結局のところ、男という生き物は最も重要なことを話さないようにできているのかもしれない。以前読んだ小説のヒロインの父親だって、母親の秘密を隠していた。それとこれとは話が違うという言い分は置いておこう。
とにかく彼女は瞼を下ろし、養父の口からたどたどしく紡ぎ出される言葉をただ静かに聞いていた。

TWO FATHERS

、君が昨日どこからわたしたちの話を聞いていたか分からないけれど。
すべてはわたしたちの学生時代から始まるんだ。
いや、正しく言えばわたしが幼い頃、人狼に噛まれてしまったのがそもそもの原因なのだけれどね。

当時は脱狼薬はおろか、大した治療法もなかった。両親はあらゆる手を尽くしてくれたが無駄だったんだ。わたしはどうすることもできなかった。親にも見捨てられそうだった。でも十一歳の夏に、ホグワーツから入学許可書が届いたんだ。初めは信じられなかった。けれどダンブルドアは、予防措置さえ取ればこんなわたしにも当然教育を受ける権利があると仰って下さった。両親も喜んだよ。わたしは毎月満月の夜には、、君が昨夜セブルスと通った暴れ柳の秘密の抜け道を使って、ホグズミードのあの古い屋敷に行くことが決められた。わたしはね、、入学した頃はずっと人と親しくなるのが怖かったんだ。わたしの正体を知ったら、きっとみんな離れていく怖がられる、蔑まれる。そう考えただけでわたしは、みんなと関わるのがとても怖かった。わたしは絶対に自分の正体を隠し通すつもりだったし、周囲ともある程度の距離を保っていた    つもりでいた。でも、君も知っての通り、ホグワーツの寮は四人部屋だ。三人もの他人と同じ部屋で生活しなければいけない。当然毎月のようにベッドを留守にするわたしに、彼らが気付かないはずはない。わたしは懸命に言い訳を考えたよ。『母さんの体調が悪いんだ、帰らなきゃ』。
でも、彼らは    三人の内の二人は、ひどく頭のキレる男の子でね。やがてわたしの正体が彼らに知られてしまった。わたしはとても怖かった。彼らが離れていく、わたしのことを恐怖の眼差しで見る。そう確信した。それなのに……あぁ、すまないね……少し、思い出してしまって……いや、すまない、大丈夫。
彼らは離れていくどころか、わたしの手を取って「君のために何かできないか」と。そう、言ってくれたんだ。わたしは本当に嬉しかった。生まれて初めて、本当の友達ができたんだ。わたしの秘密を知って、なおそれを受け止めてくれる素晴らしい親友たちを。それが君の本当の父親、シリウス・ブラック、ハリーの父親のジェームズ・ポッター、そしてピーター・ペティグリューだった。

彼らは人狼であるわたしが噛む対象は『人間』であることに目をつけた。人間でなければ、変身したわたしと一緒にいられるはずだと。そこで彼らは『動物もどき』になろうと言ってくれた。もちろん最初は反対したさ。『動物もどき』がどれだけ危険な魔法なのか実際に知っていたわけではないけれど、魔法省の登録が必要なほどだ。我々の想像を遥かに超えるような複雑な魔法なのだろうと思った。だが彼らは真剣だった。ついにわたしは彼らの優しさに、誠意に……甘えてしまったんだ。わたしのために彼らが非常に危険な『動物もどき』になることを許してしまった。こうしてほぼ三年の年月をかけて、彼らは『動物もどき』になった。

ヴォルデモートが力をつけていったのもちょうどその頃だ。ヴォルデモートは優秀な魔法使いたちを次々と闇の陣営に引きずり込んでいってね。わたしの友人だったジェームズも、とても力のある魔法使いだった。彼がヴォルデモートに目をつけられても不思議はなかった。彼は同寮のリリー・エヴァンスと六年の冬から付き合っていてね、卒業後、彼女とすぐに結婚したんだ。だけど彼はヴォルデモートに追われていた。ジェームズはリリーを危険に晒すわけにはいかないと言って、そこで新居に『秘密の魔法』をかけることにしたんだ。
『秘密の魔法』、『忠誠の魔法』とも言うけれどね。ジェームズたちの居所を『秘密の守り人』の身体そのものに閉じ込めてしまうんだ。そうすると彼らの居場所は、『守り人』が口を割らなければ絶対に誰かに知られてしまうことがない。たとえ彼らの家の窓を覗いたとしても、誰も気付かないんだよ。その『秘密の守り人』にジェームズが選んだのはシリウスだったんだ。シリウスとジェームズは、わたしたちの中でもとりわけ親しかった。まるで兄弟のように。ジェームズがシリウスを指名したとき、わたしもその場にいたんだ。

シリウスと君のお母さんが結婚したのは、それからしばらく経ってからだ。ふたりの新居は……わたしと、、君がずっと一緒に暮らしてきたノースウェストのあの家だよ。君のご両親もハリーのご両親も、それにわたしもピーターも、お互いの家を行き来して卒業後もずっと親しくしていたんだ。ジェームズとリリーには一人息子もできた。もちろんハリーのことだ。彼の名前はね、シリウスとがつけたものなんだ。そうやってみんなで幸せに、過ごしていたはずだった。
だが、シリウスが『守り人』を自分からピーターに換えるように勧めたんだ。そのことをわたしが知ったのは昨夜だ。彼は『守り人』を換えたことを誰にも話さなかった。だから私は十年以上ずっと、シリウスが『秘密の守り人』だと信じて疑わなかった。あのシリウスなら……親友を裏切るくらいなら死を選ぶだろうなんていうことは……今考えれば、当たり前のことなのに……あの頃は混乱していて。

これは史実にも残っているからも知っているだろうけど、十二年前のハロウィンの晩    本当はシリウスとの家でパーティーがあって……ジェームズとリリーは、その夜ヴォルデモートに殺された。
いつまで経ってもジェームズとリリーが来ないのを妙だと思ったシリウスは、真夜中にひとりで彼らの家までオートバイを飛ばしていった。そこで彼に何があったのかわたしには分からないけれど、シリウスはピーターが裏切ったことに気付いたのだろう。ピーターが口を割らない限りはジェームズたちが見つかることはないのだから。ピーターはその一年も前からヴォルデモートと通じていたらしい。生き残ったハリーはダンブルドアの手によってマグルの親戚一家に預けられ、シリウスはピーターを追跡した。    君のお母さんに、何も告げずにね。
それから数日のうちにシリウスはピーターを追い詰めた。けれどピーターは学生時代と違って小賢しい真似ができるようになっていてね。周囲のマグルたちを目撃者に仕立て、「ジェームズとリリーを君が……よくも!」と彼らに聞こえるように言ってから、魔法で周囲一帯を爆破し、自分の指一本だけを切り落として『動物もどき』になって逃げた。彼はねずみに変身できたんだ。シリウスは咄嗟のことにも何とか対応できたけれど、そばにいたマグルたちは大勢死んでしまった。そこへ魔法省が駆けつけて、ピーターが自爆したと勘違いしたシリウスはおとなしく捕まったんだ。彼はジェームズたちの復讐のためだけに飛び出したんだからね。

君がのお腹の中にいると分かったのは、その後のことだ。だからシリウスはずっと君のことを知らなかった。それには……シリウスが急に目の前からいなくなって、おまけに彼が、親友を裏切り、殺したという嫌疑までかけられ……ひどく、気が滅入ってしまっていた。当時は誰もがシリウスを『秘密の守り人』だったと思っていたし、すべての状況証拠やマグルたちの証言が、シリウスがピーターを殺したということを裏付けていた。誰もが彼を疑わざるを得なかったんだ。が耐えるには……それはあまりに、重過ぎた。彼女は目に見えて、日に日にやつれていって……あぁ、いや……大丈夫、大丈夫だから……あぁ、すまないね、……。

あぁ……君にこんなことを言うべきではないのかもしれないけれど    は出産の痛みで苦しんでいるとき、わたしをシリウスと錯覚してこう言ったんだ。ずっと一緒にいると言ったのにと。ずっと、寂しかったんだと。シリウスがいなくなってがどれだけ苦しんできたか……わたしはずっとそばで見ていたんだ。のことを考えていたなら、彼はあんな行動をとるべきじゃなかった。
は……、生まれたての君の手を握ったまま亡くなった。わたしはあのとき、絶対にこの子だけは守り抜かなければと思ったんだ。それと同時に、どうしてもシリウスを許せないと思った。一生を添い遂げると約束した女性を放って飛び出してしまうなんて。彼女は彼を思いながら死んでいった。わたしは彼をどうしても許せなかったんだ。だから君のことは、自分の子供として育てようと思った。あんな男の子だと認めたくなかったんだ   あぁ、わたしの身勝手な感情だった。分かってる、すまないと思っている。でもどうしてもシリウスが許せなかったんだ。わたしは彼が君の父親だと認めたくなかった。

どうしての墓に『ブラック』と刻んだかだって? ああ、自分でもつくづく馬鹿だと思うよ。でもね、はシリウスを選んだんだ。あんな男でも、彼女は一生を添い遂げようと彼を選んだ。彼女は自分の意思で『・ブラック』になって、『・ブラック』として死んでいった。そんな彼女の気持ちを踏みにじることはできないと……そんなことを、思ったんだろうね。そしてわたしは、君の父親として生きることを決めた。

シリウスがアズカバンに投獄されて十二年が過ぎた。君が新聞で見た通り、彼は一年前の夏に脱獄した。ヴォルデモートの手下だと信じられていた彼は、ヴォルデモートが失墜する原因となったハリーを狙って逃げ出したのだと噂された。だが実際は、真の裏切り者であるピーターを始末しようとしていたんだ。、覚えてるかい? ウィーズリー一家がガリオンくじグランプリを獲得してエジプト旅行に行くという記事。一家の写真が載っていただろう? 写真の中にピーターが写っていたんだ。わたしは気付かなかったが……ああ、そうだ。ロンが飼っていたねずみだよ。シリウスはあの記事をアズカバンでファッジに    ああ、魔法省大臣だ、は知っているかな? そう、彼にもらってたまたま目にしたと言っていたよ。そこで初めてシリウスは、ピーターが生きていて、ハリーの身に危険が迫っていることを知った。彼は『動物もどき』で犬に変身できるから、アズカバンの看守が食事を持ってきたとき檻を通り抜けて脱獄に成功した。ディメンターは動物の気配など感知できないからね。だからホグワーツにも侵入できた。わたしが人狼でさえなければシリウスは『動物もどき』などにならなかった。だからシリウスがホグワーツに侵入できたのは、確かにわたしの責任でもある。そういった意味で……昨日は、セブルスの言い分も間違ってはいなかったと言ったんだよ。

シリウスは、少し手荒な真似もしたようだけれど、ホグワーツでピーターを見つけた。昨夜は奴を始末するために、ねずみをしっかり握っていてくれたロンを引きずって彼は『叫びの屋敷』に向かったんだ。ハリーとハーマイオニーはロンを追ってきたし、、君はセブルスと一緒に屋敷まで来た。予想外に賑やかなことになってしまったけれど、シリウスとわたしは昨夜ピーターを殺すつもりだったんだ。昨日は……その、シリウスのことで君がとてもショックを受けているのは分かったけれど……ピーターが逃げ出さないか気を揉んでいたから……後にしてくれと、ああいう言い方をしてしまった。すまなかった。

だが結局あの後、ハリーに止められてしまったんだ。わたしたちが殺人者になるのをジェームズは望まないだろうと。その通りだ、と、今になって思うよ。ハリーはね……本当に、彼のお父さんにそっくりなんだ。ジェームズの顔が思い浮かんでわたしは    わたしたちは、奴を殺すのを思い止まった。それに、これもハリーに言われて気が付いたんだが、ピーターをディメンターに引き渡せば、シリウスの無実が証明される。だからわたしたちはこれで一段落すると思ったんだ……迂闊だった。
わたしのミスだった。脱狼薬を飲み忘れていたんだ。暴れ柳の通路を出たわたしはそのまま狼に変身してしまった。その後のことは詳しくは分からないけれど……わたしはそのまま、昨夜は森を駆けずり回っていたようで……わたしが変身し、みんなが慌てている隙にピーターは逃げ出してしまったらしい。奴がいなければ、シリウスの無実は証明できない。彼はディメンターのキスを執行されることに決まった。だが、それを    
「ポッターさんとハーマイオニーさんが、ブラックの逃亡に手を貸したのね?」

肩をすくめ小さく告げるに、リーマスはやや目を丸くした。

「知っていたのかい?」
「……医務室でハーマイオニーさんが話してるのが聞こえたから」

そうか、と小さく笑んで彼は瞼を伏せる。

「彼は無実だから    それが証明されるまでは、身を隠しておくべきだからね」

が肩の上で鳴いた。

「無実が証明されれば    、きっと落ち着いてシリウスに会える。だからそれまでは……あまり、考えすぎない方がいい。許してくれとは言わないし……もうわたしを信用できないというなら、それも仕方がない。だがわたしには、君を成人まで育てる義務が……ある。だから」

が目を細めると、リーマスはその右手をそっと彼女の頬に添えて寂しそうに笑った。その指先は、微かに震えていた。

「学校が終わったら、ちゃんと帰っておいで。先に戻って、待ってるから」

そのままくるりと踵を返した彼が    父が、小屋を出て行く。彼女は傍らのふくろうと共にその後ろ姿をしばし見つめ。

「……先に?」

眉をひそめるが、は深くは考えないことにした。再び足元の石に腰掛け大きく長い息を吐き出す。はホーと鳴いて突然彼女の肩から飛び立った。小屋の中を自由に飛び回るその森ふくろうは、きっと。

「……お母さん」

、って。母さんはあのシリウス・ブラックに囁かれたの?
母さんが愛したシリウス・ブラックって。シリウス・ブラックが愛した母さんって。
わたしは本当の親である男女をふたりとも知らない。

「……シリウス・ブラック、か」

ポツリと呟いたと同時、は翼をはためかせまた彼女のもとへと降り立った。
城内へと戻ったは、二階の廊下を歩いているときにレイブンクローの親友と遭遇した。彼女はどうやら図書館へ向かっていたらしい、胸元に教科書を数冊と羊皮紙を二巻抱えていた。
が口を開くより先に、アイビスが素っ頓狂な声をあげる。

、どこ行ってたの! 昨日の晩からずっといなかったそうじゃない!」
「あー、いや、別に大したことじゃ……」

しどろもどろに答えるが、アイビスはさして気にした様子ではなかった。矢継ぎ早に続けてくる。

「それにルーピン先生は? 今朝あんなことがあったから……もうどうなるのか心配で心配で……」

親友のその言葉に彼女はピクリと片方の眉をつり上げた。

「あんなこと? どういうこと、何かあったの?」
、もちろんあなたは知ってたんでしょう? ルーピン先生が人狼だって!」

はしばしの間硬直してしまい。
アイビスの肩を掴んで絶叫した。

「何っ! 何でそんなこと知ってるの!?」

するとアイビスはひどく悲しそうに顔を歪め言った。

「今日の朝食のときにスネイプがスリザリンにバラしてたのが聞こえたの。もうみんな知ってるわ。ねえ、ルーピン先生どうなっちゃうの? 確かに人狼は恐ろしい存在よ? でも……ルーピン先生は素晴らしい先生だわ。ねえ、まさかクビなんてことに……ならないわよね? ねえ、?」

……あの陰険脂ギトギト教授!
は手のひらに爪が食い込むほど強く拳を握り締めると、魔法薬学教授の昨夜のあの狂気じみた顔を思い出し歯噛みした。同時に、先ほどの父親の言葉を思い出す。

(先に戻って、待ってるから)

父はホグワーツを辞めるつもりだ。

「ごめんアイビス、わたし今すぐリーマスの所に行ってくる!」

はそう言い残すともと来た道を一目散に駆け出した。
なに考えてるんだ、あのボロ親父!
やっぱり男なんて、一番肝心な話は何ひとつしやしないじゃないか!
ダンブルドアは父を解雇したりはしない。けれど。人狼だと生徒たちにまで知られてしまった以上、リーマス自身がいつまでもここに居座ることを望むはずもない。
辞めるなら辞めると。一言言えば良かっただけの話なのに。
男って奴はどうしてこうも、揃いも揃って不器用なんだ。
彼女の脳裏に浮かぶのは、図書館帰りの彼の幸せそうにはにかむ笑顔で。

が『闇の魔術に対する防衛術』の研究室にたどり着いたときには、そこは誰かが使っていた形跡もないほどきれいに空っぽになっていた。
(05.12.26)