「じゃないの」
休暇も終わり、授業が再開された。は渋々と『魔法薬学』のレポートを仕上げにひとりで図書館へ来ていた。羊皮紙から顔を上げると、そこには赤と黄のストライプのネクタイを締めた栗毛の少女が立っている。
「あ。ハーマイオニーさん」
ハーマイオニーは何か調べ物をしていたらしい、厚めの本を二、三冊抱えていた。彼女はの視線に気付くと胸元でそれを持ち直し、懸命にタイトルを隠そうとした。
「……あなたに、聞きたいことがあるのだけれど」
「何ですか?」
首を傾げハーマイオニーの言葉を待っていると、彼女は目を伏せながら言った。
「ひょっとして……間違っていたら私は……あなたにもルーピン先生にも、とても……とても申し訳ないと思うんだけど……でももしかして、ルーピン先生は
」
は思わず羽根ペンを取り落としてしまった。まさかハーマイオニーは、父の正体に気付いてしまったのだろうか。
だがハーマイオニーは途中で口を閉ざし小さくかぶりを振ってみせた。
「……いえ、何でもないわ。忘れてちょうだい」
そしてくるりと踵を返し、足早に去っていった。
にはハーマイオニーが抱えていた本のうち、一冊の背表紙が見えた
『人狼と動物もどき』。
Firebolt
冬休みが明けてから、は授業以外に一度も箒に乗っていなかった。マダム・フーチがしかめっ面で「また湖にでも落ちるつもりですか?」と言ってくることはなかったが、やはり上級生の付き添いがなければ危険だということで放課後飛行は控えているのだ。セドリックに指導を頼む勇気はさすがの彼女にもなかった。彼もまた、彼女に飛行術の話を持ち出してはこなかった。彼女が落下したのは自分の責任だとまだ感じているらしい。は次第に彼と目も合わせなくなった。
しんしんと雪は降り続き、やがて二月に入った。グリフィンドール対レイブンクロー戦が日に日に近付いている。はフランシスと図書館へ向かっていた。
「、次の試合はレイブンクロー席に行くわよ!」
フランシスは興奮しきっていた。どうやら彼女の恋人とやらはレイブンクローのチェイサーらしい。は顔をしかめてかぶりを振った。
「私はグリフィンドールに行くよ」
「何でよ! あんた私の親友じゃなかったかしら?」
「それとこれとは別よ。もうニースと約束しちゃったし」
「あんた何てことを! いいわよ、いいわよ、私はアイビスとレイブンクローカラーに染まってくるから!」
はいはい、と軽くあしらってフランシスから前方へと顔を向ける。その時ちょうど向こうから見知った人影がやって来るのが見えた。
「あ。ハーマイオニーさん」
呼び掛けると、俯き加減に早足で歩いていたハーマイオニーは驚いたように顔を上げた。その瞳が潤んでいるのを見ては上擦った声をあげる。
「どうかしたんですか?」
「あぁ……。ううん、何でもないの」
「何でもないわけないじゃないですか。どうしたんですか?」
フランシスも不安げに顔を歪めている。がそっとその背に手を添えると、途端にハーマイオニーはわっと泣き出してしまった。
「ひどい、ひどいのよみんな。全部わたしが悪者、ええ、どうせそうなんだから……」
「ハーマイオニーさん?」
ハーマイオニーは赤く腫れた目でこちらを見てきた。
「あぁ……。あなたになら話してもいいわね……クリスマスにね、ハリーのところに箒が贈られてきたの。でもメッセージも名前も書かれてなくて。危険だと思わない?」
はわけが分からないといった様子のフランシスとちらっと目を合わせて「そうですね」と頷いた。
「だから、私マクゴナガル先生に箒のことお話したの。だってハリーは、あのシリウス・ブラックに狙われてるんだから!」
「えっ!」
囁くように、だが強く紡がれたその言葉にもフランシスも息を呑んだ。は思わずハーマイオニーの背に触れる指先に力を込めた。
「それってどういうことですか? シリウス・ブラックがポッターさんを狙ってるって……」
「シリウス・ブラックは『例のあの人』の信望者だったのよ。だから『あの人』が力を失うきっかけになったハリーを殺せば『例のあの人』が復活すると思っているの。それで箒に呪いをかけてハリーを殺そうとしたんじゃないかって。結局、箒に呪いはかかっていなかったんだけど……でも、ねえ、私の考えって間違ってる?」
あぁ、それで。それでディメンターがホグワーツの警備を。
そしてはハーマイオニーがどれだけ友人を思っているのか知った。彼女の背をポンポンと軽く叩きながら首を振る。
「ハーマイオニーさん、そういうことならあなたは間違ったことなんてしてないですよ。シリウス・ブラックに狙われてるなんて、どれだけ注意したってし過ぎることなんてないですよ!」
するとハーマイオニーは安堵の表情を見せて小さく微笑んだ。
「ありがとう。それに、スキャバーズが……ロンのねずみがいなくなっちゃったんだけど……クルックシャンクスが……あ、私の猫で……クルックシャンクスがスキャバーズを食べたって言うのよ? 証拠なんかないのに、みんなクルックシャンクスだって決め付けるの! 私、もう寮になんか戻りたくない……」
そう言ってまた声をあげて泣き出したハーマイオニーを慰めながら、は呆れ顔のフランシスを睨み付けた。数分後、目尻を拭ったハーマイオニーは「……泣いたりしてごめんなさい。ありがとう」と言って去っていったが、は心配そうに彼女の姿が消えるまでずっとそちらを見つめていた。
「それにしても驚いたわね、シリウス・ブラックがあのハリー・ポッターを狙ってるなんて」
目を丸くしそう漏らしたフランシスを見やり、は小さく息をつく。
「ペラペラ喋るんじゃないわよ?」
するとフランシスは鼻で笑い肩をすくめてみせた。
「私の口は鉄壁よ」
今度はが鼻を鳴らす番だった。
「よく言うわ。イカれた蛇口のくせに!」
グリフィンドール対レイブンクロー戦の朝、大広間を突然喧騒が包み込んだ。
「ファイアボルトだ!」
「おい、押すな!」
何事かと振り返ると、箒を手にしたハリーがグリフィンドールのテーブルに着いたところだった。フランシスはスプーンを口に突っ込んだままの肩をむんずと掴んだ。
「んんん! んんんんんっんんん!!」
「……フランシー、それじゃ何言ってるかさっぱり分かんないわよ」
溜め息混じりに呟くと、フランシスは慌てて口腔からスプーンを引き抜き、素っ頓狂な声をあげた。
「! 見てアレ、ファイアボルトよ!!」
「ファイアボルトって……まさかあの、世界最速の?」
「それよそれ! あーもうズルいわグリフィンドール! あれじゃチャンのコメットが敵うはずないわ、どうしよう!」
ひとり泣きそうな顔をしたフランシスを無視して、はハリーの持つ箒を遠巻きに眺めていた。
あんなすごいものを、シリウス・ブラックが?
だとすればどうやって。ブラックは逃亡中の身だ。どうやってあんな箒を購入でき、どうやって届けたというのだろうか。はグリフィンドール席の隅の方でハーマイオニーが不機嫌そうにひとりで食事を摂っているのを見たが、誘惑に負けてハリーの方へと足を進めた。フランシスも「ずるいずるい」と繰り返しながらもちゃっかりとついてきた。
「! 見てみろよこの美しい箒を!」
目ざといウィーズリーの双子がすぐさまの所にやって来た。ジョージが「ハリー、ちょっとこっちに渡してくれ」とハリーの返事を聞くより先にファイアボルトを取り上げての前に戻ってくる。フランシスが悲鳴をあげた。
「すごい! すごいわ、本物?」
「最後の練習でハリーが乗ってみたんだぜ。すっげー速さだ。試合、楽しみにしとけよ」
フレッドがとフランシスに顔を向けウィンクしてみせる。その直後ロンが双子のもとに現れ「フレッド、ジョージ、独り占めするなよ!」と箒を引っ手繰ってハリーへと返しに行った。「もちろん僕らの軽やかなプレーも乞うご期待だ」と言い残し双、子は喧騒の中心へと戻っていく。フランシスはまだ興奮覚めやらぬ様子だった。
その時、の横をひとりの男子生徒が通りかかった。彼は彼女の傍らで足を止めゆっくりと口を開いた。
「、ファイアボルトの感想は?」
彼女は驚いてパッと顔を上げた。セドリックが穏やかに微笑みすぐそこに立っている。突然彼女の頬に熱がこもってきた。ここ数週間、まともに会話すらしていない。
「あー……うん。細くてシャープで……うん、すごそうだった、よ」
「そうか。それはチョウも大変だな」
そう言って笑んだ彼の表情はとても優しかった。セドリックは「それじゃ僕もファイアボルトを見てくるよ」と言い、ハリーの方へ歩いていった。
「チョウ・チャンってレイブンクローのシーカーよ」
眉をひそめるに、フランシスが小声で耳打ちしてくる。ハリーの周囲の人だかりは、当分減りそうもない。とフランシスは顔を見合わせハッフルパフのテーブルに戻った。
窓の外に目をやると、グリフィンドール対ハッフルパフ戦の時とはまるで違い、カラリと晴れ上がった青空が一面に広がっていた。