窓からカーテンを通して差し込んでくる日差しに気が付いてゆっくりと目を開けると、はぼんやりした頭で辺りを見渡した。

「……ここ、どこ?」

ポツリと呟く。そこで彼女はようやく自分が昨夜ふたりの父親とノースウェストを離れたのだということを思い出した。昨日は疲れ切って いて分からなかったが、埃を取り払ってもやはり部屋中か何だかかび臭い。寝起きで苛々する頭を軽く振って着替えると、彼女はふらふらした足取りで寝室を出た。ちょうどそのとき、上の階から複数の足音がギシギシと下りてくるのが聞こえた。

!」

慌てて顔を上げると、ラフな恰好をしたハーマイオニーにフレッドとジョージ、そしてジニーが踊り場に下りてきたところだった。ハーマイオニーが一歩前に出てをぎゅっと抱き締めた。

「久しぶりね、! あ……少し、久しぶりね」

そう言ってニッコリ微笑む彼女を見て、は目をぱちくりさせた。

「み、みんなも来てたの?」
「そうさ。昨日の夜に着いたんだ。僕たちが来たときにはもう、寝ちゃってたけどな」

フレッドが口を開く。みんなと一緒に階下へ下りながら、ジョージが言った。

「お、そうだ、知ってるか? 騎士団にはびっくりの奴がいるんだぜ」
「へえ、誰?」

平淡な口調で訊ねる。騎士団についてはリーマスやブラックからほとんど何も聞いていないので、恐らく何を聞いても知らないことだろう。三階の踊り場で寝惚け眼のロンと合流し(「おはよう〜」)、ニヤニヤしたフレッドがもったいぶって少しだけ声を落とした。

    聞いて驚け。あの、シリウス・ブラックだ」

は無意識のうちにピタリと足を止めて振り返った。予想外の事態に、彼女の後ろに続いていたハーマイオニーたちがそこでつっかえ、誰かが階段の上で足を踏み外した。全員が悲鳴をあげながら固まって階下へと落下する。一階で尻餅をついてようやくみんなが止まったとき、先の廊下の虫食いだらけのビロードのカーテンが左右にパッと開き、耳をつんざくような恐ろしい叫びが辺りに響き渡った。は耳を塞ぎ、ギュッと固く閉じた目を時折少しだけ開きながらそれを見た。
それは等身大の肖像画のようだった。老女が黒い帽子を被り、涎を垂らして白目を剥いている。ホールの他の肖像画も目を覚まして一斉に叫び始めた。するとホールにいたらしいリーマスとウィーズリーおばさんが飛び出してカーテンを引き、老女を閉め込もうと奮闘していた。

「リーマス! おばさん!」

は思わず駆け出し、ふたりに加わってカーテンを懸命に引いた。フレッドとジョージも加勢して力任せにカーテンを引くが、老女はますます鋭い叫びをあげて両手の長い爪を振り回す。リーマスが叫んだ。

「みんな危ないから離れて!」
「で、でも」

躊躇しながらふと顔を上げると、老女の狂ったように血走った目と視線がぶつかった。途端に老女の顔が血の気を失った。

「こいつはあああああああ!!!」

はぞっとなって後ずさった。老女は両眼が飛び出すほどカッと目を見開いて喚いた。

「あの男の子供かああああああ汚らわしいあの、あの一族の恥さらしの    
「黙れ!!」

凄まじい剣幕で怒鳴ったリーマスが、ウィーズリー夫人と一緒にやっとのことでカーテンを元のように閉じた。一瞬で老女の叫びはピタリと止んだ。振り返ったリーマスは一転して「みんな、おはよう」と穏やかに微笑み、まだ喚き続けるホールの肖像画に失神術をかけ始めた。
少しだけ疲れた様子のウィーズリーおばさんが、満面の笑みでを抱き締めた。

「まあ、。久しぶりね。元気にしてた?」
「あ……はい、ええ」

は全身の震えを悟られないように、大袈裟なボディランゲージで夫人に応えた。「さっきの何だったの、ママ?」と訊ねるジョージに、おばさんは「ちょっとおかしな絵ですよ。静かにしないとすぐに叫び出すからあなたたちも上から下りてくるときは静かにね」と答えてから、みんなを地下の厨房へと案内した。
狭い石の階段を下りながら、はまた身震いした。何だったんだろう、あの絵。わたしを、あの男の子供か、と言った。あの汚らわしい、一族の恥さらしの子供かと。
    ひょっとして。

頭に浮かんできた考えを急いで振り払い、はフレッドに続いて急いで厨房に入る扉をくぐった。

tellers, recallers

厨房にはの知らない魔法使いたちが数人いたが、見知った顔もいくつかあったので少しだけホッとした。ウィーズリーおじさん、ビル、それにウィーズリーおばさん、リーマスにブラックだ。彼らは厨房にドッと入ってきた子供たちを見やって口々に「みんな、おはよう」と言った。ウィーズリーおじさんとビルは真ん中の長い木のテーブルに近付いたたちのもとにすぐにやって来た。

「みんな、おはよう。、久しぶりだね。元気だったかい?」
「はい、おじさん」

笑ってウィーズリー氏と握手すると、横からすぐにビルが割り込んできて嬉しそうにの手を取った。

、久しぶり! やっぱり俺の想像通り、だいぶ大人っぽくなってきれいになったな!」

がポッと頬を赤らめるのを見て、ビルはニッコリ微笑む。すると後ろからフレッドが不貞腐れた顔で漏らした。

「ビル、お前はフラぁ〜にメロメロなんじゃなかったっけか?」
「きれいな子にきれいって言って何が悪いんだ?」

涼しい顔をしてビルが言い放つ。は首を傾げた。

「フラーって?」
、ボーバトンのフラー・デラクールって覚えてるか? あの子がグリンゴッツに就職したんだ。ビルは彼女のえいごーがうまーくなるよーに個人授業やってるんだぜ」
「いいだろうそんなことは」

軽く口笛を吹くビルを見ながら、彼女は何とか無理して笑ってみせた。対抗試合の話なんて、聞きたくなかった。
厨房の奥から顔を出したウィーズリー夫人が明るく声をあげる。

「みんな、手伝ってちょうだいな」

はーい、とジニーとハーマイオニーはすぐさまそちらに飛んでいった。もふたりの後に続こうとすると、先ほどまで固まって話をしていた魔法使いの中から色白の魔女が真っ直ぐこちらにやって来て、の目の前で立ち止まった。彼女の黒い瞳はキラキラ輝いている。見たことのない魔女だ。は目を瞬かせて口を開いた。

「あ、あの……」

すると彼女の声を掻き消して、その紅い髪の魔女は黄色い声をあげた。

「わーあ! まさか君、シリウスの子供? すっごーい、若い頃の彼にそっくりね、一目で分かったわ!」

心臓を何か冷たいもので射抜かれたかのようだった。息が詰まる。全身が硬直する。魔女はそんなことには気付かなかったのか、くるりとブラックに顔を向けて恨みがましそうに言った。

「シリウス、何でこんな可愛い子がいるのに一言も言わないの? あ、別に学生時代のあなたが可愛いって言ってるわけじゃないのよ? すっごーい、こんなにも似るもんなんだね! あ、でも目だけは違うね。優しいのあの目だ!」

ブラックの顔は目に見えて青ざめていた。震えながら何とか首を巡らせると、誰もが目を見開いてジッと自分を見つめている。は背後でフレッドが「……がシリウスの?」と呟くのを聞いた。ブラックは固まったまま動かない。そこで初めて紅い髪の魔女は場の空気に気が付いたらしい。目をぱちくりさせながら周囲を見回して「わたし何か、変なこと言った?」と訊いた。禿げあがった黒人の魔法使いはとブラックの顔を見比べながら「確かに……そっくりだ」と噛み締めるように言った。
苦しげに顔を歪めたリーマスが紅い髪の魔女に歩み寄り、その口を開こうとする。はそれを遮り、目の前の魔女を真っ直ぐ見据えて言い放った。

「わたしは    ・ルーピンです」

リーマスはの顔を見て固まり、魔女は口をポカンと開けたまましばらく彼女を穴があくほど見つめていた。

「え、リーマス、あなたの子供? でも」

は魔女の言葉の途中で踵を返して駆け出した。双子やロンを押し退けて厨房を飛び出し、階段を二段飛ばしで駆け上がる。寝室に戻って勢いよくベッドに座り込むと、突然パシッパシッと音がしてフレッドとジョージが現れた。鳥かごのが驚いてしばらく中でバタバタと暴れた。
は目を丸くしてふたりを見やった。

「ふたりとも、『姿現し』できるようになったの?」
「ああ、優等でさ」

フレッドとジョージがニヤリと笑った。だが彼女は笑い返す気にはなれず、項垂れてぼんやりと足元を眺める。ふたりはの両脇に腰かけ、軽い調子で言った。

「どうしたんだよ。朝飯食わないと力出ないぜ?」

は答えなかった。がこちらを見つめてホーと鳴いた。

「気にすることなんかないさ」

明るくフレッドが言った。

「そりゃは、すこーしばっかりシリウスに似てるかもしれないけどさ。そんなの関係ないよ。それに、知ってるか分かんないけども、アイツはブラックだが白だ。なーんにも悪いことなんかしちゃいない」
「だから別にシリウスの子供ってちょっと間違われたからって、誰も君に関して何か思ったりは……」
「違うの」

ジョージの言葉を押さえ込むように、彼女は俯いたまま口を開いた。ふたりは口を噤んでの顔を覗き込んだ。ようやく絞り出した彼女の声は震えていた。

「……わたし、シリウス・ブラックの子供なんだよ」

フレッドとジョージは何も言わなかったが、ふたりが息を呑むのは分かった。なぜだろう、涙が溢れてきた。

「わたし、ブラックの子供なの。本当は……分かってた」

ギュッと固く目を閉じ、ベッドの縁で膝を抱える。

「でも、どうしても許せなくて……認められなくて。母さんのこと考えもせずに勝手にアズカバンなんか放り込まれて……今頃出てこられたってもう母さんはいないし、今さら父親だなんて分かったって……わたし、どうしていいか分かんないの」

すっぱりと切り捨てるつもりだった。わたしは、リーマスの子供なんだって。でもあの人が悲しそうな顔でわたしをちらと見てきたり。冷えた手を黙って温めてくれたり。そんな人間味のあるところを見せられたら、完全に切ることはできなくなっていた。そして何より    彼は、母が選んだ男なのだ。彼がいなければわたしが生まれなかったというのもまた事実で。
するとフレッドとジョージはふたり同時にの背中に手を回し、彼女との距離をぐっと詰めてきた。泣き顔を見られたくなくて彼女は顔を上げなかった。

「そっか。つらかったな、

フレッドの一言に、殊更涙を煽られる。ジョージがあとを続けた。

「分かんなくったっていいさ。僕だっていきなり知らない男がやって来て、実は父親でしたなんて分かったらそうなるもの」
「あんまり考えすぎんな、。頭おかしくなっちまうぜ?」
「それに」

ジョージの手が優しく彼女の頭を撫でた。

は何にも悪くないんだからさ。何か思うところがあるんならシリウスやルーピンから言ってくるだろ。はそれまで今まで通りにしてればいいさ。何か言われたら、そのときまた考えればいい」
「そうだぜ。今まで通り・ルーピンでいいだろう、君は」

彼女は顔を上げてふたりを交互に見やった。フレッドとジョージはいつもの悪戯っぽい笑みではなく、穏やかに笑っていてくれて。
目尻を擦りながら、は力なく笑った。

「……うん。ありがと、フレッド、ジョージ」

よし、と言ってフレッドが彼女の頭を軽く叩いて立ち上がった。ジョージとふたりで扉へと向かいながら、振り向き様に告げる。

「今日はゆっくり寝てろよ、。朝飯はあとで持ってきてやるから」

そう言うや否や、ふたりはまたパシッパシッという音を立てて消えた。ひとり残された部屋の中で、かごからを出してやりながらはそっと目を閉じた。
    ありがとう。
そうだ。わたしがひとりで考えていたって仕方ない。わたしが今、父親だと認めてるのはリーマスなんだから。
何かあれば、そのとにまた考えればいい。今はただ、こうしてみんなと一緒に過ごしていられたら。

胸元の小笛としおりを握り締め、彼女は窓ガラスを通してキラキラと輝く陽光を眺めた。
「へー、そういうことだったんだ」

リーマスがみんなを前にして語り終えると、ニンファドーラ・トンクスは無駄に輝く皿の上の目玉焼きを突きながらぼやいた。

「少しばかり無神経だったようだな、トンクス」

キングズリーの言葉に、トンクスは顔を上げて彼をキッと睨み付ける。

「あんただってそっくりだって言ったじゃないの! それに、あんなに似てれば誰だって一発でシリウスの子供って分かるわよ!」
「そんなに若い頃のシリウスとって似てるの?」

素っ頓狂な声をあげるロンに、パッと顔を輝かせたトンクスがフォークを置き、懐から何やら取り出してロンに渡した。隣のハーマイオニーとジニーも横からそれを覗き込む。

「これ、まさかシリウスと……の、お母さん?」
「そう! それに、今よりずーっと若かった頃のわたし!」

今でも充分若いけどね、と誇らしげに付け加えてトンクスが言った。テーブルの隅の方でだんまりを決め込んでいたシリウスが、ハッと顔を上げて彼女に噛み付いた。リーマスは何も言わずに黙々とフォークを動かしている。

「トンクス、あまり余計なもの見せるんじゃない」
「あら、何よシリウス」

眉間にしわを寄せてトンクスはシリウスを睨んだ。

「いくらジェームズとリリーのためって言っても、を放っぽって飛び出したあなたに何かれ言う権利があるの? あの日一生新婦を愛し抜くことを誓いますってみんなの前で宣言したのはどこの誰?」
「トンクス、やめてくれ」

シリウスはカッと顔を真っ赤にしたが、声を荒げたのはリーマスだった。

「みんながいるところでする話じゃないだろう」

トンクスは何か言いたげだったが、「ごめんなさい」と呟いて目玉焼きをフォークの先で何度も突き刺した。食卓は一気に静かになり、皿とフォークやナイフの擦れ合うカチャカチャという音だけが厨房に響いた。
トンクスの取り出した写真には、幸せそうな笑みを浮かべた三人の男女が写っていた。結婚式会場での一ショットらしい。黒い燕尾服姿の整った顔立ちの青年の腕に、きれいな白いウェディングドレスに身を包んだ黒髪の女性が自分の腕を絡め、カメラに向かってピースしている。派手な色のドレスに艶やかな黒髪を頂いた色白の魔女は、そのふたりに同時に抱きつき、ふざけて新婦にキスしようとしていた。どれが誰かなど一目瞭然だった。

「こうして見ると、、このふたりにほんとにそっくりね」

食事を終えてロンの部屋に上がったハーマイオニーが先ほどの写真を見つめながら呟いた。ロンも肩をすくめながら、「びっくりだ」と頷く。

「確かに今のシリウスともよく似てるけど……ほら、シリウスってアズカバン暮らしですっごくやつれてるだろう? だからいまいち、ピンとこなかったんだよな。でも若い頃のシリウス見たら……何ていうか、生き写しだ」
「それにお母さんのこの目。の目にそっくりだわ」

そのとき部屋の扉が陽気なリズムでノックされた。ふたりは顔を上げ、ロンが「どうぞ」と言った。入ってきたのはご機嫌のトンクスだ。

「はーい。おふたりさん、それ、気に入った?」

言葉を濁していると、トンクスはあははと明るく笑った。

「そんなに考え込まなくていいよ。ねえ、シリウスってほんとに顔だけはいい男でしょう?」

彼女はハーマイオニーの隣に腰かけて、その手元の写真を覗き込んだ。

「わたしね、学生時代はのことほとんど知らなかったの」

急に語り始めた彼女をハーマイオニーとロンは不思議そうに見たが、彼女は気付かない振りをして続けた。

「シリウスとは私より四つ上で、シリウスのことは昔から知ってたけど    あ、わたし、彼と親戚関係なのよ(このときロンは素っ頓狂な声をあげた)    は頭は良かったけど寮も違うし、わたし、全然彼女のことは気にしてなかったの。もちろん話したことなんかないし。けどシリウスが卒業してしばらくしてから急に結婚するなんて聞いてね。びっくりしたわ。シリウスってば学生時代、女遊びは激しかったんだけど(ハーマイオニーが嫌悪感むき出しの顔をし、ロンは「わーお」と叫んだ)特定の相手はずっといないみたいだったから。彼が結婚しようと思うなんて、一体どんな相手なんだろう、って」

トンクスはクスリと笑った。

「それがだったの。正直驚いたわ。彼女、レイブンクローだったんだけど、ただの堅物だと思ってたし。でも結婚式の日に彼女と会ったとき……不思議ね。彼女、とっても柔らかい雰囲気になってたの。それに、シリウスも」

まるでその場面を思い出そうとしているかのように、彼女は虚空を仰ぎ見る。

「お互いにいい影響を与え合ってるんだなってすぐに分かって……そのときのは、ほんとに親しみやすい人になってた。わたし、あっという間に彼女のことが大好きになったわ」

そして彼女は愛おしげに写真の新婦を撫でた。

「……あのふたりなら、幸せになれるって思ったんだけどな」

静かに涙を流すトンクスを、ハーマイオニーとロンはただ黙って見つめていた。同じ頃ちょうどその上の部屋で、・ルーピンはひとりで朝食のサラダをつついていた。
(06.01.13)