106.思い


 自来也さんやいのいちさんの下につくようになって、一年。

 私は彼らがいなくても、偵察任務を少しずつ任されるようになってきた。もちろんチョウザ班としての任務もあるし、シカク班やコマノのチーム、ツイさんやシビさんなど、色んな人たちと組むことがある。
 日向家の白眼、油女家の奇壊蟲は家の忍猫と並んで、木の葉でも極めて偵察向きの能力とされている。もっとも、忍猫たちは分かってはいても油女家の蟲たちにウズウズと反応してしまうので、多分、シビさんからは嫌われている。

 そして偵察といえばもちろん、カカシと同じ任務につくこともある。

 火影邸の前で掴み合いの大喧嘩をしてからもうすぐ一年になるが、あれからは本当にまともに口を利いていない。でも、私たちは忍びだ。カカシは相変わらず誰と組んでも一匹狼だったので、チームでの任務は私が他のメンバーと話し合って、カカシに指示を出すようになった。
 もちろん、素直に言うことを聞くカカシではない。が、カカシだって馬鹿じゃない。本当に単独で動いて危険な結果になると分かりきっていれば、黙ってこちらの指示を聞くこともあった。

 それだけでも大きな進歩だと、私が他のメンバーに褒められた。ツイさんなんか、頭まで撫でてくれた。ちょっとやめてほしい。

「君のおかげでカカシが少しだけ丸くなったってみんな噂してるよ。ありがとう」

 ある日の任務明け、火影邸を出た私にそう声をかけてくれたのはミナト先生だった。ドキリと高鳴った鼓動を隠すように、私は慌てて首を振る。

「私なんか、何もしてないです……皆さんが色んなこと教えてくれるから、私なりに考えて動いてるだけです」
「それがどれだけ貴重な能力か、君にもいつか分かる日が来るよ」

 ミナト先生はいつもこうやってさり気なく私を励ましてくれる。胸がくすぐったくて、同時にものすごく寂しさを感じた。
 ミナト先生はきっと、誰にでも優しい。私が特別だから言ってるんじゃない。分かってる。そんなこと、とっくに分かってるんだ。

「君はサクモさんと親しかったそうだね」

 少しだけ声を潜めて、ミナト先生が言った。私は弾けたように顔を上げたけど、穏やかな彼の眼差しを見て、すぐに瞼を伏せた。

「……はい。大好きな、おじさんでした」
「カカシのことは俺もずっと気に病んでる。でも彼はきっと、サクモさんのことですっかり心を閉ざしてしまった。サクモさんのことを分かっていて、その上でずっと関わろうとしてくれる君のような存在が、いつの日かカカシの心を溶かすだろうと俺は思ってる」

 ミナト先生の言葉に涙がこぼれそうになったけど、私は小さく首を振ってつぶやいた。

「……私は、嫌われてますから。それでもいいから……カカシには、おじさんみたいになってほしくなくて……でもそういうのきっと、鬱陶しいですよね。カカシにも、俺のことなんか何も分かってないって言われました……」

 するとミナト先生は困ったように笑って肩をすくめた。優しい笑顔も好きだけど、こういう顔も、何だか子どもみたいで可愛いな。場違いに、そんなことを思った。

「俺のことを何も分かってないと言うくらいなら、話してくれないと分からないよね」

 ミナト先生の言葉に、ハッとした。同時に、ゲンマの声も脳裏に蘇ってきて、私は目を閉じる。家族でさえ分かり合えないこともあるのに、国同士が分かり合うなんて、どれだけ難しいことか。そんなの当然、カカシだって同じだ。

「俺のことを何も分かってないっていうのは、分かってほしい気持ちの裏返しだと思う。君の思いは確実にカカシに届いてるよ」

 とうとう我慢できなくなって、私は泣いてしまった。

 アカデミーの頃からずっと、カカシの背中を追いかけてきた。大好きなサクモおじさんの息子で、初対面から私の手裏剣を「へたくそ」と言って鼻で笑い、奮起した私は知り合ったばかりのゲンマに修行をつけてくれるよう頼み込んで、少しは成長したかなと思えても、カカシはどんどん先に行ってしまって、全く追いつけなくて。
 でも、カカシがよく私の話をしていたって、サクモおじさんが教えてくれた。私のことを少しでも認めてくれてるかもしれないって思えて、不器用なカカシの代わりに私が大人にならなきゃなって思ったのを覚えてる。早く追いついて、絶対に見返してやるって。

 カカシだってあのとき、「先に行く」って言った。
 それはまるで、早く追いついてこいよって言ってくれてるみたいに感じたんだ。

 でも、サクモおじさんがあんなことになって。カカシは私のことも、誰のことも見なくなって。

 それでも、諦めることはできなかった。

 サクモおじさんが大事だから。それだけじゃない。
 カカシ自身だって、私にとっては大切な存在だ。

 友達と呼ぶには、私たちの間には色んなことがありすぎた。でもやっぱり、私にとってカカシは紛れもなく仲間であり、友人だ。

 カカシがいなかったら、きっと私はあんなに努力できなかった。
 そしたらきっと、今出会えている人たちにも出会えなかった。
 ゲンマとだって、こんなに深い仲になれなかったかもしれない。

 あんたがいたから、私は今ここにいるんだよ。

 だから絶対に、諦めたくないんだよ。

 ミナト先生は私の肩にそっと手を置いてくれた。温かい。でもその温もりが私にとっては、少し切ない。

「こんなに思ってくれる仲間がいて、カカシは幸せ者だね」
「あーーーーっ! ミナトっ!! あんた何女の子泣かせてんの!!」

 そのとき突然、威勢のいい女の人の声がして、私は飛び上がった。涙は一瞬で引っ込んで、私はぎょっと顔を強張らせるミナト先生を見て目を見開く。
 現れたのは、真っ赤な髪をポニーテールに結んだくノ一だった。すごく、鮮やかな色。一目見て、ミナト先生の奥さんなんだろうなって分かった。

「クシナ、違う、誤解だよ……」
「何が誤解よ! ちょっとあなた、大丈夫?」
「クシナ、澪様のお孫さんのだよ。カカシたちの同期だから、少し話をしてて……」
「あーっ! あなたが? 可愛い! 私はクシナよ、宜しくね。でも大丈夫? ミナトに何されたの?」
「いえ、すみません……ミナト先生が優しくて、つい泣いちゃって……心配かけてごめんなさい」

 しどろもどろに私が答えると、クシナさんは心配そうに身を屈めて私の顔を覗き込んだ。すごく、パワフルな人だなと思った。

「本当? 大丈夫? ミナトに何かされたらいつでも言って。とっちめてやるから」
「クシナ……が困ってるよ……」

 クシナさんは困り顔のミナト先生を鋭く睨みつけてから、私に向き直ってすごく明るい笑顔を見せた。それだけで、ミナト先生がこの人を選んだ理由がよく分かる気がした。
 とても、素敵な人だった。

 ミナト先生はそのままクシナさんと帰っていった。
 立ち去る前、ふと振り返ってミナト先生がまたあの穏やかな眼差しを向けてくれた。

、本当にありがとう」

 その言葉に、心臓がぎゅっと締め付けられて頬に熱がこもる。

 ダメだ。絶対にダメだ。この人を好きになっても仕方ない。
 こんなに素敵な奥さんがいて、子どもの私なんか、手が届くはずがなくて。

 二人の背中を見送って、私はまた目尻に浮かんだ涙を振り払うように、彼らとは反対方向に向かって足早に歩き出した。