クリスマスの昼食時、ひとりで大広間へと下りていった彼女はその入り口でハリー・ポッターと出会った。彼は獅子寮の三年生ふたりと一緒だった。

「やぁ……久しぶりだね、ルーピンさん」

なぜか少しだけ疲れた顔をしてハリーはこちらに顔を向けた。も急いで挨拶を返す。

「こんにちは、ポッターさん」

するとハリーの隣を歩いていた栗毛の女子生徒が驚いたように口を開いた。

「あら、あなたがルーピン先生の娘さん?」

「はい」、軽く頷くと彼女は立ち止まり右手を伸ばし、「私、三年のハーマイオニー・グレンジャーよ。よろしくね」と嬉しそうに笑った。その手を握り返し、も自己紹介する。遅れてもうひとりの男子生徒も「あんまりルーピン先生に似てないんだね    痛っ! なんだよハーマイオニー……あぁ、うん、何でもないさ……僕はロナルド・ウィーズリー」と言った。フレッドとジョージの弟だろう、燃えるような赤毛とそばかすがふたりにとてもよく似ていた。

「ひとりなの? ハッフルパフは他に誰も残ってないの?」

広間の中央にひとつだけ出されたテーブルに着きながら、ハリーが訊いてくる。は苦笑いを浮かべ言った。

「はい。起きる時も寝る時も、どこを歩き回ってもひとりです。寮があんなに広いなんて今まで知りませんでした」

グリフィンドールの三年生はみんな小さく失笑した。そうこうしているうちにやがて城に残っている生徒たちも集まり、そして先生方も大広間に現れて全員が席に着いた。

DIVINATION MASTER

「メリー・クリスマス!!」

ダンブルドアが嬉しそうに声をあげた。そして大きな銀色のクラッカーを取り出してその紐の端をスネイプに差し出す。スネイプはあからさまに顔をしかめてみせたが渋々とそれを引っ張った。大砲のようなバーンという音がしてクラッカーは弾け、ハゲタカの剥製をてっぺんに載せた、大きな三角帽子が現れた。なぜかそれを見てハリーとロンがニヤリと笑うのをは目撃した。
ダンブルドアはすぐに自分の三角帽子を脱ぎハゲタカの帽子を被った。

「どんどん食べましょうぞ!」

は仏頂面のスネイプを何とか視界に入れまいと首をひねりながらチキンに手を伸ばした。
それから数分と経たぬ頃、大広間の扉がまた開いた。は緑のドレスに身を包んだその女性を今までに見たことがなかった。

「シビル! これは珍しい」

ダンブルドアが立ち上がって言った。

「校長先生、あたくし水晶玉を見ておりまして」

シビルと呼ばれた女性はか細い声で答えた。は隣のハリーに耳打ちした。

「あの女の人は誰ですか?」

ハリーは呆れ顔で「トレローニー先生だよ。『占い学』の先生なんだ」と言った。その横から身を乗り出したロンも「すごいんだぜ、あのインチキばばあ」と小さくまくし立てた。その間にもトレローニー先生は「ひとりで昼食をとるという、いつものあたくしを棄て、みなさまとご一緒する姿が見えましたの。運命があたくしを促しているのを拒むことができまして?」と彼方を仰ぎながらひとりで喋り続けていた。スネイプが嫌そうに眉根を寄せ、マクゴナガル先生までもが「付き合いきれない」といった顔で溜め息を漏らすのが見える。ただひとりダンブルドアだけが、嬉しそうに眼鏡の奥で目をキラキラとさせていた。

「椅子をご用意いたさねばのう」

彼が杖を振ると空中にポンと椅子がひとつ現れた。椅子はくるくると回転してから、スネイプとマクゴナガル先生の間に落ちた。しかしトレローニー先生は座ろうとしなかった。

「校長先生! あたくし、とても座れませんわ! あたくしがテーブルに着けば十三人になってしまいます! こんな不吉な数字はありませんわ、お忘れになってはいけません! 十三人が食事を共にする時、最初に席を立つ者が最初に死ぬのです!」

ひとり悲鳴をあげるトレローニー先生に、マクゴナガル先生は冷たく言い放った。

「シビル、その危険を冒しましょう」

は思わず小さく吹き出してしまった。十三という数字が不吉だということは誰だって知っているが、ここまで大真面目に恐れる大人も初めて見た。トレローニー先生は迷った末、空いている席に腰掛けた。
マクゴナガル先生は苛々しながら手近のスープ鍋にさじを突っ込んだ。

「シビル、臓物スープはいかが?」

しかしトレローニー先生は返事をしなかった。目を見開き、ぐるりと周りを見回して口を開く。

「あら。ルーピン先生はどうなさいましたの?」

は一瞬ぴたりとその手を止めたが、すぐにまたロースト・ポテトを口に運んだ。今夜は満月だ。リーマスは満月の日はスネイプの脱狼薬を飲んで部屋でじっとしている。はハリーたちがしばらくこちらを見ていたことに気付いたが、知らない振りをした。

「気の毒に。先生はまたご病気での」

ダンブルドアはみんなに食事をするよう促しながら言った。

「クリスマスにこんなことが起こるとは、まったく不幸なことじゃ」
「でも、シビル、あなたはとうにそれをご存知だったはずね?」

マクゴナガル先生がピクリと眉根を持ち上げて言った。トレローニー先生は落ち着いた様子だった。

「もちろん、存じていましたわ、ミネルバ。でも『全てを悟れる者』であることを、ひけらかしたりはしないものですわ。あたくし、『内なる眼』を持っていないかのように振る舞うことが度々ありますのよ。他の者たちを怖がらせてはなりませんもの」
「それで全てがよく分かりましたわ!」

マクゴナガル先生は少し怒ったような声で言った。
と、突然トレローニー先生の消え入りそうだった声が、はっきりしたものになった。

「ミネルバ、どうしてもと仰るなら、あたくしの見るところ、ルーピン先生はお気の毒に、もう長いことはありません。あの方自身も先が短いとお気付きのようです。あたくしが水晶玉で占って差し上げると申しましたら、まるで逃げるようになさいましたの」
「そうでしょうとも」

マクゴナガル先生が短くそう答えた直後、は手にしていたスープの皿を引っくり返してしまった。

「ルーピンさん! 大丈夫?」

ハリーが心配そうに顔を覗き込んできたが、深皿の中身はほとんど残っていなかったため被害はテーブルのごく一部にとどまった。テーブルに着いた者たちの目が一気にに集まってくる。彼女は眉間にこれ以上ないほどのしわを寄せてジロリとトレローニー先生を睨み付けた。

「いい加減なことを仰らないで頂けますか? 先生」

先生は怪訝そうな顔をした。

「そう仰るあなたは」
「シビル。彼女はルーピン先生の愛娘じゃ」

ダンブルドアの言葉にマクゴナガル先生が冷たく付け加えた。

    もちろん、あなたはとうにご存知だったと思いますが」

「もちろんですわ」とトレローニー先生はまた言った。

「『いい加減なこと』と仰いますがあなた、それではあなたはご自分のお父様がどのようなご病気なのかちゃんとご存知ですの?」
「知ってますよ! 余命幾ばくなんてものじゃないってことだって分かってます!」

が怒鳴るとトレローニー先生はまるで哀れむように顔を歪めてみせた。

「お可哀相に、お父様はあなたには偽りの病名でも告げているのでしょうね。ルーピン先生なりの、あなたへの思いやりでしょう」
「いや、まさか」

答えたのはダンブルドアだった。彼の声はあくまで朗らかだったが、少しだけ力強いものになっていた。

「ルーピン先生はミス・ルーピンの言う通り、そんな危険な状態ではあるまい。セブルス、ルーピン先生にまた薬を作ってさし上げたのじゃろう?」
「はい、校長」

スネイプが静かに言った。

「結構。それなれば、ルーピン先生はすぐによくなって出ていらっしゃるじゃろう。何しろシビル、ルーピン先生のご容態は娘のミス・ルーピンが一番よく分かっておるじゃろうと思う。心配は要らぬ。さあ、デレク、チポラータ・ソーセージを食べてみたかね? 美味しいよ」

レイブンクローの一年生がダンブルドアに声を掛けられてみるみる真っ赤になった。
クリスマス・ディナーが終わるまで、はほとんど顔も上げずに黙々と食べ続けた。「気にすることないよ、ハリーなんてグリムが取り憑いてるって言われたことだってあるんだ」とロンが小声で何度か言ってきた。

「……そういえば」

グリムと聞いて、は手を止めてしばし考え込んだ。

「どうかしたの?」
「……いえ、何でもないです」

訊いてきたハリーに曖昧に笑い返してはソーセージに手を伸ばした。
まさか。
談話室の窓から見た時も、森の側を飛んでいた時も。本当にあの黒犬を見たという確信は何もない。幻覚を見たのだという思いの方が日に日に強くなっていた。しかも。
死神犬だって?
大きな黒犬が全てグリムだというのなら、この世には死神犬が氾濫していることになる。愚かしい考えだ。
やがてロンが苦しそうに唸った。

「僕もうお腹いっぱいだよ」

それを聞いたハリーも頷いた。

「そうだね。僕もだよ。そろそろ戻ろうか?」

クラッカーから出てきた帽子を被ったままハリーとロンがまず最初に立ち上がった。トレローニー先生が途端に大きな悲鳴をあげた。

「あなたたち! どちらが先に席を離れましたの? どちらが?」
「分かんない」

ロンが困ったようにハリーを見た。

「どちらでも大して変わりはないでしょう」

獅子の彫刻が載った三角帽子を被ったマクゴナガル先生はあくまで辛辣にそう言い放った。

「扉の外に斧を持った狂人が待ち構えていて、玄関ホールに最初に足を踏み入れた者を殺すというなら別ですが」

遠慮なしには吹き出した。数少ない生徒たちも口元を押さえて懸命に笑いを堪えているようだ。あのスネイプでさえ口の端を若干つり上げていた。彼も恐らくこの『占い学』教授のことは気に入っていなのだろう。トレローニー先生はいたく侮辱されたという顔をしていた。
ハーマイオニーに何やら声を掛けていたハリーは、その次にまだデザートを食べ続けているに顔を向けた。

「それじゃあ僕たちは寮に戻るね。またね、ルーピンさん」

はパイを頬張ったまま手を振った。ロンは広間を立ち去る前にこちらに近付いてきて「フレッドとジョージがよく君の話してるんだ。あんまりしつこかったら遠慮せずに追い返してくれていいからね?」と申し訳なさそうに肩をすくめた。
やがても満腹を通り越し、「ごちそうさまでした」と手を合わせて席を立った。ちらりとトレローニー先生に目をやると、彼女はまだひどく不機嫌そうに顔をしかめていた。

「それじゃあグレンジャーさん、お先に失礼します」
「ハーマイオニーでいいわよ。またね、

ハーマイオニーはなぜか深刻そうな顔をしていたが、はそのまま大広間を出た。
クリスマス・プレゼントは今朝、リーマス、フランシス、ニース、アイビスから届いていた。も彼女らにはささやかなプレゼントを贈っていたが、悩んだ挙げ句、想い人にはふくろうを飛ばさなかった。案の定、彼からも何の音沙汰はない。

(……分かってたけど、やっぱり寂しいな)

分かっている。セドリック・ディゴリーは優秀で優しい、クィディッチのシーカーでキャプテン、ハッフルパフのアイドル的存在だ。彼にとって私はただの一後輩でしかない。他の新入生と違うところがあるとすればそれは、彼女が他の同級生より少しばかり箒が得意で、来年のクィディッチ新メンバーとなる可能性が少なからずある、ということだけだ。彼からクリスマス・プレゼントなど、天地が引っくり返ったって届きやしない。分かっているのだ。

「五株のポインセチア」

聖女の肖像の前で呟くと、談話室の扉はパッと開いた。

「今日はクリスマスよ? なんて顔してるの?」
「ほっといてよ」

吐き捨てるように漏らすと聖女はくすりと笑った。
談話室には誰もいない。空気はひんやりと冷たい。は途端に泣き出しそうになり、手近なソファにバタンと倒れ込んだ。
(05.12.21)