城に戻ってから、ようやく踏ん切りがついた。何も言わないセブルスと共に、就寝時間も過ぎて静まり返った廊下を校長室へと歩く。

 ダンブルドアはこの2日の間に起こった出来事を順に説明してくれた。ハロウィンの夜、闇の帝王がゴドリック谷のポッター家を襲った。ジェームズとリリーは死に、愛≠ニいう彼女の護りによって帝王は力を失い、息子のハリーは生き延びた。そしてダンブルドアはその彼女の血を信じ、唯一の血縁である妹のところへハリーを届けた。ポッター夫妻の墓は村の外れにダンブルドアが作ったという。

 では、帝王はどうやってポッター家の場所を見つけ出したのか。

 私は知っている。確かにジェームズとリリーは、シリウスを秘密の守り人にすると言った。

 その場に立ち会ったわけではないが、守り人をシリウス、そして証人をピーターにしたのだろう。シリウスの裏切りを知ったピーターは彼を追い、返り討ちにあって周囲にいたマグルともども吹き飛ばされた。駆けつけた魔法警察部隊の特殊部隊にシリウスは捕らえられ、今日アズカバンに投獄されたという。

 取り乱さずに済んだのは、時間があったからだ。そして今でも      全く実感が、湧かなかったから。

「…本当に、シリウスが彼らを…?」

 やっとのことで口にできたのは、そこまでで。瞼を伏せる彼女に、ダンブルドアはそっと言った。

「残念じゃが…全てを考え合わせても、そう結論付けるしかない」

 信じたくない。いや、信じられない。でも。

 卒業後のシリウスを      私は…知らない。

 不安を打ち消すように軽く頭を振って、は唸るように言った。

「…そうですか。それより、先生。今日、レストレンジたちに会いました」

 彼女の言葉に、ダンブルドアもセブルスも揃って眉を顰める。は真っ直ぐに老人の青い瞳を見つめた。

「ベラトリクス・レストレンジ、ロドルファス・レストレンジ、ラバスタン・レストレンジ…死喰い人です。彼らは躍起になっています。ベラトリクスは私にも、帝王を探すのを手伝えと」

 ダンブルドアの目が鋭く細められる。

「彼らは帝王がどこかに身を隠していると考えています。帝王を見つけ出すためならあらゆる手段に出るでしょう。先生、帝王は本当にどこに行ってしまったんでしょうか」

 が言葉を切ると、ダンブルドアは顎鬚に手を当てて小さく唸った。

「…わしにも、分からぬ。じゃがあやつが死んだとは思えん、どこかで再び立ち上がる機会を窺っておるのはまず間違いないじゃろう。10年、20年…いつになるかは見当もつかぬが、あやつはいずれまた…」

 それは、も同じ意見だった。あの帝王が、いくら何でもそうあっさりと息絶えるとは思えない。セブルスの闇の印は少しずつ薄れてきており、そのことだけが帝王の凋落を証明しているようだった。

「とにかく今は、野放しになっておる死喰い人の残党を捕らえるのが魔法省にとっても先決じゃろう。それに先立って、セブルス、君には近いうちにウィゼンガモットに出廷してもらう。この週末になるじゃろうと思う。わしが保証人となる故、君もそこで包み隠さずに全てを告白するのじゃ」

 軽く頭を下げたセブルスが「分かりました、お願いします」と短く返す。もダンブルドアに一礼してサッと校長室を出た。

 地下牢研究室に戻るまで互いに一言も口を利かなかったけれど、部屋に入るなりは傍らに立つセブルスに勢いよくしがみついた。

 彼は何も言わず、ただそっと背を抱き返してくれた。

 シリウスの裏切りで、ジェームズ、リリー、ピーターが死んだ。そんなことは信じられない。でも、どうしても。

 悲しくて悲しくて、どうしようもなかった。
the LAST meeting
 卒業後、私にはセブルスしかいなかった。

 心の奥に潜むかつての親友たちの存在が消えてしまうことはなかったが、どうせ彼らと会うこともない。彼らを思い返すのは記憶の中だけだった。だから。

 死んだなんて、言われても。アズカバンに入ったなんて、言われても。

 まさか。

 信じられない。実感できない。

 騎士団の会合があればそこに、また彼らは姿を現すだろうと。

 けれど久し振りにが参加した騎士団の最後の会合には、ジェームズもリリーも、ピーターも、そしてシリウスも     

「みなも知っての通り、ハロウィンの夜、ヴォルデモートは力を失った。あやつの支持者はまだ野放しになっておる者が多いが、魔法省が総力をあげて探しておる故に我々騎士団としての役目はこれまでとしたい。みんな、これまで本当にありがとう。それぞれの役割には大いに感謝しておる。最後に、騎士団のためにその命をかけてくれた仲間たちを心から称えたい。みな、杯を」

 三本の箒、2階のいつもの部屋。ダンブルドアの声に、団員たちはそれぞれのグラスやゴブレットを手に取った。

「ギデオン・プレウェット、ファビアン・プレウェット。ドーカス・メドウズ。マーレーン・マクキノン。ベンジー・フェンウィック。キャラドック・ディアボーン。エドガー・ボーンズ。ジェームズ・ポッター、リリー・ポッター。そして      ピーター・ペティグリュー」

 どきりと心臓が跳ね上がった。ボーンズやマクキノンの情報を帝王に伝えたのは私だし、フェンウィックやプレウェット夫妻のことを帝王に教えたのはセブルスだ。そして彼らは仲間の死喰い人に殺された。

 そんな彼らと名前を並べられたということで。取り返しのつかないことになったような気がした。ああ、ジェームズは、リリーは。ピーターは。本当に、死んでしまったんだ。

 そしてダンブルドアは、一言もシリウスのことに触れなかった。

 彼もまた、大切な仲間ではなかったのか。

 ねえ、本当に。あなたが裏切ったの?

 セブルスはの隣で静かにワインを口に運んでいる。彼は今日の昼に行われたウィゼンガモットの評議会で無罪放免となって戻ってきた。ムーディは変わらずたちに不審な目を向けており、彼は無罪になったセブルスを見てフンと鼻を鳴らしてみせた。

 長テーブルの遠くに腰掛けたリーマスが無表情にグラスを傾けるのをはぼんやりと見つめる。傍らから聞こえてきたフランク・ロングボトムの声でようやく彼女はハッと我に返った。

、少しネビルの相手をしてやってくれないか。さっきからやけに君のことを気にしていてね」

 首を捻ると、フランクの向こうに座っているアリスが抱いた赤ん坊が無邪気に笑いながらこちらを見ている。人懐っこそうな丸い顔付きが母親にそっくりだ。伸ばしかけた手を、はそっと引っ込めた。

 フランクが怪訝そうな顔で首を傾げる。は開いた手のひらをギュッときつく握り締めた。

「…ごめんなさい。私には…できない」

?」

「…私の手じゃ…とても、触れない」

 こんな純粋な子供に。汚れたこの手で触れることなんて出来ない。

 アリスも目を瞬き、不思議そうにを見ている。たまらなくなっては勢いよく立ち上がった。

「…ごめんなさい、私には…ごめんなさい」

 団員たちの視線が一斉に集まるのも構わず、そのまま部屋を飛び出す。廊下の奥、薄暗い床に力なく座り込んでは顔を両手で覆った。身体中の震えが、止まらない。

 私はたくさんの人たちを苦しめ、殺してきた。その人たちと同じように、かけがえのない大切な親友たちを死なせた。

 たとえシリウスの裏切りがあったのだとしても。そもそも私があの予言さえ聞いていなければ。

 驕りかもしれない、でもシリウスがジェームズたちを裏切ったのだとしたら、それはひょっとして私のせいなのかもしれないという思いも少なからずあった。

『シリウスは今でも君を忘れられずにいる』

 サウスエンドオンシーで見つけたあのリングは。いつ戻ってくるかも分からない私のために用意してくれていたのか。それとも、ジェームズも知らない女性が彼の側にいたのか。それらしい痕跡はあの家にはなかったけれど。

「あまり目立つことをするな」

 呆れたように息をつきながら、セブルスが歩み寄ってくる。

 そう、彼はいつだって、私の側にいてくれた。

 とても拭いきれないほどの闇をこの胸の中に抱え込んでからは、いつだって。

 セブルスのすぐ後にやって来たダンブルドアは、静かにそっと言った。

「2人とも、もう戻っても良い。セブルス、今日はご苦労じゃった」

「いえ、お手数をおかけしました」

 丁寧に一礼したセブルスに小さく頷いて、ダンブルドアが会合の部屋へと去っていく。は零れかけた涙を急いで拭った。

 セブルスの手が、優しく頭を撫でてくれる。

「帰るぞ」

 迎えに来てもらった子供のように、その手を握って立ち上がる。この手があったから、私は今まで生きてこられた。

「…ねえ、セブルス」

 いつまでも握った手を放そうとしないに眉を顰めたセブルスが、さらにその眉間のしわを増やす。

 顔を上げ、は涙ながらに呟いた。

「…ありがとう」

 セブルスは無表情に、フンと鼻を鳴らす。

 歩き出した彼を追って小走りになりながら、は思った。

 絶望で満ちたこの世界でも。

 隣にいてくれる誰かがいるだけで、こうして、生きていける。








 ベラトリクスたちに遭遇したのはサウスエンドオンシーからの帰り道で、が彼の家にそのまま置いてきたシルバーリングのことをぼんやりと考えている時だった。

 ほぼ1年ぶりの彼女は憤怒に苛々と目を細めてを睨み、ロドルファスとラバスタンは疲れた顔でこちらに視線を向けた。

 鼻で笑い、ベラトリクスが口を開く。

「随分と元気そうじゃないの…いい気なものね。それとも心はすっかりダンブルドアのものってこと?だからあんたなんて信用できないとあれほど進言したのに。帝王の下から抜け出せてホッとしたでしょうね、ダンブルドアの後ろ盾もあってあんたはすっかり無罪!」

 いつでも杖を取り出せるようにとポケットに手を添えたが、一対三ではさすがに厳しすぎる。は慎重に相手の動きを見ながら軽く笑ってみせた。

「あんたに信じてもらおうなんて思ってないわ。疑うのなら勝手にしなさいよ。もちろんウィゼンガモットで無罪になったことで自由に動きやすくなったのは事実だけどね」

 カッと目を見開き、今にでも飛び出そうとしたベラトリクスをロドルファスがたしなめる。私やセブルスが完全に騎士団側についたと彼らに知らせるのは得策ではあるまい。

 目を剥いたベラトリクスがフンと鼻を鳴らした。

「今でもあんたが帝王に忠誠を誓ってるっていうんなら、私たちと来なさいよ!帝王がいなくなったなんて…とんでもない!必ずどこかにいらっしゃるわ…私たちが探し出す!」

 は息をつき、小さく首を振る。それでもポケットから右手だけは離さない。

「残念だけどそれは無理ね。私はホグワーツでの仕事があるの。せっかく勝ち取った無罪をふいにしたくないからね」

 今度こそベラトリクスは懐から杖を取り出してこちらに突きつけ、が反射的に全く同じ行動を取ったのもほぼ同時だった。呪文を発さずに済んだのはロドルファスの仲介があったからだ。

「2人ともやめておけ。そんなことよりも帝王をお探しする方が先決だろう。ベラトリクス、忘れるな。帝王はを必要としている。帝王がお戻りになればはまた帰ってくる。、そうだろう?」

「ええ、もちろんよ」

 間髪容れずにさらりと返す。は怒りに震えるベラトリクスの暗い瞳を真っ直ぐに見た。

「それから、ベラトリクス、忘れているようだから言っておくけれど、私の目的はアルバス・ダンブルドアの抹殺=Bどこにいるのか分からない帝王を当てもなく探し回るよりも、いずれ必ず*゚ってくるであろう帝王のために少しでもダンブルドアの側であの男の情報を集めておくことの方が賢明だと思わない?」

 ベラトリクスは苦虫でも噛み潰したような顔で口を噤み、ロドルファスとラバスタンは顔を見合わせて頷く。

の言う通りだ。、俺たちはあのお方を探しに行く。お前とセブルスはしっかりと向こう側の動きを探ってくれ」

「ええ、分かってるわ。当てはあるの?」

 口を開きかけたロドルファスに、ベラトリクスが鋭い視線を投げかける。それに気付いた彼は一旦言葉を切ったが、気にも留めない様子で続けた。

「今のところは全くだが…手がかりを持つ人間はいるはずだ。お前はもちろん、帝王の居所なんて把握していないよな?」

 は目をパチクリさせ、閉心術を使うまでもなく素っ頓狂な声をあげた。

「知るはずないでしょう!知ってたらとっくに…」

「いや、確認しただけだ。あとは俺たちがどうにかする。お前は密偵の任務に専念してくれ。それじゃあまた」

 言葉の続きをロドルファスが遮ってくれたのは幸いだった。彼の合図とともにラバスタン、ロドルファスが姿くらましし、ベラトリクスも舌打ちを漏らしてからぱっとその姿を消した。

 手にしていた杖を力なく下ろし、ふうと安堵の息をつく。あの3人と対決すれば危ういことになっていたろう。はゆっくりとポケットに杖を戻した。

 彼らが帝王を見つけ出せば。いや、でも帝王は力を失っているはずだ。そう易々と今までのように振る舞えるとは思えない。でももしも彼が復活の方法を手に入れれば、時代は繰り返す。

 ジェームズとリリーの死が、無駄になってしまう。

 何としてでも阻止しなければ。でも、どうすれば。とにかく今は死喰い人を殲滅させるしかない。魔法省に委ねるしか。

 袖の上からそっと左腕を撫でながら、は軽く唇を噛んだ。ハロウィンの夜に疼いて以来、覆われた闇の印は全く反応を見せない。帝王はどこに潜んでいるのか。彼が60歳を迎えればやはりこの印は再び浮かび上がってくるのだろうか。そう思うとぞっとした。

「何を考えている」

 ホグワーツの地下牢研究室。湯気の立つカフェオレを飲みながらぼんやりと虚空を見つめるの傍らでセブルスが口を開いた。「あー、」と適当に相槌を打ちながら首を捻る。

「色々よ」

「例えば」

「例えば?帝王のこととか帝王のこととか帝王のこととか?」

 眉を顰め、セブルスがマグカップを口に運ぶ。はテーブルにカップを置き、ソファの上で膝を抱えた。

「嘘。あなたのことを考えてた」

「それこそ嘘だな」

「あら、嘘じゃないわ」

 クスクスと笑い、セブルスの肩に頭を乗せる。

「信じられないの、何もかも。あんなに大嫌いだったあなたとこうして一緒にいることも、あなたはともかく私が魔法薬学の教員だってことも、突然帝王がいなくなったことも、それから…それから…」

 息が詰まり、涙に滲む視界を瞼で塞ぐ。肩を抱き寄せてくれたセブルスの腕の中は、胸が締め付けられるくらいに温かい。

 でも、どうしても      この穴だけは、埋まりそうになくて。

 友、そして愛する人を失った喪失感。シリウスへの不信感。何を信じればいいのか、分からなくなっている。

 否。

 今の私が信じることができるのは、たった一人、この目の前の。

「…セブルス」

「何だ」

 は腕を伸ばしてギュッときつく相手の首にしがみついた。コーヒーの匂いと、微かな薬草の匂い。

「…好き、だよ…」

 涙が、止まらない。

     知っている」

 彼がその短い言葉を口にするまでには、少し、時間がかかった。