属されて三か月。小隊を組むことになったライドウ、イワシと共に鍛錬を重ねながら、四代目の公務に同行するのが主な仕事だった。
とはいえ火影の護衛小隊は俺たちを含めて三つあるので、公務に応じてのローテーションだ。空いている時間はライドウたちとの鍛錬や、里の巡回、四代目からの頼み事など。
忙しいと言えば忙しいが、恐らく、情報部や暗部ほどじゃない。世間では終戦と言われているが、国の内外で不穏な動きはまだまだある。そのための情報収集や解析が連日のように行われているらしい。
本部で最も多忙な部署、それが情報部だ。
そんなことは前から分かっていたし、がいつか引き抜かれるだろうことも容易に想像がついた。終戦を期についにその時がやって来ただけだ。最初から、分かりきっていたのに。
「ゲーンマ、お疲れさま」
ぼんやりラーメンのスープをすすっていた俺は思わず吹き出しそうになった。全く気づかなかった。
振り向かなくても声の主は分かる。だ。俺は跳ね上がった鼓動をごまかすように咳払いした。
「お前……こんな時間まで仕事かよ」
「ゲンマこそ」
は軽く笑って俺の隣に腰を下ろした。ただでさえ、こいつは俺に対して人より距離が近いのに、屋台の椅子はなおさら間隔が狭い。せめて一つ空けてくれればいいのにと内心恨み言をつぶやきながら、俺は心持ち、腰を反対側にずらした。
「俺は今日たまたま、遠出の任務があっただけだ。お前は?」
「あぁ、四代目、もう帰ってきてたんだね。おじちゃん、塩ひとつちょうだい」
「はいよ」
は景気よく店主に声をかけてから、出てきた水を一気に半分くらい飲んだ。
俺はの笑顔が大好きだが、今はその横顔が少し疲れたように翳っていた。
好きだと心の中で自然と口にしたら、一気に全身の体温が上がった。俺は一体、どうしてこんなに身体の自由が利かなくなってしまったんだ。
自分のことなんて、難なくコントロールできると思っていた。
「まぁ、たまにあるかな、この時間。たまにだから大丈夫。みんな頑張ってるしね」
「あんま根詰めすぎんなよ……クマできてんぞ」
思わず手を伸ばしかけて、すぐに踏みとどまった。俺はもう昔と同じようにはのことを見られないのに、つい、昔のように気安く触れてしまいそうになる。
絶対に駄目だ。いつまた俺は、自分の制御が効かなくなるか分からない。あんなみっともない真似、二度とできない。
自分への信頼が、あの日からグラグラと揺らぎ続けていた。
は俺を見て「ありがとう」と微笑んだあと、少し怒ったような顔をした。
「ゲンマ、遠くない?」
「遠くない」
いや、遠い。明らかに俺は、椅子の上でとは反対側に精一杯寄っている。
は頬を膨らませたあと、はたと思い当たったように口を開いた。
「ひょっとして、あの変な噂、気にしてる?」
「あ?」
「私たちが付き合ってるとか付き合ってないとか。あんなの気にしなくていいよ。根も葉もないんだからそのうち消えるって。ほっとこ」
俺は心臓が捩れるように居心地が悪くなった。本部でそういう噂が広まっていることは知っているし、それは恐らく、俺のせいだ。
俺のへの気持ちは、ライドウによると恥ずかしいくらい分かりやすいらしい。房中術の講義も、本部内でばったり会ったときも、俺はの顔を見るだけで冷静さを失うことを自覚した。
紅は昔から俺がを好きだと信じ切っていて、そのうち二人がくっつくかどうか、賭ける? とよくライドウやアスマに持ちかけていたらしい。やめてくれ。
「因みに俺と紅はくっつくほうに賭けた」
「やめろっつってんだろ」
マジで死にたい。気づいてなかったのは俺だけかよ。くそ、こんなことになるなんて、ほんの数か月前まで想像もしてなかったっつーの。
そしてはもちろん、そんな俺の気持ちを知る由もないし、俺をそういう風に見ることなんてこの先もきっとないんだろう。
「……お前は、気にならないのかよ」
「ん? 何が?」
「俺と……妙な噂が立ってても」
するとは店主から受け取ったラーメンに息を吹きかけながら、あっけらかんと笑った。
「だって心配するようなこと何もないでしょ? 私たちの間に何もないなんて、私たちが一番よく分かってるんだから」
「………」
そうだ。が俺を男として見ていないなんて、俺が一番よく分かっている。
はきっと、四代目のことが好きだということも。
チョウザ班の頃、何度かミナト班と一緒に任務に出たとき、は様子がおかしかった。もちろん作戦中にそんな顔は一切見せないし、は忍猫使いとしてミナト先生にもはっきり意見を伝えていた。
だが作戦が終わってふと気が抜けるようなとき、ミナト先生がそばにいるとは心なしか頬を染めて目を泳がせるようなことが何度かあった。
もしかして、とは思った。ミナト先生はからすれば十歳近く年上だし、そもそも結婚していておしどり夫婦と名高い。なんて相手にするはずがないし、そのうち諦めるだろうと思った。
四代目の護衛になって三か月。が惚れるのも仕方がないと思った。
こんな完璧な人に、俺が敵うわけがない。
「お前は……好きなやつとか、いねぇの?」
乾いて張り付きそうな喉に唾を流し込んで、尋ねる。ラーメンをすすりはじめたは驚いたように顔を上げて俺を見た。たったそれだけのことで、心臓が跳ねた。
「いないよ、そんなの。そんな暇ないし」
「……忙しそうだもんな」
「うん、まぁね。それに私、恋愛なんかしないって決めてるし」
がさらりと口にした言葉に、思わず息が詰まった。が湯気の立つ水面に息を吹きかける音を聞きながら、やっとのことで口を開く。
「……何で?」
「だって私、そのうちばあちゃんの決めた人と結婚すると思うから」
どうということのない口振りでそう答えるは、俺のほうを見てもいない。静かにラーメンをすすりながら、ときどき口をすぼめて息を吹く。
しばらく声が、出なかった。
の家が何百年と続く旧家で、忍猫と共に生きてきた家系だということは知っている。ほとんど絶滅寸前で、に子どもができなければ後に誰もいなくなるということも。
だからといって、十四歳のが――まだ子どもにしか見えないが、そんな覚悟を決めなければならないのか?
はとっくに子どもなんかじゃない。そんなこと、分かっていたはずだった。
「……お前はそれで、いいのかよ。何もそんなこと、今決めなくても」
「だって、私が子ども生まなきゃは終わっちゃうんだよ? そんなの知らないってずっと思ってたけど……はずっと、平和のために、祈ってきたんだって。でもばあちゃんの代で、巫女として祈るのはやめたって。戦って、戦ってきたけど……それでも、戦争は止められなかった。どうすればいいか、ばあちゃんだって母さんだって、分からなかった。私で終わらせたら……ダメだなって、今は思うから」
家のことは、親父に昔から聞かされていた。はもともと、祈りの一族。忍びになったのは、木の葉隠れの里に入ってしばらく経ったあとだ。忍猫がその名で呼ばれるようになったのも、世界の長い歴史からすればごく最近のこと。
その歴史がいかに重いか、俺に分かるはずもない。だからといって、幼い頃から大切に思ってきた幼なじみが、そんな顔で当たり前みたいに未来を諦めるのを黙って見ていられなかった。
「……だからって、好きなやつと結婚して、好きなやつの子ども産めばいいだろうが」
俺なんかが口を出すことじゃない。分かっているのに、口を挟まざるを得なかった。それが俺じゃなくたっていい。だから。
だが顔を上げたは俺のほうを見て、ほとんど見たことのない眼差しで微笑んだ。
「だって、そんなことしてる暇ないんだもん」
俺の中で、何かが音を立てて崩れ落ちた。
四代目について、大規模な戦闘のあった土地を回る任務も経験した。俺の知る限り、最もひどい被害だった。人々が元通りの生活を取り戻すのに、どれだけの時間が必要か。そもそも、そんなことが可能なのか。終戦といったところで、虚しさを感じることのほうが多かった。
だが、こんなにもそばに。
俺にとって最も衝撃的な爪痕が、ひっそりと残っていた。