クリスマスのことを考えると気が重くなった。二年前はあのハッフルパフ塔に肖像画の聖女とふたりきり、一年前は対抗試合のダンスパーティー。 またホグワーツに残るか、リーマスがいるどうかも分からない、だがシリウス・ブラックは確実に留まっているあの胡散臭いグリモールド・プレイス十二番地に戻るかどうか。

すると大広間で出会ったジニーに、ルーピン先生はどうせ任務で慌しくしているだろうから『隠れ穴』に来ないかと誘われた。は顔を輝かせて、喜んで!と答えた。
ブラックとは顔を合わせずに済むし、フレッドやジョージたちと一緒に過ごせる。今年こそは楽しいクリスマスになりそうだ。

だが寝室に戻ってトランクを開けたは、ずっと奥に仕舞いこんでいた羊皮紙の切れ端を何気なく取り出して眺めた。

   ウクライナ……)

眉根を寄せてしばらく考え込んでから、は重たい腰を上げて空っぽの部屋を出て行った。

determination

いつも忙しないハーマイオニーだったが、図書館でしばらく粘れば会えることが多かった。今日も彼女は分厚い本を何冊もそばに積み上げて、何やらカリカリと羊皮紙に書き付けている。がそっと隣の椅子を引いて腰掛けると、ハーマイオニーははっと驚いたように顔を上げた。

「あら、。どうしたの?」
「ごめん、邪魔して。少し……話が、したくて。今、忙しい?」
「少しね。でも   そうね、三十分後だったら大丈夫だと思うわ」

羊皮紙と、積み上げた本をちらりと見てハーマイオニーが軽い調子でそう告げる。羊皮紙の空白はあと五十センチほどもあるというのに、たったの三十分で仕上がるのか。胸中で感嘆しつつ、はゆっくりと立ち上がった。

「分かった。じゃあ四十分後に、湖の近くで待ってる」
「ええ、ごめんなさい」

ハーマイオニーがすぐにまた羽根ペンを動かし始めるのを確認してからは図書館を出た。しばらく城内を散歩し、コートとマフラー、手袋を取って湖に向かうと、すでにハーマイオニーは湖畔で彼女を待っていた。

「ご、ごめん! わたしの方が遅くなっちゃって……」
「わたしも今来たところよ」

にこりと微笑んで、ハーマイオニー。もほっと笑い返し、その場にそっと腰を下ろした。ハーマイオニーも同じように隣に座り込む。

「話って? どうしたの?」
「あー……うん、あー……」

ゆらゆらと水面を滑る大イカを眺め、意味のない音だけを所在なく発する。が、はようやく覚悟を決めて震える唇を押し開いた。

「ハーマイオニーは、その……ダームストラングだったクラムと、あの後も連絡とったりは、してるの?」

ハーマイオニーは目をパチクリさせていたが、それ以上の反応は示さずに、ええ、と小さく頷いた。

「ときどき手紙のやり取りを。でもそれがどうしかしたの?」

膝を抱えて黙り込む。ハーマイオニーの視線を横顔に感じながら、やがては懐から羊皮紙の切れ端を取り出した。広げたそれを、ハーマイオニーに見えるように軽く傾ける。

「一年前、一緒にダンスパーティーに行ったダームストラングの人から、住所、もらってたんだけど……なんか、連絡しづらくて」
「あら、どうして?」

目を瞬かせる彼女に、えっと声をあげて思わず口ごもった。

「付き合って欲しいって言われたの?」

あっさりしたハーマイオニーの問い掛けに、顔が突然熱くなる。は大袈裟なまでにぶんぶんと首を振った。

「別にそういうわけじゃないけど!」
「その人はあなたに他に好きな人がいるって、知ってたの?」

は一年前のクリスマスの夜を思い出し、うんと頷いた。

「それなら何も心配することないじゃないの」

ハーマイオニーは穏やかに笑ってみせた。

「執拗に付き合ってくれとか言ってくる相手なら分かるけど、その人はあなたに他に好きな人がいるって分かっててもアドレス渡してきたんでしょう? だったら純粋に友達として手紙を書けばいいじゃないの。その人だってそれを望んでるはずよ?」
「でも……ハーマイオニーは、その……どんな手紙、書いてるの?」

するとハーマイオニーは少し非難がましい顔をして言う。

「そんなことまで訊くものじゃないわよ?」
「あ……ごめん、なさい」

慌てて謝ると、途端に優しい笑顔に戻って彼女は「冗談よ」と軽く笑った。

「取り立てて何を書いてる、とかはあないけど……まあ、最近何があったとか、今はこういうことをやってるとか。それに   そうね、彼はわたしの知らないこともたくさん知ってるから、勉強のこともいろいろと訊いてるわ」

へえ、と小さく声をあげたの背を叩き、ハーマイオニーは優しく微笑んだ。

「そうね、いきなり手紙を書くのが難しいなら、最初はカードだけにすれば?」
「カード?」
「そうよ。せっかくクリスマス前に思い立ったんだから」

なるほど。は安堵の表情で笑んで、ありがとうと告げた。
だが今度はハーマイオニーの瞳が暗くかげる番だった。彼女は口を閉ざし、しばらく黙って湖面を眺めていたが、やがて顔を上げてゆっくりとこちらに向き直った。

「あなた……今も、セドリックのことが好きなの?」

どくん、と心臓が跳ね上がる。はコートの上から胸元に下がる小笛を握り締めた。今なお持ち続けている、あの笛と栞。落ち着かないときはこれに触れる癖がすっかりできてしまっていた。

「その話なんだけど」

彼女はスタニスラフのアドレスを懐に仕舞い込んだ。

「わたし……よく、分からないの。恋って……人を好きになるって、なんなんだろう?」

ハーマイオニーは瞬きもせずにを見つめた。頬に熱がこもる。は頭の中に同時に浮かぶ、ふたつの顔を瞼の裏側で眺めた。

「……ずっと、ずっと。セドのことが大好きだった。わたしはずっとリーマスとふたりきりで暮らしてたし、近所付き合いもなかったから、ホグワーツに来て初めて同年代の魔法使いをたくさん見て……すごく、新鮮だったの。 そんな中で、歓迎会のときおんなじテーブルに座ってたセドを見て……一目惚れ、だった。あんなにドキドキしたこと、それまで一度もなくて。頭の中、いつもセドのことでいっぱいだし、セドが他の女の子に優しくしてるの見たらすごく嫌だったし、セドと一緒にいられたら、それだけで嬉しくて、幸せで、それで……」

あれ。おかしい   わたし……何で、泣いてるんだろう。
三つの『憂い』を落としてきてから、涙を流したことなんて、なかったのに。
セドを失ったことへの『憂い』は、スネイプの研究室に置き去りにしてきたはずだった。

「でも、今はね。ずっと……他の人のことが、気になってるの」

何のために流れる涙なんだろう、これは。
抱えた膝に額を押し付け、辛うじて、嗚咽を飲み込む。

「セドへの気持ちとは、全然違うの。ううん……違うけど、一緒だけど、でもやっぱり違って……嫌いだと、ずっと思ってた。でも、ある瞬間から、ふっと……ある瞬間に、急にドキってして。 それからずっと、頭の中その人のことばっかり。大嫌いだって思うのに……でもいつも、考えちゃうの。変だよね、セドのこと好きだったときには、大好きだっていっつも思ってたのに……その人のことは、嫌いだって。 でも、好き、でも、やっぱり嫌い……でも、好きで、嫌いで……セドのときと、全然、違って……」

あー、もう、分かんないや、と自嘲気味に呟くと、ハーマイオニーは静かに彼女の髪を撫でた。しんしんと雪の降る森のそばなのに、なんだか少し温かい気がした。

「違わないわよ」

視界のぼやける目を擦り顔を上げると、ハーマイオニーは穏やかに微笑んでいた。

「セドリックを思う気持ちと、おんなじよ。あなた、好きな人ができたのね。こう言ったら不快に感じるかもしれないけど……良かった、わ。 ひょっとしたら……あなたはずっと、セドリックのことを引きずって……もしかして、前に進めないんじゃないかって心配してたから」

それは、自分でも驚いた。まさか、彼の他に好きな人ができるなんて。ほんの少し前まで、夢にも思っていなかった。
でも、とは呟いた。

「でもね、それでも……セドのことも、今もまだ、考えるの」

瞼を伏せて、一瞬、言葉を切る。

「だから、その……本当にその人のことが好きなのかも、まだ、よく分からなくて。だって今でも、セドのこと思い出すなんて   
「なに言ってるの」

声を少しだけ荒げて、ハーマイオニー。

「彼のこと、思い出して当たり前じゃない。だって彼があなたにとって大切な人だっていうことは一生変わらない事実でしょう?」

はハッと目を見開いた。ハーマイオニーは真剣な面持ちで続ける。

「あなたが心から彼のことを想ってたのは、わたしだって知ってるわ。それにあなた、覚えてる? わたしに言ったことがあるわ。今のわたしがあるのはセドのお陰だって。 彼のことを好きにならなかったら今のあなたはないわ。ええ、そうでしょう? 何年経っても、他に好きな人ができたとしても、あなたにとって彼が大切な人だっていうことはずっと変わらないわ。 大切な人のことを思い出すのは当たり前でしょう? 何を悩んでるの?」

胸が震える。ハーマイオニーの言葉に、ずっと頭の中に燻っていた何かがゆっくりと溶けていくのを感じた。

「他の人を好きになったって、それはちっとも悪いことなんかじゃないわ。すてきよ。彼のことを思い出すのは……わたしたちにとっても、必要なことよ。 でもだからってそれに囚われちゃダメ。本当に好きな人ができたなら、その人にぶつかるべきだわ。だってあなたは、今を生きてるんだから

は弾けたようにハーマイオニーに飛びついた。彼女のコートを握り締め、その肩に顔を押し付けて身を震わす。憂いの感情と一緒に、溜め込んでいた何もかもが溢れ出していくようだった。

「……ありがとう、ハーマイオニー……あ、りが……と……」

彼女は小さく笑って優しく背中を抱き返してくれた。

スネイプを想うとき、ずっと感じてきたのはきっと、このことだったんだ。
ありがとう、セド。
ありがとう、ハーマイオニー。

セド。わたし、あなたのことを一生忘れたりなんてしない。

でも、ね、わたし。
わたし、セブルス・スネイプ教授のことを、本当に、好きになりました。

セド。これを聞いたらあなたは、なんて言うかな。
笑う? きっと   すごく、驚くんだろうね。その様子が目に浮かぶようで、笑ってしまうよ。

わたし、たったひとつだけ、あなたのことで後悔していることがあるの。それは。
あなたに気持ちを、伝えられなかったこと。
好き、と一言、口にできていれば。

こんな思い、もう二度と、したくない。
だから。

一言だけの、短い言の葉。だけどそれは、他のどんなモノよりも重く、醜く。儚く。
そして   美しくて。

この言葉、今はあなたにではなく、あの人に向けようと思います。

あなたは永久にわたしの中で輝き続ける、とても、とても大切な人です。
(06.01.29)