130.願望


 結局、イクチの家で夕食までご馳走になってしまった。お昼を跨いでほとんど半日寝てしまって、さすがに申し訳なかったけど、コトネさんもイクチも「もっと寝て!」ってどんどん布団に押し戻してくるから、すっかり甘えてしまった。時々ネネコちゃんが起きて泣いてたらしいけど、私はそれにも気づかないくらい爆睡した。よっぽど疲れていて、この場所に安心していたようだ。

「美味しい。ゲンマのごはんみたい」
「俺が作ったからな」

 あ、やっぱり。私が吹き出して笑うと、ゲンマはちょっと照れたようにしかめっ面を赤く染めた。

 四人で食卓を囲んでいる間、ネネコちゃんはコトネさんの隣に敷かれた小さな布団の上で眠っていたけど、突然起きて泣きだしたり、何をしても愚図るときもあって、二十四時間この状況が続くなら育児ってなんて過酷な任務なんだと思った。

 私はまだ子どもだけど、あと数年経って大人になったとして、ほんとにこんなことができるんだろうか。
 もしも結婚相手が、イクチみたいに協力的な人じゃなかったら、相当きついだろうなと思った。まぁ、イクチだって任務があるし、いつも家族の世話を焼けるわけじゃないだろうけど。

「じゃあ、ちゃん。今日はほんとにありがとね。またいつでも遊びに来て」

 玄関先までイクチとコトネさん、そしてイクチに抱っこされたネネコちゃんが見送りに来てくれて、私はゲンマの隣で深々と頭を下げた。
 結局、暗くなるまで居座ってしまった。久しぶりに、めちゃくちゃ寝た。初めての屋敷で。我ながら、図々しいにも程がある。

 イクチの家を出て少し歩いたところで、向かいから歩いてくる人影には覚えがあった。

「あ、ゲンマ――と、だ! 久しぶり!」

 明るく笑って片手を振っているのは、クシナさんだ。相変わらず目立つ赤い髪を一つに結い上げていて、太陽みたいな笑顔が眩しい。手に提げた袋からは大きなクマのぬいぐるみが覗いていた。

「クシナさん、お久しぶりです。覚えててくれたんですね!」
「当たり前でしょ? こんな可愛い子、忘れるわけないわよ。二人はデートの帰り?」

 クシナさんが無邪気に笑って聞いてきたので、私はびっくりして目を丸くした。どこまで広がってるんだ、あの噂。
 まぁ、本部はもう全員知ってるのかってくらいの勢いだから、きっと四代目の耳にも入って、そのままクシナさんのところへ――そんなところかな。はぁ。胃が痛い。またアオバにちくちく嫌味言われるやつだ。

 横目でちらりと見たら、ゲンマなんかこの暗がりでも分かるくらい真っ赤になって固まっていた。代わりに私がクシナさんに断りを入れておいた。

「イクチのところ行ってたんです。ゲンマの親戚だから、私も昔からお世話になってるし。私たちは元々チームメイトだし、デートとか、そういうんじゃないです」
「えっ、そうなの?」

 クシナさんはすごく驚いたみたいだった。そのリアクション、やめてほしい。クシナさんはそれからゲンマの顔を見てちょっとニヤニヤしていた。クシナさんもそういう噂、好きなんだな。

 聞けばクシナさんはコトネさんの元同級生で、イクチの家に寄る途中とのことだった。ネネコちゃんにはもう何度か会ってるみたいで、ネネコちゃんのことを話すときは興奮して語尾が変になっていた。多分、自覚はなさそう。

「赤ちゃんって、ほんっとに可愛いってばね! コトネは昔からかっこよかったけど、母親になってさらに磨きがかかったっていうか……やっぱり母は強しね! はー、私も早く赤ちゃん欲しいなぁ……あ、ごめん、余計な話だってばね」

 クシナさんは照れたように笑いながら頭の後ろを掻いた。私はそんなクシナさんを見て、素直に羨ましいなと思った。

 正直、子どもが欲しいなんて思えない。目の前の、誰かの赤ちゃんはもちろん可愛いし、すごく愛おしく感じたし、この子には絶対に戦争なんか経験させたくないって強く思った。
 でもそれは、あくまで他の誰かの子どもだからだ。自分が子どもを産むことも、母親になることも想像なんかできない。それは私自身がまだ子どもだから――だけでは、ない気がした。

 誰かと結婚して、子どもを産む覚悟は決まった。でもそれは、別に自分の子どもが欲しいからじゃない。
 それとも、もし本当に好きな人と結婚できたなら、その人との子どもが欲しいっていつか思うようになるんだろうか。

 分からない。そんなこと、想像もできない。

 だって私に、恋愛なんかしてる暇、ないんだから。

「ゲンマ、これからもミナトのこと宜しくね」

 クシナさんは本当に幸せそうな笑顔で、ゲンマにそう声をかけた。

 きっと、愛する人と結ばれることができたなら、コトネさんやクシナさんのように、その人との子どもが欲しいと心から思えるんだろう。


***


 の横顔は、見ていられないほどだった。

 クシナさんに悪気はない。あるはずがない。彼女は心底四代目に惚れていて、四代目もクシナさんのことを心から愛していて、大切に思っている。そんなことは、あの人のそばについて一月も経たないうちにすぐ分かった。おしどり夫婦と言われる理由は、二人を見ていれば誰でも分かる。無論、だってそうだろう。

 はきっと、四代目のことが好きで。クシナさんのことだって、大好きで。
 クシナさんが本当に幸せそうに、早く赤ちゃんが欲しいと願う姿を、どんな思いで目の当たりにしているかなんて。

 は跡継ぎを産むと心に決めながらも、惚れた男と結婚するというごく当たり前の幸せさえ、願うこともしないのに。

 世界は平等なんかじゃない。

「ゲンマ、これからもミナトのこと宜しくね」

 クシナさんの無邪気な笑顔を見て、俺は深く頭を下げる。了承の意、だけではない。彼女の顔を、それ以上見ていられなかったから。

 俺だって、四代目のことが好きだ。尊敬しているし、憧れもする。

 それでも。

 この胸に潜むどす黒い感情も、決して忘れ去ることはできない。