スネイプの授業は相変わらずだったが、それでも学生時代の憎き敵ふたりの娘に多大なる精神的ダメージを与えたことに少なからず満足したのか、・ルーピン個人攻撃の手は去年よりは若干緩められた。それでも教室全体に彼の険悪ムードが漂っているのは確かだったが。みんながまだかまだかと待ち侘びていたのは『闇の魔術に対する防衛術』で、火曜の午後だ。

「ムーディって、アズカバンの独房の半分を埋めたらしいぞ」
「あのすごい傷ってやっぱり闇の魔法使いに?」

ムーディの初めての講義が近付くにつれ、生徒たちは彼の過去の業績や人生、彼がどんな授業を展開するだろうかと囁き合ったが、スリザリンのマルフォイをケナガイタチに変えてしまったと聞いたときには、嬉しいやら何やら複雑な気分だった。    完全に、狂っている。
そんなのもとに、フレッドとジョージが親友のリー・ジョーダンを引き連れて現れたのは、火曜の昼食の席のことだった。

「よ、! これからムーディの授業なんだって?」

途端にフランシスは険しい顔をして、俯き加減にポテトを突き始めた。

「うん、そうだよ。もう受けたの? どうだった?」

すると三人は三人とも意味ありげな目付きで顔を見合わせた。

「あんな授業は受けたことがないね」
「参った。分かってるぜ、あいつは」
「何が? 何が分かってるって?」

眉をひそめて訊ねると、もったいぶったようにジョージが言った。

「現実に、やるってのが何なのか、分かってるってことさ」
「だから、何を?」

少し苛々して、繰り返す。焦らされるのはあまり好きではない。自慢げにフレッドがニヤリと笑った。

「『闇の魔術』と戦うってことさ」
「あいつはすべてを見てきたな」
「すっげえぞ!」

拳を握ってリーが叫ぶ。はこっそりと顔を上げたフランシスの目が興味深そうにキラリと輝くのを見た。

DURMSTRANG & BEAUXBATONS

ウィーズリーの双子の言うことは大抵いつも当たっている。彼らは人を騙したり大げさに言ってのけることは好きだが、決して嘘はつかない。
コツッ、コツッと静かな音を立てて教室にやって来たムーディは、教科書なんてものは必要ないと告げ、さっさと出欠をとった。の名を呼んだとき、彼の目が    普通の目も、『魔法の目』も    他の生徒のときよりも長く彼女を凝視した。

「……ほう、ほう。お前が、ルーピン先生の?」

はぎこちない動きで小さく頷いた。ムーディの『魔法の目』がぐるりと回転して、もう一度彼女を向いた。

「ほう、ルーピン先生の……なぁ。ほう」

あまりに彼が長いこと見てくるので、は唇を引き結んで下を向いた。ムーディはそれからすぐに次の生徒の名を呼んだ。
彼の『魔法の目』が三百六十度を見渡せるということはすでにフレッドから聞いていたが、はその目がこの世のものすべてを見透かせるのではないかとさえ思った。彼はきっと気付いたのだ。彼女がリーマス・ルーピンの娘ではないということに。ひょっとするとブラックのことまで分かっているのかもしれない。

「よし、それでは」

出席簿の最後の生徒が返事をし終えると、ムーディが言った。

「このクラスの去年の授業内容については、ルーピン先生から手紙をもらっている。お前たちは闇の怪物と対決するための基本は満遍なく学んだようだ。だが」

ムーディの『魔法の目』がまたぐるりと回った。

「だが、お前たちは遅れている。非常に、遅れている。呪いの扱い方についてだ。そこで、わしの役目は魔法使い同士が互いにどこまで呪い合えるものなのか、お前たちを最低線まで引き上げることにある。では、すぐに取りかかる」

それから彼は魔法省の規定に反し、蜘蛛を使って禁じられた呪文を実践してみせた。見たこともないものからどうやって身を守れるのかという。は彼の前置きだけでムーディの両目から視線を外せなくなってしまった。リーマスもとても素晴らしい先生だったと思う。けれど。ムーディはリーマスとまったく異なる意味で    とてつもなく、すごい。
『インペリオ』、『服従の呪文』で蜘蛛がタップダンスを始めたときには全員が笑ったが、ムーディはニコリともしなかった。

「これを見て面白いと思えるか?」

ムーディが低く唸った。

「わしがお前たちに同じ事をしたら、喜ぶか?」

ゾッと背筋が凍る。隣でフランシスが息を呑むのが聞こえてきた。

「完全な支配だ」

ムーディは蜘蛛を机の上でころころ転がしながら続けた。

「何年も前になるが、多くの魔法使いたちがこの『服従の呪文』に支配された。誰が無理に動かされているのか、誰が自らの意思で動いているのか、それを見分けるのは魔法省にとって一仕事だった」

『例のあの人』の全盛時代だとには分かった。そう    わたしの家族がバラバラにされるきっかけとなった、闇の魔法使い。
そうだ。諸悪の根源は、『例のあの人』じゃないか。リーマスは    シリウス・ブラックは、ただの……。

「『服従の呪文』と戦うことはできる。これからそのやり方を教えていこう。しかし、これには個人の持つ真の力が必要で、誰にでもできるわけではない。できれば呪文をかけられぬようにする方がいい。油断大敵!!」

突然ムーディが怒鳴ったのでみんな飛び上がった。ムーディは平気な顔をして蜘蛛を摘み上げ、ガラス瓶に戻した。
そのあと肥大化された蜘蛛に『クルーシオ』、『磔の呪文』がかけられ、蜘蛛は引っくり返ってわなわなと痙攣し始めた。蜘蛛に声があれば、きっと悲鳴をあげているに違いない。生徒の何人かは手で顔を覆い震えていたので、ムーディは蜘蛛を元の大きさに戻して瓶に戻した。
最後の呪文は思い出したくもない。『アバダ ケダブラ』    死の呪い。ムーディが最後の蜘蛛を取り出し、「アバダ ケダブラ!」杖を向けて叫んだだけで、突然目も眩むような緑の閃光が走り、グォーっという音がした。その瞬間、蜘蛛は仰向けに引っくり返って動かなくなった。ほんの一瞬のうちに、傷付くこともなく。身動きもとれなかった。何で。どうして。

(……何で、セドリックが)

あの、髑髏を映した彼の横顔が。

「よくない。気持ちのよいものではない。しかも、反対呪文は存在しない。防ぎようがない。これを受けて生き残った者はこの世にひとりしかいない」

ハリー・ポッターのことだとすぐに分かった。彼は、彼の両親は    父の親友は、あの緑の光に包まれて事切れたのか。本当は父と、シリウス・ブラックと。一緒にハロウィーンを楽しむはずだった夜に。なぜか彼女の瞼の裏には、険しい顔をしてオートバイに飛び乗るシリウス・ブラックの姿が浮かび上がってきた。
授業を終えて教室を出ると、ワッとみんなのおしゃべりが爆発した。ほとんどの生徒が恐ろしそうに呪文の話をしていた。まるで素晴らしいショーでも見たかのように。
そこでは、最も興奮してペラペラと喋り出しそうなフランシスが一言も何も発さないことに気付いた。首を巡らせて見やると、彼女は呆然と前を見つめ、魂でも抜けたかのように力なくとぼとぼと歩いていた。

「フランシー?」

フランシスは無反応だった。ぼんやりとした目には光がない。彼女の肩に手をかけると、フランシスはやっと顔を上げてこちらを見た。

「……ああ、。何?」
「なにって」

は眉をひそめ、囁いた。

「大丈夫? さっきからずっとぼーっとしてるけど」

フランシスはしばらく虚ろな目でこちらを見つめていたが、やがてそっと瞼を伏せると小さく口を開いた。

「……ごめん、先に夕食行ってて。あとで追いかけるから」
「え? ちょっ、フランシー」

が呼び止めても聞かず、彼女は足早に去っていった。
結局、フランシスは最後まで夕食の席に現れなかった。トーストを二枚だけ包んで寝室へと戻る。すると親友は天蓋つきベッドの上、こちらに背を向ける形で丸くなっていた。

「フランシー、どうしたの? 一応トースト持ってきたけど」

小声で呼びかけながら覗き込むと、彼女は完全に眠り込んでいるようだった。規則正しく布団を微かに上下させながら、寝息を立てている。
は気が付いた。フランシスの頬に、一筋のしずくの跡がある。彼女はそれを手の甲でそっと拭い取ると、親友の枕元にトーストを置いて談話室へと下りていった。
それからしばらく経って、玄関ホールに掲示が出された。例の三大魔法学校対抗試合の件で、ボーバトンとダームストラングは十月三十日午後六時に到着するので、授業は三十分早く終了し、全生徒は鞄と教科書を寮に置いて、歓迎会前に城の前に集合し、彼らを出迎えること、とあった。がフランシスとそれを見ているときにハッフルパフのアーニーが人垣から飛び出してきて、「セドリックに知らせなきゃ!」と走っていくのが見えた。

「セドリック?」
「ディゴリーだ。きっと対抗試合に名乗りをあげるんだ」
「あのウスノロが、ホグワーツの代表選手?」

後ろからそんな会話が聞こえ、は眉根を寄せて勢いよく振り返った。どこのどいつだ、彼をウスノロなんて呼ぶとんちんかんな野郎は!

「あの人はウスノロじゃないわ。クィディッチでグリフィンドールを破ったものだから、あなたがあの人を嫌いなだけよ」

振り向いた彼女の目に映ったのは、群れを離れて階段の方に進み始めた獅子寮のあの三人組だった。ハーマイオニーが肩をすくめながら言う。

「あの人、とっても優秀な学生だそうよ。その上、監督生!」
「君はアイツがハンサムだから好きなだけだろ?」
「お言葉ですが、わたし、誰かがハンサムだというだけで好きになったりいたしませんわ」

憤然としたハーマイオニーの後ろ姿を見送りながら、は小さく息をついた。

十月三十日はすぐにやって来た。その日は誰もが夕方のことに気をとられ、授業に身が入らない。ぼーっとし過ぎて寮監でもあるスプラウト先生にまで減点されてしまったのが今日一番の汚点だった。
はハッフルパフ塔に戻って鞄と教科書を置くと、マントを着てフランシスとふたり、飛ぶように玄関ホールに向かった。スプラウト先生が寮生たちを整列させながら、服装の乱れた生徒たちを注意していった。

「ルーピン、肩口に埃がついてるわよ」

は慌てて右肩の白いゴミを払った。
ハッフルパフ生たちはスプラウト先生に導かれ、正面の石段を下りて城の前に整列した。晴れた、寒い夕方だった。夕闇が迫り、禁じられた森の上に、青白く透き通るような月がもう輝き始めている。ああ、そうだ。明日は満月だった。
リーマスは元気にしているだろうか。もうスネイプに脱狼薬は煎じてもらっていないだろう。だったら今までのように、人の踏み入らない森の奥でひとり孤独に鳴いているのか。ごめんね。一緒にいてあげられなくて……ごめん。
一方、ボーバトンとダームストラングの学生たちはどうやってやって来るのだろうと、周りの生徒たちは様々な想像を巡らせていた。

「汽車? 箒? 『移動キー』?」

    『移動キー』。
はワールドカップの行きの『移動キー』のことを思い出してポッと頬を紅潮させた。そのときダンブルドアが、先生たちの並んだ最後列から声をあげた。スネイプのしかめっ面も一緒に目に入った。

「ほっほー! わしの目に狂いがなければボーバトンの代表団が近付いてくるぞ!」
「え、どこ? どこ!」

生徒たちがてんでばらばらな方向を見ながらワイワイと騒ぎ出す。フランシスも落ち着きなくキョロキョロと辺りを見回した。

「あそこだ!」

誰かが森の上空を指差して叫んだ。
何か大きなもの    箒よりずっと大きなものだ。いや、箒百本分よりもずっと大きい何かが、ぐんぐん大きくなりながら濃紺の空を突っ切り、城に向かって疾走してくる。

「ドラゴンだ!」
「バカ言うなよ、空飛ぶ家だ!」

別の誰かが叫ぶ。後者の推測の方がよっぽど近かった。巨大な黒い影が禁じられた森の梢を掠めたとき、城の窓明かりがその影を捉える。巨大なパステル・ブルーの馬車が姿を現した。大きな館ほどの馬車が十数頭の天馬に引かれてこちらに飛んでくる。馬車はぐんぐん高度を下げ、猛烈なスピードでドーンと大きな音を立てて着陸した。
そこから降り立った女性は、ハグリッドと身の丈がほとんど変わらないほど大きい人だった。背の高いダンブルドアでさえ、彼女の手にキスするのに身体を曲げる必要もなかった。ボーバトンの校長、マダム・マクシームだ。彼女が合図すると、馬車から十数人もの男女学生が降りてきた。この寒い中マントも着ていなかったボーバトン一行は、早々に城内へと入っていった。

ダームストラングは現れたのはそれから十分も経たないうちだった。彼らは巨大な難破船のような、骸骨を感じさせる船からきびきびと降りてくる。よほど寒い国から来たのか、みんながみんなもこもこした分厚い毛皮のマントを着ていた。城まで全員を率いてきた男だけは、滑らかで銀色の毛皮を羽織っていた。

「ダンブルドア!」

坂道を登りながら男が朗らかに声をかけた。

「やあやあしばらく。元気かね」
「元気いっぱいじゃよ、カルカロフ」

ダンブルドアがニッコリ笑って挨拶した。カルカロフは愛想だけは良かったが、その目は少しも笑っていなかった。

「ここに来られたのは嬉しい、実に嬉しい……ビクトール、こっちへ。暖かいところへ来るといい。ダンブルドア、構わないかね? ビクトールは風邪気味なのでね」

カルカロフが生徒のひとりを示し、そばに招き寄せる。その青年がホグワーツの生徒たちのもとへ近付いてきたとき、興奮しきったフランシスの囁きが聞こえ、はバンバンとしつこいほどに腕を叩かれた。彼女に指摘されるまでもない。自分も確かにあの晩、すぐ間近で彼を見た。

! クラムよ!!」
(05.12.29)