彼女は開かれた窓から少しだけ顔を出して、庭先の男に向けて声をあげた。
「シリウスーご飯だよー!」
地面に膝をついて庭小人を駆除していた彼は、振り返って微笑んだ。
こんな生活が、当然のように続くと思っていたんだ。
1ST BIRTHDAY
「これ、今朝採れたトマトだよ」
食卓に並んだサラダを示して告げる。向かいに腰を下ろした彼は、すぐさまそのミニトマトをつまんで口腔に放り込んだ。彼女は顔を顰めて非難の声をあげる。
「こら! 手は洗ったの?」
「あー、まだ……」
「今すぐ洗ってきなさい!」
苦笑を漏らしつつ席を立つ彼を見つめ、彼女はやれやれと息をついた。
ノースウェスト高地は海が近い。そこには魔法使いの小さな町があり、彼らはその一角に住んでいた。タオルで手を拭きながら戻ってきた彼に笑いかけ、彼女は食卓に着く。男の名はシリウス・ブラック、女は・ブラックといった。彼らはホグワーツ魔法魔術学校の同期であり、卒業後に結婚し北に移ってきた。
彼らは毎日を野菜を育てたり、町に出かけたり家でのんびりしたりと過ごしていた。ゴドリック谷の友人であるポッター夫妻のところにも、フルーパウダーを使ってよく遊びに行く。夫がポッター夫婦の一人息子にご執心で、両親も敵わないほどの親バカぶりを発揮してくれているからだ。それもただの彼の性質故ではなく、その赤ん坊の名付け親が、彼ら夫婦であるということもその要因ではあった。
「子ども、欲しい?」
以前彼女は彼にそう訊ねたことがあった。彼は驚いて彼女を見た。
「いきなりどうしたんだ?」
ベッドの上に座り込んだ彼女は、同じ布団の上で横になっている夫を見つめながら小さな声で言った。
「……だって、シリウス、ハリーのことすごく可愛がってるから」
ハリーとは、ポッター夫妻の息子の名だ。もうすぐ十ヶ月になる。彼は笑って彼女の手を優しく引いた。彼女はそのまま彼の懐に倒れ込む。シリウス・ブラックは彼女の背を抱き締めながらその耳元でそっと囁いた。
「そんなこと思ってねえよ。確かにハリーは可愛いけど、それはハリーが俺ら四人の子どもだからだ。変なこと気にすんじゃねえよ」
彼はよく、ハリーを『四人の息子』という表現をする。血の繋がった両親と、一生離れられない名前を考えた両親。ポッター夫婦もそれを快く思っていてくれたし、彼女も夫がそう言ってくれることでいくらか救われていた。
けれど。
「
でもシリウス、ほんとは……」
「あーはいはいはい、そこで終わり」
シリウスはの頭をぽんぽんと軽く叩くと、その鼻先に軽く唇を落として言った。彼女の頬が少し赤らむ。
「俺はお前がいてくれるだけでいいの。だから、そんなこと言うな」
「……ありがとう」
はそう言って、照れ臭そうに微笑んだ。以来彼女は、もうそのことに触れることはなくなった。
「口元にソースついてる」
が自分の唇の右側を示してそう告げると、彼はこちらに身を乗り出して甘えた声を出した。
「舐め取って」
「バカ」
冷たくあしらってベーコンエッグを口に運ぶ彼女に向けて唇を尖らせつつ、彼はナプキンで口元を拭った。それを見て失笑を漏らす。彼は不貞腐れた顔をした。
こんな生活が、当然のように続くと思っていたんだ。
ハリー一歳の誕生日パーティも一ヶ月ほど前に終わった。ポッター家には家の主であるジェームズ、リリー・ポッターに、シリウス、・ブラック、そして彼らの親友リーマス・J・ルーピンが集まった。同期であるピーター・ペティグリューにもふくろう便を送ったが、ここ数ヶ月彼からの返信はなかった。
「ワームテール、何してるんだろうね」
ショートケーキを口の中でじっくりと味わいながらリーマスが顔を上げる。ワームテールとは、ピーターのニックネームだ。小さく切ったケーキをハリーに食べさせながら、リリーが口を開いた。
「そうね、最近ピーターめっきり見ないわね」
「心配だね。彼は少し頼りないところがあるから。ちゃんとやっていけてるのかな」
ジェームズはキャッキャッと笑うハリーの頬を人差し指でつついた。その指をハリーの小さな両手が握り、横から覗き込むシリウスが歓声をあげる。
「何て可愛いんだ俺のハリー!!」
「シリウス、ハリーが動く度に喧しく叫ぶのやめてくれないかな? ハリーがびっくりするじゃないか」
ジェームズの言葉通り、ハリーがシリウスの発した大きな声に驚いて泣き出す。リリーはシリウスを思い切り睨み付け、腕の中の息子を優しくあやした。は毎度のその光景を見て苦笑する。リーマスはシリウスの見ていないところで彼のチョコレートケーキをこっそりと食べていた。シリウスはあまり甘いものが好きではないので、彼だけはビターのチョコケーキが割り振られていたのだ。
ベビーベッドの上でスヤスヤと寝息を立てるハリーを囲んで、彼らは柔らかく微笑んだ。
「気持ちよさそうね、ハリー」
が呟くと、リリーが笑った。
「この子には
これからもずっと、幸せに生きて欲しいわ」
「もちろんさ」
ジェームズがリリーの肩を抱き寄せて漏らす。リリーは嬉しそうに頬を緩め、ベッドの上の我が子に手を伸ばして言った。
「生まれてきてくれて、ありがとう、ハリー」
「ありがとう」
ジェームズもポツリと呟く。シリウス、、リーマスも、それぞれ口々に囁いた。
「生まれてきてくれて、ありがとう、ハリー」
こんな生活が、当然のように続くと思っていたんだ。