122.噂


「おい、お前」
「………」

 この春から情報部部長となったいのいちさんは多忙で、顔を合わせることは滅多にない。情報部にはいくつかの班があり、部屋もいくつかに分かれている。事務的な作業や報告書の作成など、デスクワークは主に部内共通の事務室で行うことになっていた。他班との情報共有も主にここで行われる。
 その一角で、アオバのぞんざいな呼びかけが聞こえる。

 振り向かなくても分かる。今、アオバがこんな口の利き方をするのは、一人しかいない。

「ひょっとして、私にご用ですか? センパイ」
「大アリだ。お前、新人のくせに男に現を抜かしてるそうだな。そんな余裕があるのか?」
「………」

 はぁ。ほんっとに、腹立つ。ムカムカと湧き上がる熱を呼吸と共に静まらせて、私は椅子に腰かけたまま静かに振り返った。腕を組んでふんぞり返っているアオバに、淡々と告げる。

「情報部三年目にもなるアオバ先輩が、まさかそんなしょうもないゴシップみたいな噂、鵜呑みにしてないですよね? 私ここんとこずっと男性といえばアオバ先輩としか過ごしてないんですけど、いつそんな暇ありました? 私、影分身できないんですけど。あ、そっかぁ、私が現を抜かしてる男性ってひょっとして先輩のことですか?」

 事務室には私たちの他にも数人の部員がいたものの、一瞬で空気が凍り付くのが分かった。アオバは偵察班きっての切れ者と言われていて、ここまで噛みつくのは私くらいしかいない。まぁ、この態度だから後輩からは嫌われてるけど。主に、私。
 アオバはこめかみに青筋を立てながら唇を震わせた。

「お前みたいな色気も可愛げもないガキなんて頼まれたって願い下げだ。話をすり替えるな、護衛部の新人と噂になってるぞ」
「だ・か・ら! 裏はとったんですか? そんな暇ないし興味もありませんから! 真面目に仕事してるのに妙な言いがかりはやめてください、センパイ!!」

 本部に配属されて三か月しか経っていないのに、どういうわけか私とゲンマのことで妙な噂が立っていた。私たちが付き合ってるとか、ゲンマが私を好きだとか。ただのチームメイトで幼なじみだってもう何十回説明したか分からない。それなのに未だに、こんなチープな噂で突っかかってくるのが私の相方だなんて頭が痛い。

 ゲンマといえば、房中術の講義以来、数回しか会ってない。それも、廊下でたまたま鉢合わせたときくらいだ。同じ本部でも意外と会えないもんだな。ま、別にいいけど。
 私たちはもうチームじゃない。それぞれの場所で、自分の仕事をするだけだ。

 まったく、どういう経緯で私たちが付き合ってるなんて話になるのよ。

 私は横柄なアオバの下、偵察任務の他、情報収集や解析、資料の整理等を朝から晩までこなした。アオバは懇切丁寧に説明してくれるタイプじゃないし、自来也さんみたいに見て盗めという気概もない。アオバは情報部のやり方に慣れているからその点はなんとか真似しようと頑張って観察しているけど、結局分からなくなったら自己流で済ませてしまうか、こっそり他の班員に尋ねていた。
 でもまぁ、他の人に聞いたことを私がやったらアオバは怒る。ほんっとにめんどくさい。

 ばあちゃんはといえば、ヒルゼン様が火影を退任してから、アドバイザーという立場も返上していよいよ隠居生活に入った。たまには千本の修行付き合ってねって言ってあったけど、しばらく私にそんな暇はなさそうだ。

 ばあちゃんは昔みたいに毎日ご飯を作ってくれるようになったし、少しずつ母さんの部屋を片付け始めたみたいだった。
 母さんが死んで、五年になる。戦争中だったし、葬儀と埋葬だけを済ませると、部屋や遺品は手つかずのままになっていた。きっと、サクモおじさんとの思い出がたくさん詰まってる。そんな気がして、触れてはならないという思いが強かった。

 ばあちゃんもきっと、母さんとサクモおじさんのことは知っている。それにあのとき、病室で自来也さんも母さんにそんなことを言っていた。母さんの元チームメイトだった、エイリさんも。戦争中にエイリさんを見かけることもあったけど、彼は私を見ても何も言わなかった。

 母さんの死の経緯は分からない。ただ、岩隠れとの戦闘中に命を落としたと。全力で戦って死んだのかもしれないし、自暴自棄な戦い方をして死んだのかもしれない。そんなことは永遠に分からないし、もう、どちらだっていいことだ。
 私は忍猫使いになった。が掲げてきた平和を、決して諦めない。個人的な感情は置いていく。

 感傷も恋愛も、浸ってる暇なんかないんだ。

 本部勤務が始まって、帰宅できるのは日付を跨ぐ頃という日もあった。さすがに疲れるけど、もう上忍付きのチームとは違う。一人前の忍びとして、里のために全力を尽くす。立ち止まってなんかいられない。

 帰ったらきっと、ばあちゃんの作ってくれた食事がある。でも、お腹空いたな。たまにはいいかな。そう思って久しぶりにラーメンの屋台に寄ると、懐かしい背中が見えた。

 もう、懐かしいなんて感じるようになったことに驚いた。チームが解散してから、三か月しか経ってないのに。
 それだけこの三か月がきっと、濃厚すぎたんだろう。相方には腹が立つけど、部の他の人たちは基本的に良くしてくれるし、入部前からの付き合いの人もいるし、学ぶことがいっぱいだ。

 屋台では、仕事帰りだろうなって格好でゲンマがひとりラーメンをすすっていた。