「先生、この試合は中止にすべきです! ポッターが……」
確かに金色のスニッチを掴んだ彼は強くそう言った。ここからはこの大雨の中でも彼らのやり取りが比較的よく聞こえる。
「しかしディゴリー、あなたはスニッチを取りました」
「それはポッターが吸魂鬼に……!」
顔をしかめて叫ぶ彼のもとへ、紅のユニフォームを着た七年生が近付いていって熱のない声で呟いた。
「ディゴリー、君が勝ったんだ。君はハリーが落ちたことに気付かなかった……君に非はない、君たちが勝った」
「ウッド!」
それでも抗議の声をあげる彼を厳しい顔で見やってから、マダム・フーチは首からさがった笛を吹いた。
「ハッフルパフの勝利!!」
歓声をあげたのは観客席のほんのごく一部だった。彼女を含め多くの者たちの目は、担架で運ばれていくハリー・ポッターに釘付けだった。
THAT'S HE
校内にディメンターが入り込んだという事実は生徒たちの恐怖をひどく煽ってはいたが、それでもハッフルパフ寮にはどこかしら浮ついた空気が漂っていた。
「セド、おい、グリフィンドールに勝ったぜ、やったなぁおい!」
セドリック・ディゴリーは以前から人気者だったが、最近は彼を英雄のように奉る寮生まで出てきた。かのハリー・ポッターにハッフルパフのディゴリーが勝った! と。
「やめてくれよ」
セドリックは嫌そうに顔を顰めた。彼のあんな表情は今まで見たことがない。
「あれは事故だ。僕がポッターに勝ったわけじゃない」
「事故だって何だって、お前はスニッチを取ったんだ! ディメンターが現れたのは競技場だ。お前とポッターは同じところにいたんだ、でもポッターは箒から落ちて、お前は落ちなかった! この差は大きい!」
「やめてくれって言ってるだろう」
セドリックは読んでいた本をパタンと閉じて談話室のソファから立ち上がった。「なんだよ」と口を尖らせる男子生徒を置いて彼はそのまま寮への階段を上がっていった。セドリック・ディゴリーは、そういう人だ。は隅のソファに座ったままフランシスの隣で小さく息をついた。
そして十一月の終わりにはレイブンクロー戦が行われた。ニ四〇対一〇でハッフルパフは惨敗。優勝争いからはあっさりと姿を消した。それでもセドリックは練習の手を決して緩めようとはしなかったが、残るはスリザリン戦だけときて他の選手たちは見るからに萎えていた。スリザリンも端からハッフルパフなど眼中にないといった様子である。はクィディッチの練習日を避けて談話室で休むセドリックに声を掛けた。
「セド、いいかな?」
彼はホグズミードで買ってきたと思しき色とりどりのキャンディを友人たちとつついているところだった。
「あ、。ちょうど良かった。ハニーデュークスの新作だ、あげるよ」
「ありがとう!」
は顔を輝かせてセドリックの手からピンク色の飴を一つ受け取った。一瞬指先が彼の大きな手に触れてしまい身体を強張らせるが、誰も気付かなかったらしい。ほっと胸を撫で下ろしそれを口にふくんでから彼女は言った。
「近々暇な時間あるかな? 前話してた箒のことなんだけど……」
「ああ、そうだね」
彼はくるりとこちらに身体ごと顔を向けて笑った。セドリックとお菓子をつついていた上級生たちが揶揄の声をあげる。
「え、何? セド、お前と箒デートか?」
「えーセド、そうなのかー?」
ひゅーと口笛を吹く五年生の男子生徒ふたりに「やめろよ」と物憂げに言い放つセドリック。やや胸が痛むのを何とか抑え込み、彼女は彼の顔を見返した。セドリックは囃し立てられてもなお平然としている。
「そうだなあ。僕はクリスマス休暇は家に帰るから……休暇に入る前に一度練習しておこうか? 今週金曜の放課後は大丈夫?」
少し考えて、は「大丈夫」と頷いた。
「は休暇中どうするの? ルーピン先生と帰るのか?」
そういえば。考えていなかったし、リーマスも何も言ってこない。彼女は「まだ決めてない」と答えた。
それじゃあ、と軽く言っては女子寮へと戻った。背中から先ほどの五年生がまたからかうような声をあげているのが聞こえた。
「なぁセド、やっぱとデートなんだろ?」
「吐いちまえよーセドー」
「違うって言ってるだろ。は飛行練習がしたいんだってさ。それで僕が付き添うことにしてるんだよ」
「若手を育てようっての? そのついでにデートか! ずるいな、キャプテンの特権だ!」
「……いい加減、その思考から離れろよ」
彼の溜め息を聞きながら、彼女はぎゅっと固く目を閉じて階段を駆け上がっていった。
クリスマス・ムードに包まれたホグワーツでは、休暇を目前にしてどの生徒たちも浮き足立っていた。それとは対照的に彼女は一人でひどく落ち込んでいた。休暇中親友のフランシスが自宅に戻るということもあるが、それよりも。
金曜日が近付いてくる。
フランシスに言わせれば「一世一代のチャンス!」なのだが、緊張のあまりの気持ちは萎えていく一方だった。
そして木曜日の晩。就寝時間をかなり越えてから、彼女はそっと布団を抜け出して誰もいない談話室へと下りた。緊張の塊が一気に押し寄せてきたようでとても眠れやしない。窓際の蝋燭を数本灯してぼんやりとガラスの向こうに降りしきる粉雪を眺める。
その時。
彼女は暗闇の中で何かが閃くのを見た。
(何だろう?)
目を凝らした時にはもうそこには何も見えなかった。けれど。
(……犬?)
城の側でそんな動物を見たことは今までなかった。
「気のせいかな…」
呟いて、彼女は談話室の隅に申し訳程度についた小さな流し台へとその爪先を向けた。ホットミルクでも飲んで布団に戻ろう。クマを作って彼に会いたいとは思わない。