無事に第一の課題を終えたセドリックは心底ホッとしている様子だった。その晩の寮の宴会中に、第二の課題のヒントとなる金の卵を開くと、大きなキーキー声の咽び泣きのような音が部屋中に響き渡り、みんなが「次はバンシー妖怪だ!」やら「次は『磔の呪文』をかけられるんだ!」などと様々な想像を巡らせている間も、ずっと彼は楽しそうに笑っていた。
次にが対抗試合に関するニュースを耳にしたのは、木曜の夕食前だった。

! 、聞いた!?」

図書館で『薬草学』のレポートに手をつけていた彼女は、顔を上げてこちらに駆け寄ってくる親友を見やった。

「どうしたの、フランシー?」

息を切らせたフランシスはのところまですっ飛んでくると、隣の席に腰かけながら鋭く囁いた。

「今年のクリスマス、ダンスパーティがあるらしいわよ!」

あまりに唐突なその発言には大仰に眉をひそめた。

「何それ、どういうこと?」
「今年ってばドレスローブ用意させられてたでしょ? あれはこのためだったのよ!」
「……分かるように説明しなさいよ」

マダム・ピンスの痛い視線を感じ、声のトーンを一層落として口を開く。イライラと顔を歪めたフランシスはいきなりの羊皮紙と羽根ペンを引っ手繰って、そこに乱暴に文字を書き殴った。

『三大魔法学校対抗試合の伝統で、クリスマスの夜はダンスパーティが開かれるらしい! 参加資格は四年生以上だけど、わたしたちも四年生以上相手なら参加できる!』

そこがすでに書き始めていたレポートの端だったことも忘れ、は呆然とフランシスを見やった。フランシスがニヤリと笑い、またペンを走らせる。

『セドリック誘えば? わたしはクラムにアタックするから』

ドキッと心臓が高鳴った。顔から火が出る。は親友の手から羽根ペンを取り上げて彼女の文章の下に綴った。

『何バカなこと言ってんの! 誘うわけないじゃん! あんたもクラムなんて諦めなよ』

フランシスはベーっと思い切り舌を出した。ああ、どうしよう……今ものすごく、ドキドキしてる。だけど。

(……そんなこと、できるわけないじゃん)

でも、でもでも。
もちろん、彼が他の誰かと踊る姿なんて見たくない。

『わたし、クリスマス休暇は家に帰る』

がそう書くと、フランシスは凄まじい形相で睨み付けてきた。右手の羽根ペンを強引にもぎ取られる。

『そんなことわたしが許さないわ!! 絶対にダンパ行くのよ! わたしも行くから! 絶対に一緒に行くわよ!!』

そしてもう一度舌を出してフランシスはさっさと図書館を出て行った。彼女はクラムのいない図書館などに用はないのだ。そこではようやく筆談した羊皮紙がレポートの一部だったことに気付いて思い切り顔をしかめた。書き直さなきゃ。
フランシスの字が躍る部分をまっさらな羊皮紙から切り離しながら、彼女は人知れず首を振った。彼はレイブンクローのあの五年生を誘うのだろうか。今すぐにでもリーマスのところに帰りたい、とはホグワーツで初めてホームシックを味わった。

hardship of YULE BALL

今年度のクリスマス休暇をホグワーツで過ごす希望者リストをが見ることはなかった。いつの間にやら寮生の間で回され、知らない間に回収されたらしい。「あんたの名前はばっちり書いておいたから」とフランシスは誇らしげに言ってのけた。だがクリスマスが近付くにつれて陽気になっていくフランシスに反し、は日々青ざめていった。

「……わたし、何でここに残ってるのか分からない」

無人の寝室にひとりで戻ってきたは自分のベッドに倒れ込みながら呆然と呟いた。彼が誰かと踊る姿なんて見たくないし、かといって彼を誘うような勇気はない。拷問だ。どうしてこんな城から家に帰してくれなかったんだ。は心底フランシスを恨んだ。親友はまだビクトール・クラムに声をかけていないようだった。
驚いたことに、は廊下を歩いているとき、何人かの男子生徒からパーティの誘いを受けた。フランシスも然りだ。だがはとても乗り気になれなかったし、フランシスも「わたしはクラムじゃないと嫌」と(誘ってきた男子生徒本人には無論言っていない)つっけんどんに断った。

「誘われるなんてびっくりした」

ネグリジェに着替えながらが漏らすと、すでに布団に入っていたフランシスが不思議そうに顔を出した。

「そう? あんたなら絶対ぽろぽろ誘われるって思ってたわ」
「何で? だって知らない人からも誘われたよ?」

するとフランシスはさも当然のようにあっさりと言ってのけた。

「だってあんた、顔だけはいいのよ? 分かってないようだから言うけど」
「あんたに、しかもそんな風に言われるとすごく腹が立つわ」
「そう? ま、わたしも負けず劣らず美しいけれど?」

平然とそう言い放ち、フランシスはまた布団を被って眠ってしまった。夏休みに会ったビルの言葉が思い出される。

(でも、ほんとにきれいだよ。よっぽどお父さんもお母さんも美形だったんだね)

彼は何気なく口にしただけだったのだろう。けれど彼女にはその一言がとても重くて。『お父さん』    それはリーマスのことではないから。
忘れそうになっていた。そうだ、この顔はシリウス・ブラックにそっくりなんだ。幸い、誰もそのことには気付いていないようだが。鏡の向こうで歯を磨きながらこちらを凝視している少女の顔を覗き込んで、は大きく息をついた。

(でも……この目だけは、お母さんにそっくりなんだよね)

は鏡にぐっと顔を近づけて自分の黒い瞳を見つめた。

(お母さん、どんな顔してたんだろ)

写真はないとリーマスに言われた。けれど、本当は残っているのではないか。シリウス・ブラックの隣で笑っている、母の姿を映した写真が。
今度、家に戻ったらリーマスに訊いてみよう。そう考えながら、彼女はそっと布団に潜り込んだ。
ホグワーツ中がダンスパーティの話題で持ち切りだった。女子生徒たちは今まで以上に固まって動くようになり、男子生徒を見てはキャアキャアと騒いだりヒソヒソ囁き合ったり。一方の男子生徒たちはそのような女子生徒たちを見てヤキモキしている。そんな中でよく単独行動をとるは何とかパートナーを探そうと躍起になっている男子生徒の標的にされることが多かった。いつもは彼女も友人たちと一緒にいるのだが、最近はみんな揃いも揃ってダンスパーティのことばかり口にするので、あまりそばにいたくなかったのだ。

「モテモテね、!」

寝室に残っていたは勢いよく部屋に入ってきたフランシスを見て顔をしかめた。

「みんなが固まって行動するからよ。男の子はみんな誘いにくくて困ってるだけで、別にわたしじゃなくたって」

フランシスは何も答えず、そのままズカズカと自分のベッドに歩み寄りドンと座り込む。親友がひどく憤慨しているらしいことに気付いては怪訝そうに声をあげた。

「……どうかしたの?」

するとフランシスは突然ワッと泣き出した。

「え、ちょっと……フランシー? どうしたの、落ち着きなさいよ」
「ひ、ひどいのよ! ひどいのよクラムってば……さっき図書館から呼び出して誘ったの、そしたらね……もうパートナーいるんだって言われちゃったの……ひどい、ひどいわ!」

彼女の隣に移動して親友の背中を撫でていたは、小さく息をついて言った。

「残念だったわね、もう少し早く行動を起こすべきだった、うん、そうよ、仕方ないわ」

フランシスがしゃくり上げながら口を開く。

「……そのショックで、つい……ベータの誘い、受けちゃったの」
「はっ?」

意味が分からず、間の抜けた声をあげる。フランシスはただ狂ったように泣き続けていた。

「フランシー、何、どういうこと? だってベータとは別れたんじゃ」
「そう、それなのよ!!」

パッと顔を上げ、泣き腫らした目でフランシスが怒鳴る。

「あの男、やっぱりやり直そうとか言ってきたのよ! 振り回すなこのボケって感じでしょ!? 何度も何度も何度も『お前とダンパ行くくらいならトロールとデートするわ』って言ってやったのよ!! でもしつこいの! いい加減にしろって思ってたのに……クラムに断られた直後、直後よ! あの男、卑怯だわ……打ちひしがれるわたしのもとにあいつが現れてまた誘ったの……あああ、わたし、うんって言っちゃった……!!」

彼女は叫び終えるとまた泣きながらワーワーと喚いた。はフランシスの身体をそっと抱き締め、ポンポンとその背中を軽く叩く。

「フランシーはベータのことどう思ってるの?」
「嫌いよ、大っ嫌い!! ……好き過ぎて嫌い……ムカつく!!!」
「………」

は苦笑混じりにうんうんと頷いた。

「そっかそっか、じゃあダンスパーティ、おとなしく彼と行ってきなさい。ね?」

泣き疲れたフランシスはやがての腕の中ですーすーと寝息を立て始めた。親友のこんなに健やかな顔を見るのは初めてかもしれない。はフランシスをベッドに横にさせてからニッコリと微笑んだ。
フランシー、あなたは今、とっても幸せなんだね。
うらやましいよ。
彼女はこんなにも一生懸命で。

(……わたしも、頑張らなきゃな)

ぼんやりとセドリックの顔を思い浮かべながら、はゆっくりとベッドの縁から立ち上がった。談話室に下りると、そこには城に残った多くの寮生たちがたむろしている。彼女は隅の方でまたダンスパーティのことを話していた同期の友人たちの輪に紛れながら口を開いた。

「セドどこ行ったか知ってる?」

振り向いたケイトがパッと顔を輝かせた。

「あら! あなたはセドがお目当て?」

はパッと頬を赤らめ、慌てて辺りを見回したが、みんなそれぞれの会話に熱中していてこちらに気付いた様子はない。ホッと胸を撫で下ろしながら彼女は唇の前に人差し指を立てた。

「静かに喋ってよ静かに!」
「ごめんごめん」

ケイトはまったく悪びれた様子もなくクスリと笑った。

「セドならさっき図書館行くってひとりで出て行ったわよ。追いかければまだ間に合うかも」
「ありがと」

はケイトに礼を告げると急いで談話室を飛び出した。彼はひとりだという。ファンにでも囲まれていなければ、今がチャンスだ。彼女は図書館への道を急いだ。
だが数分ほど歩いた廊下の角を曲がると、聞き慣れた声を聴覚が拾い上げた。あまり遠くない。彼女の足は自然とそちらに向かっていた。たどり着いたのは生徒たちも滅多に通らない城の奥まったところにある階段。そこにふたつの人影を見つけ、は思わず壁に身を隠した。背筋を悪寒が駆け巡る。まさか    まさか。

「話って何、セドリック?」

彼女の声が聞こえてくる。躊躇いがちに彼が答えた。

「いや、あの……ダンスパーティなんだけど。誰か一緒に行く人は決まった?」

は思わずその場にへなへなと崩れ落ちた。足に力が入らない。動けない。

「ううん、まだだけど」

やめて。

「じゃあ……もし良かったら、僕と」

彼が一瞬、口ごもる。

「僕と、ダンスパーティに行ってもらえないかな?」

は頭を抱えた。膝に顔をうずめる。いや、もう聞きたくない。けれど。逃げ出すこともできない。

「ええ、わたしでいいなら喜んで」

朗らかな彼女の答えが耳に入る。彼の嬉しそうな吐息が聞き取れるほど、辺りは静まり返っていた。
やがて、ふたり分の足音が下りてきた。段々とこちらに近付いてくる。だめだ、早くここを離れないと、ふたりが来てしまう。立って、立ち上がって逃げるのよ、
でも、どうしても。立ち上がることはできなかった。彼らが   彼と彼女が、姿を現した。

?」

壁に寄りかかってうずくまる彼女を見て、セドリックが駆け寄ってきた。とても心配してくれているのは分かる。分かるけれど、それを素直に喜ぶことなんて今のわたしにはできない。

、どうしたんだ! 気分が悪いのか?」

本当は、「セドのバカ!」くらいの捨て台詞を残して逃げ出したかった。だが腰が抜けたこの状態では動くこともできない。は震える両腕を抱え、俯き加減に少しだけ頷いた。チャンの顔を、今だけはどうしても視界に入れたくない。
彼はこちらに背を向けて床に跪いた。

、乗って。医務室まで連れて行くから」

彼女は首を横に振り「少し座ってれば、治るから」と告げたが、彼は断固として譲らなかった。渋々と、彼に背負われてその場を離れる。セドリックはチャンに顔を向けると「それじゃあまた」と彼女に笑いかけた。チャンは穏やかな表情で頷き、こちらに目をやって「お大事にね、」と告げた。

(セドの背中って……こんなに大きいんだ)

彼の肩に手を載せ、胸中で呟く。不思議だ。彼の髪のにおいがとても心地いい。途中廊下ですれ違った何人かに囃し立てられたが、セドリックは真面目な顔で「医務室に連れて行くだけだ」と答えていた。ほんの少し、寂しかった。

医務室のベッドに横になったは、マダム・ポンフリーに「疲れがたまっているのでしょう、少しお休みなさい」と言われ、ひとりになってからというものずっと声を押し殺して泣いていた。分かっていたんだ。彼がチャンに想いを寄せているということには去年から気付いていた。こんなことは、容易に想像できたんだ。それなのに。
どうして、こんなにも涙が出てくるんだろう。
馬鹿みたい。少しは    ほんの少しくらいは、望みがあるかもしれないなんて。

「……馬鹿みたい」

ハロウィーンの夜。わたしが彼に誕生祝いを告げた初めての人間だと知ったときは、涙が出るくらい嬉しかった。そして「ほんとに嬉しいよ、ありがとう」と言ってくれた彼の優しい笑顔がとても愛しくて。望みがあると、思ってしまった。
    馬鹿みたい。

就寝前に戻った談話室はまだ寮生たちで沸いていた。その中にはセドリックの姿もあったが、彼は友人たちと大騒ぎしていてこちらに気付いた気配もない。は目線を下げてそっと女子寮への階段を駆け上がった。

そして彼女は、翌日フランシスと廊下を歩いているときに声をかけてきたダームストラングの男子生徒と共にダンスパーティに行くことをあっさりと決めた。
(06.01.03)