三年目の夏休みは、今までにないほど複雑な気持ちで過ごさざるを得なかった。
なぜならノースウェストの実家の暖炉から彼女が顔を出すと、居間の食卓には父親ばかりでなく、もうひとりの男が着いていたからだ。

unexpected man

・ルーピンは胸元で抱き抱えていた鳥かごを、知らず知らずのうちに床に落としてしまっていた。中の森ふくろうがキーキーと恨みがましく鳴き喚く。彼女は慌ててそれを拾い上げながらも、視線だけは目の前のふたりの男から外すことができなかった。白髪混じりの鳶色の髪をした男は気まずそうに顔を歪め、黒髪をかなり長く伸ばした男は慌てた様子でどこか隠れるところでもないかと探しているようだった。だが、いい場所が見つからなかったのだろう。諦めて椅子の上に座り直して、こちらを慎重な面持ちで見てきた。
は思わず後ずさりながら、養父に向けて声を荒げた。

「……リーマス、ちょっと、これどういうこと! 何でシリウス・ブラックがこんなところに」
、落ち着くんだ、話を」
「やっぱりリーマスはずっとこの人と通じてたんだね? それで何にも知らないわたしのこと馬鹿にして    
! 何を言ってるんだ、話を聞け!」

目付きを鋭くして椅子から立ち上がるリーマスを睨み付け、が懐から杖を取り出そうとすると、ブラックが慌てて立ち上がり捲くし立てた。

「違う、わたしがダンブルドアに言われてここに来たんだ。つい一週間前のことだ、本当だ!」

は上に羽織ったシャツの内側に入れていた手をゆっくりと抜いて、ふたりの男を見やった。いつもと部屋の雰囲気が違うことを察したのか、が不安げにホーと鳴いたので、彼女はすぐそばの窓を開けてそこからふくろうを放した。

、ちょっとどっかで遊んでおいで」

もう一度ホーと鳴いて飛び立っていく森ふくろうをしばらく見つめていると、背後からぼんやりした声で「……?」とブラックが呟くのが聞こえた。振り返ると、呆然としたブラックと、僅かに目を細めたリーマスとが目に入る。彼女は彼らから視線を外してカートへと戻った。

、おかえり。少しシリウスのことで話がある。座ってくれないか?」

リーマスが立ったまま自分の隣の椅子を示す。だが彼女は暖炉の前のトランクに腰かけると、「話はここでも聞けるよ」とぶっきらぼうに答えた。ブラックはリーマスの正面で暗い顔をして瞼をそっと伏せた。

「そうか、分かった」

ぽつりと呟いて、リーマスが椅子に腰を下ろす。ブラックも小さな吐息を挟んで暖炉前の椅子に座り込んだ。ちょうどこちらには背を向ける形になる。はリーマスの顔だけを睨みながら下唇を噛み締めた。

。対抗試合で起こったことは、我々も聞いた。ダンブルドアのことだから、何が起こったのか君たちにも話しただろう。そうだ、ヴォルデモートが復活した」

どくん、と大きく胸の鼓動が脈打つのが分かった。途端にあの晩の光景が目の前に蘇ってくる。冷たくなった、彼の身体。少しだけ驚いたような顔で、固まってしまった彼の姿を。は両手で顔を覆って膝に額をつけた。あの草のしおりは、今もこの懐に仕舞いこんである。

「……彼は君と同じ寮だった。とても、つらいだろうと思う。だが、、悲しんでいるばかりではいけない。ヴォルデモートと戦わねばならない。分かるね? わたしたちは結束して、ヴォルデモートと戦わなければいけない」

彼女は何も答えなかった。何が分かるって言うんだ。わたしがどれだけ彼を好きでいたか。リーマスに、分かるはずなんかない。口を開けば、すぐにでも涙が溢れ出てきそうだった。は黙って膝を抱え、顔を太ももに押し付けていた。

「そこでだ、。もう十年以上前になるが、ヴォルデモートの暗躍した、暗黒時代があった。その頃にダンブルドアが立ち上げた組織がある。もちろん、ヴォルデモート卿と戦うためのものだ。わたしもシリウスも所属していた。今回、奴の復活を受けて、ダンブルドアはもう一度そのメンバーを集めることを決めたんだ。だが、本部がまだ決まっていない。シリウスは魔法省に追われているし、本部の場所が決定するまでわたしのもとで匿うようにと。これはダンブルドアからの頼みだ」

そこでリーマスは一旦言葉を切ったが、彼女はまだ何も言わなかった。

「……。わたしは騎士団の一員としてまた戦うことになる。だから、本部が決まれば夏休みの間はわたしと一緒に来て欲しい」

は顔を上げ、見開いた黒い両眼でリーマスを凝視した。トランクから立ち上がり、声を荒げる。

「この家を離れるってこと? 何で! ここを離れて……あなたと、シリウス・ブラックと一緒にどっか別のところで生活しろって言うの?!」
「……

拒絶されるとは思っていなかったのだろう、リーマスが驚いた顔をして立ち上がる。は素早く懐から杖を取り出して、「ウィンガーディアム・レヴィオーサ!」トランクを浮かばせ階段を駆け上がった。ふわふわとトランクがついてくる。彼女は自室に飛び込んでトランクも中に引っ張り込むと、扉に鍵をかけてベッドに転がり込んだ。その頃には目尻からぽろぽろと涙がこぼれ落ちていた。
家に戻ったら    好きなだけ泣こうと思っていた。リーマスの胸でなら、尽きることのない涙を流せると。もう何日も堪えてきたものをすべて、吐き出せると思っていたのに。
それなのに。
学校にいれば嫌でもセドリックのことばかり考えてしまうし、家に戻ればあのシリウス・ブラック。

(わたしが安心して泣ける場所なんて、もうどこにもないの?)

靴音が、彼女の部屋の前で止まった。扉の向こうから、リーマスの落ち着いた声が聞こえてくる。

「……。いきなりのことですまない。だが本部が決まり次第、そちらに移ることになると思う。だからいつでも動けるように準備しておいて欲しい。君ひとりをここに残すわけにいかないからね」

それだけを告げると、彼はぎしぎしと音を立ててゆっくりと階下へ下りていったようだった。あまりにあっさりした父の態度に、ことさら涙を煽られ嗚咽まで漏れてくる。彼女は握り締めた拳を勢いよくベッドに叩きつけた。
痛むのは無論、自分のこの手だけで。
解いた手のひらを涙で滲む目で見つめながら、独りごちる。

「……セド」

その手を、そっと懐に忍ばせる。シャツの中から取り出したのは、あの草のしおりと    彼が誕生日にくれた、手彫りの小笛だった。
これをくれたとき、彼の手はあんなにも温かかったのに。
その翌日に、彼が命を落としたなんて。

(もう……どこを探したって、セドはいないんだ)

彼女は頬を手の甲で拭って、ベッドから起き上がった。部屋の窓を開け、そっと笛の吹き口に唇を当てる。吹くのは初めてだ。軽く吐き出した息は澄んだ音色となって青空に流れていった。若いふくろうの鳴き声のようだ。しばらく静かに吹き続けていると、どこからともなくが現れて、窓から顔を出しているの肩に嬉しそうにとまった。

「……。おかえり」

ホーと甘えるように鳴いて、森ふくろうが頬ずりしてくる。彼女はその頭を撫でながらもう一度小笛を短く吹いた。

「セド、わたしがふくろう好きだって知ってたのかな」

タイミングよくがもう一度鳴いた。途端に胸が締め付けられ、抑えていた涙が溢れ出す。は窓枠にしがみついて声を押し殺し、ひとり静かに泣いた。
「参ったよ」

砂糖をスプーンに山盛り三杯加えたミルクティーを掻き混ぜながら、ぽつりと呟く。その向かいで無糖のストレートティーに口をつけたシリウス・ブラックが無言のままちらりと顔を上げた。

「……あの子のことか」

リーマスは受け皿にスプーンを戻しながら、小さく頷く。

「ああ。ある程度予想してはいたけどね。あそこまで拒絶されるとは」

喉の奥を滑り落ちていく紅茶は甘い香りがしたが、現実はそうもいかないようだ。当たり前のことだけれども。
シリウスはティーカップをテーブルに置き、そのそばに肘をついた。

「……俺のせいだな、すまない」
「やめてくれ」

彼はシリウスから視線を外すと、ぶっきらぼうに言い放った。カップを置いてぼんやりと窓の外を見やる。もう十年以上のこの見慣れた景色も、この男と一緒では何だか違うものに思えてくる。

「不思議だね」

彼はシリウスから目を逸らしたまま口を開いた。

「この家は君たちのものだったのに、わたしの方が君よりも随分この家との付き合いが長いなんて」

シリウスは途端に寂しそうに瞼を伏せた。気付かなかった振りをして、容赦なく続ける。

「何年だったかな、君と彼女がこの家で一緒に過ごしたのは」

シリウスは深い吐息とともに小さく答えた。

「……四年、だな」
「わたしは十四年だ」

リーマスは冷えた紅茶に向けて軽く杖を振り、再び湯気を立てさせながら冷ややかに告げる。

「ここを出てあの子を育てることも考えた。けど、あの子に母親の匂いくらいは感じながら育って欲しかったからね。彼女の部屋は、掃除以外はあまりいじらないようにしたし」

でも写真はすべて片付けたよ、とだけ付け加えて、彼はティーカップを手に取った。残りを一気に飲み干してから、一息ついて、ぼやく。

「すまないね。少しくらい愚痴を言わないではいられなくて」

シリウスはぎこちない笑みを浮かべて小さくかぶりを振った。

「俺はそれだけのことをしたから……構わない」

短気なところもあるくせに、変に律儀なんだから。そういうところは昔と変わっていないな。
彼は食卓の中央に並べた小さなチョコレートの包みをひとつ取って口に放り込んだ。が帰ってくるからと思って今朝買ってきたのに、あの子は目もくれなかったな。

「君も食べなよ」

何の気はなしに勧めると、シリウスは若干顔をしかめてみせた。

「俺が甘いもの好きじゃないって、忘れたか?」

小さく吹き出す。リーマスは僅かに目を細め笑った。

「リリーお手製のケーキをあれだけ盛大に拒絶した君の顔を忘れられるはずもないだろう?」

シリウスは一瞬顔を引きつらせたが、すぐに口元と目元を緩め泣きそうな顔で微笑んだ。

「……あったな、そんなことが。あのときはジェームズに殺されそうになった」
「ああ、忘れちゃいないさ。銀色の包みはビターチョコだよ」

チョコレートの包みを指し示して告げると、彼は震える手でシルバーの包みをひとつ手に取った。その指は十年もの投獄生活で、まだかなり痩せ細っている。この家でも大した食事は出せないでいるので、シリウスが血色のいい顔つきに戻るのはしばらく無理だろう。
ビターチョコレートを口にふくんだシリウスは、潤んだグレイの瞳からぽつりと大粒の涙を落とした。目を瞬かせて、彼の顔を凝視する。

「……シリウス?」
「………」

何か呟いたらしい彼の唇が微かに動いたが、リーマスには聞き取れなかった。「何だい、シリウス?」と訊き返すと、彼は顔を両手で覆ってゆっくりと口を開いた。

「『』って……あの子がさっき、の名前を……」
「……ああ。そのことか」

目を伏せて、息をつく。リーマスは軽く杖を振って自分のティーカップを片付けた。

「あのふくろうは、去年のあの子の誕生日にわたしが買ってあげたふくろうだ。あの子は自分で何て名前をつけたと思う?     』、だよ」

彼が顔を上げて目を丸くする。余程、ショックを受けたのだろう、シリウスは青ざめていた。目を細めて、続ける。

「あの子は『いつでもお母さんと一緒にいられるように』と言っていたけれど、実際はわたしへの当て付けだったろうと思うよ。ずっとわたしが、父親のこと、母親のことで嘘をつき通していたからね。あの子は……正直でいることを教えてくれたわたしが、生まれてからずっと嘘をつき通していたことが許せないと」

シリウスは目元に手を当て、再び静かに涙を流した。わたしはただ黙ってそれを見守っていた。


君がどれほど傷付き、どれだけ泣いているのか、わたしに推し量ることはできない。
けれど。

(……涙しているのは、君だけではないんだよ)

そのことだけは。心の奥底にでも留めておいて欲しい。
ヴォルデモートにほんの少しでも関わってしまった人々は、大きく運命を狂わされた。
だから。
泣いてもいい。胸ならいくらでも貸す。だから。

「シリウス」

わたしは顔を上げ、目の前の親友を穏やかな表情で見つめた。

の最期を看取ったわたしは    わたしは君を、一生許さないよ」

彼はしばらく目を見開いて、わたしを凝視していたけれど。

「ああ……の分も、俺を一生憎んでくれ」

だから。
君だけは。

彼だけは、受け入れてやってくれないか。
(05.01.11)