52.対照
予想はしていたけど、捻挫をした翌朝から毎日ゲンマがうちに寄るようになった。前日の親子丼も少し多めに作っていてくれたから夜ご飯は間に合ったし、翌日からは一日分のおばさんの手料理を毎日持ってきてくれた。ついでに何かやることあるか? って聞いてくれるけど、さすがに洗濯なんて頼めないから、大丈夫だよと答える。
私の捻挫の話を聞いて、夜はばあちゃんが帰ってきてくれるようになったし、本当はゲンマの家にこんなに甘えちゃだめなんだけど。
「ほんとに、お前は不知火に世話になりっぱなしだね」
シンクの空っぽのタッパーを見て、ばあちゃんがため息をついた。ばあちゃんは今も毎日本部に顔を出しているけど、去年に比べれば少し落ち着いたようだ。顔色もあの頃ほど悪くない。
私は痛みが和らいできた足首をそっと触りながら切り返した。
「うん、ゲンマもおばさんもいつも良くしてくれるよ」
「ちょっとやりすぎな気もするがね。捻挫したのはお前の不注意だろう。それをここまで甘やかすのは少し違うと思うがね。お前のチームメイトなんだろう?」
私はムッとして眉根を寄せた。ばあちゃんの言うことは分かるけど、家のゴタゴタで私が本当に苦しんでいたとき、助けてくれたのは不知火家の人たちだ。ゲンマもおばさんも、どんなときも愛情を惜しみなく与えてくれる。ばあちゃんは母さんのこと、里のことで手一杯で、私のことなんか見てくれなかったじゃないか。
でも私はその言葉を飲み込んで、足に負担をかけないようにゆっくりと椅子から立ち上がった。
「……もういいよ。ばあちゃんは里のことだけ考えてればいいよ」
「待ちな、」
戦争が始まってから、ばあちゃんはいつもピリピリしている。上層部は里の人たちや忍びの安全をすべて預かっていて、ばあちゃんは表向きは引退しているものの、今も実質その中のひとりだ。私なんか想像もできないくらいのプレッシャーがかかっているだろう。それは分かる。でも。
みんなの命のためならば、ばあちゃんは私の寂しさなんかどうでもいいんだろう。
「忘れちゃいないだろうね。凪があの状況では、お前が家を背負って立つしかないんだ。いつまでも人様に甘えてないで、自分のケツくらい自分で拭けるようになりな」
「……分かってるよ」
顔を背けたまま、つぶやく。幼い頃に色んな話を聞かせてくれて、修行をつけてくれていた世話焼きの祖母ちゃんはもういない。戦争が始まって、祖母ちゃんは変わってしまった。
いや、もっと前からだろうか。私が幼い間だけ、面倒を見ていただけかな。
私はもう、半人前とはいえ忍びなんだから。
洗い物だけざっと終わらせて、私はそのまま自室に戻った。怪我から明日で四日目。痛みはだいぶ和らいで、そろそろ復帰できそうな気はするけど、ゲンマに言わせれば「一週間休んでろ」らしい。本当に心配症だし、今回は少なからず責任を感じてるみたいだから、輪をかけて過保護なんだと思う。こそばゆいし、甘えてちゃだめだなって思うけど、やっぱり私は嬉しかった。
「必要な休息は気兼ねなく取るべきだ」
次の日も、ゲンマは朝一番にやって来てお惣菜を冷蔵庫に入れながらそう言った。
「そのうち嫌でも休めなくなるんだからな」
「……そう、だね」
ゲンマの言ってることは正しい。捻挫くらいで一週間も休めるのは私たちがまだ下忍だからだ。特にチョウザ先生は、決して私たちに何かを強いたりしない。いつも私たちが自分で考えて動けるように、一歩引いたところで見守ってくれる。そして今回のように私たちの身に危険が及びそうになったときは、すぐに前に出てくれる頼もしさがある。
「あ、将棋、ルールは覚えたぞ」
「えーっ! 修行しながらなのに? 早くない?」
「対局だけなら今からやってもいいぞ」
「……ゲンマは負けてもペナルティなしでしょ?」
「当たり前だろ。三日前にゼロから始めた素人だぞ。それくらいのハンデはつけろ」
「うー……今日はまだ、やめとく。私も木の葉の修行、続きやっとかないと」
チャクラを流して真っ二つに切る修行は達成したとはいえ、今は次の修行に移れないから、感覚を忘れないように復習するしかない。ゲンマも本気で今日対局しようと思っていたわけではないだろう。あっさりと引き下がって、こちらに背を向けた。
「じゃあそろそろ行くけど、大人しくしとけよ?」
「はーい。おばさんに宜しくね」
ゲンマが咥えた長楊枝の先をちょっと揺らしながら、片手を挙げて去っていく。ゲンマもガイも、私がこうして静養してる間にも一歩ずつ前に進んでるんだろうな。
考えたらまた落ち込みそうだったから、まずは朝ごはんをちゃんと食べることにした。ゲンマのおばさんの手料理は全部美味しいし、レパートリーもたくさんある。野菜やお肉たっぷりのサンドイッチをバスケットの中から取り出して、私はひとりで笑みを浮かべた。
復帰したら、おばさんにもお礼言いに行かないとな。
庭で木の葉の修行と、気分転換に詰将棋。ときどきアイとサクに将棋盤をひっくり返されながらも、私は足を労りつつ自分にできることをコツコツこなして過ごした。
***
一週間で私の足はすっかり完治し、無事にチョウザ班での任務に復帰することができた。初めてのCランクは失敗に終わったが、あのときの経験がそれ以降の任務に活きている。私とガイはゲンマに頼り切るのではなく、より自分たちで考えて動くように意識したし、ゲンマはゲンマで作戦立案の段階で私たちに意見を求めることが増えた。おかげで少しずつ、任務達成率も上がってきた。やっぱり忍びは、チームワークが一番大切なんだな。
そして私はといえば、時々タイミングが合うときにシカク班のアスマに風遁の修行をつけてもらっていた。
「おい、意識が飛んでるぞ。薄く、研ぐように、だ」
「は、はいっ!!」
疲れてくると、すぐに基本を忘れそうになる。遁術がこんなに難しいなんて思わなかった。ゲンマはどんどん火遁の精度を上げているし、早く追いつきたい一心で私はアスマの家にまで押しかける日もあった。
今思えば、めちゃくちゃ迷惑だったと思うけど。アスマはめんどくさそうな顔をしながらも、追い返さないで付き合ってくれた。昔のゲンマみたい。当時は知らなかったけど、同級生の中にも、こういう人がいたんだな。
アスマは父親が三代目火影で、母親は多忙な医療忍者だ。私が家に行っても誰もいないことが多かったけど、ときどきヒルゼン様が戻ってきたときに私も一緒に風遁の修行をつけてもらった。アスマは嫌そうな顔をしながらも、実は嬉しいのがバレバレ。羨ましいな、と素直に思った。
「……正直、あんたは私と同じタイプかと思ってた」
ある日の夕暮れ時、アスマの家の縁側で将棋盤を囲んでいるとき、私がふと漏らした言葉にアスマは片眉を上げた。
「なんだ、藪から棒に」
「お父さんが火影じゃん。めちゃくちゃ忙しいはずなのに……ヒルゼン様は、ときどき修行に付き合ってくれる。羨ましいよ。うちのばあちゃんは、昼間に家に帰ってくることもほとんどないしさ。修行つけてもらったのなんか、何年前か忘れたよ」
「で、サンは拗ねてるわけですか」
「………」
アスマの物言いに、思わずムッとするけど。その通りなので、私はおとなしく口を噤む。
アスマは将棋盤を見つめて、歩を前へ進めながら淡々と口を開いた。
「境遇なんて人それぞれだろ」
「……おっしゃる通りです」
「俺に言うみたいに、澪様にも言えばいいだろ。修行付き合ってって」
「……怖い顔して毎日本部に詰めてんのに、そんなの、言えないよ」
するとアスマはふうと長く息を吐いて、呆れたように肩をすくめてみせた。
「まったく付き合いのなかった赤の他人の俺にはこんなに図々しく頼めるのにな」
「赤の他人って言わないでよ。同級生でしょ」
「アカデミーで話したの数回だろ。他人だよ」
「他人他人言わないでよ。迷惑ならそう言って」
「言われる前にふつーは察するんだよ」
「……それ、帰れってこと?」
「言ってねぇよ。お前、意外と卑屈だな?」
ぐうの音も出ない。何度も修行に付き合ってもらって、何度も将棋盤を囲むうちに、お互いのことが少しずつ分かってきた気がする。アスマはきっと、ゲンマと似たタイプだ。見た目より、中身が断然熱くて実は面倒見が良い。だからちょっと、安心するんだろうな。
「何でも、やってみなきゃ分かんねぇだろ。澪様だって意外と、帰ろうと思えば昼間に帰れるかもしんねぇぞ。ま、うちの親父が帰れるんだから、澪様だって帰れるって」
「……そう、だね」
アスマは前向きに言ってくれたんだろうけど。私はズキリと胸が痛むのを感じた。薄々、気づいてはいたことだけど。
ヒルゼン様が昼間に帰ってきて息子に修行をつける時間があるのなら、祖母ちゃんにそれがないわけない。なのに帰ってこない。それはつまり、そういうことなんだろうなと思った。
頼めるわけ、ないよ。また傷つくだけだもん。
上の空で続けた対局は、結局また私の負けだった。ゲンマとはまだやったことがないけれど、このままでは将棋も風遁の術も滞ってしまうかもしれない。何とか気持ちを切り替えようと、私はまた呼吸法や詰将棋に時間を割いて、少しでも自分のことに意識を集中させようともがいた。