ハッフルパフのクィディッチ・チーム選抜はあっさりと終わった。キャプテンでビーターのハースに言わせれば「……最悪だ」。それほど今年の希望者はいつもにもまして低レベルだったらしい。彼女の心配も杞憂に終わり、・ルーピンは優秀な成績でハッフルパフのチェイサーに選抜された。
「やったな!」
フィールドに降り立ったアレフは箒を右手に持ちながらニヤッと笑んだ。
「アレフも。おめでとう」
彼も希望者の中では上位にランクインし、選ばれたビーターだ。不合格だった寮生たちは早々に引き揚げ、競技場には新生チームのメンバー七人が残った。新しいシーカーは五年生のエアロンだ。
「大丈夫かよ、おい」
チェイサーのザカリアスがエアロンを不審そうな目で眺めながらぼやく。自信なさげに俯くエアロンを見て、ハースが厳しく声をあげた。
「やめろ、ザカリアス。誰だって最初は不安だ」
ザカリアスがふて腐れた様子でそっぽを向く。その頃、スタンドの向こうには赤々とした夕陽がゆっくりと沈んでいくところだった。
a youth nearest to HIM
その夜、ハッフルパフ塔ではクィディッチ・チームの新メンバー祝賀会が催された。気まずいはそのまま寝室に戻ろうとしたが、アレフによって引き止められた。
「何やってんだよ、お前も主役のひとりだろ?」
談話室のテーブルの上には、やはりまたアレフが厨房から頂戴してきたジュースやお菓子が山と積まれている。は仕方なくカボチャジュースだけを取ると、隅のソファにひとりで腰かけた。他の寮生たちは中ほどで大騒ぎしているが、こちらには誰も近付いてはこない。ケイトやエラもその中にいた。フランシスの姿は見えないようだったが。
これだけ飲んだら帰ろう。そう決めた矢先のこと。
「こんな端っこでかっこつけてんなよ」
百味ビーンズの箱と食べかけのチョコレートケーキを持ったアレフがドスンと隣に座った。素っ気無く、返す。
「別にかっこつけてなんかないよ」
「それそれ。そういうつれない態度って逆にかっこ悪かったりするんだぜ? あ、ひょっとして反抗期? もうそんな年だっけ、お前?」
「……そんなんじゃないってば」
恨めしげに頬を膨らませるが、アレフは聞く耳持たずケーキにフォークを差し入れた。
「お前も食うか? 優しい俺様が取ってきてやるぞ?」
「……いい。ご飯食べたし」
「お前ひょっとしてダイエット中?」
「……うるさいなぁ」
は投げやりに吐き捨てると、空になったゴブレットをテーブルに置いた。彼の陽気な言動のすべてがこんなにも鬱陶しく感じるのは初めてだ。彼女は靴を脱いでソファに足を乗せると、膝を抱えてそこに額を押し付けた。喧騒は静まるところを知らずに楽しげに流れていく。こんなに孤独な談話室を彼女は知らない。
もしも、ここに彼がいたら。もしもこうして声をかえてくれるのが彼だったら。わたしにはそれだけで充分だったのに。
もう何も望まないから。あなたがわたし以外の誰と手を繋いで歩いていたって、それでも時折そばに感じられるとしたらら、わたしはそれだけでいいから。
それともこれは傲慢で、都合のいい考えだろうか。もし彼がこの塔に戻ってきたならば、わたしはやはりまた彼に自分だけを見て欲しいなどと願うだろうか。
アレフは汚い跡を残した皿をテーブルに放り出し、呟いた。
「なあ、このままどっか行かねぇ?」
就寝までまだ少し時間があるとは言え、夜の帳に包まれたこんな時刻に寮を飛び出すのは人目に触れたくない何かを企む生徒くらいだろう。沸きあがっている談話室の寮生たちはふたりが出て行ったところで誰も見咎めたりしなかったが(口にしなかっただけかもしれないが)、扉の聖女はニヤニヤと笑いながら「行ってらっしゃい」と茶化した。
彼は彼女の一歩前を歩き、ただブラブラというよりは目的をもって進んでいるようだった。
「……どこ行くの?」
「秘密だ」
そのままふたりは長い廊下を通り、東塔のてっぺんまで螺旋階段を上がった。半月の明かりが優しく照らす天文台だ。当然ながら底冷えするような冷たい風が森の方から吹き抜け、彼女は身震いした。
「アレフ……ねえ、寒いから帰ろうよ」
彼は手すりに必要以上にもたれ掛かり、ぼんやりと星の瞬く夜空を見上げていた。天体観測にはもってこいの澄んだ空気だ。けれどコートのひとつも持っていない彼女にはあまりにも寒すぎた。それは彼だって同じことだろうに。
アレフが懐から杖を取り出しのローブに向かって何やら唱えると、突然暖炉に当たっているかのように身体が温かくなってきた。彼は自分にも同じ呪文をかけて杖を仕舞い込んだ。
(あ……これ、あのときセドがかけてくれた呪文)
は熱を放つローブをギュッと握り締めて下唇を噛み締めた。彼の隣にゆっくりと歩を進め、並んで星空を見上げる。
「……こんな時間にこんなところに他の女と来るなんて、ケイトに怒られるよ」
「へえ。お前、自分で自分を女だと思ってた?」
あっさりとそう返してきたアレフに向けて思い切り眉根を寄せると、彼は小さく笑ってかぶりを振った。
「冗談だよ。あいつとは、喧嘩した」
驚いて傍らに視線を移すが、彼は前を見つめたまま何のことはないといった風に呟いた。
「『例のあの人』が戻ってきたなんて、狂ってるってさ」
目を細め、彼と同じように前を向き手すりに顎を乗せる。アレフは鼻を鳴らして笑った。
「俺の家族はずっとダンブルドアを支持してきた。まあ、そうでなくても俺はダンブルドアを信じてるけどな」
「……そう」
森の入り口にあるハグリッドの小屋には明かりもついていない。そういえば今年の『魔法生物飼育学』はずっとグラブリー−プランク先生だし、彼はどこへ行ったのだろう。いなくなるはずはない。彼はこのホグワーツの森番なのだから。
「お前さ」
アレフはこちらに顔も向けず、ぶっきらぼうに言った。
「お前って、ほんとに真っすぐな奴だよ」
意味が分からず眉根を寄せる。彼は平淡な口調で続けた。
「でもな、生きてくには建前ってのが必要なんだぜ?」
そこで彼は初めて首を捻って彼女の顔を見返してきた。彼のグレイの瞳は月明かりを受けて煌いている。
「お前が『例のあの人』が戻ってきたって信じてるのは分かる。でもだからってそれを声を大にして言うのは、利口とは言えねえな」
アレフは一旦言葉を切り、その先を慎重に思案しているようだった。
「あのアンブリッジとかいう女は、『例のあの人』が復活したなんて噂を流す奴がいたら通報しろって言ってた。なんかよく分かんねえけど、とにかく魔法省はそういう噂を根絶させようとしてる。だから魔法省の人間が送り込まれてきたこの城ん中で大っぴらに『あの人』が戻ってきたなんて言うな。次はほんとに百点減点なんてもんじゃすまねえぞ」
「……うん。分かって、る……」
尻すぼみに答え、は手すりの上で項垂れた。分かっている、これからは自制しなければいけない。けれど。できるだろうか。昨日のアンブリッジの授業では一番後ろに座り、ずっと俯いておとなしくしていたが。
「
分かってる」
彼はそう言って、彼女の背に軽く手を添えた。
「それはあいつへの冒涜だって……分かってる」
は目を丸くして顔を上げた。彼の口から亡き親友のことが出てきたのは初めてだったのだ。俯いたアレフの表情は少し伸びた前髪に隠れて窺えない。その右手は心なしか震えていた。
「分かってるけど……でもそれを跳ね返せるほど俺は馬鹿でも……勇敢でも、ない」
アレフは彼女から手を離してまた夜空を見上げた。冷たい風がふたりの頬を撫でていく。彼は自嘲気味に小さく笑った。
「ああ……お前は真っ直ぐすぎて、馬鹿で……そんですっげえ、勇敢な奴だ」
は瞼を伏せて呻いた。
「……やめてよ」
「やめねえよ、バカ」
そう言って懐から何やら取り出したアレフは、それを口にくわえて杖先で火を点した。
「煙草、いつから?」
慣れた手付きで煙草を唇から外した彼は、少し前から、と呟いた。
「お前さ」
ふと顔を上げ眺めた空で星がひとつ流れた気がしたが
勘違いだったのかもしれない。
「あいつのこと、好きだったんだろ?」
ピクリと眉を上げる。アレフは白い煙をゆったりと吐き出しながら言った。
「あいつは底抜けの鈍感野郎だったからな。お前も相当苦労しただろ?」
こちらは何も答えないのに、彼は可笑しそうに肩を揺らしひとりで勝手に喋り続けた。
「フツーそこまでされたら気付くだろ、って感じなのに、あいつ、ただ嬉しそうに笑ってさ。『これ、に貰ったんだ』って、自慢げに手作りのしおりなんか見せてくれてよ。俺がどんだけ言ってやろうと思ったか……ほんとに……鈍いっつーか、ほんっとに罪な男っつーか……ほんとに、あいつは……」
そこで言葉を切り、右手に煙草を挟んだまま手すりに突っ伏した彼を見て、は眉をひそめた。
「アレフ?」
その肩に触れようとした手をぴたりと止めると、くぐもった彼の嗚咽が微かに響いた。静かな星空の下に、ひっそりと。
が手を伸ばして彼の背に触れたとき、咳き込んだアレフが掠れた声で漏らした。
「……悪い」
彼の手からぽろりと煙草が足元にこぼれ落ちた。
「もう泣かないって……決めたのにな」
情けねえよ、と力なく笑う彼の肩に額を押し当てて、は何度も首を横に振った。
「ううん……アレフ、頑張ってるもん。たまには泣いたっていいよ、ね?」
ああ、何でわたしが慰めてるの。泣きたいのは、わたしだって同じなのに。
そうだ、誰だって泣きたい。彼はセドリックに一番近いところにいた。耐えて耐えて、耐え抜いて、毎日を生きてるんだ。
彼はしばらく手すりに顔をつけたまま、黙り込んでいた。
ようやく顔を上げた彼の表情は、少しだけ落ち着いていて。
「あ。流れ星」
彼女が見上げた頃には、夜空の星はいつものように瞬いているだけで。
「帰るか」
が頷くと、彼は手すりから身を離し、踵を返して歩き出した。あ、と声をあげてアレフが振り返る。彼はもう一度杖を取り出して、先ほどまで自分が立っていた石の床にその先を向けた。
「エバネスコ」
火のついていた煙草の残骸が一瞬にして消えた。
ハッフルパフ塔への帰り道を並んで歩きながら、呟く。
「……煙草くさいよ」
「そりゃ、吸ったからな」
「ケイトに嫌われるよ?」
「望むところだ」
あっさりとそう言った彼はこちらに顔を向け、ニヤリと不敵に笑んだ。
「嫌われたらもう一度好きにさせりゃいい」
「……ほんとに好きなんだね、ケイトのこと」
彼はまた前を向き、僅かに目を細めてみせた。
「本気だよ」
その言葉には複雑で、切ない音色が込められていたけれど。
今のわたしにはそれが、とてつもなく羨ましいことに思えてしまう。たとえ今は距離を置いているとしても、彼にはまだ、愛してると言えばそれを聞いてくれる相手がいる。いつかまた想い人が愛してると答えてくれるかもしれない。いや、きっとそうなるだろう。けれど。
ふたりで戻った談話室の宴会ムードはまだ冷めやらぬ様子だった。誰もこちらに気付いた気配はない。アレフはさっさと寮生たちの輪の中に戻り、またお菓子を頬張り始める。は黙って女子寮への階段を上がった。
部屋に戻ると、ベッドの上でフランシスはひとりで本を読んでいた。がドアを開けたほんの一瞬だけ顔を上げたようだったが、すぐさま紙面に視線を戻して何事もなかったかのように振る舞う。これはあの初回の『闇の魔術に対する防衛術』以来ルームメイトたちに揃ってとられている行動だったので、はさして気にせず自分のベッドに向かった。
替えの靴下を取り出すとき、彼女はふと思い出してトランクの内ポケットを探った。そこには新品のまま一度も使っていない鷲の羽根ペンが納まっている。しばしの間それを静かに見つめ、はパタンと蓋を閉じた。