「やあ、みんなおはよう。改めて自己紹介をしよう。闇の魔術に対する防衛術を担当する、リーマス・ルーピンだ。よろしく」

リーマスの授業はレイブンクローとの合同授業だったが、鷲寮の生徒の何人かは、リーマスの身なりを初め、あからさまに軽蔑した様子で眺めていた。
そりゃ、お世辞にも父のローブは上等とは言えない。ただでさえ安物を、さらに何十年と着古したような。それでもは、父がどれほど苦労して自分に不自由をさせないようにと努力してくれているかを痛いほど知っていた。だからそのことが腹立たしくて仕方なかった。
レイブンクローの男の子がひとり、手を挙げて聞いた。

「ミス・ルーピンのパパなんですよね?」
「ああ、イシュメル、はわたしの娘だよ。だが学校ではみんなと同じ生徒のひとりだ。手加減はしないから、、そのつもりで」
「期待してないですー、ルーピン先生!」

くすくす笑う父に素っ気なく返しながらも、の心は浮き立っていた。わたしはリーマスのことが大好きだ。不安でいっぱいのはずの新生活で笑っていられるのは、きっと友人ばかりでなくそばにいてくれる父の存在も大きいだろう。
リーマスはみんなに他の科目の様子を聞いたあと、足元に置いていた小さな箱を持ち上げた。

「科目によっては呪文の練習を始めているみたいだね。今日は初めての授業だし、みんなと少し遊んでみようかと思っているんだ」

遊ぶって。闇の魔術に対する防衛術の授業で、遊ぶって?
不思議に思っては眉をひそめたが、他の生徒たちはワクワクしているようだった。リーマスを馬鹿にしていた様子のレイブンクロー生さえ興味を持ったみたいだった。
教卓に載せた茶色い箱に手を添えながら、リーマス。

「みんなの遊び相手はわたしではなく、この中に入っている」
「何が入ってるんですか?」
「それは開けてからのお楽しみだ、アンジェラ。心配しなくていい、悪戯好きだが悪い魔力はほとんど持っていない。本当に小さな子どものようなものだよ」

妖精の仲間かな。庭小人なら毎年夏からこの時期にかけてエメリーンおばさんと退治してるんだけど。そういえば、リーマスもわたしもいなくなって、庭の花壇はどうなっているんだろう。 おばさんも毎週は来てくれないよね……。

「まずは五分。魔法を使う必要はない。みんなで悪戯好きのこいつらの相手をしてやってくれないかな?」
「こいつらって……一体、何匹いるんですか?」
「五匹かな。さあ、いくよ」

のんびりと微笑んで、リーマスが杖をかざす。大した魔力はないといえ、何が飛び出してくるか分からない緊張感に教室の空気が重くなる中、父はあっけなくその腕を振った。

the very picture

胸をざわつかせるもの

リーマスは実技を中心とした退屈のしない授業で、あっという間にホグワーツの人気教師となった。父のローブを見て小馬鹿にしていたレイブンクローやスリザリン生も、今やそんなことはほとんど誰も気にしていない。 スリザリンのごくごく一部だけが、躍起になってリーマスのあら探しをした。

「放っておきなさい」
「だって!!」

その日、ハッフルパフの一年生・ルーピンは、闇の魔術に対する防衛術教授、リーマス・ルーピンのオフィスにいた。もっとも、はじめから父の部屋を訪れようと意図していたわけではなく、 とある事故を経て結果的にここに収まっている、という言い方が恐らくは正しい。
ここに来る前は、薬草学教授、同時に彼女の寮監でもあるポモーナ・スプラウトの事務所に呼ばれていた。
リーマスは興奮した娘を無理やりスツールに座らせ、奥で二人分の紅茶をいれている。

「腹立たないの!? あいつら他にすることないからってリーマスのあることないこと!!」
「言わせておけばいい。そんな挑発に乗って先に手を出したら、お前のほうに非があることにされるんだぞ? みすみす減点の口実を与えてやることはない」
「だって!! 悔しいんだもん、わたし……リーマスのこと悪く言われるの、悔しいんだもん、あんな、根性悪いやつらに馬鹿にされて……わたし、いやなんだもん……」

どうせまともな仕事にも就けない浮浪者なんだろう。よく子どもなんか持てたもんだ。どんな危なっかしいことをして食いつないできたんだろうな    誰かの陰口を言っていないと、立っていられないような連中。
何も知らないくせに。悔しくて、歯がゆくて、握り締めた拳を振るわせるの前にティーカップをおいて、リーマスは力なく笑った。

「わたしは慣れているから。お前はそんなこと、気にしなくていいんだ」

そんなふうに、笑わないでほしい。リーマスがどんな思いで、一生懸命自分を育ててくれたか。
エメリーンおばさんみたいに、ダンブルドア先生みたいに。受け入れてくれる人だっているのに。

「すまなかったね、
「え?」

見上げると、いつの間にか傍らに立っていたリーマスが、こちらの頭をそっと撫でながらつらそうに顔をしかめていた。
小さいときから、何度も見たことのある顔だった。

「またつらい思いをさせてしまった。せめて親子であることは隠しておくべきだったな」
「何でそんなこと言うの! リーマスが言わなくてもわたしが言う、リーマス・ルーピンはわたしのパパだって! リーマスの子どもなのが恥ずかしいわけじゃないもん! そんなことあるわけない! わたしリーマスのこと大好きだもん、みんなだってそうだよ、みんなリーマスのこと大好きだもん!」

そんなふうに言ってほしくなかった。リーマスが娘の自分に申し訳ない気持ちをずっと持ってきたことは知っている。でも、それでも。わたしはリーマスのことが大好きだから。 そばにいられてこんなにも心強いから。わたしだけのリーマス、じゃなくなってしまったことが寂しくないなんて言うつもりはない。それでも。ホグワーツのみんながリーマスを気に入ってくれたこと、純粋に嬉しいと思っているから。
するとリーマスは小さく微笑んで言った。

「ありがとう、。その気持ちだけでじゅうぶんだ。だからつまらない連中の、つまらない陰口なんか気にしなくていい。そんなことでさっきみたいに喧嘩にでもなれば、お前が悪いことにされてしまうからね」
「……うん」

四限が終わったあと、スリザリンのヘンリットらの挑発にのって杖を出してしまったところをちょうどスネイプに見つかってはすかさず減点されてしまったのだ。まだ何もしていないのに、先に喧嘩を売ってきたのはヘンリットなのに! と反論しようとすればさらに点を引かれて、理不尽だ! と暴れているところへ寮監のスプラウトが通りかかって彼女を引き離した。は必死に自分の正当性を訴えようとしたが、喧嘩は規則違反であると淡々と述べるスネイプにスプラウトは言い返すことができず、事務所でただひたすら「相手にするな」と言い包められた。 そこへ、温室の鍵を借りていたというリーマスが訪ねてきて、事情を聞いた父が「わたしが言って聞かせます」と自分の部屋に連れかえったのだ。
リーマスの言っていることは分かる。でも。
大好きな人の、心ない悪口を平気で聞いていられるほど、わたしの心は広くない。

悔しくてたまらなくて、唇を噛んでうつむくの頭を、少し屈んだリーマスの腕が優しく包み込んだ。
涙がこぼれおちた。

「お前は本当に優しい子だね」

あやすように、ゆっくりと、その指先が動く。

「お前のママもそうやって、誰かのために泣ける人だった」

父はこうしてときどき、母のことを話してくれた。だからわたしは、寂しくなんかなかった。

「でも、、お前のその優しさは、他の誰かのために使いなさい。自分と、そして自分が本当に大切に思う、他の誰かのために。お前が元気に、幸せでいてくれれば、それがわたしの幸せなんだよ。 だからわたしのために、お前にそんな顔はしてほしくない。分かるね?」
「……わかんない」
?」
「わかんない!!」

意外な反応だったのか、怪訝そうな声を出したリーマスの胸から顔を上げて、は噛み付くように怒鳴った。

「リーマスだってわたしの大事な人だもん! 大事な人けなされて黙ってられない、悲しくて当たり前じゃない!! なのに平気な顔してろって、わたしそんな嘘つきたくない!!」

涙混じりに睨みつけると、リーマスはしばらく困った顔をしていたが、やがて呆れたように息を吐いて腕組みした。

「分かった、もう怒るなとは言わない。言わないがこれからは、杖を出す前にまず自分の寮のことを考えなさい。お前が減点されることで直接害を被るのはハッフルパフの仲間たちだ。 みんなの顔を思い出して、それから行動するように心がけなさい。いつまでも子どもではないんだから」

う……そう言われると、弱い。確かにさっき、スネイプに三十点も引かれてしまったのだ。明日一日で取り戻せるとは思えない。考えが足りなかった。

「はい……ごめんなさい」
「いい子だ」

リーマスはようやく表情をゆるめ、もう一度こちらの頭を撫でた。そして杖を振って紅茶を温めなおし、飲みなさいと勧めた。

「ねえ、リーマス」
「うん?」

もうすぐ食事だからと、ひとかけらだけソーサーに添えられたチョコレートをかじって。控えめに、は聞いた。

「わたし、スネイプ……先生に、嫌われてるみたい」

カップを口に運ぼうとしていた父の笑顔が少し固まったのを、彼女は見逃さなかった。

「わたしだけじゃないよ、リーマスのこともあんまり良く思ってないみたい。最初の授業でわざわざわたしに脱狼薬のこと質問してくるんだよ? わざととしか思えないし! 上級生に聞いたんだけど、スネイプ先生ってずっと防衛術の先生になりたがってるんだって。だから多分リーマスのこと    
「何でも鵜呑みにするものじゃない。特にホグワーツのような、多くの人間が集まる場所ではね」
「でも! だってさっきの減点だっておかしいよ、わたしひとりに三十点も減らすなんて! わたしに恨みがあるとしか!」
「恨まれているのはわたしだよ」

嘆息混じりにカップを置き、疲れた顔でリーマスはそう言った。その発言は、にとってあまりにも突飛なものに思えた。

「……めんどくさい脱狼薬を毎月作らなきゃいけなくなったから?」
「それもあるかもしれないが。もっと根本的な問題だよ。わたしとスネイプ先生はホグワーツの同級生なんだ」

は飲もうとした紅茶をカップの中に盛大に噴き出した。

「は!? なにそれ、聞いてない!! 何で言ってくれなかったの!?」
「隠したつもりはないよ。言う必要があるとは思わなかったし……まあ、決して仲が良かったとは言えないからね。だが、そこまで露骨にお前に当たるとは思わなかった。すまない」
「恨まれてたっていうのは……なんで? ……何かしたの?」
「したというか……逆に、何もしなかったことが原因、かな」
「は?」

意味が分からない。穴が開きそうなほど見つめる娘の眼前で、リーマスは居心地悪そうに頭を掻いた。あまり見たことのない顔だった。

「わたしの友人に、スネイプ先生と犬猿の仲といっていい間柄の青年がいてね。よく、呪いをかけあっていたものだが……なんというか、彼のほうが一枚うわてでね。スネイプ先生が劣勢に立たされることも多かった。 そんなとき、わたしは何もしなかった。見て見ぬふりをしていたんだよ。それでスネイプ先生がみんなの笑いものになることもあった」
「……恨まれてるって。そのときリーマスが、助けに入らなかったから?」
「……かも、しれないね」
「で、でも! 呪い、かけあってたって! 別にその人が一方的にしてたことじゃないんでしょ、スネイプ先生だってその人に仕掛けてたわけでしょ? だったらリーマスが間に入る義理ないんじゃないの? だってふたりの問題じゃない、スネイプがちょっと弱かっただけの話で!」
「スネイプ『先生』だ、

律儀にそんなところを訂正してくるのはリーマスらしい。そう、そんなパパが、例えば一方的にスネイプがやられていたとしたら、放っておくはずがない。ふたりの『喧嘩』だったから、だから口を挟まなかったんだ。 そのことで恨むなんて、お門違いなんじゃないか。
リーマスはばつの悪い様子でようやくこちらを見た。

「だから、、スネイプ先生はきっとわたしに良い感情は持っていない。聞けば少なからずその感情をお前にも向けているように思える。 だからこそ、尚のことスネイプ先生には減点の口実を与えないように。ハッフルパフは……はっきり言って、我々の時代にも、優勝争いからはかなり遠いところにいた。 一度失った点を取り戻すのは至難の業だろう。そのことを心に留めて、少しでもみんなに迷惑をかけないようにしなさい。いいね?」
「……はーい」

リーマスとスネイプの意外な関係を聞いて、びっくりしたことは否定しないけれど。だからといって、それでスネイプへの感情が変わるわけではない。父との過去がどうあれ、今のスネイプがとてつもなく嫌なやつであることは変わりがないのだ。 だから同じように、わたしのなにも変わらない。リーマスへの気持ちも、スネイプへの気持ちも。


「んー?」

部屋を出ようとしたを呼び止め、振り向いた娘をリーマスは正面から抱き締めた。
それはとても、唐突な出来事に思えた。

「……リーマス?」

父は何も答えない。ただその腕の中で、は父の身体が離れるのを黙って待っていた。
父のことが、リーマスが大好きだ。
でも。
なぜだかその抱擁は、の胸をとても強くざわつかせた。

「さあ……行きなさい。わたしの言ったことを、くれぐれも忘れないように」

そっと腕を放しながら、リーマスが告げる。どこか疲れた様子のその顔を見上げ、は、うん、と小さくうなずいた。
変に思わせてしまっただろうな。静かに扉を閉め、ひとりになった部屋を見渡しながら、嘆息する。最後に振り向いた彼女の眼差しは、とても不安げなものだった。
不意に抱き締めた理由は、分かっている。
あの子があまりにも、あの男に似ていたから。

(わかんない!!)

そう言って睨みつける、あの剣幕。
あの子の心根の優しさは、確かに母親から譲り受けたものだろう。
だが自分の『正しさ』を信じて疑わない、あの、頑なな態度。
きっとスネイプが彼女に厳しく当たってしまうのも、同じ理由によるものだと思う。
黒々と塗り潰された空を見上げながら、リーマス・ルーピンはきつく唇をかんだ。
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(13.10.19)