293.弱き者


 本当に、オビトだった。顔つきも、雰囲気もまるで違う。でも、右目の写輪眼に、左目の輪廻眼。顔の右半分には大怪我の痕がある。
 オビトは、崩れた岩盤に押し潰されて死んだと聞かされていた。だから遺体は、回収できなかったと。

 呼吸が、浅くなる。鼓動が、痛いほど速まる。

 それでも、もう、見ない振りはできない。

「……やっぱりお前だったにゃ、オビト」

 身を低くして唸るサクに、オビトは冷たい目で笑った。

「気づいていたとでも言うのか?」

 何も言わないサクを見て、オビトは残忍な声で高笑いする。こんなオビトは、知らない。私たちの、知らないオビトだ。

 当たり前だ。何十年、離れていたか。生きていたことさえ知らなかった。

「さすがだな。あのときもそうだった。師でさえ俺に気づかなかったというのに、奴は気づいた。だから殺した」
「……何の話……」

 呆ける私の前で、サクが大きく身震いするのが分かった。毛を逆立て、ピンと立てた尾を震わせ、シャーと唸り声をあげる。

「まさか、あの夜……お前がアイを」

 ハッとして、顔を上げる。あの夜。九尾が木の葉を襲った夜。
 オビトの狂気じみた笑みが、じわりと広がる。

「察しがいいな。そうだ、俺が殺した。お前たちの相棒を殺したのは、この俺だ」

 何かが、胸の奥で崩れ落ちた気がした。

 怒りが湧いた。憎しみも。あの夜、悲しみに明け暮れるサクと、血まみれのアイを胸に抱いて里までの道のりを歩いた。サクはそれから、何か月も塞ぎ込んで出てこなかった。
 でも――。

、といったな。なぜ貴様が忍びの真似事をしている」

 オビトの隣にいる長髪の男が、冷ややかに私を見つめてそう言った。穢土転生の瞳、写輪眼。

 これが、本物のうちはマダラか。五影が戦っていたはずだ。
 まさか、綱手様は――。

「なぜ貴様ごときが忍びの真似事をしている、と聞いている」

 淡々と、だが僅かに苛立ちをにじませて、マダラが繰り返した。
 殺気だけで、空気を切り裂くような。私なんて、ものの一瞬で殺されるだろう。

 震える声を押し殺して、口を開く。

「……確かに、私は今ここにいる中で一番弱い。でも、すぐに連合軍の仲間たちが全員駆けつける。私たち忍びの総力をもって、お前たちを倒す。世界は終わらせない」
「違う。なぜ本来忍びでもない貴様が、忍びの真似事をしているのかと聞いている」

 意味が、分からなかった。後ろでガイが「何を言ってるんだ?」と訝しげに声をあげている。私も全く同じ意見だったけど、マダラの顔を見ていたら、不意にある考えが浮かんだ。

「貴様の本分はこんなものではないはずだ。平和などという空想に絶望し、戦いを選んだか」

 私の先祖は、初代火影に請われて木の葉隠れの里にやって来た。必ず平和な世界を作ると、千手柱間はに約束をした。
 同じ時代に生きたうちはマダラが、を知っていたとしても何の不思議もない。そもそもは、木の葉創設の時代からうちはとは相容れなかったと聞いた。

 ――怖い。爪先まで震えが走る。五影を相手にしてもなお、平然と今ここにいる人間。不死身の穢土転生体。それがオビトと一緒にいる。同じうちは。もしかしたら共に、世界に絶望して。

 それでも。私たちが、未来を諦めるわけにはいかないから。

は舞いを捨てた。先々代から私たちは忍びとなった。そして私が最後の。未来のため、平和のため、必ずお前たちを倒す」

 ピクリと、マダラの眉が上下するのが分かった。何かが、奴の怒りに触れたらしい。空気が今まで以上に張り詰め、殺気だけで強い風が吹き抜けた。
 マダラの写輪眼は、侮蔑に満ちている。

「舞いを捨てた? 戦うだと?」
、下がれ! お前は後衛だ!」

 カカシの鋭い声が飛んで、私は彼らの後ろに下がる。ガイにカカシに、ナルトくん、そしてこの巨大な化物はきっと――八尾。
 私はひとり、明らかに場違いだ。それでも。

 人型の化物に載ったオビトの余裕ぶった顔を、睨みつける。

 世界は、終わらせない。

「弱い者は醜い。戦うなど以ての外だ」

 手にした大きな団扇を掲げ、マダラの瞳が冷たく歪んだ。彼の視線は、まっすぐ私を射抜いている。
 背筋が凍りついた。

「貴様が最後のだと言ったな」

 サクが私の傍らで、低く、唸る。

「――ちょうどいい。俺がこの手で、の歴史に幕を下ろしてやろう」


***


 奴は里の外れに住んでいた。森の手前にある、小高い丘の上。柱間が里の中心に居所を用意すると言ったが、静かな場所で、娘とふたりで暮らしたいのだと。

「陰気なところに住んでいるな」
「あなたに言われたくないわ」

 ツンとした物言いは、いつものことだ。守られるしか能のない女のくせに、気位だけは高い。最も、たちが悪い生き物だ。

 不意に風が吹いて、軒先の風鈴が鳴った。

「で、その陰気なところに、一体何の御用?」

 冷ややかな、まるで氷のような眼差し。

 この俺を、そんな風に見下ろすな。

「柱間から預かった。好きに使えと」
「……要らないと言ったのに」

 俺が差し出した封書を見て、疲れたように息を吐く。苛立ちを隠すことなく、俺は差し出した指でそのまま奴の顎を無造作に掬い上げた。
 顔色ひとつ変えないその女を見据え、目を細める。

「柱間に重宝されているからと、調子に乗るなよ。何の力も持たぬ貴様のような女に、価値はないのだからな」
「汀から離れろ」

 突然背後に現れた気配に、首だけで振り向く。身を低くした猫が一匹、毛を逆立てて唸っていた。
 たかが、猫だ。こんなちっぽけな獣に、一体何ができるというのか。

「バク、いいのよ。この人は、こういうやり方しか知らないのだから」

 指の間から、封書が滑り落ちる。女の顎を掴む指先に力を込め、その小生意気な顔を覗き込む。
 奴の黒い瞳は、侮蔑に満ちている。

「世界を導くために必要なものは力だ。貴様のように非力な人間は、ただ我々に従えばいい」

 何の力も持たぬ女。今ここで、首をへし折ることなど容易い。
 それなのになぜ許しを請わない。その蔑むような目で、俺を透かすように覗く。

「あなたも私も同じ。自分のやり方しか知らないし、知るつもりもない。私はあなたたち忍びのしてきたことを、許さない。ここで静かに、あなたたちの行く末を見届ける」
「二度と」

 微塵の恐れもない女の唇を、グッと手のひらで塞ぐ。この程度の女、意に介す必要もない。

「俺が貴様と同じだなどと、口にするな。そのときは二度と、舞えぬ身体にしてやろう」

 刹那、手の甲に熱が弾け、思わず奴の顔を離した。瞬時に奴の肩に飛び乗った猫が、激しい剣幕で唸り、俺を睨んでいた。

 こいつらの命など、砂利のように儚い。

 だが、今ここでこいつらを捻り潰して、柱間の不興を買うのもつまらぬ。

 立ち去る俺の背中に、奴は淡々と声をかけた。

「マダラ。伝令、感謝します」

 隠しもせずに、俺は舌打ちする。柱間の呑気な笑顔が脳裏に蘇り、苛立ちが募る。なぜ俺が、こんなことを。

 分かっている。柱間の意図など、容易に想像がつく。

 帰路の途中、小さな川辺に若い女がひとり、座り込んでいるのを見かけた。