115.初恋
ミナト先生が訪ねてきて、四日――だと思う。
「、少しでも食いな。置いとくよ」
毎晩一度、ばあちゃんが食事を持ってきてくれる。私が布団をかぶって黙っていると、机の上にトレイを置いてそのまま出ていく。
そういえば、母さんが寝込んだときもこんな感じだったな。
認めたくなくても、多分私は、あの母さんの娘なんだな。そんなことを、ふと思った。
戦闘は落ち着いてきているし、任務の呼び出しもない。ひょっとしたら誰か、気を配ってくれているのかもしれない。それとも仕事をしているほうが、つらいことは忘れられるだろうか。
分からない。今はただ、ひとりでじっとしていたい。動きたくもない。
リンが死んだ。それも、カカシの手によって。その事実が私の中に、大きな穴をこじ開けて重苦しく張り付いていた。
あの夜、ミナト先生はひどく緊張した様子で私を訪ねてきた。忍猫たちより早く、私に直接話したいと。私はそのときふと、ミナト先生が黄色い閃光と呼ばれていることを思い出した。
リンの死について、私がカカシを誤解しないようにと。
ミナト先生は機密に関わることまで全て話してくれた。彼の信頼を私は心地良く思う一方で、その重圧から逃げ出したい衝動にも駆られた。
リンはそのとき、カカシと霧隠れ方面の偵察任務に出ていた。ミナト先生は急きょ別任務に対応しなければならなくなったため、二人に任せたそうだ。そして任務中に、リンが霧隠れの忍びにさらわれた。
霧隠れは、捕虜を生かして帰さない。カカシは単身敵のアジトに乗り込んで、リンの救出に成功した。
だがそれは、敵の罠だったという。
「リンは霧隠れで三尾の人柱力にされた。彼らはそのあとリンを木の葉に戻らせ、そこで三尾を暴走させる計画だったらしい」
「……三尾? ちょっと、待ってください」
すっかり混乱してしまった私は、ミナト先生の言葉を舌足らずに遮った。
木の葉にも尾獣はいる。もっとも、そのことを正確に知ったのは忍猫使いとして情報を学ぶようになってからだ。九尾の狐は木の葉隠れに古くから伝わる伝承として知られている。でも今は、それがクシナさんの身体に封印されていると私は知っている。
九尾を始めとした強大なチャクラエネルギー体である尾獣は各国が保有し、そのパワーバランスを保っている。
「リンは、民間出身ですよ? 尾獣なんて普通の人間に受け入れられるはずないです、そうですよね?」
「実は……里では機密情報として扱われていたが、リンは千手一族とうずまき一族の血を引く、特別な素質を持っていた。君の言う通り、両親は忍びではなかったし、本人も自分の血筋のことは知らなかっただろうと思う。だから俺がついていたんだ。もしそのことに気づいた者が彼女を利用しようとしたときに備えて」
千手一族に、うずまき一族? あまりに突拍子のない話で、まったく実感が湧かなかった。千手一族は言わずと知れた初代火影、二代目火影の血筋で圧倒的な力を誇り、うずまき一族は今は亡き渦の国を率いた一族で、圧倒的なチャクラ量と強力な封印術を得意とする。どちらも伝説級の一族で、子どもの頃から知っているリンがその二つの血を引くということがどうしても信じられなかった。
でも、振り返ってみれば。幼い頃からの圧倒的なスタミナと、医療忍術をものにした絶妙なチャクラコントロール。非常時にも冷静に対処できる集中力。リンがいたから、カカシはオビトの写輪眼をその場で移植することができた。
まさか、本当に。
「どこから情報が漏れたかは分からない。もしかしたらシキさんの一件で、すでにリンの情報が漏れていた可能性もある。霧隠れはリンに三尾を封印し、リンを木の葉に戻らせようとした。でもリンは彼らの計画を知って、里を守るために自ら命を落としたんだ。カカシの術に飛び込むことによって」
鼓動が速まって、息苦しくなり、嫌な汗がにじんでくる。カカシが一体、何だって?
「どういうことですか? カカシに何の関係があるんですか?」
「恐らくリンには、自死できない術か何かがかけられていたんだろう。リンは救出に来たカカシに殺してくれと頼んだそうだ。もちろんカカシは拒んだ。でもリンは……カカシが追っ手に向けて放った術に自ら飛び込んで……亡くなった」
ミナト先生の顔に、疲弊した影が差した。教え子のオビトを失い、今度はリンを、こんな形で亡くすことになった。戦争では人が死ぬ。それを分かっていても、飲み込めない思いがミナト先生にだってあるんだろう。
ミナト先生だって、人間だ。ただの戦争兵器じゃない。
そんなの、私だって同じだ。
「俺の責任だ。今回の任務を二人に行かせたことも、リンに血統を隠していたことも。だから責めるなら、俺を責めてほしい」
顔を上げたミナト先生は、もう、毅然としたいつもの波風ミナトだった。全てを自分が引き受ける。その覚悟を持って、今、私の目の前にいる。
でもそれが、一体何になるというんだ。
「ミナト先生なら……リンを助けられたんじゃないんですか? 何で……一緒に行ってくれなかったんですか? 何で……偵察任務なら、私の方が適任でしょう? 何で……何で私が帰るまで、待っててくれなかったんですか!!」
声はかすれて、呼吸が荒くなる。激しく脈打つ鼓動を手のひらで押さえつけ、私は泣きながらミナト先生を睨みつけた。ミナト先生に声を荒げるなんて、初めてだった。
ミナト先生は少し視線を落として、ただ静かに囁いた。
「――すまない」
私の初恋はきっと、このとき終わったんだと思う。