クィディッチ・シーズンの到来はホグワーツを沸き立たせるに十分だった。ハッフルパフの選手たちがよく談話室を揃って出て行くのを見たし、グリフィンドールは殊更熱くなっていると聞いた。選手たちを怒鳴りつけて廊下を歩く七年生を横目に見ながらニースが小声で言った。
「オリバー・ウッドよ。うちの寮のキャプテン。この七年一度も優勝できてないんだけど彼は今年で最後だから、そりゃもうとんでもなく厳しいみたい!」
あのウィーズリーの双子を含め
彼らは彼女の存在に気付くと「ー!!」と嬉しそうに手を振ってきた
他の選手たちもやる気に満ちているようだったが、キャプテンのそれは見るからに尋常ではなかった。クィディッチ開幕戦はグリフィンドール対スリザリン。はもちろん獅子寮を応援していた。
そして今日はハッフルパフの練習日。四つの寮の中で一番弱いのがハッフルパフだという噂は聞いていたが、いつも笑顔を絶やさないセドリックを見ているととてもそんな気はしなかった。
選手団とすれ違ったのは談話室の入り口だった。図書館で呪文学のレポートを書き終え独り寮へと戻ってきたは出会い頭にセドリックと衝突したのだ。
「ちょっと、気を付けてよ。この大事な時期にセドが怪我したらどうしてくれるの?」
チェイサーの六年生が彼の後ろから怒鳴った。どうやらぴりぴりしているのはグリフィンドールのキャプテンだけではないらしい。「ごめんなさい」とか細い声で告げると、セドリックは「メイ、一年生に当たるんじゃないよ」、先ほどの六年生にちらりと目をやりを見て笑った。
「気にしないでいいよ。君とはここでよくぶつかるね」
ポッと顔から火が出る。は慌てて俯くと脇に避けて選手団が通れるようにした。メイは彼女の横を通り過ぎる時にもう一度「気を付けなさい」と言い放ち去っていった。
彼らの姿が見えなくなってから、その場に立ち尽くす彼女に扉の聖女が口を開いた。
「彼は一筋縄ではいかないわよ、お嬢さん?」
WHO RESEMBLES ME?
「ホグワーツの中で一番飛行術がうまい生徒?」
『箒飛行術』の授業を終えたはひとりで残りマダム・フーチに近付いた。もっと飛行術の練習がしたいと申し出ると、マダムは顔をしかめ「私は近頃非常に多忙ですし、かといって一年生がひとりで授業時間外に飛ぶことを易々と許可するわけにはいきません」と言った。
「それなら、誰か先輩にでも教えて頂ければ構わないということですか?」
フーチは箒の柄を持ち直し大きく息をついた。
「先輩と言いましてもね……余程実力のある生徒でなければ同伴してもらったところで役に立つとは思えませんが」
「それなら、一番飛行術の上手な先輩を教えて下さい! 直接頼みに行きます!」
マダムはかなり渋っていたが、「そこまで練習をしたいと言うのなら」と重い口を開いた。
「グリフィンドールの三年生のポッターを知っていますか?」
はきょとんとした顔で相手の顔を見返した。ポッター? ポッター? まさか、あの?
「それってまさか……あの、『ハリー・ポッター』ですか? あの人が今、ホグワーツに?」
マダム・フーチはかなり驚いたようだった。鷹のような目を真ん丸にして訊いてくる。
「ポッターがホグワーツにいると、知らなかったのですか? ルーピン先生も教えて下さらなかったと?」
「あー……はい」
「そうですか」と呟き、フーチは続けた。
「ポッターは現在ホグワーツでは最も飛行術に秀でた生徒の一人です。彼は一年生でシーカーに選ばれ、常にチームに勝利をもたらしてきました」
驚愕と感激に胸が震える。だがすぐに、彼女は数日前の友人の言葉を思い出した。
「でも先生、常にチームに勝利をもたらしてきた、と仰られましたが、グリフィンドールはこの七年、優勝していないと」
「それは……ええ、色々と災難が……あったのですよ。しかしポッターが出場した試合は全てグリフィンドールが勝ちました。去年のグリフィンドール対ハッフルパフ戦では、ポッターが開始五分でスニッチを掴んだ試合もありました」
マダムはそう言ってから、がハッフルパフ生だと思い出したのだろう、気まずそうに言葉を濁しながら言った。
「あー、今年のハッフルパフはディゴリーがキャプテンになりましたからね、期待していいと思いますが……まぁとにかく、一番飛行術のうまい生徒は誰かと訊かれたら私はポッターだと答えます」
ありがとうございました、と軽く頭を下げると、マダムは思い出したように付け加えた。
「しかしミス・ルーピン。クィディッチのシーズンも始まりましたし、あまり選手に迷惑をかけることのないよう」
「はい、先生」
もう一度頭を下げ、は踵を返して歩き始めた。その足取りは心なしか軽かった。
ハリー・ポッターに声をかけようとするだけで、は一年のうちに働かせるのと同じくらいの脳みそを使い果たしたかのような疲労感に襲われた。いつもいつも彼は獅子寮の友人たちに囲まれており、彼らはまるでアイドルに喧しい記者たちを決して近づけさせまいとするマネージャーのように奮闘していた。後でニースに聞いた話によると、どうやらスリザリンの魔の手からシーカーを守り抜こうと寮中が一丸となっていたらしい。迷惑な話だ。
そんなこんなで彼女がハリー・ポッターに初めて接近できたのはハロウィンの日だった。は廊下を一人でとぼとぼ歩く彼を見つけて思わず息を呑んだ。どうして今日は一人なんだろうか?
彼女は小走りで彼に追いついて後ろから声をかけた。
「あの……ポッターさん?」
彼は振り向きざまに上擦った声をあげた。かなり驚いたらしい。は慌てて頭を下げた。
「ごめんなさい、驚かせるつもりは……」
「君……確かルーピン先生の?」
今度は彼女が驚く番だった。目を丸くして口を開く。
「私のことご存知なんですか?」
ハリーは力なく笑んだ。
「ルーピン先生の娘さんでしょう? みんな知ってるよ」
やや頬を赤らめて照れ笑いする。彼女は元気よく言った。
「ハッフルパフの・ルーピンです。ポッターさんにお願いがあって……少しいいですか?」
「僕に?」
彼は素っ頓狂な声をあげる。は彼があまりに普通の少年なので逆にびっくりしてしまった。彼女は伝説の中の『ハリー・ポッター』しか知らない。
「あの……私、箒が大好きなんです。それで、放課後も練習をしたいってフーチ先生にお願いしたんですけど、先生はお忙しくて無理だって。でも、飛行術が学校で一番得意なポッターさんと一緒なら構わないって仰ったんです。それで……あの、いきなりすごく厚かましいと思うんですけど、もちろん、空いている時間でいいんです! その、ポッターさんが空いてる時間に、少しでも練習を見ていただければと思って」
「え?ぼ、僕に?」
ハリーは明らかに狼狽していた。しかしやがて意を決したように彼はゆっくりと口を開いた。
「えーっと……ルーピンさん、申し訳ないんだけど僕は人に教えられるような人間じゃないし、クィディッチ・シーズンも始まって最近はすごく忙しいんだ。それに……えぇと、君は、ハッフルパフなんだよね?」
「はい」
頷くと、彼は困り果てた顔でくしゃくしゃの頭を掻いた。
「君は
えぇと……その、クィディッチの選手なの?」
「え?」
間の抜けた声をあげは慌ててかぶりを振った。
「まさか! 私、一年生ですよ?」
それに、もし選手だとすれば他のチームのメンバーに練習を見てくれなど頼むだろうか。彼は少しだけ安堵したようだったが、すぐに苦笑いを浮かべ続けた。
「でもきっと、そんなに飛行術が好きなんだったら、きっと来年あたりは選手になるんじゃないかな? ウッドが去年言ってたよ、そろそろハッフルパフも選手の入れ替えを
あー、うーん、えーと……するんじゃないかな、って。あ、ウッドって、グリフィンドールのキャプテンなんだけど。それで、その、他の寮の選手に飛行術を教えたなんて知れたら……きっと僕、ウッドに殺されちゃうよ」
そこで彼女は初めて、自分に選手になりたいという願望があることに気付いた。セドリックの顔が脳裏を過ぎる。
確かに、ポッターさんの言う通りかもしれない。
は足元に下ろしていた目線をハリーへと戻して小さく笑んでみせた。
「……そうですよね。どうかしてました、他の寮の先輩に頼むなんて。すみません」
「ううん、役に立てなくてごめんね。頑張って」
申し訳なさそうに笑うハリーに軽く頭を下げ、彼女は踵を返そうとした。その時。
「あの、ルーピンさん、ちょっと訊いてもいいかな?」
は驚いて振り返った。ハリーは先ほどまでとは打って変わってひどく深刻そうな顔をしている。
「何ですか?」
彼はが歩き出したことであいてしまった距離を数歩歩いて詰め、周囲を見渡して人影がないことを確認してから小声で言った。
「ルーピン先生のことなんだけど」
「え?」
今度はが上擦った声をあげ思わず後ろに引いてしまった。
「な、何ですか?」
ハリーはもう一度辺りを見回した。
「ルーピン先生は……身体のどこかが、とても悪いの?」
どきりと鼓動が高鳴った。額から汗が噴き出す。はハリーに顔を見られまいと俯いて言った。
「はい、そうですけど……それが、何か?」
「ホグワーツに来るまでは、薬、どうしてたの?」
どうしてそんなことを訊くんだろう。彼女は何と答えれば良いのかかなりの時間思案した。
「それまでは……あまり薬は使ってませんでした。ホグワーツに来ることになって、そしたらスネイプ先生がリーマ……あ、いえ、ルーピン先生に効く薬を調合できるほどすごい先生で……だからここに来てからは、スネイプ先生の煎じて下さった薬を飲んでます」
「ルーピン先生は……スネイプ先生を信用している、の、かな?」
彼の緑色の瞳は明らかに不信に満ちていた。
ああ、きっと、彼はたまたま脱狼薬を見てしまったに違いない。ゴブレットから怪しげな煙の立つあの薬を見れば誰だって疑いたくもなるだろう。だがリーマスにきっぱりと言われて以来、彼女は脱狼薬に関してはスネイプへの不信感は消えていた。
は笑って告げた。
「はい、私もスネイプ先生は大嫌いですけど、でもあの薬に関してだけは信用してます。心配して頂いて、ありがとうございます」
その時、突然ハリーの目が彼女を通り越した背後に釘付けになり彼は固まってしまった。同時に、あの不気味な声が聞こえてくる。
「これはこれは
珍しい取り合わせで」
嫌な予感が的中した。
振り返るまでもなく、そこにスネイプが立っていた。彼は口の端をつり上げ、黒い目には嘲りの色を浮かべ。
「実に奇妙な
ああ、まことに……奇妙な、二人だ」
「何が、奇妙なんですか」
目を細め呟くと、ハリーにそっとローブの裾を引っ張られた。振り返ると彼は視線だけで「止めておいた方がいい」と言った。
スネイプがまたフンと鼻を鳴らし笑った。
「ポッター、貴様が、何かおかしな入れ知恵でも彼女に与えていたのかね? そう、ちょうど君の父親のようにな」
ハリーの顔に一瞬のうちに憎悪の表情が浮かんだのが分かった。スネイプは気にせず、続いての顔を覗き込んだ。
「ポッターも不気味なほど父親に似ておるが
君も負けてはいないようだな、ミス・『ルーピン』?」
その含みのある言い方に彼女は眉をひそめたが、それどころではなかった。ハリーが拳を振りかざし声を荒げた。
「黙れ!!」
「ポッターさん!!」
は逆上した彼を慌てて押さえ込んだ。ハリーは何とか踏み止まったようだった。
「何とも無礼な。グリフィンドールは十点減点だ」
さらりとそう告げるスネイプ。彼女がじろりと睨み付けると、スネイプは更に目を細めた。
「君も減点されたいのかね? ルーピン」
答えずに睨み続けると、彼はまた鼻を鳴らして続けた。
「母親譲りのその生意気な黒い目以外は
君は本当に不気味なほど、あの男にそっくりだな。虫唾が走る」
「……黙れ」
再び声をあげるハリーを押さえ、彼女は目を丸くしてスネイプを見やった。
「そっくりって……どういう……?」
スネイプはただ口の端を上げ笑うと、サッとマントを翻してその場を去っていった。あとには歯軋りを漏らすハリーと、呆然と立ち尽くすだけが残された。
やがて落ち着きを取り戻したハリーは、「取り乱してごめん」と謝った。
「いいえ、ポッターさんがキレなかったら私がキレてました。ポッターさんだけ減点されて、すみません……」
「いや、いいんだ。スネイプに減点されるのは一年生の頃から慣れてる」
は顔を上げて、俯いたハリーを見た。彼はもう三年も、ずっとあんな教授の攻撃に耐えてるんだ。きっと彼の父親もスネイプに嫌われていたのだろう。
と、突然ハリーはの顔をじっと見つめてきた。彼女は頬を赤く染めて声をあげた。
「な、何ですか?」
彼はそれからもしばらくを見据えたままだった。だがやがて、怪訝そうな顔をして言った。
「君……あんまり、ルーピン先生に似てない……よね?」
は答えなかった。
スネイプのあの言葉には彼女自身引っかかっていた。彼女は一度だって父親似だなどと言われたことはない。それはリーマスの顔を見ればすぐに納得できる。彼女は母親似だとリーマスにもよく言われていた。
母の写真は全く残っていなかった。彼女は写真がひどく嫌いだったらしい。けれどは父親の愛に満たされて育ったため、あまり寂しさを感じずに済んだ。幼い頃満月の日にリーマスの代わりに世話をしてくれていた女性もとても優しかったのを覚えている。
彼女はしばらくハリーと一緒に廊下を歩いていた。二人は何も喋らなかった。やがてハッフルパフとグリフィンドールの分かれ道まで来ると、ハリーが先に「じゃあね。また」と切り出して去っていった。彼女はしばらくその後ろ姿を見つめていたが
何だか寂しそうな背中だった
かぶりを振って寮への道をゆっくりと歩き始めた。
シリウス・ブラックが城内に入り込んだのはその日の晩のことだった。