翌朝キングズ・クロスまでは徒歩で、荷物はムーディがまとめて運ぶことになった。一気に全員がグリモールド・プレイス十二番地を出れば怪しまれるので、三組に分かれての出発だ。ハリーやおばさん、トンクスが出発して数分後、はロンとハーマイオニー、ウィーズリーおじさんと揃って手ぶらのまま外に出た。駅までは二十分くらいかかった。
魔法使いのプラットホームに入って、は信じられない思いでハリーたちを見た。その傍らで、大きな黒い犬が尻尾を振って走り回っていたのだ。ハーマイオニーも同じ気持ちだったらしく、顔をしかめてその光景を見ていた。

「異常なしか?」
「まったくないよ」

最後に双子、ジニーと現れたリーマスがムーディの問いににこやかに答えた。

「気を付けて」

みんなと握手し終えたリーマスに抱きついて別れの挨拶をしてから、は黒犬を睨み付けた。途端に犬はこちらに尻尾を向け、心なしか項垂れたようだった。

「あなたって、どこまで身勝手なの」

思わずは抑えた声で強く囁いた。みんなが驚いてこちらを見てくるが、無視して続ける。

「あなたってほんとに勝手よ。後先なんて何にも考えずに感情だけで動くのね。それで周りがどれだけ迷惑被ったって学習しないんでしょう? もしバレたらどうしようとか考えなかったわけ? あなたがそんなんだからお母さんは    
、静かに」

リーマスが厳しい顔をして彼女を制し、耳元で小さく言った。

「犬に話しかけるのはあまり、感心しない」
「……ごめんなさい」

は瞼を伏せて素直に謝った。

「あー、それから、全員忘れるな。手紙の内容には気を付けろ。迷ったら、書くな」

ムーディが咳払いしながら忠告する。ちょうどそのとき警笛が鳴った。

「早く、早く」

ウィーズリーおばさんが慌ててみんなを次々と抱き締め、汽車の中へと追い立てた。がドアをくぐった直後、彼女はふと背中に触れた何かに気付いて振り向いた。それは後ろ足で立ち上がった黒犬の前足だった。

「まったくもう、もっと犬らしく振る舞って!」

おばさんの苛々した囁きを聞きながらは奥に進んだ。途端に、ドアが閉まった。

「さよなら!」

動き出した汽車の窓を開け、そこからハリーが顔を出して叫ぶ。も傍らの窓ガラスにへばりついてホームを見やった。リーマス、ウィーズリーおじさん、おばさん、ムーディ、トンクスの姿がどんどん小さくなっていく。だが黒犬は尻尾を振り、ハリーが開けた窓の側を汽車と一緒に駆け出した。飛び去っていくホームの人影が、汽車を追いかける犬を笑いながら見ている。汽車がカーブを曲がる際、彼女は確かに犬の小さな瞳と目が合った。

「シリウスは一緒に来るべきじゃなかったわ」

ハーマイオニーが心配そうな顔をしたが、ロンが軽い口調で言った。

「おい、気軽にいこうぜ。もう何ヶ月も陽の光を見てないんだぞ、かわいそうに」
「ただの向こう見ずのバカよ、あの人は」

素っ気無くそう吐き捨てたを、ハーマイオニーたちは目を瞬かせながら見た。

「もうヴォルデモート側の人は(ハリー以外の全員が息を呑んだ)あの人がアニメーガスだって知ってるのよ? なのにのこのここんなに人がいっぱいいるところに出てくるなんてバカよ、信じられない」

はみんなに「じゃあね」と告げると、トランクと鳥かごをを引きずり、さっさとその場を離れて親友たちのコンパートメントを探した。フランシスたちはが乗った場所から六車両先に座っていた。

、こっちこっち!」

コンパートメントから顔を出したフランシスを見て、は一瞬息が詰まった。昨夜のリーマスの話を思い出したのだ。

、元気にしてた?」

隣に腰かけた彼女にアイビスが訊いてきた。うんと頷くと、向かいのニースが口を開く。

「ねえ、この夏どこ行ってたの? 休み中ずっとでしょう?」
「あ……うーん、秘密」

苦笑いを漏らし曖昧に告げると、ニースは嫌らしい笑みを浮かべて黄色い声をあげた。

「きゃーにもとうとう秘密ができたのねー!」
「え? 何、わたし今まで秘密ってなかったっけ?」
「なーんにもなかったじゃない。良かったわね、あんたもとうとう女の子になったのね!」
「何それ、意味分かんないよ」

顔をしかめるに、ニースはニヤニヤと笑った。だがいつもニースの揶揄にすぐ加わるフランシスは何も言わずにぼんやりと窓の外を眺めている。

「ルーピン先生は元気?」

穏やかに微笑むアイビスに突然問われ、は慌ててフランシスから視線を外した。

CASTLE HE IS NOT

ホグワーツ特急が一面に広がる田園を走り抜けている頃、コンパートメントの前を通りかかったハッフルパフの五年生アーニーによって、とフランシスはハッフルパフの新監督生が彼とハンナ・アボットだと知った。

「そっか、おめでとう、アーニー」
「ありがとう」

彼は人当たりのいい顔で微笑んでたちのコンパートメントの前を通り過ぎていった。彼の胸元にはしっかりとあのアナグマのバッジが輝いていた。
またいつものように下らない話をしたり車内販売のお菓子をつついたりしているうちに汽車はどんどん速度を落とし始めた。みんなが急いで荷物やペットをまとめ、降りる支度を始める。ホームに足をつけたは顔を上げて遠目に見える城の明かりを眺めた。

帰ってきた。ホグワーツに。
二月前に彼を失ったこの場所に。

ハグリッドではなく、突き出した顎の魔女の傍らを通り過ぎてたちは馬なし馬車に乗り込んだ。城の正面玄関の樫の木の扉に続く石段の近くで止まった馬車から降りて、フランシスたちと石段を上る。玄関ホールには松明が赤々と燃え、石畳を横切って右の両開き扉へと進む生徒たちの足音が反響していた。

大広間に入ってから、とフランシスはニースとアイビスと別れた。ハッフルパフのテーブルに向かい同級生たちを探しているとき、そばに見知った青年の姿を発見して思わず足を止める。
は少しだけ躊躇ったが、思い切って声をかけた。

「アレフ」

同級生たちと陽気に話をしていたアレフは首を巡らせてこちらに顔を向けた。パッと彼の表情が今まで以上に明るくなる。

「よっ、、フランシス! 元気にしてたか?」
「あ……うん、アレフは?」
「俺? 元気に決まってんだろ!」

ポンと軽くの背を叩き、アレフは声をあげて笑う。何だか拍子抜けしながら彼女はケイトたちの近くの席に着いた。
アレフは、もう平気なんだろうか。
は顔を上げ、テーブルの向こうで笑い続けるアレフをぼんやりと眺めた。一年前、そして二年前の今日、彼の向かいには必ずセドリックがいたのに。
ホグワーツに戻ってきてからまた彼への思いが大きくなってきていた。いつもならあそこに彼がいるのに、いつもならあそこで彼は笑っているのに。
ここであの晩、彼は嬉しそうに糖蜜パイを頬張っていたのに。

しばらくして玄関ホールへと続く扉が開き、怯えた顔の一年生がマクゴナガル先生を先頭に長い列になって入ってきた。先生が教職員テーブルの前にスツールを置き、その上に組み分け帽子を載せると、帽子はつばの裂け目をぱっくり開いて歌い出す。その歌は去年のものとも一昨年のものとも違い、何だか警告のようだった。無意識のうちにヴォルデモートのことが頭を過ぎったけれど    まさか、ね。

組み分けの儀式が終わり、ダンブルドアが「掻っ込め!」と告げると、今年の新入生もまた拍子抜けしたようだったがみんな嬉しそうにご馳走を突き始めた。ふとレイブンクローのテーブルを見やると、チョウ・チャンはいつもの友達と大騒ぎしながらスープを飲んでいた。
引きずっているのは、自分だけなのか。
項垂れながら、ポテトを突く。生徒たちが食べ終わり、大広間のがやがやがまた立ち昇ってきたとき、ダンブルドアが再び立ち上がった。

「さて、またしても素晴らしいご馳走をみなが消化しているところで、学年度始めのいつものお知らせに少し時間を頂こう」

そして彼は今年も、禁じられた森への立ち入りは禁止、休み時間に廊下で魔法を使ってはいけないと伝えた。

「今年は、先生がふたり替わった。グラブリー−プランク先生がお戻りになったのを心から歓迎申し上げる。『魔法生物飼育学』の担任じゃ。さらにご紹介するのが、アンブリッジ先生、『闇の魔術に対する防衛術』の新任教師じゃ」

あまり熱のこもらない拍手がパラパラと起こった。が。

(……アンブリッジ?)

は眉を寄せた。アンブリッジ、アンブリッジ……どこかで聞いたことがあるような……。

「さて、クィディッチの寮代表選手の選抜の日は    

ダンブルドアの言葉に、あ、と顔を上げたそのとき、彼は突然言葉を切り、傍らのガマガエルのような顔の魔女を見た。アンブリッジは立っても座っても同じくらいの高さだったので、しばらくはなぜダンブルドアが話を止めたのか分からなかったが、アンブリッジが「ェヘン、ェヘン」と咳払いをしたので、彼女が立ち上がってスピーチをしようとしていることが明らかになった。
ダンブルドアは一瞬驚いた様子だったが、すぐ優雅に椅子に腰かけ、謹聴するような顔をした。だが他の先生たちは彼ほど巧みに驚きを隠せなかった。スプラウト先生の眉毛は、ふわふわ散らばった髪の毛に隠れるほどつり上がり、マクゴナガル先生の唇は今までに見たことがないほど真一文字に結ばれている。あのスネイプでさえ眉をピクリと上げ、不機嫌そうに目を細めた。もまた顔をしかめたが、向かいのフランシスやケイトたちはニヤニヤ笑った。

「校長先生、歓迎のお言葉恐れ入ります」

女の子のような甲高い、ため息混じりの話し方だ。は言い知れぬ嫌悪感に襲われて身震いした。

「さて、ホグワーツに戻ってこられて本当に嬉しいですわ! そしてみなさんの幸せそうな可愛い顔がわたくしを見上げているのは素敵ですわ!」

あの人おかしいのかしら、と声には出さずにフランシスが言う。アンブリッジは何度も咳払いを挟みながら甘ったるい口調で話し続けたが、次に口を開いたときには無味乾燥な話し方になっていた。

「魔法省は若い魔法使いや魔女の教育は非常に重要であると常にそう考えてきました。みなさんが持って生まれた稀なる才能は、慎重に教え導き養って磨かなければものになりません。魔法界独自の古来からの……」

は自分の注意力が波のようにサーっと引いていくのを感じたが、それが再び戻ってくることはなかった。ぼんやりと顔を上げるとフランシスやケイトはすでにダウンして寝息を立てている。テーブルを見渡すと未だに教職員テーブルを見つめているのはアーニーだけだったがその目は死んでいた。アレフは大きな欠伸をひとつ漏らしてテーブルに突っ伏した。

「……開放的で、効果的で、かつ責任ある新しい時代へ」

アンブリッジが座った。ダンブルドアが拍手して教授たちもそれに倣ったが、大抵は一、二回手を叩いただけで止めてしまった。フランシスは演説が終わったことで不意を衝かれ、口元を伝っていた涎を慌ててナプキンで拭った。
ダンブルドアがまた立ち上がり、朗らかに言った。

「ありがとうございました、アンブリッジ先生。まさに啓発的じゃった」

彼はアンブリッジに向け、軽く会釈して続ける。

「さて、先ほど言いかけておったが、クィディッチ選抜の日は各寮チームのキャプテンが決定次第談話室に掲示すること。他に何か先生方、注意事項などはお有りかな?」

ダンブルドアが教職員テーブルを見回し、誰も何も言わないのを見て取ると「それでは明日からの授業に備えて今夜はしっかりお休み。ほれ、就寝じゃ!」と告げ、宴はお開きとなった。

「はぁー、明日からまた授業かぁ……」

肩を落としながらフランシスがぼやく。は同室の友人たちとハッフルパフ塔への階段をゆっくりと上がった。
    近付いてくる。
彼と過ごした、あの談話室が。

「ポーション・バレステロス!」

アーニーが扉の肖像画に向け唱えると、ニッコリ笑った聖女は「新入生のみんな、いらっしゃい」と言ってこちら側に開いた。
ハッフルパフ塔の談話室はいつものように寮生たちを迎えてくれた。暖炉ではパチパチと赤い炎が爆ぜている。何人かは寝室に行く前にそこで手を温めていた。けれど。
この一年生たちは、このハッフルパフ塔にセドリック・ディゴリーがいたということを知らない。
この子たちはカナリアイエローのネクタイを締めているのに、彼のことを知らない。信じられない。は真っ直ぐに女子寮への階段を大股で上がった。もうここに、彼はいないんだ。
すぐ後ろをついてきたフランシスが部屋に入るなり言った。

、チェイサーの入団試験受けるんでしょう?」

空っぽの鳥かごを脇に押しやりながら、顔を上げる。

「まさか」

するとフランシスは素っ頓狂な声をあげてこちらのベッドに飛び込んできた。

「馬鹿なこと言うんじゃないわよ! あんたが入らず誰が入るの? 今年のハッフルパフチームは大変なんだから!」

が答えずにトランクの中からネグリジェを取り出す間にも、フランシスはひとりでペラペラと話し続ける。

「今のチームって三人しかいないのよ? 分かってる? ビーターのハース、チェイサーのザカリアス、キーパーのハインツ……他はみんな卒業しちゃったし、セドリックももう」

ハッとフランシスは慌てて口を噤んだが、すぐに咳払いしてからまた捲くし立てた。

「とにかく、今年のうちのチームは大変な状況なんだから……セドリックのお墨付きがあるあんたが入らなくてどうするのよ!」

さっさと着替え終えたは無言のままフランシスを押し退けて布団に潜り込んだ。フランシスの怒ったような声がずっと降り注いでくる。

「真面目に聞きなさい! ハッフルパフを窮地から救うのはあんたのその    

どうでもいい。どうだっていい。
もう彼は、チームにはいないのだから。

頭まで被った布団の中で懸命に耳を押さえ、はようやく意識を手放した。
(06.01.19)