翌朝の大広間ではハッフルパフとグリフィンドールのテーブルが大賑わいだったが、またスリザリンのマルフォイが『日刊予言者新聞』片手にハリーを囃し立てていた。ハリーは相手にしていなかったが、毎日新聞を取っているベラのものを借りては中にさっと目を通した。『ハリー・ポッターの危険な奇行』。記事にはハリーの傷跡が今でもしばしば痛むことがあるというが、それは人の気を引きたいという願望の表れかもしれないということ、そして彼がパーセルマウスであるということが書かれていた。どうせリータ・スキーターの記事だ、どこまでが本当なのやら知れたものではないが。大体、だからどうしたというんだ。記事の中にはどう見てもリーマスのことと思われる『人狼』のことまで取り上げられていた。何が、『狼人間や巨人など、邪悪な生き物と親交を深めるようなやつは、暴力を好む傾向があるように思えますね』だ! お前の方がよっぽど邪悪だ、このクソ野郎!
握り潰した新聞を返すとベラが非難の声をあげたが、は完全に無視した。

朝食の時間もあと十分ほどになると、スプラウト先生が教職員テーブルから真っすぐセドリックのところに歩いていった。

「ディゴリー、代表選手は朝食後に大広間の脇の小部屋に集合ですよ」
「分かりました」

セドリックははきはきと答え、すぐに席を立った。もう食べ終えていたらしい。アレフたちに見送られ、彼はテーブル沿いに広間の前へ進み、教職員テーブルの裏の扉の奥に消えた。は慌ててトーストを飲み込むと、フランシスと共に『闇の魔術に対する防衛術』の教室へと急いだ。

TIME, FROZEN

午前の試験を終えてたちが大広間に昼食を摂りに行くと、ハッフルパフのテーブルにセドリックとディゴリー氏、そして夫人と思しき女性が座っていた。ディゴリー氏はこちらに気付くと満面の笑みで立ち上がった。

「おお、ミス・ルーピン!」
「こんにちは、ディゴリーさん! どうしたんですか、こんなところで?」

目を丸くして訊ねると、ディゴリー氏は強引に彼女の手を取り、握手しながら言った。

「セドの最後の競技を見にきたんだよ! えぇ、どうだ? お前さんも優勝はセドだと思うだろう?」
「……父さん」

両親の向かいに腰かけたセドリックが困った顔をしてたしなめると、ディゴリー氏は「いいだろうが」と豪快に笑いながらまた座った。続いて夫人が立ち上がって丁寧にと握手する。がそのまま夫人の隣に、フランシスがセドリックの隣に腰を下ろしたあと、彼は両親にフランシスのことも軽く紹介した。それからしばらくしてアレフたちも広間にやって来ると、ハッフルパフのテーブルは朝よりも賑やかになった。

夕方の晩餐会はすべての試験を終えた解放感と、対抗試合の最終課題への興奮に満ちていた。食事はいつもの宴会より品数が多かったが、セドリックは気持ちが昂ぶっているようであまり食べていない。なぜかディゴリー氏に気に入られてしまったは彼の隣に座らされ、ダンブルドアが立ち上がるまでずっと息子の自慢話やハッフルパフのことばかりを聞かされていた。その度にセドリックは「父さんいい加減にしてよ」と顔をしかめていたが。

「紳士、淑女の皆さん。あと五分経つと皆さんにクィディッチ競技場に行くようにわしからお願いすることになる。三大魔法学校対抗試合、最後の課題が行われる。代表選手はバグマン氏に従って今すぐに競技場に行くのじゃ」

ダンブルドアの言葉にセドリックが立ち上がると、ハッフルパフのテーブルから一斉に拍手が湧き上がった。ディゴリー氏とアレフの激励にセドリックが照れくさそうに笑む。彼は扉に向かって歩き出したとき、くるりと振り返って確かにに向かって手を振った。はその直後、彼がレイブンクローのテーブルにも目をやったことに気付いたが、それでも歯を食いしばって拍手と声援を送り続けた。
たちは代表選手たちが大広間を出ていってすぐにゾロゾロとクィディッチ競技場へと向かったが、スタンドに上がって見下ろすと、そこは今やとても競技場には見えなかった。五、六メートルほどの高さの生垣が周りをぐるりと囲み、迷路の入り口だろう、正面に隙間が空いている。中の様子はスタンドからは窺えなかった。

「興奮するわね!」

右手でパタパタと顔を扇ぎながらフランシスが言った。たちはまたスタンドの最前列を占領し、出発前の選手たちを眺めている。バグマンは杖を喉元に当てて「ソノーラス!」と唱えた。

「紳士、淑女の皆さん! 第三の課題、三大魔法学校対抗試合最後の課題がまもなく始まります! 現在の得点状況をお知らせしましょう。同点一位、得点八十五点、セドリック・ディゴリー君とハリー・ポッター君! 両名ともホグワーツ校!」

大歓声と拍手に驚いて禁じられた森の鳥たちが、暮れかかった空にバタバタと飛び上がった。

「三位、八十点、ビクトール・クラム君、ダームストラング専門学校! そして四位、フラー・デラクール嬢、ボーバトン・アカデミー!」

スタンドからまた拍手があがる。バグマンが「では、ホイッスルが鳴ったら、ハリーとセドリック!」と叫ぶと、は首から下げた小さな笛をギュッと強く握り締めた。誰もが息を呑んでホグワーツの代表選手を見つめていた。

「いち        さん    

ピッと甲高い笛が鳴り響いた。セドリックとハリーが素早く迷路に駆け込む。ワッとスタンドが沸いた。しばらくしてバグマンが二度目のホイッスルを鳴らすとクラム、そして最後にデラクールが迷路の中へと消えた。
観客はがやがやとそれぞれに話し始めた。中の様子は窺えないので、どう声援を送っていいのかも分からない。は胸元の笛をただ握り締めて、懸命に彼の無事な帰還を祈っていた。
嫌な感覚が全身を奮わせる。頭の隅からあの髑髏がどうしても消えてくれないのだ。ダメだ。いけない、忘れろ、忘れろ。彼は、無事に帰ってくるって言ったじゃないか。
セドは絶対に、優勝杯を持って戻ってくる。わたしたちの、ハッフルパフに。

開始から数十分後、デラクールの悲鳴が辺りに響き渡った。スタンド中が大きくざわめくが、救護要請の赤い火花は上がらない。さらに三十分ほどが経って、今度はセドリックのものと思われる絶叫が聞こえてきた。

「セド!?」

ハッフルパフ生たちが総立ちになって迷路の奥の方を見据えようとするが、生垣が高すぎて何も見ることができない。はフランシスやケイトたちと抱き合い、震えながらジッと迷路を見つめていた。やがて、赤い火花が空に舞い上がった。

「……セドが、棄権した……?」

ポツリと呟いたの一言に、「馬鹿な!」とケイトが怒鳴った。
ケイトの直感は正しかった。マクゴナガル先生が連れて戻ってきたのはビクトール・クラムだ。彼は青ざめて気を失っているようだった。じゃあ、さっきのセドの悲鳴は? 彼の身に何が起こったのだろう。まさか、救護も呼べないほどひどい状態なのだろうか。
お願い、お願いします、神様。セドを、どうか無事に。

「約束するよ。僕は優勝杯を持って、必ずここに戻ってくる」

彼は確かにそう約束してくれた。
ねえ、あなたは決して嘘なんてつかない。そうだよね?
虚空から突然迷路の入り口に放り出された塊を見て、スタンドの観客たちは飛び上がって大歓声をあげた。
「ハリー! ハリー!!」

優勝杯とセドリックを抱き締めて地面に突っ伏したままのハリーに、ダンブルドアが歩み寄って彼を乱暴に掴んで仰向けにした。彼らの周りを先生たちや審査員が取り囲む。ただならぬ雰囲気にスタンドの生徒たちも拍手を止めた。

「どうしたのかしら……」

怪訝そうに顔をしかめてケイトが呟いた。セドリックとハリーは一緒に戻ってきた。つまり、ホグワーツのふたりが同時優勝ということだ。それなのにどうして先生たちは笑顔のひとつも見せずに押し黙っているのか。
そのとき、ファッジの不自然に甲高い声が辺りに響き渡った。

「なんたることだ、ディゴリー!!」

彼の顔がサッと青ざめるのをは確かに見た。

「ダンブルドア……なんたることだ、死んでいるぞ!!」

スタンドからは突然悲鳴があがった。迷路の入り口から言葉が夜の闇に伝播していく    「死んでいる!」「死んでいる!」「セドリック・ディゴリーが!死んでいる!」。
彼女の隣でケイトがようやく金切り声をあげた。はただ呆然と、ダンブルドアたちの周りにスタンドから飛び降りた生徒たちが群れていくのを眺めていた。

「どうしたんだ?」
「どこか悪いのか」
「ディゴリーが死んでる!!」

競技場の生徒たちが半狂乱に泣き叫ぶ。の周りのハッフルパフ生たちもその場に立ったまま、涙したり喚いたり、色のない顔で競技場を見下ろしたりしていた。

「……まさか!!」

やっと口から絞り出されたフランシスの声はひどく震えていた。身動きひとつとれなかったはそのとき初めて自分の中に流れる時間を取り戻し、次の瞬間にはスタンドの柵に足を引っかけてグラウンドに飛び降りていた。

!!」

フランシスの声が追ってくるが、そんなものは聞こえてこなかった。彼女の瞳にはただ彼の笑顔しか映っていない。「約束するよ」と告げた、彼のあの笑顔だけが。

「セド!!!」

すでに彼の周囲にはかなりの人垣ができていた。だが彼女は小柄な身体をその間に押し込むようにして、何とかその群れの中心へと自分を押し進めていく。の目に飛び込んできたのは、ムーディに引きずられるようにしてその場から立ち去るハリーと、優勝杯の傍らに横たわったセドリック・ディゴリーの姿だった。彼のグレイの瞳は虚ろに見開かれた廃屋の窓ガラスのように無表情で、口元は少し驚いたように半開きになっている。信じられなかった。ねえ、どうして。彼女の身体はすべての感覚から切り離された。何も聞こえてこない。彼の亡骸以外、何も目に入らない。やがて彼の身体に何かが覆い被さった。ディゴリー氏と、夫人だ。彼らは息子を強く抱き締め、惨めな声をあげて泣いた。彼らの涙すら、やがては視界の中から消えた。

「……ねえ、セド……嘘でしょう?」

そう呟いたつもりだったが、彼女の唇は少しも動かなかった。ほんの数時間前まで、わたしの前でご飯を食べていたよね? お父さんが自慢げに自分のこと話す度に、あの困ったような笑顔で「いい加減にしてよ」って。
ねえ。生きてるって、そういうことなんだよね。

腰が抜けて座り込んでしまったその場から、腕を伸ばして彼の手に触れる。ビクッとしては顔を強張らせた。どうして。どうしてこんなにも冷たいの。昨日抱き締めてくれたあなたの手は、あんなにも温かかったのに。

「……死んでる、の?」

答えてくれる者は誰ひとりとしていなかった。誰もが涙を流しながら。ジッと彼の亡骸を見下ろしていた。

「生徒諸君、落ち着きなさい! 全員急いでそれぞれの寮に戻りなさい!!」

ファッジがソノーラス呪文で声を大にして叫んだ。一斉に生徒たちから非難の声があがる。

「だって、セドリックが!!」
「静かにしなさい! 君たちが騒いだところでどうなるものでもない、早く寮に戻りなさい!」
「セドは何で……どうして!!」
「我々にもよく分からない! 彼に関してはこれから我々で調査する、諸君はおとなしく戻りなさい!!」

魔法省大臣の言葉にまだ納得のいかない様子だった生徒たちも、先生たちに促されてようやく城に向かって歩き始めた。セドリックを取り囲んだ生徒たちも少しずつその場から離れていく。はとうとう最後までそこを動かなかった。

「ルーピン」

スプラウト先生が厳しい顔をしてのすぐ後ろに立った。その隣にはフランシスもいる。彼女の頬には涙の乾いた跡が残っていた。

「……、戻ろう」

はずっと触れていたセドリックの手をさらに強く握ってかぶりを振った。

「いやだ」
「ルーピン」

スプラウト先生が彼女の両肩を掴んで無理やり立たせた。はよろめきながらフランシスの胸に倒れ込む。彼女はそこで初めて瞳から涙を零した。
の背後でスプラウト先生がディゴリー夫妻に声をかけた。フランシスがの頭を撫でながらそっと口を開く。

「……、戻ろう」

は頷きながらも、震える声をやっとのことで吐き出した。

「どうして……どうしてセドは死ななきゃならなかったんですか? そんなに危険な課題だったんですか? そんな危ないこと、何で先生たちは許したんですか?」

ディゴリー氏の泣きじゃくる声と一緒にスプラウト先生が鼻声で言った。

「今はまだ何も分からないわ、ルーピン。早く寮に戻ってお休みなさい」

競技場を出るとき、一際甲高い声で夫人が泣き叫ぶのが聞こえてきた。は静かに涙を流すフランシスに支えられ、城への道のりをゆっくりと歩いた。それは永劫に続く、長い長いトンネルのようで。樫の木の扉にたどり着いたときにはまるで何日も歩き続けたかのような疲労感に襲われ、・ルーピンはその場に崩れ落ち、声を潜めて、泣いた。
(06.01.07)