翌朝目覚めると、はひどい頭痛と熱っぽさで思わずむせ返った。すぐに同室のフランシスが飛んできてこちらの顔を覗き込んでくる。

、どうしたの? 気持ち悪いの?」
「……ううん、大丈夫……」

弱々しくかぶりを振って布団を被りなおそうとすると、フランシスはその手をさっと掴んで阻んだ。フランシスの手のひらがの額に伸びてくる。途端にフランシスは眉根を寄せて声をあげた。

、すごい熱じゃないの! 医務室に行こう、マダムが何とかしてくれるから」
「……いや、いいよそんなの。大丈夫」
「何が大丈夫なの! 言う通りにしなさい! ちょっと待ってて」

そう言うなり彼女は寝室を飛び出していった。着替えを終えたケイトとエラがベッドの傍らで見守っていてくれる。彼女らの顔にはひどく暗い色が濃く浮かんでいた。
やがて戻ってきたフランシスは、目を真っ赤に腫らしたアレフを連れていた。彼は「失礼」と言って部屋に入り、ケイトに目配せをしつつの額に触れた。

、お前……おい、医務室行くぞ。おら」
「……いいよ。寝てれば治る……」
「馬鹿野郎。俺様が連れてってやるって言ってんだよ。おら、おとなしく背中に乗れ」

ケイトに強く促され、はベッドの縁に腰かけたアレフの背中にしがみついた。フランシスがネグリジェ姿の彼女に薄手のコートをそっと羽織らせる。はアレフに背負われてハッフルパフ塔を出た。何気なく振り返ると、入り口の聖女はひどく悲しそうに顔を歪め、額の端にぐったりともたれかかっていた。
医務室までの道のりで、アレフは一言も喋らなかった。いつもの陽気な彼を思い出すと、それはあまりに重すぎる沈黙で。は彼の肩に顔を押し付けながら、小さく小さく呟いた。

「……アレフ……ねえ、昨日、ほんとに    
「やめろ」

彼女の言葉を、アレフは短く遮った。彼に全体重を預けたにはその身体の震えがよく伝わってくる。彼女は目を伏せて、小さく「ごめん」と呟いた。アレフは答えずに黙々と歩き続けた。
アレフのその背中は、セドリックのものよりは少し小さく感じられた。それは彼がひどく打ちのめされていたせいかもしれない。けれど。この手も。この肩も。この髪も。
    セドリックはもういないのだ。

「……う……っ……セド……」

途端に涙が溢れ出て、彼の肩の上で嗚咽を漏らす。歩をまったく緩めないアレフが静かに頬を涙で濡らしていることに気付く余裕など、今のにはなかった。

He's GONE

医務室は静謐としていた。それはいつもの静けさなどではなく、城内の者たちの心を凝縮して反映したかのような哀しい空気で。真っ白いベッドに横たわるハリーの傍らには、スツールに腰かけて眠るウィーズリーおばさん、そしてなぜかその向こうのベッドにはやつれ切ったムーディもいる。ドアが開く音に気付いて奥の小部屋から出てきたマダム・ポンフリーの顔は、ひどく疲れて切っているようだった。

「まあ……ミスター・ボールドウィン、ミス・ルーピン、どうしました?」
「マダム、がひどい熱で……看てやってもらえますか?」

ポンフリーに促され、アレフは傍らのベッドにを下ろした。首まで布団をかけてくれた彼は「じゃあな。おとなしくしてろよ」と小さく笑って医務室を出て行く。彼の頬には涙の乾いた跡がしっかりと残っていた。
の額に軽く手を当てたマダムは眉をひそめて言った。

「熱がかなりありますね。熱冷ましを持ってきますから、それを飲んで今日は休んでいなさい」

そして奥の小部屋へ向かって歩き出したマダム・ポンフリーを、は横になったまま呼び止めた。

「……マダム」

彼女が立ち止まり、振り返る。

「セドはどうなったんですか」

途端にマダムの顔は強張り、ハリーのベッドを窺うようにちらちら見ながらこちらに戻ってきた。腰を折り、の耳元で小さく囁く。

「……受け入れ難いことだとは思います、ルーピン。でも分かってください、ディゴリーは……彼は、死んだのです」
「どうしてですか。何で……何でセドが死ななきゃいけなかったんですか。そんな危険な課題、何で先生たちは許したんですか」

マダムは目を細め、またハリーのベッドを一瞥すると、殊更声のトーンを落として言った。

「ルーピン、対抗試合のせいではないのです。彼は課題で命を落としたわけではありません」

は目を見開いてマダムの両腕を掴んだ。熱で頭がくらくらする。けれどそんなことは、どうだっていい。

「どういうことですか……じゃあセドは、何で、どうして死んだんですか! セドはあの迷路の中で死んだんでしょう? 何で……何で彼が!」
「ルーピン、落ち着いて、静かにしてください、ポッターが目を覚ましてしまいます」
「何でですか、何でセドが    

そのとき、ベッドの傍らにまるで降って湧いたように突然ダンブルドアが現れた。彼が軽く腕を振ると、僅かに布団から起こしていたの身体はパタンと後方に倒れ込む。彼女は静かに眠り込んだ。マダム・ポンフリーが青ざめた顔をダンブルドアに向ける。彼は厳しい顔をして彼女の顔を見返していた。

「ミス・ルーピンにも少々、休む時間が必要なようじゃ。ポピー、熱冷ましと一緒に、ハリーに飲ませたものと同じ薬を与えてやっておくれ」
「……分かりました」

マダムが足早に奥の小部屋に入っていくのを見ていたのはダンブルドアだけではなかった。目覚めたウィーズリー夫人も小部屋との双方を不安げな顔で見つめている。ハリーは薬が効いていてまだ眠ったままだ。ダンブルドアは軽く夫人に目配せすると、ゆっくりと医務室を後にした。

が目覚めたのはその翌日の昼だった。丸一日以上眠り込んでいたらしい。夢はまったく見なかった。首を巡らせると、もうハリーの寝ていたベッドはもぬけの空だ。ムーディは昨日の朝来たときと変わらずぐったりと横になっていた。

「起きたのかね、

気が付くとそこにダンブルドアが立っていた。片手に湯気の立つ深皿を持っている。彼はベッドの傍らのスツールに腰かけると、深皿に差し込んだスプーンで中のオートミールを軽く掻き混ぜた。

「一昨日の晩から何も口にしておらんじゃろ。まずは、食べるといい」

は布団の中で小さく首を振った。

「……食べたくないです」
「いかん、いかん。君がそうして弱っていく姿など、セドリックが見たがるとは決して思わんが」

ピクリとは眉をひそめた。布団を握り締める指先に自然と力が入る。穏やかなブルーの瞳でこちらを見つめてくるダンブルドアから視線を外し、彼女は歯を食いしばり声を荒げた。

「そんなこと言わないで下さいよ」

震えながら、布団を頭まで被る。

「セドは死んだんでしょう? もう生きてないセドがこんなわたしを見てどう思うかなんて……そんなこと先生に分かるわけないじゃないですか」

カチャリ、と皿とスプーンが擦れ合う音が薄い布団の向こうから聞こえた。

。君にはちょうど一年前にも、とても、つらい出来事があった。最愛の人の『偽り』……そして今度は、最愛の人の死じゃ」

ゾッと背筋を寒気が走る。彼女は必死にかぶりを振ってそれらの記憶を振り払おうと努めた。

「……シリウス・ブラックがわたしの本当の父親だって、先生もご存知だったんですか?」

しばしの沈黙を挟み、ダンブルドアは「そうじゃ」と頷いた。

「わしは知っておった。わしばかりではない。シリウスやリーマスの在学中、すでにこの学校に勤めておった先生方はみな知っておった。それに君は……本当に、シリウスとに瓜二つじゃしの。リーマスが父親代わりとしては充分すぎるほど君を大切に育ててきたことはみなが知っておった。じゃから彼が君に父親だと名乗っていても、わしらは口出しせんかったのじゃ。君がずっと嘘を突き通してきたリーマスを許せぬという気持ちも、よく分かる。じゃが誰かを許すということは、とても気高い行いじゃと思うがの」

は布団の中でギュッと固く目を閉じた。

「そして、セドリックのことじゃが」

彼がテーブルに深皿を置いた音がとても澱んだ音色に聞こえたのはなぜだろう。

「これは学期末の宴でみなに伝えようと思っておったことじゃが、君は日常生活に支障をきたすほど参っておるようじゃから先に言っておこうと思うての。彼の死の真相を。顔を出してくれんかの」

そこでようやく彼女は布団から顔を出して傍らのダンブルドアを見上げた。彼の青い瞳は穏やかだったが、その眼差しにはどこか決然としたものが見て取れた。

「セドリック・ディゴリーは、ヴォルデモート卿に殺されたのじゃ」

サッとの顔から血の気が引いた。まさか    まさか。彼女が引きつった笑みで一蹴しようとすると、ダンブルドアの目が少しだけ細められ、は無意識のうちに口を噤んでいた。

「魔法省はわしにこのことを口止めしようとしたが……セドリックが事故や失敗で死んだと取り繕うことは、彼の名誉を非常に汚す行為だと信じておる。ヴォルデモート卿の罠に巻き込まれ、セドリックは命を落としたのじゃ」

まさか。まさかまさか。
言葉がそれ以外に出てこない。有り得ない。そう口を開こうとしたとき、ワールドカップの晩の光景がサッと脳裏に蘇ってきた。『闇の印』と、それを映した彼の横顔。
涙がドッと溢れ出た。

「優勝杯が『移動キー』になっておった。先にセドリックが優勝杯までたどり着いたようじゃが、途中で彼はハリー・ポッターに助けられたのじゃ。君が取るべきだとセドリックは言った。じゃがハリーは、先に着いたのは君だと言う。互いに尊ぶべきフェア精神じゃ。じゃが結局、ふたり同時に優勝杯を取ることにした。じゃがその罠でふたりはヴォルデモート卿のもとに飛ばされ、セドリックは邪魔者として殺され、ハリー・ポッターはヴォルデモート卿復活の道具とされた。じゃがハリーは辛くもヴォルデモート卿の手を逃れ、自分の命を賭してセドリックの亡骸をホグワーツに連れ帰った」

声も出せなかった。なんて、彼らしいんだろう。どこまで誠実なんだ、彼は。セドもハリーも、どいつもこいつも。みんな、馬鹿だ。は両目に手のひらを当てて泣き続けた。

「セドリックはハッフルパフ生の鑑じゃ。そんな彼の死を無駄にせんためにも、君はしっかりと生きるのじゃ。さあ、オートミールをお食べ。少し冷えてしまったようじゃが。さあ」

ダンブルドアに上半身を起こされ、はまだ僅かに湯気の立つオートミールを少しだけスプーンですくった。ぽろぽろ零れ落ちる涙が時折スプーンに当たるとそこは塩辛かった。それでも自棄を起こしたように彼女は黙々と食べ続ける。ダンブルドアはその様子を静かに見つめていた。
空になった深皿をテーブルに戻しながら、ダンブルドアが懐から何やら小さなものを取り出す。はそれを見て、あっと息を呑んだ。

「それは……」

すると彼は穏やかに微笑んだ。

「やはり、これは君の贈り物じゃったか」

それは去年のハロウィーン、つまり彼の誕生日に彼にプレゼントした手作りの草のしおりだった。あの晩、彼は三大魔法学校対抗試合の代表選手に選ばれ、とても喜んでいた。

「……どうして先生が?」

ダンブルドアのブルーの瞳が殊更優しく揺れた。

「これはの、セドリックの遺体が持っておったものじゃ。君のプレゼントじゃろうと思うて、ご両親の許可を得て頂いてきた。きっとこれは君の手に返した方がいいじゃろうとわしは判断したのでな」
「………」

何と答えればいいのか分からず、口を閉ざす。彼はしおりを膝の上に置きながら続けた。

「これと同じものを学生時代にリーマスが作っておったのを見たことがあっての。ひょっとしてと思ったのじゃ。確か、この草を使ってしおりを作っているときにみっつのお願い事をすると、それが叶うというおまじないじゃの?」
「……はい」

瞼を伏せたまま、自嘲気味に頷く。涙はもう止まっていた。

「ひとつしか、叶いませんでしたけど」

するとダンブルドアはそのしおりをこちらにそっと差し出した。

「じゃから、君が持っておくべきじゃと思ったのじゃ」

は顔を上げて彼の瞳を見返した。震える声で、呟く。

「どうしてですか? わたし、もうそんなの」
「いや」

彼はかぶりを振っての手にそれを握らせた。

「おまじないというものはの、信ずれば叶うというものでもない」

そんなことは、分かっている。だって願いは叶わなかった。無事に彼が戻ってきますように    そして彼が、わたしを好きになってくれますように。

「それでもセドリックは、それを肌身離さず持っておったのじゃ。彼が君を信じ、大切に思っておったという証拠じゃろう」

は目を見開いたが、すぐにギュッと固く目を閉じて何度も首を横に振った。違う、違う。彼が一番大切なのはチャンじゃないか。そんなことは先生だって分かってるはずだ。

「そんなわけありません。セドは、彼はわたしなんかじゃなくて」

だが彼は落ち着いた面持ちで告げた。

、愛にも、いろいろな形がある。しかもそれは、決してひとつなどではないのじゃ。セドリックが君を大切に思っておったということは、、君自身が一番よく分かっておると思うが」

彼女はゆっくりと目を開けた。
……そうだ。ダンブルドアの言う通りだ。
人間はひとりしか愛せないわけじゃない。二股だとか、そういった意味ではなくて。
セドリックは確かにチャンを愛していただろう。そしてチャンへの想いとはまったく別の形で    そうだ、わたしを大切に思っていてくれた。彼はいつだって、見守っていてくれたじゃないか。そうでなければあの夜だって、わざわざ談話室に呼び出してまで彼女が彼を避けていた理由など問いはしなかったろう。どうして、そんなことに気付けなかったのだろう。
彼が女としてわたしを愛してくれていなくたって、良かった。それでも    愛してるって、一言言えば良かったんだ。

どうして、伝えられなかったのだろう。

は草のしおりと、胸元の小笛を強く握り締めた。これをくれたあのとき、彼はあんなに優しく抱き締めてくれたのに。
本当は、願いはふたつも叶っていたんだ。

布団に顔をうずめて再び泣き出した彼女に、ダンブルドアは静かに言った。

「じゃから、それを常に持ち、セドリックを忘れぬようにするのじゃ。正しきことと易きことのどちらかの選択を迫られたとき、思い出すのじゃ。それを持って、セドリックのことを思い出すのじゃ。、セドリックを本当に愛しておった君ならそれができるじゃろうと思うし、そうすべきだとわしは思う。じゃからそれを、今度はセドリックの代わりに君がしっかりと持っておくのじゃ」

彼女は顔を上げ、潤んだ黒い瞳でダンブルドアを見つめた。

「……はい。絶対に、忘れません」

彼は少しだけ安堵したように微笑むと、取り出した杖を軽く振った。するとテーブルの深皿がひとりでに浮かんでふわふわと奥の小部屋に消えていく。ダンブルドアは立ち上がってそのまま医務室を出て行った。
は再び布団に顔を埋め、声を押し殺して泣いた。セド、セド……セド。

「セド……愛してるよ」

手元のしおりに呼びかけるように。
ねえ、聞こえてる?
死ぬと、魂ってどこに行っちゃうんだろうね。
あなたの耳に聞こえていなくてもいい。ただ、感じて。

「愛してる……ゆっくり、休んで。お疲れさま、セド。大好きだよ……」

脳裏に浮かび上がってきたのは、出会った頃の彼の笑顔で。

(へぇ、って言うの? 、髪がすごくきれいだね」

    安らかに。
胸中で呟いた一言はもちろん誰の耳にも届くことはなく、医務室は変わらず静まり返っていた。
彼女が退院したのは学期最終日の昼だった。久しぶりのハッフルパフ寮に戻る気にはならず、ふらふらと城の外に出る。去年のこの時期は試験明けで、みんな開放的になって辺りを駆けずり回っていたというのに、今年はとても静かだ。不気味で、哀しいくらい。
は校庭の隅でごろんと横になった。流れていく雲の切れ間をぼんやりと目で追う。程なくして彼女の傍らにふたつの影が立った。



彼らはこちらを見下ろして彼女の名を呼ぶと、の両脇に同じように仰向きに横たわった。彼女も何も言わなかったし、彼らもまた静かに青空を眺めていた。
いつも騒ぎを起こしてばかりいるふたりなのに、今日ばかりは隣にいてくれることでとても落ち着くことができた。

「……ありがと。フレッドも、ジョージも」

夕暮れ時に身を起こしたがポツリと呟くと、ふたりはただニヤリと笑って起き上がった。

「一緒に行こうぜ、宴会」

ジョージの言葉に、小さく頷く。大広間にはいつもの飾りつけがなかった。去年は優勝したグリフィンドールカラーの垂れ幕がかかっていたのに、今夜は教職員テーブルの後ろの壁に黒い垂れ幕がかかっている。はすぐにそれがセドリックの喪に服している印だと気付いた。
ハッフルパフのテーブルに沿ってフランシスたちのもとへ歩いているとき、沈んだ声に呼び止められた。

、もう大丈夫か?」

そう言っている本人が一番顔色が悪そうだ。は小さく笑んで、「大丈夫。こないだはありがとう、アレフ」と言ってまた歩き出した。迎えてくれたフランシスたちも、他のハッフルパフ生たちと同じようにひどく落ち込んだ顔をしていた。
やがて、ダンブルドアが教職員テーブルから立ち上がった。大広間は、いずれにしても去年の宴会よりずっと静かだったのだが、途端に水を打ったように静まり返った。

「今年も、終わりがやって来た」

彼がみんなを見回し、そして一息を置いてから、そのブルーの目がハッフルパフのテーブルで止まった。このテーブルが最も打ち沈んでいたし、哀しげな青い顔が並んでいた。当然だ。この寮は先日、大切な友人を失った。共に生きてきた、家族のような存在を。

「今夜はみんなに、いろいろと話したいことがある」

ダンブルドアが視線を全体に戻して言った。

「しかし、まず始めに、ひとりの立派な生徒を失ったことを悼もう。本来ならここに座って」

今度は彼は身体ごとハッフルパフのテーブルに向けた。寮生たちの多くが嗚咽を漏らした。

「みんなと一緒にこの宴を楽しんでいるはずじゃった。さあ、みんな起立して、杯を上げよう。セドリック・ディゴリーのために」

大広間の全員がその言葉に従った。椅子を擦る音がして、誰もが立ち上がる。は目の前のゴブレットを震える手で掲げ、沈んだ声で口を開いた。

「セドリック・ディゴリー」

途端に、涙が頬を伝って溢れ出した。嗚咽を漏らさないで済んだのはきっと、マダム・ポンフリーの薬で落ち着いていられたからだろう。泣き出したのは彼女ばかりでなく、フランシスもケイトも、ハッフルパフの寮生たちはほぼ例外なく静かに涙を流した。ただアレフだけが懸命に瞬きを堪え、瞳に浮かぶ涙を零さないように努めていた。

「セドリックはハッフルパフ寮の特性の多くを兼ね備えた、模範的な生徒じゃった」

ダンブルドアが杯を手にしたまま続ける。

「忠実な良き友であり、勤勉であり、フェアプレーを尊んだ」

そのとき突然俯いたアレフが再びゴブレットを掲げ、「セドリック・ディゴリー!」と叫んだ。一瞬広間の生徒たちは唖然として彼を見つめたが、たちハッフルパフ生はもう一度杯を上げ、「セドリック・ディゴリー」と声を揃えて唱えるように言った。ダンブルドアはそれを見て小さく頷いた。

「セドリックをよく知る者にも、そうでない者にも、セドリックの死はみんなそれぞれに影響を与えた。それ故わしは、その死がどのようにしてもたらされたものかを、みんな正確に知る権利があると思う」

は顔を上げてダンブルドアを見た。

「セドリック・ディゴリーは、ヴォルデモート卿に殺された」

大広間に、恐怖に駆られたざわめきが走った。みんな一斉に、まさかという面持ちで恐ろしそうにダンブルドアを見つめている。数日前に予め聞いていたでさえ全身の震えを隠すことができなかった。みんながひとしきりざわめき、また静かになるまでの間、ダンブルドアは平静そのものだった。

「魔法省はわしがこのことをみんなに話すことを望んでおらぬ。みんなのご両親の中には、わしが話したということで驚愕なされる方もおられるじゃろう。その理由は、ヴォルデモート卿の復活を信じられぬから、またはみんなのように年端もゆかぬ者に話すべきではないと考えるからじゃ。しかし、わしは大抵の場合、真実は嘘に勝ると信じておる。さらに、セドリックが事故や自らの失敗で死んだと取り繕うことは、セドリックの名誉を汚すものだと信ずる」

驚き、恐れながら、今や大広間の顔という顔がダンブルドアを見ていた。

「セドリックの死に関して、もうひとりの名前を挙げねばなるまい」

そう言って、ダンブルドアはグリフィンドールのテーブルに視線をやった。

「もちろん、ハリー・ポッターのことじゃ」

大広間にさざなみのようなざわめきが広がる。フランシスやケイトたちがハリーの方を見て、また慌ててダンブルドアに視線を戻した。

「ハリー・ポッターは、辛くもヴォルデモート卿の手を逃れた。自分の命を賭して、ハリー・ポッターはセドリックの亡骸をホグワーツに連れ帰ったのじゃ。ヴォルデモート卿に対峙した魔法使いの中で、あらゆる意味でこれほどの勇気を示した者は、そう多くはいない。そういう勇気を、ハリー・ポッターは見せてくれた。それが故にわしはハリー・ポッターを讃えたい」

彼が厳かにハリーに向けてゴブレットを上げると、大広間のほとんど全員が再びダンブルドアに続き「ハリー・ポッター」と唱和し、杯を掲げた。
みんなが席に着くと、ダンブルドアは続けた。

「三大魔法学校対抗試合の目的は、魔法界の相互理解を深め、それを進めることじゃ。この度の出来事    ヴォルデモート卿の復活じゃが    それに照らせば、そのような絆は以前にも増して重要になる」

彼はマダム・マクシームからハグリッドへ(このとき初めて、はカルカロフがいないことに気付いた)、フラー・デラクールからボーバトンの生徒たちへ、そしてビクトール・クラムからダームストラングの生徒たちへと視線を移していった。

「大広間にいるすべての客人は」

ダンブルドアは視線をダームストラングの生徒たちに留めながら言った。

「好きなときにいつでもまたおいでくだされ。みんなにもう一度言おう。ヴォルデモート卿の復活に鑑みて、我々は結束すれば強く、バラバラでは弱い。ヴォルデモート卿は不和と敵対感情を蔓延させる能力に長けておる。それと戦うには、同じくらい強い友情と信頼の絆を示すしかない。目的を同じくし、心を開くならば、習慣や言葉の違いはまったく問題にはならぬ」

はレイブンクロー席のボーバトン生たちを見やった。デラクールも今や真剣な眼差しでダンブルドアを見つめていた。

「わしの考えでは    間違いであってくれればと、これほど強く願ったことはないのじゃが    我々は暗く困難なときを迎えようとしている。この大広間にいる者の中にも、すでに直接ヴォルデモート卿の手にかかって苦しんだ者もおる。みんなの中にも、家族を引き裂かれた者も多くいる。一週間前、ひとりの生徒が我々の只中から奪い去られた」

ハッフルパフのテーブルから小さな嗚咽が聞こえた。は懐のしおりをローブの上から握り締める。彼女の脳裏を過ぎったのはセドリックばかりではなく、リーマス・ルーピン、・ブラック    そしてシリウス・ブラックの姿までもがあった。

「セドリックを忘れるでないぞ。正しきこと、易きことのどちらかの選択を迫られたとき、思い出すのじゃ。ひとりの善良な、親切で勇敢な少年の身に何が起こったかを。たまたまヴォルデモート卿の通り道に迷い出たばかりに、彼の身に起こった出来事を。セドリック・ディゴリーを忘れるでないぞ」

ダンブルドアが椅子に腰かけた後、ハッフルパフのテーブルではもう一度全員で杯を掲げた。仕舞いには宴会の席で声をあげて泣き出したアレフを周りの寮生たちが宥めながら、何とか彼に食事を摂らせようと奮闘している。やフランシスたちは黙って口だけを動かしていた。彼女らの頬を何度も涙が滑り落ちていった。
ホグワーツを去る日は快晴だった。ダームストラングの船が出港する前、はスタニスラフに呼ばれて友人たちの輪から抜け出した。彼は住所を手渡し、「気が向けば手紙でも下さい」と照れくさそうに言った。は小さく笑んで「きっと」と答えた。アドレスはウクライナになっていた。
帰りのホグワーツ特急も心なしか静かだった。またひとつ、いつものメンバーで取ったコンパートメントに腰かけながら、アイビスが口を開く。

、夏休み、ダイアゴンまで来られる?」

の入った鳥かごを抱き抱えながら首を傾げてみせた。

「何で? 行けるよ? 多分わたし毎日くらい暇だし」

するとアイビスとニースは気まずそうに目を合わせながらぼそぼそと言った。

「いえ、ね……そういうことじゃなくて」

は親友たちが何を言いたいのか気付いていたが、知らない振りをした。明るく笑い、軽く手を振る。

「何? 何も気にすることなんかないよ。行く行く、大丈夫だって」
「………」

結局、キングズクロスに到着するまでコンパートメント中の空気が重苦しかった。の空元気に三人とも閉口してしまったのだ。キングズ・クロス駅でフランシスたちと別れたは、九番線と十番線の間に出てからカートを押して真っ直ぐに歩き始めた。首からは彼から貰った小さな笛が一日中ぶら下がっている。駅の構内を出たとき、彼女は後ろから声をかけられた。思い詰めたような顔のハーマイオニーとジニーだった。

「ハーマイオニー、ジニー」

ふたりはウィーズリー一家とハーマイオニーの両親たちの輪から抜け出してこちらに駆け寄ってきた。はそのときハリーの姿も見つけたが、敢えて目を逸らした。

、ずっと心配してたの。その……大丈夫?」

は懸命に笑い、何とか瞬きを我慢した。ダメだ、今泣いたら。みんながいる。ウィーズリーおばさんも、フレッドもジョージも、ロンもハリーも。みんな、見てるから。絶対に泣いちゃいけない。

「心配しないで。大丈夫だから」

そして彼女は振り切るようにカートを押して駆け出した。ガタガタとトランクの上で揺れるがキーキー鳴き喚くが、無視する。やっとホグワーツ生たちの中から抜け出したは路地裏に入り込んでぺたりとその場に崩れ落ちた。

「大丈夫じゃない、なんて……言えるわけ、ないじゃん」

悲しいのはみんな同じことでしょう?
わたしだけ泣いて許されるわけがない。

ようやく顔を上げたときに垣間見えた空は、あまりに透き通っていて。それがとてつもなく憎らしく思えた。そうなんだ。彼がいなくなっても    世界はこうして、いつものように回り続ける。
(06.01.08)