102.ばあちゃん
自来也さんはまだ私がばあちゃんに会うタイミングではないと渋い顔をしたけど、アイが歯を剥いて「ヒルゼンは止めなかったにゃ」と言うと、それ以上は諦めたようだった。
アイやサクたちだって、これまでしばしばばあちゃんの様子を見に行っていた。彼らからしてみれば、家のことで外の人間に止められる筋合いはないといったところだろう。
ヒルゼン様の言うことは多少聞くみたいだけど、基本的にアイたちが大人しく言うことを聞くのはばあちゃんくらいだ。私の言うことなんかほとんど聞かないし、彼らからすれば私なんてまだお守りをしてやっているという感覚だと思う。
ばあちゃんは病院の地下に隠された部屋に隔離されていた。地下があることも知らなかった私からすればひどく息苦しい空間だったけど、致し方ない。
ベッドに横たわるばあちゃんは覇気がないけど確かに目を開けていて、その周りを数人の男の人たちが取り囲むような形で立っていた。
中にはヒルゼン様の他、ミナト先生もいた。
「自来也、なぜ澪の孫がここに」
ばあちゃんやヒルゼン様と同世代くらいの、鋭い眼光の人が不機嫌そうに声をあげる。私の両肩のアイとサクが身を低くして唸る中、自来也さんはあえて軽快に振る舞っているようだった。
「仕方がないでしょう。澪様がお呼びだと聞かされては」
「あんた本当にその娘に甘いわね。そんなんじゃいつか寝首でも掻かれるわよ」
寝首って。先ほどの男性の隣にいる、長髪の青白い人が静かに口を開くと、自来也さんは高らかに笑った。
「に夜這いされるならそれは本望だのう」
「自来也先生。澪様の前ですよ」
ミナト先生が困った顔で口を挟み、病床のばあちゃんは呆れた様子で首を振った。
「相変わらずだね、自来也」
ばあちゃんの顔色は悪かったけど、声は思ったより元気そうだった。少しホッとして、私は両肩のアイとサクに軽く頬ずりした。
次に口を開いたのは、手前に立っていた長身の男性だ。そうは言っても自来也さんほどの背丈はない。自来也さんは、私が知る中で最も長身の大人だった。
「それでは、私はこれで」
「世話をかけるな、フガク。あとは任せた」
「いえ、大事がなく何よりです。くれぐれも安静になさってください。それでは三代目様、ダンゾウ様、失礼いたします」
丁寧に一礼して去っていくその後ろ姿には、うちは一族の家紋があしらわれている。
そうか、うちはフガク。確か今のうちは家当主で、警務部の部長を務めているはずだ。きっと、目覚めたばあちゃんに話を聞きに来たのだろう。
「臭い」
「臭いにゃ」
アイとサクが露骨に顔をしかめるので、私は慌ててふたりの口を塞いだ。うちは御用達の忍具店に住む忍猫たちは、家の忍猫たちと犬猿の仲だ。遠い昔に枝分かれした一族という話を聞いたことがあるけど、真相はよく分からない。
ダンゾウ様と呼ばれた男性は私を冷たく一瞥すると、ばあちゃんに向き直ってぞんざいに告げた。
「お前がその調子ではどうにもなるまい。こちらはこちらで引き続き動く。邪魔立てするなよ」
「……お前にも手間をかけさせた。すまない」
「フン。しおらしいお前など気味が悪いわ」
ダンゾウ様は冷ややかな空気をまとっていたけど、ばあちゃんとのやり取りには長年の親密さのようなものが感じられた。
ダンゾウ様は鼻を鳴らし、そのまま長髪の人を連れて去っていく。部屋に残ったのは、ヒルゼン様、自来也さん、ミナト先生。
そして、病衣を着て青白い顔をしたばあちゃんだ。
ミナト先生が私とばあちゃんを気遣わしげに見比べる中、ヒルゼン様が軽やかに声をあげた。
「さて、澪から大凡の話は聞いた。あとはフガクたちに任せるとしよう。自来也、ミナト、行くぞ」
「はい、三代目様」
ミナト先生が顔を上げ、私の目を見て穏やかに微笑む。私は頬が熱くなるのを感じてすぐに目を逸らしてしまった。
ヒルゼン様はばあちゃんを振り返り、まるで子どもにでも言って聞かせるように告げた。
「お前はとにかく身体を休めろ。里には新たなる忍猫使いも生まれた。新しい風が吹いておる」
ヒルゼン様たちの視線が私に集まるのを見て、思わず息を呑む。ばあちゃんもまた、瞼を開いて私のほうを見た。
まったく覇気のない、くたびれた顔だった。
ヒルゼン様たちが去っていき、私、私の肩に乗ったアイとサク、そしてベッドに横たわるばあちゃん。
いつの間にかばあちゃんのベッド周りには、数匹の忍猫たちが集まっていた。
沈黙が続いている間、私とばあちゃんは重苦しい空気の中で見つめ合っていた。乾いて張り付きそうな喉に唾を飲み込んで、ようやく唇を開く。
「ばあちゃん……具合は、どう?」
「大したことない――と言いたいところだが、見ての通りだ。本当に……情けないよ」
きっと母さんなら、問題ないって言っただろうな。そんなことをふと考えて、私は目を細めた。母さんより、少しはほんとのこと話してくれるつもりなのかな。私に話したいことって、何だろう。
私はばあちゃんに、伝えたいことがあるんだろうか。
話したいことはあったはずなのに、弱りきったばあちゃんを見たら私の頭にあったものはすべて霧散してしまった。
口火を切ったのはばあちゃんだ。
「自来也といのいちに教わっているそうだね」
「あ、うん……まだ、全然だけど。足引っ張ってばっかりで」
「当たり前だ。あいつらだって最初から優秀だったわけじゃない。時間がかかるものだ。焦らず、一つ一つこなしていくしかない」
私は驚いてばあちゃんの顔を見た。ばあちゃんはもう、こちらを見ていない。いつの間にか枕元にのぼっていたメイの顎を人差し指で撫でていた。
ばあちゃんはもう何年も、人様に甘えるな、早く一人前になれ、お前に中忍の器はないと私を否定し続けてきたのに。私が口寄せできるようになったからだろうか。それともばあちゃんが、弱ってしまったから? なんだか少し、昔の面影を感じて胸が苦しくなった。
「ばあちゃん……私、強くなりたい」
気がつけば涙がこぼれて、震えが止まらなくなった。鼻の頭がツンと痛んで、頭を絞られるような感覚にきつく目を閉じる。
脳裏に浮かぶのはあの日、笑顔で振り向いたガイのおじさんの姿だった。
「ずっと、守られるだけだった……でも自分の力で仲間を守れるようになりたいよ……仲間が死ぬのも苦しむのももう嫌だ……ばあちゃんだって、アイだってサクだってみんな、死んでほしくないよ……」
「ボクらの心配なんて五十年早いにゃ」
尻尾でふたり同時に顔を叩かれて思わず潰れた声が出る。しかも五十年って、リアルなこと言わないで。
ばあちゃんは右手で顔を覆い、長々と息を吐いた。もしかしたら、ライのことを思い出しているのかもしれない。そんなことをふと思ったけど、とても聞けやしなかった。
洟をすすり、涙を拭って、私はまっすぐにばあちゃんの顔を見た。
「ばあちゃん。私に千本を教えて」
手のひらから顔を上げたばあちゃんは、泣いてなどいない。でも打ちひしがれた眼差しを上げて、驚いたように私を見つめた。
「これから私は、アイやサクたちと一緒に里のために戦う。それが仲間のためになると思うから。ばあちゃんは忍猫たちと一緒に諜報活動でも千本を駆使したって聞いた。里で一番の使い手だって。私も情報を学びながら武器を増やしたい。私に、千本の使い方を教えてください」
ばあちゃんは目を見開いてしばらく呆然と私の顔を見ていた。素知らぬ顔をしながらも、忍猫たちも耳だけはしっかりとこちらを向いている。
アイとサクは私の肩の上で、相変わらずゆらゆらと尻尾を振っていた。
やがてばあちゃんが、本当に少しだけ口角を上げて微笑んだ。
「いいだろう。だが、私が動けるようになってからだよ。それまで自来也たちの下でしっかり絞られておいで」
「うん、分かってる」
頷く私を見て、ばあちゃんは目を閉じた。疲れたのかもしれない。少し早まった呼吸を整えて、静かに言ってくる。
「どの隠れ里も長引く戦争で疲弊している。一刻も早く終わらせなければならない。お前たちの働きにかかっているんだ……頼む」
「……うん」
自分たちが始めた戦争のくせにって、昔の私なら怒っていたかもしれない。
でもきっとばあちゃんたちだって、それを回避するためにいつも力を尽くしてきた。
殺し、殺され膨れ上がる憎しみの中で、私たちはいつか平和な世界を築けるんだろうか。そう考えたら、胸が潰れそうになった。私は霧隠れを許せないし、母さんを死なせた岩隠れだって。
そのままばあちゃんが静かに寝息を立て始めたので、私はアイたちに従って地上へと出た。冬の冷気の中でも、少し暖かい陽射しが優しく照らしてくれる。
豪快に笑う昔のばあちゃんは、もういないかもしれない。
でもきっとまた、繋がることはできる。そう思ったら、涙が出そうなくらい嬉しかった。