121.礎


 火影の護衛小隊は何も俺たちだけではなく、三つの小隊で構成されている。さらに、火影だけでなく、大名や有力者の護衛を専門とする者たちもいる。そうした護衛の精鋭が集まるのが、木の葉隠れの護衛部だ。
 もちろん俺には無縁だと思っていたし、今もまるで実感が湧かない。だがこの春新たに護衛部に配属された新人が集められた火影執務室で、四代目の穏やかな笑顔を見たら、この人が心から俺たちを信頼して背中を託そうとしていることが分かって、身が引き締まる思いだった。

「俺も君たちも、ここでは等しく新人だ。至らないこともあると思うから、気になることがあれば何でも遠慮せず言ってくれ。大戦は一区切りかもしれないが、平和が訪れたわけじゃない。本部の他の部署や正規部隊のみんなとも協力して、一日も早く人々が平穏に暮らせるよう俺も尽力する。俺に力を貸してくれるね?」

 俺たちは一様に姿勢を正して一礼した。

 本部の、他の部署。真っ先に、名前の顔が浮かんだ。名前は同じ本部だからすぐに会えると言ったし、実際その通りだろうと思う。だが俺は名前への気持ちに気づいてしまってからというもの、もう以前のように気安く彼女と接することができなくなった。
 まともに目も見られないし、触れられるだけで動揺してしまう。以前は気にならなかった距離感がどうしても気になってしまう。もし、任務で一緒になることがあったらどうすればいい?

 早速房中術の講義で名前と顔を合わせたとき、俺は情けないことに下忍時代と同じことをした。つまり、名前に素っ気ない態度をとった。

 昔の名前なら、何で無視するのと俺に詰め寄ってきたかもしれない。だが名前は特に気にした様子もなく、翌日もその翌日も普通に話しかけてきた。それなのに俺だけが、意固地にぞんざいな態度を貫いた。
 名前は確実に成長しているのに、俺だけひとり、子どものままみたいで情けなかった。

 最終日に飯に誘われたときも、俺は素直に答えられなかった。

「あのな、俺だって暇じゃねぇんだよ」

 予定もないくせに、何言ってんだ。

 すると俺の後ろにいたライドウが「俺は空いてる」と口を挟んできたので、心臓が止まるかと思った。

 ライドウはチョウザ班の俺たちと組むことも多かったし、名前とも知った仲だ。
 名前は気楽にライドウを見て、「じゃあ一緒に行こ」と笑った。

 気づいたときには、俺は二人の間に割って入っていた。
 名前がその小さい背丈で懸命に俺を睨む。

「暇じゃないんでしょ、いいよ来なくても」
「空いてないとは言ってない」
「めんどくさい! 来なくていい!」
「行くっつってんだろ!」
「言ってないじゃん!」

 名前の言う通りだ。近頃の俺はどうかしている。

 極めつけは、護衛部への道中、ライドウが大真面目な顔をして俺に放った一言だ。

「お前は本当に名前のことが大好きだな」
「!?!?!?」

 心臓が止まるかと思った。一瞬で全身が熱くなって鼓動が跳ね上がる。ようやく口に出せた反論も舌足らずといった感じでろくに呂律が回らなかった。

「おまっ! ばっ、何言ってやがっ……」
「動揺しすぎだろ。講義ちゃんと聞いてたか?」
「きっ……きいてたに、きまっ、なんっ」
「お前、思ってたより面白いな」
「ばっ! ばかやろ、ライドウてめぇ、何ばかなこといっ、ふざけんなっ!!」
「お前、それで隠してるつもりか? 紅の言う通りだったな」
「くれ、なっ……」

 その名前を耳にした途端、遠い過去の記憶が蘇ってきた。
 紅はライドウの元チームメイトで、元シカク班のくノ一だ。もちろん俺も何度も組んだことがある、名前の元同級生。

 あれは何年前のことだったか。確か互いに下忍だった頃、合同任務の際、紅と二人きりになるタイミングがあった。
 紅は訳知り顔で俺にこう耳打ちした。

「ねぇ、ゲンマって名前のこと好きなんでしょ?」

 そのときはもちろん名前のことなんて何とも思ってなかったし、そんな邪推には慣れていた。だから当然のように「んなわけあるか」と返しただけだ。紅は「ふーん」と疑わしげな顔をしていたが、話はそこで終わった。よくある話だ。

 だが今は、笑いごとじゃない。

「んなわけあるか、馬鹿野郎!!!」

 精一杯の強がりでライドウに怒鳴り返したが、もう遅い。自分がこんなに分かりやすい人間だとは、今まで知らなかった。

 死にたい。

 本部配属早々、俺は頭を抱えた。


***


 新しい時代が来る。

 長く暗い戦争の時代は終わった。これからは新たな火影となったミナト先生のもと、無駄な犠牲を生まない平和な時代が来る。

 平和なんて空虚な言葉が思い浮かんだことに、我ながら呆れた。平和なんてない。あいつをそう罵ったのは、俺だったのに。

 平和なんてない。その思いは今も変わらないのに、そんな虚しい言葉に縋らなければならないほど、俺の心は弱ってしまったのかもしれない。

 リンを殺したあの夜から、俺の時間は止まってしまった。

「ゲンマさんって普段クールなのに名前のことになると分かりやすすぎてウケる。名前のこと好きすぎでしょ」
「分かる。見ててこっちが照れるわ」
名前も鈍すぎてウケる。どう見ても天然」
「それな」

 本部から出てきたくノ一ふたりが声を潜めて楽しげに笑いながら歩いていく。木陰に身を隠したまま、俺は手にした面をそっと顔に当てた。

 あいつはいつも、全力で俺にぶつかってきた。アカデミーの頃も、俺が父さんを亡くしたあとも、オビトを失ったときも、俺がリンの気持ちから逃げたときも。

 それでも俺は、この手でリンを殺した。

 もう、お前たちと同じ世界にはいられない。

 四代目火影のもと、俺は平和を築くための名もなき礎になる。