294.残像
「一旦退くにゃ、! お前がいても足手まといにゃ、澪のときとは違うにゃ!」
「……分かってる!」
巨大化したサクたちを放っても、彼らが術を無効化できるのはあくまで拘束できた対象だけ。その圧倒的な術とスピードを前に、マダラを捕らえることはできない。むしろどんどん追い詰められ、ナルトくんやガイの労力を無駄に割いているだけだ。
分かっている。分かっているのに。
「最後に舞うチャンスをやろう。己の領分を弁えず戦いに身を投じた愚かさを嘆け」
尾獣ほどに巨大化した忍猫を蹴散らし、マダラが団扇を掲げる。ガイに抱えられ息も絶え絶えによろめきながらも、私はまっすぐにマダラを睨んだ。
「……私たちは確かに愚か。でも戦いを選んだこの選択にもう迷いはない。舞うことだけが、祈りじゃない」
マダラの瞳が、微かに揺れる。
「そうか、ならば――あの世で翠に詫びるがいい」
翠というのは確か、母の曾祖母。死ぬまで初代火影のために舞っていたと、レイから何度か聞いたことがある。母はその舞いを見て育った。だからこそ母は、忍びとしての生き方にずっと疑問を持っていた。
かつてのとうちはの間に何があったか、私は知らない。私はのことを、何も知らない。
うちはマダラがに何かしらの強い感情を持ち合わせていたとしても、私はただ、圧倒的な力を前にもがき苦しむしかない。
それでも――視界の片隅にオビトを捕らえようとしたところで、目の映るものが一瞬にして別世界になった。
忍猫の時空間忍術で、私は八尾の後方に飛ばされていた。先ほどまでいた場所がマダラの火遁で消し飛ぶのが見えた。ガイも既に移動している。
「ボサッとするにゃ! もう退くにゃ!」
「でも――オビトが――」
オビトはカカシが相手をしている。かつて、落ちこぼれだったオビト。カカシには到底及ばなかったはずなのに、今は彼をも凌駕しようとしている。いや、カカシもまた、面の男の正体に絶望しているから、か。
私たちの知らないオビト。二十年の時を経て、もう、私たちの知るオビトではなくなってしまった。奴は、アイを殺した。暁は、数え切れない罪を犯してきた。
そして今、世界を終わらせようとさえしている。
オビト。それでも、私は――。
「十尾も頃合いのようだな」
戦闘中に、いつしかかなりの距離を離れてしまったらしい。振り向いたマダラの視線の先で、人型の化物の姿が大きく変化しようとしている。
「十尾がヤベェな。こっちはカカシに任せて、俺たちは十尾を――」
「の姉ちゃんは俺に任せるってばよ」
八尾とナルトくんの会話に、痛切な無力感で引き裂かれそうになる。
血の味を噛みしめながら、首を振る。
「私のことはいい、行って」
「でも――」
「足を引っ張るために来たんじゃない! 私のことはいいから、早くあの化物を!」
どのみち八尾たちが化物に向かえば、マダラが黙って行かせないはず。
その間に、カカシを援護して、オビトを。
オビトを――?
神妙な面持ちで頷いたナルトくんと八尾、ガイたちが動き始めると、やはりマダラは彼らの前に立ち塞がり、私を蔑むように一瞥する。
「貴様は後で始末をつけてやる。精々、無様に足掻くがいい」
震え上がる肌を押さえつけて、唇を噛む。死ぬ覚悟なんて、とっくの昔にできたはずだ。何人もの仲間が、同期が、命を落としてきた。
私だって、死ぬなら戦地で死ぬ。
ボロボロの身体を引きずって、カカシとオビトのところへ、向かう。
「今のお前が行っても死ぬだけにゃ! もうすぐ連合軍が到着するにゃ、それまで待つにゃ!」
サクたちに首根っこを咥えて掴み上げられ、私は何も言えなかった。オビトと話をするために先行した。シズネさんやシカクさんたちの言うことも聞かずに、ひとりで勝手に。
結局、足手まといにしかならない。
オビト――カカシの言葉も、今のあなたにはもう届かないと言うの?
それなら、私の言葉だって、きっと。
カカシはオビト相手に防戦一方だ。チャクラ切れ、じゃない。カカシの動きには、いつもの覇気がない。
かつての仲間を次々と失った彼にとって、オビトとのこんな形の再会が、痛手にならないはずがない。
「やっぱり……私が」
「犬死にするって言ってるにゃ!!」
「骨くらい拾ってやるって言ったくせに!!」
見上げんばかりの大きさの忍猫――中でもしきりに話しかけてくるサクに毒を吐いて、顔を動かす。そのとき、迫るオビトの風魔手裏剣がカカシの鳩尾を狙って突き出されるところだった。
「カカシ――」
カカシはもうフラフラだ。避けきれない。
そのとき、突然カカシの姿が視界から消えた。驚く暇もなく、私の背後に勢いよくカカシの身体が落下する。
先ほどまでカカシのいた場所に現れたトウが、オビトの風魔手裏剣を食らうよりも先に後ろに跳躍し、すぐさま私の傍らに戻ってきた。
忍猫たちは独立心が強い。百猫一魂の発動中も、一、二匹程度であればそれぞれの意思で元の姿に戻ることもできるようだ。
「カカシ、大丈夫?」
足元のカカシを振り返ると、すでに至るところに浅くはない傷を負い、浅く息を吐きながら項垂れている。もはや完全に、戦意を失っている。
「カカシ、しっかりしてよ!」
「無駄だ。そいつはもう抜け殻だ。守る価値もない」
答えたのはオビトだった。芝居がかった仕草で左手を掲げ、冷ややかにこちらを見下ろしている。
喉の奥から、途方もない怒りがせり上がった。
「守る価値のない仲間なんかいない。あんただってその一人だった……オビト」
「お前に何が分かる。お前が俺の、何を知っていると? 俺がお前の半身を殺したんだぞ」
唸ったのは巨大化した忍猫の一部であるサクだ。腰を低くするその姿に、私は右手を挙げて待ったをかける。
震えるその手のひらを、きつく握りしめた。
「……話してくれないと分からない。言いたいことがあるなら、こんな下らないことしてないで、さっさと里に戻ってきて言えばよかったでしょう!! 何でアイを……九尾を……木の葉を、潰そうとしたの? アイは、あんたにとっても……」
「お前たちに話したところでどうなった。平和の答えを、お前は見つけられたのか?」
オビトの問いかけは、残酷なまでに私の胸を抉った。そんなものがあるのなら、そもそも今、こんなことになっていない。
オビトが風魔手裏剣を持つ右手をも掲げ、淡々と口を開く。
「俺は見つけた。にはたどり着けなかった答えだ」
「それが……大幻術だっていうの? こんな戦争まで起こして、現実を全部、これまでを全部、なかったことにして……それが平和だなんて、絶対に間違ってる!」
「答えの出せないお前たちに、俺を断じることはできない」
何を言ってもきっと、オビトは揺らがない。もう、私たちの手の届かないところにいる。
オビトがこちらに向けて走り出す。私は新しいクナイを取り出し、足元のカカシを一瞥する。ダメだ。完全に、意識がここにない。
「しっかりするにゃ!」
茫然自失のカカシにトウが勢いよくパンチを食らわせると、優に数メートルは後ろに吹き飛んだ。こんなときだというのに、昔、任務帰りに甘味屋に寄ったとき、アイが同じようにしてガイを通りまで吹っ飛ばしたときのことを思い出した。
あの頃はまだ、オビトもリンも。ばあちゃんも。アイも――。
向かってくる今のオビトを見据え、私も走り出す。相手の武器をかわしてクナイを突き出すも、すり抜ける。
抜けきったところで実体化したオビトの腕が伸びてくるも、また一瞬で目の前の景色が変わる。忍猫の時空間忍術は術者のチャクラを消費する。こんな戦い方をしていては消耗するだけだ。
「逃げ回っていても何も変わらんぞ」
「オビト、もうやめて! こんなことしたってリンは帰ってこない!!」
オビトが世界に絶望したとしたら、それはきっとリンのことが。
オビトはずっとずっとずっと、リンが大好きだったから。
死の間際に恋敵だったはずのカカシに託すほど、本当に大切だったから。
でもその場で足を止めたオビトは、アイを殺したと告げたときと同じように、声をあげて残忍に高笑いした。
かつてのオビトはもういないのだと、また、思い知らされる。
「そうだ、リンはもういない。こんな世界に何の意味がある? お前もそうだろう、。家族の愛を信じられず、たったひとりの家に帰る。何をしても満たされない。仲間がいようが、最愛の男がいようが、お前はいつも孤独だった。お前が求めるものは、二度と手に入らないからだ。こんな腐った世界に希望はない」
私はいつも、孤独だった――オビトの言葉に、胸の奥が軋むような気がした。オビトは、知ってる。私が家族とうまくいっていなかったこと。だから逃げるように不知火家で過ごしたこと。たったひとりの母親の葬儀に、私が行かなかったこと。
家族に必要とされなかった私の、孤独。
遠回りをした。人の助言を聞かなかった。何度も、何度も何度もゲンマに背を向けた。
それでも。
「私は――」
そのとき突然とてつもない光と爆音が響き渡り、吹き荒れる衝撃波に吹き飛ばされた。
地面を転がる私を受け止めたのは、息も絶え絶えといった様子のカカシだ。先ほどトウに殴られた痕からは血が出ている。ちょっと申し訳なかった。
「カカシ、今の……」
「八尾と九尾の尾獣玉だ。そして人型の化物が消えた」
「消えた……? 終わった、の……?」
尾獣の集合体である十尾が復活しなければ、無限月読とやらは発動しないらしい。
でもその直後に全身に震えが走り、私はもっとひどいことが起きたのだと悟った。
術を発動したままのサクたちも、耳を後ろに倒しながら極限まで身を伏せ、震える脚で地面をつかんでいる。
私たちの視線の先には、先ほどまでの化物とは違う形の異形が、そびえ立っていた。
どこからか、オビトの声が聞こえる。
「――この世界が、な」