全生徒が大広間へと集められた。これから先生たち全員で城内の捜索をするという。ダンブルドアが出した寝袋を引っ掴んでフランシスと広間の端の方まで移動したところで、どうやらダンブルドアが広間を出て行ったらしい。途端に辺りはがやがやとうるさくなった。シリウス・ブラックが押し入ろうとしたグリフィンドールの生徒たちが事件の話を始めたのだ。
「太った婦人の絵が滅多刺しさ!」
「婦人が逃げ出しちまった!」
の移動した側にはウィーズリーの双子がいた。彼らは目ざとく彼女の姿を見つけるとすぐさまこちらに寝袋を引きずってきた。
「の近くで寝られるなんて不幸中の幸いだね!」
フレッドが言った。ジョージも大袈裟に頷いてみせる。フランシスはさっさと寝袋に潜り込み、こちらの喧騒には関わらないことを決めたらしい。は眉根を寄せた。
「ふざけないでよ、こんな時に。シリウス・ブラックが怖くないの?」
「怖いさ! 少なくとものお小言くらいはね!」
「いい加減にしてよ!」
肩をすくめるジョージには握った拳を振り上げた。その時。
「みんな寝袋に入りなさい! お喋りはやめたまえ! 消灯まであと十分!!」
グリフィンドールの監督生が大声で言った。この双子の兄だ。フレッドとジョージは顔を見合わせて「パースのやつさすがに張り切ってるぜ」「こんな時しか偉そうなこと言っても聞いてもらえないからな」と可笑しそうに笑った。やがて彼女の周りでは、シリウス・ブラックがどうやってホグワーツに入り込んだかみんなが色々と想像を巡らせていた。
「変装だよ! いや、奴は透明マントを持ってるのかも」
「空から来たんだよ!」
「ブラックは『姿現し』が出来るんじゃねえか?」
そのどれもが有り得ない推測だということはにすら分かった。新入生の歓迎会でダンブルドアが言ったことを忘れたのだろうか。『姿現し』という術もホグワーツでは出来ない、と少し離れたところでグリフィンドールの先輩が話しているのが聞こえてきた。
なぜシリウス・ブラックは、ホグワーツなどに現れたのだろう。
双子が示す様々な見解(どれも下らない想像だ)に適当に相槌を打ちながらぼんやりと考える。シリウス・ブラックの記事を初めて見たのは確か七月のことだった。よくよく見ると優しい目をしている。私がそう言うと、リーマスは大きな声を出して怒ったっけ。
「灯りを消すぞ! 全員寝袋に入って、お喋りはやめ!」
あの監督生が怒鳴った。フレッドとジョージは不貞腐れた顔で、ふんぞり返った兄を睨み付けていた。蝋燭の灯りが一斉に消えた。
dear senior
それから数日というもの、学校中シリウス・ブラックの話で持ち切りだった。同じ寮の三年生であるハンナは談話室でもどこでも誰かを引き止めては「ブラックは花の咲く灌木に変身できるのよ! そうに決まってるわ!」と喋りまくった。も軽く数十分は捕まった。
何か不吉なことでも暗示しているかのように、天候は日に日に悪くなっていった。そしてクィディッチ開幕戦が迫る中、ハッフルパフにとある知らせが舞い込んだ。
「三日後のグリフィンドール対スリザリン戦が、グリフィンドール対ハッフルパフになった」
談話室でセドリックが大きな声を出した。
「何だそれ? いきなりそんなこと言われても……」
チェイサーのニ年生が口を尖らせた。セドリックは困ったように笑う。
「仕方ないさ、スリザリンがシーカーの腕がまだ治ってないから試合は出来ないと言うんだ。大丈夫、うちは今年はチームを編成し直したし、十分練習もしてきた。自信を持って臨もう」
「知ってるぜ。マルフォイのやつ、とっくに怪我なんて治ってるって。スリザリンのやつら、こんな天気じゃやりたくねえってわけか。とんでもねえ野郎だぜ」
ビーターの五年生がチッと舌打ちした。すると談話室でくつろいでいたハッフルパフ生たちは口々に選手たちに声を掛けた。
「今年はいけるって、ハース。セドの言ったこと信じろって」
「そうよ! 今年のハッフルパフは違うわよ!」
選手たちは幾分もその言葉に励まされたのだろう、仕舞いには「よし! 打倒グリフィンドールだ!」と拳を握って意気込んでいた。とフランシスもその様子を見て微笑んだ。と。
ふと顔を上げたセドリックと目が合った。途端に胸の鼓動が暴れ出し、彼女は真っ赤になってそのまま彼からあからさまに目を逸らしてしまう。フランシスはセドリックのことでの動きがぎこちなくなるといつも彼女を冷やかした。
試合前日、風は唸りをあげ、雨は一層激しく降った。廊下も教室も真っ暗で、先生が松明や蝋燭の数を増やしたほどだ。試合前の最終練習は昨日終わり、選手たちは窓の外が真っ暗になってかなり経ってから談話室に戻ってきた。
その日、彼女はひとりで図書館にいた。フランシスはいつの間に知り合ったのか、レイブンクローの三年生と校内デートだという。は箒に思いを馳せながら『クィディッチ今昔』をのんびりと読んでいた。窓を叩きつける雨が若干喧しく時折顔を顰める。彼女が読書に集中できたためしはない。脇を誰かが通る度に気が散ってはちらちらと顔を上げた。それを何度か繰り返していると。
「じゃないか」
彼女の隣にセドリック・ディゴリーが立っていた。彼の脇には何冊か教科書が抱えられている。は慌てて本を閉じた。
「セ、セド」
「あーいや、邪魔するつもりはなかったんだ。いいよ、そのまま読書続けてて。ここ、いいかな?」
そう言って彼は机を挟んで彼女の向かいの席を示した。かくかくした動きで彼女は頷いた。
「何読んでるの?」
教科書や羊皮紙を広げながらセドリックが口を開く。は閉じたままその表紙を彼に見えるように持ち直した。
「あぁ、それか。僕も一年の時に読んだよ。結構面白いよね」
「うん、まだ最初の方だけど」
笑った途端カチカチと不自然に歯が鳴ってしまった。は慌てて口を閉じた。幸いセドリックは何も思わなかったらしい。笑いながら言ってきた。
「やっぱりはクィディッチに興味があるのかな?」
頬が紅潮する。彼女は俯き加減に口を開いた。
「あー、うん、ちょっとは、ね」
「そうかそうか、それは君にとってもハッフルパフにとってもプラスになるだろうと思うよ。チェイサーとビーターに七年生がひとりずついるんだ。来年は彼らのポジションが空くから入団試験を実施するしね。やるならはどっちがいい?」
「え? セド、そんなこといきなり言われても……」
口ごもる彼女に、セドリックは小さく吹き出した。
「あーそうだね、ごめんごめん」
そして彼は羽ペンとインクを取り出してからパラパラと教科書を捲る。魔法薬学の教材のようだった。彼女の視線に気付いたのか、セドリックは顔を上げ言った。
「ああ、スネイプの課題が出ててね。あいつはクィディッチの試合があろうがなかろうが容赦しないから」
「……あー、そうだろうね」
溜め息雑じりに呟く。再び教科書に視線を戻した彼をぼんやりと眺め、彼女は軽く唇を噛んだ。
こんなに側にいても。私は何ひとつ。
『あーセドリックは諦めた方がいいよ? あの顔でしょ、性格もいいし、成績優秀、監督生だしクィディッチのシーカーでキャプテン……彼女もいるって話だし、新入生なんか相手にしないと思うよ?』
私はセドの、何なんだろう。
こんなに側にいても、私は。
気付いた時には彼女は椅子から身を乗り出して口を開いていた。
「ねえ、セド。お願いがあるんだけど」
彼は少し驚いたようだった。開いた教科書を机の上に置いて首を傾げてみせる。
「何だい? 」
彼女は自分の行動に仰天したがもう後の祭りだった。目を細め、そのまま続ける。
「飛行術、教えて欲しいの」
セドリックはしばらく真顔で彼女の瞳を見返したままだったが、やがて優しく微笑んで言った。
「僕でいいなら、喜んで」