いつものように一人で黙って着替えを済ませたは、寝惚け眼を擦りながら最後に寝室を出た。何だか下が騒がしい。談話室に下り立つと、隅の掲示板の前には小さな人だかりができていた。
首を傾げながらそちらに近寄る。ちょうどその固まりの中から出てきたアレフは彼女に気付くと少しだけ顔を顰めて歩み寄ってきた。

「……おい、見たかよアレ」
「見たように見える? 私いま下りてきたばっかだっての」

いつもの寝起きの癖でぶっきらぼうに告げる。アレフは肩をすくめ、他の掲示を覆い隠すような形で貼られている大きな告示を顎で示して友人たちと談話室を去っていった。
少し背伸びして新しい掲示を眺める。がギョッとして目を瞬かせたちょうどそのとき、人垣の中のひとりが絶叫した。

ふっざけんなあのクソばばあがっっっ!!!

ハース・ビクスビーの振り回す不意打ちの拳に、彼の周りにいた下級生たち数人が手酷い害を被った。

the common room

学生による組織、団体、チーム、グループ、クラブの解散を告げる掲示を読んだ後のハースは朝食の間中、教職員テーブルまでは聞こえないくらいの音量でずっとアンブリッジへの怨念をぶつくさ言い続けていた      「チーム再結成の許可をアンブリッジに申請しなければいけないなんて何て七面倒臭い、何のためにそんな煩わしいことをさせるんだ、あのクソばばあ」。
が彼の後ろを横切った時、彼は物凄い剣幕で振り返った。

!」

ギョッとして立ち止まる。彼はの腕を無造作に掴んでその耳元で強く囁いた。

「……お前、二度とアンブリッジに楯突くようなことするんじゃねえぞ。いいか、クィディッチ・チームの再編成許可はあの鬼ばばあに申し出なきゃなんねえんだ……もし、もしも今度あの女の前で妙なこと口走ったら    
「ハース」

溜め息混じりには相手の言葉を遮った。

「言っておくけど、私はこの一週間おとなしく……」
「この一週間じゃ全然十分じゃない。いいか、あの女がいる限りは一生大人しくしてろ
「分かった、分かったから」

半ば自棄になってハースの手を振り払い、彼女は空いている席を探した。するとテーブルの中ほどに座っていたスーザンに手招きされた。少なからず驚いてそちらに向かう。彼女の前にはハンナが腰掛けていて、は彼女らが例の集まりについて話したいのだと分かった。

「一緒に食べない?」
「いいよ」

軽く答えてスーザンの隣に腰を下ろす。食事の席で誰かと一緒に座るのは実に数週間ぶりだった。
ベーコンをつつきながら声を落としたスーザンが口を開いた。

「ねえ、掲示見た?」
「もちろん」

顔をしかめて頷く。ハンナはちらりと教職員テーブルを見やって小さく言った。

「スーザンやアーニーと話してたんだけど、アンブリッジがあのこと知ってると思う?」

は食パンにバターを塗りながら眉間にしわを寄せた。

「どうだろうね。確かにタイムリーすぎる」

グリフィンドールのテーブルを振り返ると、あの会合に来ていた獅子寮生たちは固まって何やらヒソヒソと話し合っていた。

「ハリーたちどうするのかしら」

スーザンが不安げに言った。

「ハリーたちならやるわよ、それでも。だってこれは今年私たちがやることの中では一番大切なことだからね」

ほんの少しだけアーニーの口調を真似てがそう答えると、ハンナとスーザンは一瞬キョトンとしてから、すぐにプッと小さく噴き出して笑った。
朝食を終えてハンナ、スーザンと大広間を出る時にハリーやハーマイオニーたちと鉢合わせになったが、彼は予想通り「やるよ」と囁いて笑んだ。
その日の夕方、談話室でがハンナやスーザン、アーニー、ジャスティンとお喋りしているところに(初めてのホグズミード週末以来、あの会合に出席していた寮生たちとはよく会話するようになっていた。ザカリアスやアレフは他の友人たちと一緒にいることが多かったのでそうでもなかったが)ひどく惨めな顔をしたハースが一人でとぼとぼと戻ってきた。

「……クィディッチ・チームの再編成が認められなかった
「は? 何でだよ、どういうことなんだ!」

暖炉の側で友人たちとチェスに興じていたザカリアスが声を荒げた。虚ろな目をしたハースがぼやく。

「少し、少しな……考える時間が必要だって言われたんだ」
「考えるって何だよ! スリザリンなんか朝のうちに二つ返事でオッケーだぜ?」
「俺に言うなよ。いや、まあ……グリフィンドールも同じこと言われたって言ってたから……きっと、大丈夫だ、きっと……スリザリンとレイブンクローだけの寮対抗なんて……まさか、まさか有り得ない……うん、有り得ねえ、そんなことは、うん……」

そう言った彼の笑い声は乾ききっていた。
納得がいかないといった顔のザカリアスが今度はその目をに向けてきた。

、お前アンブリッジの前で余計なこと言わなかったか?」

は顔を上げて大きく息をついた。

「残念ながら近頃は大人しくしてますよ」
「でもうちの寮であの女に嫌われてるっつったらお前が筆頭だろうが」
「おい、ザカリアス」

隅の方に固まっていた七年生の中からアレフが立ち上がろうとした時、の方が先にソファから腰を上げた。

「それじゃあ私にどうしろって言うわけ?」
「決まってるだろ。お前が直接頭下げに行きゃいいんだよ。以前の無礼を全面的に謝罪します    
「そんなんで再結成の許可が下りるならいくらでも謝ってあげるわ!」

拳を握り締めては声を荒げた。

「でもあの女が私のこと気に入らない一番の理由は父親が人狼だからよ。あの女は人狼を毛嫌いしてる。その私が直接頼みに行ったところで余計に面白がってあの女は再結成許可を先延ばしにするでしょうよ!」
「へーえ。何でアンブリッジがお前を嫌ってる理由がルーピンのことだと思うんだよ。そんな証拠がどこにある。お前そのものに原因があるなら謝れば済む話だ。チームに迷惑かけんじゃねえよ」
「ザカリアス!」

とうとう立ち上がってアレフが叫ぶ。平然とした様子のザカリアスを睨み付けては談話室を飛び出した。勢いよく肖像画の扉を閉めると聖女は「びっくりさせないで!」と苛々した様子で言った。
項垂れながら廊下を歩いているとアレフがすぐに後を追ってきた。

、どこ行くんだよ!」

瞼を伏せて振り返る。

「あのクソばばあのところに行って頭下げてくる」
「バカかお前は! そんなことしたらお前がさっき自分で言ったみたいにあいつが余計に付け上がるだけだろ! 許可なんかおりるか!」

アレフは唾を散らして怒鳴った。

「それよりも別のとこに行った方が確実だ。今から行くぞ」

は、え、と声をあげてアレフの顔を見上げた。

「ど、どこへ?」
「何のための寮監だ」

そう言ってさっさと歩き出すアレフをしばらくぼんやりと眺め、は慌てて彼の後に続いた。スプラウト先生の研究室の前で立ち止まり、アレフが乱暴に扉をノックする。

「先生、ボールドウィンです! 大事なお話があります!」

しばしの沈黙を挟んで、ドアが内側から少しだけ開けられた。そこから少なからず驚いた顔をしたスプラウト先生が顔を出している。先生はこちらを見て目をパチクリさせた。

「なんですかボールドウィン。ドアは丁寧にノックしなさい」
「失礼しました!」

わざとらしく頭を下げるアレフに呆れたように息をつき、先生は二人を交互に眺めて言った。

「それで、二人して何の用ですかこんな時間に」
「先生に大切なお話があって参りました。中で少し、よろしいですか?」
「何ですか一体」

スプラウト先生が顔をしかめると、部屋の中から別の声が聞こえてきた。

「ポモーナ、構いませんよ」

それを聞いたスプラウト先生は、少し振り向いて「そうですか」と言って扉をさらに開いた。先生のデスクの手前には椅子に腰掛けたマクゴナガル先生がいた。どこか不機嫌そうだ。
スプラウト先生は溜め息混じりに「入りなさい」と言ってとアレフを部屋に招き入れた。そしてそこから顔を出し廊下を見渡してから、そのドアをそっと閉めた。

「スプラウト先生が先ほど採れたばかりのハーブで紅茶を淹れて下さってね」

デスクの上のティーカップを取ってマクゴナガル先生が静かに言った。けれどやはりその語気にはどこか角々しいものがある。
スプラウト先生は自分の椅子に腰掛けて顔を上げた。

「それで、一体何ですか?」
「スプラウト先生にお願いがあって参りました。うちの寮の、クィディッチ・チームのことです」

ピクリとスプラウト先生の眉が上下する。マクゴナガル先生も唇に当てたカップを傾けていた手をピタリと止めた。
スプラウト先生の唇はわなわなと震えていた。

「まさか、その    再結成が、認められなかったとでも?
「はい、お察しの通り」

スプラウト先生は項垂れてひどく惨めな声を出した。

「ああ……ミネルバ」

マクゴナガル先生もティーカップをデスクに置きながら、眉間に手を当てて小さく息をついた。アレフはマクゴナガル先生に顔を向け躊躇いがちに訊ねた。

「グリフィンドールもそうようですね」

マクゴナガル先生の口角が奇妙に上下した。

「ですから、良ければ先生から……再結成の許可を、アンブリッジ    先生に、お願いしていただければと」

スプラウト先生はしばらく唇を引き結んで何やら考え込んでいるようだったが、やがて「ええ、もちろん私がどうにかしますよ」と言った。

「お願いします」

アレフと一緒に頭を下げ、は部屋を出て行こうと踵を返した。するとすぐにスプラウト先生の声が追ってくる。

「ルーピン。少し話があります。ボールドウィン、先にお帰りなさい」

アレフは立ち止まって目をパチクリさせを見たが、大人しくひとりで研究室を出て行った。パタンと静かに扉が閉まってから、スプラウト先生が神妙な面持ちで囁く。

「ルーピン……本当は、もっと早くにあなたに伝えるべきだったと思うのですが……」

その間マクゴナガル先生は黙って瞼を伏せ、身じろぎ一つしなかった。スプラウト先生の声量が一際抑えられる。

「アンブリッジ先生には、その……半人間と言いますか……そういった人をひどく嫌う傾向があるようです。いえ、もちろんルーピン先生がどうとか、そういったことを言うつもりはありませんよ。ただ……そういった関連で、あなたのこともあまり気に入ってはいないようですから……その、付け入る隙を与えないことです。いいですね? アンブリッジ先生の前では二度と癇癪を起こしてはいけませんよ。今ホグワーツはあまり好ましい状況ではありませんからね」

はちらりとマクゴナガル先生を見た。先生もまたこちらの目を真っ直ぐに見据えている。は口を噤んで静かに頷いた。
もしも『闇の魔術に対する防衛術』の集まりが見つかったら    どうなるんだろう。
退学は免れないだろう。だがそれだけでは済むまい。アンブリッジは喜んで『半人狼とその血縁に対する法令』まで作るかもしれない。そしてこうして彼女の身を案じてくれている先生たちまで裏切ることになる。それに。
退学になればもう    魔法薬の授業を……。

はハッとして顔を上げた。こんな時に何を考えているんだろう。は慌ててふたりに別れを告げて部屋を飛び出した。ドアを勢いよく開けたその時。

ドンッ!

扉に何かが思い切りぶつかってそれは大胆に廊下を転がっていった。

「アレフ!」

扉の前で蹲っていたらしいアレフが強打した後頭部を涙目に撫でながらゆっくりと身を起こす。スプラウト先生の甲高い怒声が部屋の中から聞こえてきた。

「ボールドウィン! 帰れと言ったでしょう!
「す、すいませんでした!」

情けない声を出してアレフが寮への道を駆け出す。はもう一度二人の先生に頭を下げると急いで彼の後を追った。
駆け足を止めてゆっくりと歩き出したアレフが軽い調子で言った。

「な、ザカリアスの言ったことなんか気にすんなよ? アイツはただ文句垂れるのが好きなだけなんだからさ」
「分かってるよ」

笑いながら答えるが、もしクィディッチ・チームが再編成できても彼と一緒にプレーすると考えると気が重かった。しかも同じチェイサーだ。今までの練習ではあまり大きな衝突はなかったが、先ほどの彼の態度を思うとそう楽観視も出来ない。いっそクィディッチなんてもう出来なくても……。
    いや。
は小さくかぶりを振った。私、やるって    セドの認めてくれた自分の力で、チェイサーになるって自分で決めたんだから。

二人が談話室に戻ると一瞬奇妙な静けさが辺りに広がったが、すぐにまた寮生たちはざわざわと話し始めた。それもどこか不自然な雰囲気ではあったが。アレフはスプラウト先生にチームのことを頼んできたとハースに伝えに行った。
はザカリアスのいる四年生の集団は視界に入れないように顔を逸らしながら女子寮への階段を上がろうとした。するとバタバタと慌しい足音が近付いてきてぶっきらぼうに呼び止められた。

「おい」

振り向くとすぐそこにばつの悪そうな顔をしたザカリアスが立っていた。何だか落ち着かない様子だ。はしかめっ面で訊ねた。

「何か?」
「は、お前可愛くねえ」

眉根を寄せるザカリアスに、結構、と素っ気無く告げる。彼はピクピクとこめかみの辺りを小さく痙攣させ、こんなことは自分の意に反するんだと言わんばかりの顔をしながらも小声で言ってきた。談話室の寮生たちが会話を続けながらも耳をそばだてているのが分かる。

「その……さっきは、言い過ぎた」

驚いて目を瞬かせる。あのザカリアスが    謝っている?

「ハースに聞いた。あのクソばばあに起草された『反人狼法』とやらでルーピンが就職できなくなったってな」

ああ、と小さく声をあげては瞼を伏せた。すると下ろした目線の先に彼の手が躊躇いがちに差し出される。は目を丸くしてザカリアスの顔を見つめた。彼は目線を不自然に泳がせながら慌てて手を引っ込めた。

「あー……俺らがいがみ合ってたら、その……チームが再編成できた後に、練習に支障が出るだろ? だから、握手しろって    ハースが言ったんだよ!!

真っ赤になって勢いよく談話室を振り返ったザカリアスが隅の七年生の集団を指差すと、ハースは涼しい顔をして「俺、何にも言ってねえから、」と笑った。

「嘘つくなこの野郎! 汚ねえぞ腐れキャプテンが!!」
「うっせーぞザカリアス。握手すんならさっさとしろー」

平然と手元の雑誌を読んでいるハースの隣でアレフが囃し立てる。周りの七年生がそれに便乗して口々にザカリアスを茶化すと、彼は耳まで朱に染めて意味の分からないことを喚き立てた。他の寮生たちもフリだけしていたお喋りを止めて見物に回っている。
は小さく笑んで口を開いた。

「ありがとう、ザカリアス」

拳を握って唾を散らしていたザカリアスが驚いた顔をしてこちらに向き直った。談話室中の野次もピタリと止む。何だかこそばゆい思いを抱えながらもは続けた。

「気にしてないから。またクィディッチが出来るようになったら、一緒に頑張ろう」

彼は呆気にとられた様子だったが、目を見開いたまま静かに頷いた。静まり返った談話室を見回して彼女は声をあげた。

「またプレーできるようになったら、よろしくお願いします! ハース、アレフ、ハインツ、エアロン、パトリック。それに……」

はそこで一旦目を伏せたが、すぐに顔を上げて言い切った。

「それに    ハッフルパフのみんな!」

みんな一瞬驚いたようだったが、アレフの「、いいぞ!」という叫びに触発されるように一斉に拍手の渦が湧きあがった。ザカリアスでさえ嫌味のない顔で笑っていた。

ただ、寮への階段を上がる直前にふと振り返った談話室の端で。
フランシスだけがつまらなさそうに虚空を見つめているのが視界に飛び込んできて、はそっと瞼を伏せ足早に階段を駆け上がった。
(06.01.26)