キングズクロスの九と四分の三番線で私はリーマスと別れた。リーマスは男親の、いわゆる『親バカ』なんて言葉を体現したような大人では決してない。彼は素直に「汽車の中まで父親と一緒だなんて恥ずかしいだろう? ここで別れよう。またホグワーツで」と小さく微笑んで手近なコンパートメントに入っていった。私はそこからしばらく歩いて空っぽのコンパートメントを見つけるとそこに座った。やがて私と同じくらいの年恰好の女の子がひとり不安げな顔をして「ここ座ってもいい?」と顔を覗かせたので私は「いいよ!」と言った。
汽車の旅は同じコンパートメントの新入生たちと楽しく過ぎていくはずだった。けれど。
ガタン!
どんどん速度を落としていた汽車は突然音を立てて止まった。
generational change
アズカバンの看守ディメンターがホグワーツ特急に現れた。未だかつて感じたことのないような悪寒が全身を駆け巡り、身動きがとれなくなったのを覚えている。ホグワーツへ着いた頃はその話題で持ちきりだった。
「ホグワーツの警備にディメンターが就くらしいよ?」
「えーやだ怖い!」
汽車で知り合った新入生のニース、アイビス、フランシスは口々に何やら囁きあっている。は組み分け帽子を前にして大広間をぐるりと見回していた。先生たちがずらりと並んだ長机にはちゃんと父の姿もあり、嬉しさに思わず頬を綻ばせる。彼のローブはぼろぼろで他の先生たちと比べれば殊更みすぼらしかったが、彼はこちらにちらりと目配せして微笑んでみせた。も彼に小さくウインクを返す。
やがて組み分けの儀式が始まり、ニースはグリフィンドール、アイビスはレイブンクロー、そしてフランシスはハッフルパフへと組み分けされた。みんなバラバラのテーブルに着くのを見ながら、は自分の順番を待っていた。
「ルーピン・!」
残りわずかの新入生たちの固まりから前へと進み出る。リーマスに目をやると彼は「落ち着いて」と唇で伝えてくれた。口の端で笑んでスツールに腰掛ける。帽子はしばし悩んだ挙げ句「ハッフルパフ!」と叫んだ。テーブルに着くと、フランシスが嬉しそうに迎えてくれた。
こんなに同世代の魔法使いばかりが集まる場所は初めてだったため、は落ち着きなくきょろきょろと辺りを見回してばかりいた。そして同じテーブルの少し離れた場所にいた上級生らしき青年に胸の高鳴りを覚え、「あの先輩は誰?」と周囲に聞き回りようやく五年生のディゴリー先輩だと教えてもらった。その後しばらくはフランシスにからかわれる破目になってしまったが。
組み分けも終わると、校長であるダンブルドアが立ち上がり口を開いた。学校が魔法省の申し入れでディメンターを受け入れているということ(「やつらの目は透明マントですら欺けん」と彼は言ったが、そんな物を持っている生徒でもいるというのだろうか?)、そして新任教師がふたりいるということ。思わず顔がにやついた。
「まず、空席になっておった『闇の魔術に対する防衛術』を担当してくださることになったルーピン先生じゃ」
ぱらぱらとあまり気のない拍手が起こった。は広間の所々からあがる大きなものに負けないくらいの拍手をする。フランシスを含め彼女の周囲の生徒たちは目を丸くしてこちらの顔を覗き込んできた。
「『ルーピン』って……まさかの、お父さん?」
彼女はすぐさま頷いた。「へー」としばらくは彼女に周囲の好奇心の目が向けられていたが、それもすぐに止んだ。フランシスはと教員席のリーマスとを見比べながら、ぽつりと呟く。
「でもあんまり似てないみたいね?」
は苦笑いした。
「うん、私は完全にお母さん似らしいよ」
「らしい?」
フランシスが首を傾げてみせる。は溜め息雑じりに漏らした。
「お母さんは……私が生まれてすぐ、死んじゃったみたいだから」
フランシスはばつの悪そうな顔をして「ごめんなさいね」と言った。が答えずに校長に視線を戻すと、彼は二人目の新任教師の紹介を終えた頃だった。『魔法生物飼育学』の先生は特急を降りてから城まで案内してくれたあの大きな森番だった。グリフィンドール席からはとりわけ割れんばかりの拍手があがっていた。
歓迎会も終わり、監督生についてそれぞれの寮へと向かう。の目は相変わらずセドリック・ディゴリーに釘付けだった。
「あーセドリックは諦めた方がいいよ? あの顔でしょ、性格もいいし、成績優秀、監督生だしクィディッチのシーカーでキャプテン……彼女もいるって話だし、新入生なんか相手にしないと思うよ?」
ニ年生の女子生徒にそう告げられ、は愕然と肩を落とした。
聖女の肖像画をくぐり抜けハッフルパフの談話室へと入る。その入り口で次々と新入生たちを中へと導くセドリックの横を通り過ぎる時彼の横顔に思わず見入ってしまうと、彼女の視線に気付いたのかセドリックがこちらに顔を向けた。ドキリと胸が高鳴る。彼は怪訝そうに顔を歪めることもなく爽やかに微笑み、再び新入生たちの列へと目をやった。
フランシスに声を掛けられるまではただ呆然と彼の横顔を見つめていた。
嬉しいことに、ホグワーツ初の授業は『闇の魔術に対する防衛術』だった。鼻歌を歌いながら朝食のヨーグルトを口に運んでいると、正面のフランシスが眉を顰めてみせる。
「親の授業受けるって、なんか嫌な気分じゃない?」
「ううん。何で?」
即答すると彼女は理解できないとかぶりを振った。
「って変わってるわね。この年になればちょっとは親に反発したりとかするもんよ?」
「フランシーはそうなの? 私はリーマスのこと大好きだよ?」
フランシスは呆れた、と肩をすくめた。がすぐにその顔を歪め、
「『リーマス』? あなた親のこと名前で呼んでるの?」
空になった深皿にスプーンを載せ「ごちそうさまでした」と両手を合わせてからは再び口を開いた。
「うん。何でかよく分からないんだけど、リーマスがね、『お父さん』って呼ぶと嫌がるんだ。名前で呼びなさいって。お父さんって呼ばれるとこそばゆいって言ってたかな? もうあんまり覚えてないんだけどね。行こう、フランシー」
そう言って立ち上がる。フランシスは合点のいかないといった顔つきをしていたけれど、「ええ」と頷き彼女について席を立った。
リーマスの授業は最高だった。レイブンクローとの合同授業だったのだが、手始めにと言って出してきたのはピクシー小妖精。その動きを止める呪文が何かと生徒たちに問い、「イモービュラス」と答えたハッフルパフ生に五点を与えた。そこで実習をして終われば普通の授業だったのかもしれないが、そこへ突然ポルターガイストのピーブズが現れ「ルーピンルーピームーニーのまーぬーけー」と歌い出した。憤慨したが怒声をあげようと拳を握ると、リーマスは視線だけで彼女を制し穏やかな笑顔でピーブズに声をかけた。
「やあピーブズ。久しいね。私はいま人生初の授業を始めたところで少しばかり神経質になっているのだけれどね?」
「知るもんかーやーいやーいルーピーのまーぬーけぇー」
べーと舌を出して同じような節を繰り返すピーブズ。親を愚弄し続けるそのポルターガイストを痛い目に遭わせてやりたいがまともな呪文の一つも知らない。リーマスが手にした杖を軽く掲げようとしたところで、の脳裏にパッと一つの考えが閃いた。父親よりも素早く杖を振り上げて叫ぶ。
「イモービュラス!!」
人を小馬鹿にしたような腹立たしい表情のまま、ぴたりとピーブズは虚空で固まってしまった。周りの生徒たちはハッと息を呑みピーブズと同じようにしばしの間動かなかったが、やがてほぼリーマスと同時に声をあげて笑った。リーマスの笑い声は一際高く響いた。
「はははっ! 、君には応用力があるようだね。習ったばかりの呪文をよく使いこなした。ハッフルパフにもう五点追加だ」
ハッフルパフ生の間から歓声があがる。は照れ臭そうに笑んで隣のフランシス、アイビスと顔を見合わせた。フランシスは悪戯っぽくウィンクし、アイビスは嬉しそうに目を細めてみせた。
一見不健康でみすぼらしいリーマスだが、彼はすぐさま生徒たちの間で人気者となった。根性曲がりのひねくれ者が多いというスリザリンだけは例外だったが。
廊下を歩くだけでは見知らぬ生徒たちからもよく声をかけられるようになった。主にリーマスのことを訊かれるだけであるが。父親が周りの人々に好かれていると分かるのはとても心地良かった。
が好きな科目は『闇の魔術に対する防衛術』の他にもう一つあった。『箒飛行術』だ。ホグワーツに来るまで彼女は箒に乗ったことはなかったが、どうやら少なからず才能はあったらしい。はあまりの快感にマダム・フーチに説教を食らうほど(減点は免れたが)遠くまで飛んでいったこともあった。だが一年生の箒持参は認められていないし、たとえ許されていたとしても父親にそんなものを購入する余裕などないことは彼女にもよく分かっていた。それ故飛行できる時間は限られており、はそのことに若干の不満を抱いていた。
「! ルーピン先生って私生活ではどんな父親なんだい?」
校内で出会う度楽しそうに話しかけてくるのはグリフィンドールの五年生ウィーズリーの双子だった。
「どんなって、普通だと思うよ? 怒る時は怒るし、普段は平凡な父親というか。でも私が小さい時リーマスの作ろうとしてたパンプキンパイの生地にしこたま塩入れた時は日付が変わるくらいまで説教された。そんなことで怒らなくてもね? たかが子供の好奇心じゃないの。砂糖を塩に変えたらどれくらい味が変わるんだろうって」
すると二人は心底可笑しそうに顔を歪め同時に叫んだ。
「、君には天性の才がある! 僕らに加わればこの上ないほど愉快な学生生活を送れること間違いなしさ!」
「あー、うん、考えておくよ」
投げやりに答え、はフランシスと共にハッフルパフ寮へと戻った。
「おかえりなさい」
扉に掛かった絵の中で微笑む聖女に軽く手を振り談話室へと入り込む。するとちょうどこちらへと向かって歩いていたセドリックとぶつかりそうになった。
「あ……ごめん、セド」
ドキドキと高鳴る鼓動を押さえつけて何とか口を開く。隣でプッと小さく吹き出したフランシスは「じゃあ私は先に部屋に戻るわね」とさっさと階段の方へ去っていった。
セドリックはニッコリ笑んで言った。
「あぁ、、おかえり。僕はこれからクィディッチの練習があるんだ」
「あーそっか……頑張ってね」
彼女は自然な笑みを浮かべようと必死だったが、それがうまくいったかは自分ではよく分からなかった。彼は「ありがとう」と目を細めたが、すぐに何か思い出したかのように口を開いた。
「そういえば、は飛行術がかなり得意らしいね。クィディッチに興味はあるかい?」
「え?」
目を丸くして相手の顔を見返すと、セドリックは目尻を下ろして小さくかぶりを振った。
「あーいや、別に今すぐって言うわけじゃないよ、もちろん。今年はもうメンバーも決まってるしね。ただ、もし君がクィディッチに興味があるんなら、来年以降だっていいから入団試験を受けてみるといいよ。それじゃあ」
そう言って彼は談話室を出て行った。心臓が喧しく鳴り響いている。顔からは異常なほどの熱が溢れ出しているのが分かった。誰もこちらに注意を向けていなくて助かった。は一生懸命顔を隠そうと肩まで伸ばした黒髪を頬に垂らし慌てて女子寮への階段を駆け上がった。