たちはその翌朝も充分に眠れないうちにウィーズリーおじさんに起こされた。おじさんは魔法でさっさとテントを畳み、できるだけ急いでキャンプ場を離れた。『移動キー』の置かれている場所には少しでも早くその場を離れたいと大勢の魔法使いたちが列を作っており、たちも急いでそこに並びm太陽が昇りきる前にはストーツヘッド・ヒルに戻ることができた。オッタリー・セント・キャッチポールを通り「隠れ穴」が見えてきたとき、朝露に濡れた路地の向こうから叫び声が響いてきた。
「ああ、良かった! ほんとに良かった!」
家の前でずっと待っていたのだろう。ウィーズリー夫人が真っ青な顔を引きつらせ、手に丸めた『日刊予言者新聞』をしっかり握り締めてスリッパのまま駆け寄ってきた。夫人は悲鳴をあげながらウィーズリー氏の首に腕を回して抱きつく。そのとき彼女の手から新聞がぽろりと地面に落ちた。新聞の見出しには『クィディッチ・ワールドカップでの恐怖』と大きく書かれており、梢の上空で『闇の印』がちかちか輝くモノクロ写真が載っていた。
「無事だったのね」
おばさんはおろおろ声でつぶやくと、おじさんから離れ、真っ赤な目で子供たちをひとりひとり見つめた。
「みんな生きててくれた……ああ、お前たち……」
驚いたことに、ウィーズリー夫人はフレッドとジョージを掴んで思いきり強く抱き締めた。あまりの勢いにふたりはゴツンとおでこで鉢合わせを果たした。
「いてっ! ママ、窒息しちゃうよ」
「家を出る時にお前たちにがみがみ言って!」
おばさんは突然すすり泣きを始めた。
「『例のあの人』がお前たちをどうにかしてしまっていたら……母さんがお前たちに言った最後の言葉が『O・W・L試験の点が低かった』だったなんて、一体どうしたらいいんだろうってずっとそればっかり考えてたわ! ああ、フレッド……ジョージ……」
「さぁさぁ母さん、みんな無事なんだから」
ウィーズリー氏は優しく宥めながらフレッドとジョージに食い込んだ夫人の指を引き離し、彼女を家の中へと連れ帰った。顔を見合わせ少しだけ困ったように笑う双子を見やり、も小さく微笑む。すると突然ふたりが振り返りのところへ歩み寄ってきた。彼女は驚いて目を瞬かせた。
「な、何?」
フレッドは僅かに照れ笑いを浮かべながら、言いにくそうに口を開いた。
「その……昨日はごめんな、」
呆然とふたりの顔を見つめる。ジョージが俯き加減に続けた。
「君が僕らの知らないところで知らない世界を築いてるんだって目の当たりにして、少しショックだったんだよ。ごめん」
はその言葉を理解するのに多少の時間を要したが、小さく失笑を漏らすと、涙で顔をくしゃくしゃにして笑った。
「……バカじゃないの? わたし、ハッフルパフだよ? フレッドとジョージの知らないわたしの世界なんて、いっぱいいっぱい、いっぱいあるんだから。自分たちだって、わたしの知らない世界、たくさん持ってるくせに」
ふたりは目を細めて静かに笑い、フレッドがゆっくりと口を開いた。
「それでも、」
すぐさまジョージが相棒の言葉を継ぐ。
「僕たちから離れていかないでくれよ?」
彼女の顔から笑みが消し飛んだ。はしばし硬直していたが、やがて目尻を下ろしまたそこから涙のしずくをこぼした。
「……バカじゃないの? そんなの、決まってるじゃない……」
一気に安堵の表情を浮かべた双子は、いつまでも泣き続ける彼女を支えて「隠れ穴」へと入っていった。ちょうどそのとき、太陽が顔を出した山の向こうを大きく旋回して、一通の手紙をくわえた森ふくろうが家の中へと舞い降りてきた。
FOREBODING
それから学校が始まるまでの約一週間、ウィーズリーおじさんもパーシーもほとんど家にいなかった。魔法省はワールドカップでの死喰い人や『闇の印』騒ぎでリータ・スキーターが書いた記事への対応や事件の善後策に追われている。は家の裏庭に椅子をひとつ出してのくちばしの下を優しく掻いていた。
彼女がワールドカップから「隠れ穴」に戻ってきてすぐ、ずっと狩りに出かけていたは封筒を持って戻ってきた。リーマスからだった。彼もウィーズリー夫人と同じく『日刊予言者新聞』を読んで娘のことをひどく案じ手紙を寄越してきたのだ。は何事もなかった、大丈夫だよとだけ書いて送り返した。
ここ数日、キッチンに戻ればスキーターへの誹謗やワールドカップでの事件の話がとても多いのではそこを自然と避けるようになっていた。あまり楽しい話ではない。彼女の脳裏からは髑髏の浮かび上がったセドリックの横顔がどうしても離れなかったのだ。
そのとき背中の勝手口が開く音がした。振り返らずに雲の流れる青空を見上げると、彼女の隣にひとつの影が並んだ。ハリーだった。
「ここ座っても、いいかな?」
は首を巡らせて彼を見やると、家の外壁と背中合わせになったもうひとつの椅子に向けて「アクシオ!」、杖を振る。椅子はひゅんと飛んでハリーのすぐ後ろに着地した。
「ありがとう、」
そう言って彼はそれに腰かけた。は椅子に座り直して再び空をぼんやりと眺める。膝の上のがホーと鳴いてハリーの膝にぴょんと飛び移った。
「こら、」
だがハリーは笑っての頭を撫でてくれた。
ふたりの間には長いこと沈黙が流れていたが、やがてハリーがそれを気まずそうにしながらも打ち破った。
「最近、よくひとりでここにいるよね。どうかしたの?」
また主人の膝に戻ってきたの羽を撫で付けながらはひっそりと口を開いた。
「……特に理由は。ただ、いろいろ暗いニュースばっかりだったから、あんまり閉じこもっていたくなくて」
「そっか。そう、だよね。いろいろ、あったものね」
それからぱたりと会話は止んだ。は彼が自分とシリウス・ブラックのことを話したいのだと嫌というほど分かったが、何も言わなかった。ハリーにしてみれば、シリウス・ブラックは自分の両親を裏切った男を殺すために脱獄までした英雄的な名付け親かもしれない。ただ、多くの人々に誤解されていただけの、父親らしい父親。だが自分にとっては、違う。
シリウス・ブラックは確かに親友のことは裏切らなかったかもしれないが
自分の妻を、裏切った。
絶望の淵で死んでいったであろう母。彼は一度だって母の墓参りをしたことがあるのだろうか? 一度でも
家に帰ろうと思ったことがあるのだろうか?
ハリーが口を開こうと息を吸い込んだのが聞こえてきたちょうどそのとき、後ろからウィーズリー夫人の声がした。
「ハリー、! お昼よ!」
はを膝から腕に移して勢いよく立ち上がった。ハリーの痛々しげな顔が視界の隅に入ったが、気付かない振りをしてキッチンの開いた窓に向け、声を張り上げる。
「いま戻りまーす!」
ハリーはそれ以上、何も言ってはこなかった。
夏休み最後の日、たちがキッチンでくつろいでいると、仕事を終えたウィーズリーおじさんが疲れ切った様子で家に戻ってきた。おじさんは少し萎びたカリフラワーを突っつき回しながら、また顔を歪めてリータ・スキーターのことを話し始めた。
「リータ・スキーターが、他にも魔法省のゴタゴタがないかとこの一週間ずっと嗅ぎ回って記事のネタ探しをしていたんだが、とうとう嗅ぎつけた。あの憐れなバーサの行方不明事件を。明日の『日刊予言者新聞』のトップ記事になるだろう。とっくに誰かを派遣してバーサの捜索をやっていなければならないとバグマンにちゃんと言ったのに、言わんこっちゃない」
「クラウチさんなんかもう何週間も前からそう言い続けていましたよ」
パーシーが素早く言った。おじさんは苛々しながらカリフラワーを口に運ぶ。
「クラウチは運がいい。リータがウィンキーのことを嗅ぎ付けなかったからね。クラウチ氏のしもべ妖精、『闇の印』を創り出した杖を持って逮捕さる、なんて、まる一週間大見出しになるところだったよ」
「あのしもべは確かに無責任だったけれど、あの印を創り出しはしなかったってみんな了解済みじゃなかったのですか!?」
パーシーも熱く唾を飛ばす。するとハーマイオニーが憤慨して言った。
「わたしに言わせれば屋敷妖精たちにどんなひどい仕打ちをしているのかを『日刊予言者新聞』の誰にも知られなくて、クラウチさんはとっても運が強いわ!」
「分かってないね、ハーマイオニー! クラウチさんくらいの政府高官になると、自分の召使いに揺るぎない恭順を要求して当然なんだ!」
「あの人の『奴隷』って言うべきだわ!」
彼女の声が熱くなりすぎて上擦った。
「だってあの人はウィンキーにお給料を払ってないもの! でしょう!?」
「みんな、もう部屋に上がってちゃんと荷造りしたかどうか確かめなさい!」
顔をしかめたウィーズリー夫人がハーマイオニーとパーシーの間に割って入り叫んだ。
「ほらほら、早く、みんな」
はジニーと顔を見合わせると小さく肩をすくめ、まだ真っ赤になって怒っているハーマイオニーを引きずって部屋へと上がった。「まったく、みんな『しもべ妖精』なんて呼んで、奴隷として扱うのが当然だと思ってる
」ハーマイオニーはまだひとりでぶつぶつつぶやいていた。
はウィーズリー夫人に買ってきてもらった学用品の包みとお金の入った小さな袋をベッドに下ろした。ホグワーツに入学する直前にはリーマスにグリンゴッツの鍵をひとつ渡されていた。学校で必要な物はこの金庫の中身を使って自分で考えて買いなさいと。学用品は我が家の家計を考えると決して安くはない。金庫には決して大金が納まっているわけではなかったが、それでも古本屋に通わねばならぬほど乏しくもなかった。父の職探しがうまくいっていないことを思うとどうしてそれだけのお金があるのか彼女には謎だった。一度それを問うと父は「が気にすることじゃないよ、心配しないで」と小さく笑っていたが。
大鍋に学用品やらを詰め込んでいるハーマイオニーをちらりと見やったは、彼女の傍らに置かれた青色のものを見て怪訝そうに声をあげた。
「ハーマイオニー、それ何?」
彼女は顔を上げて「ああ、これ?」とその服を手に取る。ハーマイーニーが広げると、それはふんわりした薄青色のきれいなドレスローブだった。は歓声をあげてハーマイオニーのそばまですっ飛んだ。
「え、何これ! 何でこんなの持ってるの? すごい、すっごいきれい!」
「あら、あなたにもあるはずよ? 包み開けてみれば?」
平然とそう告げるハーマイオニーに目を丸くしては慌てて学用品の入った包みを解いた。すると中から明るい紫のローブが現れた。
「な、何で? 何でこんなの……」
「、あなたリスト見てないの? 学用品のリストに、今年は正装用のドレスローブを準備するように書いてあったわよ?」
呆れ顔で漏らすハーマイオニーに、ジニーも笑って肩をすくめる。はジニーにミルク色のローブを見せてもらいながら首を傾げた。
「でも何でこんなの要るんだろ? まさか今年はダンスパーティでもあるのかな?」
「さあ。でもこんなものを用意させるってことは、正装じゃなきゃいけない何かが行われるっていうのは間違いないでしょうね」
さらりとそう言って再び荷造りを始めるハーマイオニーをぼんやり眺めながら、は自分の手の中のドレスローブをそっと握り締めた。普通でない何かが。
鳥かごの中のが小さく鳴いた。ハーマイオニーの猫、クルックシャンクスが布団の上で丸くなっている。
明日からまた、彼のそばにいられる生活が始まる。けれど。
蛇を吐き出した髑髏。
彼の横顔。
なぜかふと、父の顔が脳裏を過ぎった。
明日からまた、ホグワーツでの生活が始まる。
真っ暗な窓の外では叩きつけるような雨が降り続いていた。