110.優しさ


 オビトが殉職した。

 オビトは俺にとって、最初はの同級生という認識だった。アカデミーの頃から、時々彼女といるのを見かけるが、仲良しというほどではないといった雰囲気。どちらかというとオビトはよりも、リンと親しい様子だった。つーか多分、あれは好きだな。ほぼ確実に。

 聞けばオビトは、どうやらの親戚に当たるらしい。うちは一族のオビトが、家の親戚? 最初は不思議だったが、複雑な事情があるようだ。は卒業したあとも、時折オビトやリンと楽しそうに過ごしていた。

 二人が卒業したあとは、中忍の俺が小隊長を務めて一緒に組むこともあった。リンはスタミナがあるし、何より在学中に医療忍術を学んでいて、即戦力として重宝された。
 一方オビトはあまり要領が良いとは言えず、不注意も少なくないし、うまくこちらが指示してやらないとなかなか噛み合わなかった。

 まぁ、何と言ってもオビトは、人が良い。素直な天邪鬼といった感じだ。の親戚だということに、ここ最近は妙に納得するようになった。似ているようで、似ていない。似ていないようで、やはりどこか似ている。

 つまりオビトは、俺にとってどことなく身近な存在だったということだ。

 あの日、が突然演習場を飛び出していった。俺の呼びかけに答えもせず、足をもつれさせながら一目散に走っていった。珍しいくらいの慌てようだった。
 肩に忍猫が乗っていたから、何か重大な情報でも耳に入ったのかもしれない。俺には触れられない領域だ。諜報活動に関わるようになった今、が俺に話せないことが増えても仕方がない。

 オビトの殉職を俺が知ったのは、その翌日だ。俺はそのまま任務に出ることになったので、ろくにとは話せなかった。

 一週間後に里に帰還したとき、家の近くの川沿いで俺はリンを見かけた。
 リンの視線の先には、川原にひとり座り込むの小さな背中が見えた。

 リンは俺に気づいて、弾けたように振り返った。

「……ゲンマ」
「よう。こんなとこで何やってんだよ」

 リンは気まずそうに視線を落とし、しばらくもじもじしたあと、の後ろ姿を見つめながら小さく囁いた。

「オビトのこと……聞いた?」
「まぁ、な」
は……オビトの幼なじみで、私なんかよりオビトと付き合い長かったし、お互いすごく、相手のこと思ってて……」

 聞かれてもいないことを、一方的に話す。らしく、ない。
 俺は静かに、リンの言葉を遮った。

「リン。こんなときに、人のことはいい」

 顔を上げたリンは、傷ついたように見えた。俺は淡々と、言葉を続ける。

「オビトはお前にとっても、大事なチームメイトだったんだろ? 人のことはいいから、今はお前の気持ちを大事にしてやれ。のことは大丈夫だ。俺が見てるから」

 するとリンは目を丸くしたあと、解けたように微笑んだ。今にも泣き出しそうな笑顔だった。

「……やっぱりゲンマは、優しいね。があなたを大好きな理由、よく分かるよ」

 その言葉に、むず痒くなるような気持ちと、少しの寂しさを感じる自分がいる。

 はきっと今も、俺のことが好きだろう。それは疑いようもないが、雛鳥みたいに無条件に俺のあとをついてきた幼いはもういない。
 それでも今、あんな儚げな背中を見せられたら、やっぱりほっとけないだろ?

 曖昧に笑って、俺はリンの背中を見送った。


***


 平和条約の締結に向けて、里は最終調整に入りつつある。

 この六年、あまりに多くの犠牲を払いすぎた。一刻も早く戦争を終わらせたい上層部は、岩隠れにかなり譲歩する内容で検討を進めているらしい。それに反対しているのが、ばあちゃんやヒルゼン様の旧友であるダンゾウ様だ。火影直轄とはまた異なる暗部を指揮する人だと聞いた。

「ダンゾウの言い分も分かる。だがこれ以上戦争を長引かせては、国の維持さえ危うくなる段階まできている。多少の譲歩はやむを得ない」

 ばあちゃんはそう言っていた。オビトの最後の任務が、戦局を大きく変えたそうだ。
 第二次大戦のときもそうだったらしい。オビトの両親の最後の仕事が、終戦への大きな足がかりになった。

 すごいね、オビト。オビトも、おじさんもおばさんも、大活躍じゃん。

 心の中で声をかけてみても。虚しさが募るだけ。英雄。活躍。手柄。
 そんなものには、意味がない。

 ただ、生きていてほしかった。大事な人には、生きていてほしかった。

 昨日まで出ていた任務では、少し気が散ってしまって忍猫のレイに叱られた。オビトだけが特別なんじゃない。犠牲者の一人に過ぎないのだと。

「これが、お前たちが繰り返す『戦争』にゃ。仲間を死なせたくないなら、やめるしかないにゃ」

 戦争と平和。

 レイだって、私なんかより多くの戦争を見てきた。他の忍猫たちも、ばあちゃんも母さんも。

 それでも、私にとってはたった一人の大切な又従弟だった。

 家の近くにある馴染みの川原に腰を下ろして、広げた右手を見つめる。あの夜からもう、何日も経った。それなのに今も、じんじんと痛むような感覚がある。

 あの夜、慰霊碑の前でカカシの頬を叩いてしまった手だ。

(ミナト先生、ごめん……私のせいでもしカカシが馬鹿な真似したら、ごめん………………)

 私に頭を下げたミナト先生の、申し訳なさそうな顔を思い出す。時々カカシの家や、訓練場を覗いたりするけど、あれからカカシには会えていなかった。任務かもしれないし、私の知らない場所で修行しているのかもしれない。ひょっとしたらどこかで、物思いに耽ってるのかも。
 カカシを前にしたら、私はどうしても気持ちが昂ってしまうことがある。

 あんなことするつもり、なかったのに。

「コラ。サボってんじゃねぇ」

 声が聞こえると同時に、頭に軽い衝撃が降ってきた。慌てて振り返ると、くたびれたベスト姿のゲンマがいつもみたいに千本を咥えて立っていた。
 ゲンマの顔を見るだけで、荒れていた気持ちが少し凪いだ。

 そしてすぐに、涙が溢れそうになった。

「俺に会えてそんなに嬉しいのかよ」
「……うん」
「突っ込めよ、そこは」

 それこそ即座にツッコミを入れてくるゲンマが隣に並んで座ると、自分の肩の力が抜けていくのが分かった。
 私、多分ずっと、緊張しっぱなしだった。

「オビトのことか?」
「……うん」

 もちろん、それもある。オビトには二度と会えないこと。最後に話したとき、私の幸せを祈ってくれたこと。それなのに私は、その思いには応えられなかったこと。
 自分の覚悟に迷いはない。でも最後にさせたのがあんな顔だったのが、悔やまれる。

「……連れて、帰れなかったらしいな」
「うん……でも、聞いた? オビト、写輪眼開眼したんだって。最後にオビトが、片眼をカカシに渡したんだって。片眼だけでもカカシが連れて帰ってくれたよ。カカシ、ただでさえあんなに強いのに、写輪眼まであったらどんだけ強くなっちゃうんだろね。ほんとに、怖いくらいだよ」

 無理に笑おうとしたわけじゃない。でも勝手に、おどけた声が出た。私は無性に恥ずかしくなって、抱えた膝に顔をうずめる。
 こんなの絶対、ゲンマにバレる。

「またカカシと何かあったのかよ」

 やっぱり。私が分かりやすいのもあるだろうけど、ゲンマは私のことなんか、昔からお見通しだ。
 私はしばらく黙り込んだけど、観念して顔を上げ、開いた手のひらをぼんやりと見つめた。

「……ひっぱたいちゃった」
「は?」
「私……ほんっと、カカシに優しくできない」

 優しくしたいのに、できない。なんと声をかければ良かったんだろう。手を上げることが間違いだっていうのは分かっても、勝手に身体が動いてしまう。
 俯く私に、ゲンマは嘆息混じりに言ってきた。

「何があったか知らねぇけど、あいつに表面的な優しさなんか意味ないからだろ。お前はじゅうぶん優しいよ。優しすぎるくらいだ」
「……ゲンマ」

 ゲンマはいつも、私を丸ごと受け止めてくれる。否定しないで受け止めて、それから必要な言葉をくれる。そのことが何度私を救ってくれたか分からない。
 今だって、すっかり気持ちが緩んで涙が止まらなくなった。

「ゲンマ……ありがと。いっつも、ありがとう。大好き、ゲンマ。大好き……」
「……知ってるって」

 その広い肩におでこを擦り寄せる私に、ゲンマが素っ気なく言ってくる。何だかすごく、懐かしい気がした。
 こうやって甘えるの、すごく久しぶりだな。思えばこの一年、忍猫使いとして一日も早く独り立ちしなければと、ずっと気張っていたかもしれない。ゲンマのそばにいたら、思っていた以上に疲れ果てている自分に気づいた。

「……ゲンマ」
「ん?」
「もうちょっと……こうしてて、いい?」
「……今日だけだぞ」
「……うん」

 ゲンマの肩に手を添えて、そっと頬を寄せる。私たちだっていつまでも子どもじゃないし、ゲンマは今、彼女だっている。いつまでも甘えてちゃダメだって何度も思ったし、こんな風にくっついてちゃダメだって分かってる。
 でも、今は、もう少しだけ。明日からまた、前を向けるように。

 もう、少しだけ。