ポッター家を去った後、とダンブルドアはその足でロングボトム家へと向かった。フランク・ロングボトムはを見ると僅かながら警戒心を見せたが、明らかにそれまでとは異なる彼女の雰囲気に少なからず驚いた様子だった。夫人には初めて会ったが、少しふっくらしていて人懐っこそうな女性だ。
「アリス、久し振りじゃのう。彼女は初めてじゃったかな。団員のじゃ。今はホグワーツで魔法薬学の補助をしてもらっておる」
「ええ、お話はフランクから。、初めまして」
朗らかに笑い、アリスが握手を求めてくる。はほんの一瞬躊躇したが、素直にその手を握り返した。
ダンブルドアはジェームズと交わした約束の旨をロングボトム夫妻に伝え、念のためにと彼らにも忠誠の魔法の使用を勧めた。
「…ですが、狙われているのはハリーの方だと」
怪訝そうに眉を顰め、フランクが口を開く。うむと唸ったダンブルドアはロングボトム夫妻を見つめてこう言った。
「その通りじゃが、ジェームズは…セブルスのこととなるとちと頑固でのう。君たちにも忠誠の魔法を使ってもらうことを条件にこの話を受け入れてもらったのじゃ。こちらがその約束を破るわけにはいかん」
夫妻は複雑な表情で目配せし合ったが、やがて真剣な面持ちでフランクが頷いた。
では、とダンブルドアがそっと立ち上がる。
「わしに秘密の守り人を任せてはくれんかのう。が証人となる」
目を瞬くの正面で、フランクは僅かに目を細めた。
「はい どうか、宜しくお願いします」
HALLOWE'EN night
ホグワーツに戻ってからのはそれまでと何ら変わりなく薬学の授業に臨んだ。いつものようにセブルスの補助をして薬品、薬草の準備を行い、落ち着きなく大雑把な作業をする生徒たちの間を巡回しながら時折足を止めて適切なアドバイスを与える。
セブルスは課題の分量に全く容赦がなく、必然的にその採点に割かれる時間も増えていった。
「セブルス、2年生の採点終わったから1年生のも私が済ませるわね」
「ああ、頼む」
は主に下級生、セブルスは主に上級生の採点を担当した。採点基準も非常にボーダーが高い彼に合わせてもできるだけ厳しくレポートに目を通すようにしている。脇に重ねてあった羊皮紙の束を取り上げて椅子の上に座り直しながら、は使い古した羽根ペンの後ろで軽く頬を掻いた。
2人は必要以上に騎士団や闇の陣営の話をしなくなった。それは少なくともは不信感からではなく、自分を騙してまで騎士団のために動いてきたセブルスへの敬意と深い信頼の念からだった。彼は今も帝王のもとへ赴きながら騎士団が有利になるようにと命懸けで取り計らっている。それならば、私には一体何ができるだろうか。
教師としての仕事で多忙な上、闇の陣営に足を運ぶこともできない。そんな私にできるのは、セブルスをあらゆる面で補助≠キることだ。彼がうまく心を閉じて密偵としての役割を果たせるように、自分にできることは何でも率先して行った。授業の準備に片付け、課題の採点。セブルスが任務で城を留守にしている時にはスリザリン寮の事務処理を代行することもあった。君の正式な役職はセブルス・スネイプ専属の助教授≠カゃ、とはダンブルドアの言葉。
ここ数ヶ月、は騎士団の会合にすら参加していなかった。ホグワーツに就職した今護衛や偵察の任務に割ける時間はほとんどないし、それならば他の団員たちに不快感を与えるような行動にわざわざ出なくても良いだろう、と。
だがジェームズとリリーの後押しもあり、は3日後にホグズミードで予定されている会合には出席しようと考えていた。
「そこでシリウスやリーマス、ピーターたちにも事情を説明するといいよ。大丈夫、本音をぶつけ合えばみんな分かってくれる」
ダンブルドアとポッター家を訪れたあの晩、帰り際にそう言ってジェームズが笑った。それはこの3年の空白を微塵も感じさせないような懐かしい、温かい笑顔で。涙が、止まらなかった。
シリウスに会える。受け入れてくれなくてもいい、あなたに嘘をつき続けているこの状態が苦しくてたまらなかったから。
抱き締めてくれるなんて思ってない。キスして欲しいなんて言わない。ただ剥き出しのこの気持ちで、彼と向き合いたかった。
その日は週明けのハロウィンで、数日前からやフリットウィックが飾り付けしたコウモリやカボチャの装飾品が城中の至るところで煌いていた。
「こうやって賑やかなハロウィン、久し振りね」
皮付きポテトを頬張って、がしみじみと漏らす。セブルスはぶっきらぼうに「煩いだけだ」と言って眉根を寄せた。
大広間では千匹ものコウモリが壁や天井で羽をばたつかせ、もう千匹が低く垂れ込めた黒雲のようにテーブルのすぐ上まで急降下し、くり抜いたカボチャの中の蝋燭の炎をちらつかせた。ご馳走が乗っているのは学生時代と変わらない金の皿で、は初めてこの空間で宴会に参加した時は自分がスリザリン生だったことを思い出して自嘲気味に笑んだ。
宴会が終わり、満腹になった生徒たちがそれぞれの寮へと戻ってしまうと、広間は先ほどまでの喧騒が嘘のようにしんと静まり返った。職員たちもぽつぽつといなくなり、セブルスもまた徐に立ち上がる。
それでも、は背もたれに身を預けたままぼんやりと天井を見つめていた。
「帰るぞ」
すぐ傍らのセブルスの声も、何だか彼方から聞こえてくる気がする。魔法が見せる夜空はとても澄んでいて、小さな星までもがよく見えた。
「…今夜は星が綺麗だね」
「どうした。気味が悪い」
今日は取り立てて反論する気にもならず、はようやく重い腰を上げた。肩をすくめるセブルスの後に続いて大広間を出、玄関ホールを横切って地下への石段を静かに下りる。
研究室に戻るや否や、は隅のソファにどさりと身体を投げ出した。肩が重い。今日は空き時間にデスクワークをやり過ぎた。顔を顰めながら拳で自分の肩や背中を軽く叩く。
「頼んでおいた明日の実習の準備はできているか」
自分の机に着いたセブルスが本立てから引き抜いた教科書を捲りながら訊いてくる。は物憂げに伸びをしながら投げやりに言った。
「6年生の方よね。ボネット教授から頂いた薬草は教室に準備してあるから、寝る前に蛇の牙とコウモリの爪、ユニコーンの角をチェックすれば完了」
「そうか。頼んだ」
短く返し、セブルスが閉じた教科書を脇に置いて机上の羊皮紙を手に取る。スリザリンのクィディッチチームのキャプテンが宴会直前に明日の競技場予約の書類を持ってきたのだ。心底呆れた様子でそれを受け取ったセブルスは大広間で他の寮監に声をかけていたが、明日の予約は既にレイブンクローが取っていた。
寝る前に結果を聞きにくるようにと告げられ、就寝時間ぎりぎりにやって来たキャプテンのセスナに、セブルスは「無理だった。次からはもう少し計画性を持って動くように」と冷たく言い放ちさっさと研究室から追い返した。
「セブルス、後のことは私がやっておくから先に寝れば?」
机の上の書類を整理しているセブルスに、ソファから立ち上がったが声をかける。数秒の沈黙を挟んでから、彼は素直に「頼む」と言って寝室へと下がっていった。
「おやすみ」
セブルスの消えた部屋の中で呟く。以前の彼は自分が私よりも先に寝付くのが気に入らない様子だった。それが今は余程疲れているのか、それとも信頼してくれているのか就寝前の軽い片付けは彼女に任せることが増えた。大掃除ともなれば「お前に任せるとその′纒ミ付けが厄介だ」といって何としてでも自分で済ませようとするが。
は2人の机の上と棚の本、薬品を簡単に整理してからそっと研究室を出た。頬を撫でる空気は、既に季節は冬を迎えているということを否応なしに思い出させる。冬は嫌いではないが寒さは苦手で、夏の日差しをキラキラと反射する海は好きだが暑すぎるとむかむかする。
それでも、学生時代はその1年1年が本当に楽しかった。
ジェームズの元気な笑顔があって。リリーの温かい笑顔があって、ニースの穏やかな笑顔があって。リーマスの優しい笑顔があって、ピーターの頼りない笑顔があって。
シリウスの不器用な笑顔があって。
初めての騎士団の会合で突き放して以来、リーマスとはまともに顔も合わせていない。シリウスとは何度か任務で一緒になったがほとんど口も利いていない。ピーターはよく体調を崩しているようで会合自体にあまりやって来なかった。
次の会合で。みんなと。
彼らがいたから、私はやってこられた。彼らがいたから、私は幸せな学生生活を送ることができた。
は倉庫から明日の実習に必要な材料を取り出して薬学の教室へと運んだ。保管庫に丁寧に置き、欠伸を噛み殺しながら研究室に戻る。
寝室のベッドに倒れ込むように横たわったは、暗がりの中で広げた自分の手のひらをぼんやりと見つめていた。
最後に視界の裏に浮かんできたのは はにかむように笑んだ、あの学生時代のままの、シリウスの横顔。
知らぬ間に眠り込んでいた彼女が目を覚ましたのは、どこかに鈍い痛みを感じたその真夜中のことだった。顔を顰め、呻きながら物憂げに瞼を押し上げる。
じんじんと痛む左腕を押さえつけ、はベッドの上で寝返りを打った。休んでいた思考が動き出すまではしばらく時間がかかった。再び目を閉じ、腕を撫で付けながらその時を待つ。
ようやく意識がはっきりしてきたは、その痛みの正確な場所に気付いてアッと息を呑んだ。
闇の印が刻まれた、ちょうどその位置。
闇の帝王が死喰い人の誰かの印に触れたその時には今でもここが焼け付くことがしばしばあった。だがそれとは全く異なる痛みだ。じわじわと、疼くように痛む。
これは何かの知らせなんだろうか。セブルスも感じているのだろうか。
はゆっくりと身を起こし、カーディガンを羽織ってから足早にセブルスの寝室へと踏み込んだ。ベッドの脇に歩み寄ると、暗闇の中でもセブルスの影がもぞもぞと動くのが分かった。
「…どうした」
気配を感じて目を覚ましたのだろう、僅かに苛立たしげにセブルスが口を開く。は彼の顔を覗き込むように腰を折った。
「ねえ、何か感じない?」
「…何を?」
セブルスの言葉は気だるげで、それ以上追及しなくとも答えはノーだということをはっきり示していた。しばらく口を噤み、少しずつ闇に慣れてきた目ではセブルスを見下ろす。
「闇の印が…何だか、疼くの」
眉を顰めたセブルスが、ゆっくりと身を起こした。彼は枕元の杖を手に取り、その先に明かりを灯す。
「 見せろ」
真剣な面持ちでセブルスがの袖を捲り上げた。膜に覆われたそこ≠、彼はそっと撫でる。
だがセブルスは小さく首を振って肩をすくめた。
「…何ともない。気にし過ぎだ。戻って休め」
「でも…この感じ…初めてで…何か知らせてるんじゃないかって思うの。何か…」
全く見当もつかないけれど、何かがあったんじゃないかと。この印が疼いているのは間違いないのだから。
微かに震えるの身体を、セブルスは無造作に抱き寄せた。
「俺の印は何ともない。気にするな。戻って休め」
押し寄せてきた不安に潰されそうになった胸を、セブルスの温もりが満たしてくれる。は思わずその背に腕を回してギュッときつく彼にしがみついた。セブルスの長い髪が触れた頬をくすぐる。
「…一緒にいてもいい?」
「馬鹿者。何を言って 」
セブルスを抱き締める腕により一層の力を入れて、はその言葉の続きを遮った。深く息をついたセブルスが、呆れたように呟く。
「…勝手にしろ」
そっとセブルスから身を離したは、ありがとうと言ってそのままばたりと布団の上に横たわった。
セブルスの手はひんやりと冷たかったけれど、それを離すことは出来なかった。
目覚めた時には左腕の痛みはすっかり消えており、はベッドの上に寝転んだ自分の身体に丁寧に布団が被せられていることに気付いた。セブルスの姿は既に部屋にはない。
落ち着いて休むことができたのは布団に彼の匂いが染み付いていたからだろうと思う。この3年、どんな時もいつも傍にあった数少ないものの一つ。は大きく伸びをしてからゆっくりと起き上がった。
研究室への扉を開けると、真っ先に飛び込んできたのはマントを被ってソファで眠り込むセブルスの姿。
まさか、あの後すぐにこっちに移ったのだろうか。彼のベッドなのに。どれだけ生真面目な男なんだ。
小さく苦笑してセブルスのもとへ歩み寄ると、彼は小さく唸り声をあげてから物憂げに目を開いた。
「…おはよう。こんなところで寝てたの?」
「誰のせいだと思っている」
「…そうね。ごめんなさい」
ゆっくりと身を起こしながら、目の下を疲労に黒く染めたセブルスが欠伸を漏らす。
「 痛みは落ち着いたのか?」
は彼の傍らに腰を下ろして微かに笑ってみせた。
「うん。ありがとう」
「そうか。それならいい」
「それは帝王に私を任されている者≠ニしてホッとしたということかしら?」
皮肉に口元を歪ませて笑うと、セブルスは珍しく怒ったような顔で「下らんことを言っていないでさっさと着替えてきたらどうだ」と吐き捨てた。
昨日は着替えずに眠ってしまったので、予備のローブに替えてから研究室に戻る。セブルスはもう着替えてきていて、彼はいつものように黒いマントを翻して廊下へと出た。急いでその後に続き、研究室の鍵をかけてから大広間に向かって足を進める。
結局あの痛みは何だったんだろう。何もなければいいけど。
玄関ホールに上がると、開け放たれた大広間の中から何やらざわざわといつもより喧しい生徒たちの声が聞こえてきた。そこから顔を出したスリザリンの6年生が、玄関ホールからスリザリンの談話室に続くドアからやって来た他の寮生たちを興奮気味に手招きしている。
「終わった!終わったんだ!」
眉を顰め、はその6年生のもとへと歩み寄った。
「コーウェン、一体何事?」
するとそのスリザリン生、コーウェンはパッと顔を上げて満面の笑みでまくし立てた。
「おはようございます!先生、とうとう終わったんですよ!」
「だから、何が?」
「暗黒の時代ですよ!予言者新聞の一面にしっかりと!例のあの人がついに消えたんですよ!もうみんな大騒ぎです!」
息が詰まるかと思った。目を見開き、唇一つ満足に動かせない。闇の帝王が 消えた?一体、どういう。
やっとのことで大広間の入り口にいるセブルスを見やると、彼もまた目を丸くしてしばらく呆然と立ち尽くしていた。
慎重に言葉を選びながら、怪訝そうな顔をしたコーウェンに問い掛ける。
「そんな…まさか、どうして?」
「いえ、詳しいことはまだ分かってないみたいですけど…」
コーウェンの言葉を最後まで聞かずに、はセブルスと揃って素早く大広間に入った。生徒たちは嬉しそうに大声で何やら囁き合い、教員席でも幸せそうな顔がいくつか見られたが、その大半は生徒とは対照的に深刻そうな表情が多かった。
とセブルスが真っ先に向かったのは、新聞を広げたマクゴナガルの隣で彼女と声を潜めて話し合っているダンブルドアのところだった。
「…おはようございます」
マクゴナガルは明らかに狼狽していたが、振り向いたダンブルドアの顔からは何も読み取ることができなかった。
セブルスがそっとダンブルドアに囁く。
「一体何が 噂では…帝王が、消えた、と?」
「ああ…君たちの耳にも入っておったか。わしにはまだ、何とも言えん」
ちょうどその時一羽のふくろうが新聞を一つセブルスの上に落としていったので、は背伸びして彼の手中にある記事を読もうとした。するとそれを、ダンブルドアがやんわりと止めた。
「…、君はまだ、読まない方が良い。少なくとも…確認がとれる、その時までは」
「どういうことですか?」
僅かに強い口調では訊き返したが、ダンブルドアは小さく首を振ったばかりだった。一面にざっと目を通したらしいセブルスが、無表情に折り畳んだ新聞をそのまま懐に仕舞い込む。
「ちょ…セブルス、私にも見せてよ!」
「お前は見ない方が良いと校長が仰っている」
「そんな…何でよ!」
これだけ生徒たちのお喋りが大きければ、多少声を荒げたところで聞き耳を立てられる心配もなかった。セブルスに食いつくに、不安げな顔をしたマクゴナガルが声をかける。
「先生…ダンブルドア先生の仰る通りです。あなたはまだ見ない方がいいですよ。今日中にはダンブルドア先生が確認をとって下さいます」
釈然としないものを感じつつ、これ以上ここで口論しても無駄だという結論に達したは大人しく席に着いて朝食を口に運んだ。セブルスは食事中一言も喋らず、ダンブルドア同様その表情からは何も窺い知ることが出来ない。
食事を終えて研究室に戻ると、セブルスは暖炉の中で今朝の朝刊をすぐさま焼き払ってしまった。は驚きのあまり口をぱくりと開けて呆然とその光景を眺める。
「な…何でそこまでするの!?そんなに私に知られるとまずいことでも書いてあるわけ?!」
振り向いたセブルスはやはり無表情のままだった。
「気に入らない記事だから燃やした。それだけだ」
「何で…何が書いてあったのよ!帝王が消えたというのなら私だってあなたと同じように真実を知りたいわ!」
小さく息をついたセブルスは棚から午前中の授業の教科書を引き抜きながら投げやりに告げる。
「 俺は真実など知りたいとは思わん。つまらんことを言っていないで授業の準備をしろ」
そして彼はさっさと研究室を出て行ってしまった。
その日の実習ではいつもにも増して生徒たちの不注意が目立った。「こんな日くらい休みにしてくれたっていいのに」とぶつぶつ呟いたグリフィンドールのデイ・ルイスに、セブルスは容赦なく10点の減点を与えた。
昼食の席にはマクゴナガル、ダンブルドア、おまけにハグリッドまでも姿を見せず、は益々苛立ちと不安を募らせた。セブルスは何か知っているに違いないのに何一つ教えてはくれない。騎士団は秘密主義なのか。どうして私ばかり除け者にするんだ。どうやらダンブルドアが全職員に言い渡しているようで、誰もに予言者新聞を見せてはくれなかった。
とうとう我慢の限界を迎えたは、午後の実習を全て終えると薬学の教室を出たスリザリン生をつかまえて声をかけた。
「ねえ、今朝の予言者新聞を持ってないかしら」
「え、僕は持っていませんが…確かドイルが購読してたと思います」
「そう、じゃあ今からスリザリンの談話室までついていってもいいかしら。良ければドイルに新聞を少し読ませて欲しいと」
「ええ、多分大丈夫だと思います」
は片付けも放り出してそのままスリザリン寮へと向かった。玄関ホールを横切った石の重い扉を潜り、そしてまた湿った石造りの廊下を奥へ奥へと突き進んでいく。スリザリン生はよくこんな迷路みたいな道に迷わないものだと感心した。
「…ねえ、エックルズはどう思う?」
一足先を進むスリザリン生が、不思議そうな顔で振り返る。
「何がですか?」
「今朝の予言者新聞の一面よ。取っていなくても耳にくらい入ってるでしょう?」
「ああ、あれですか。例のあの人が…もちろん、ホッとしていますよ」
そう言いながらも彼の瞳はどこか寂しそうで、は僅かに眉を顰めた。
いくつもの廊下を曲がり、剥き出しの石が並ぶ壁の前でようやくエックルズが足を止めた。
「ああ…そうだ、私はスリザリンの寮監ではないので合言葉を聞くわけにいかないわね。申し訳ないけどドイルを呼んできて貰えるかしら」
「はい、分かりました」
はそこから離れ、耳を塞いでドイルが新聞を持ってきてくれるのを待った。
ドイルが予言者新聞を持って談話室から出てくるまでに、何人ものスリザリン生が授業から戻ってきた。は取り立てて学生と仲が良いわけではなかったが、スリザリンの寮監を務めるセブルスの補佐をしているためにスリザリン生とはまだ親しい方だ。
「先生、どうされたんですか?」
「ああ、いえ…新聞を取っていないんだけど、少し目を通しておきたくて借りに来たのよ」
「例のあの人の件ですか?夕食の後みんなで談話室でお祝いするんですよ!先生もいかがですか?」
「ああ…ありがとう。いいえ、これでも教師の立場だからそういうわけにはいかないの」
やんわりとかわしてドイルの持ってきてくれた新聞の一面に目を通す。お貸ししますよと言ったドイルの言葉に素直に甘え、は記事をざっと読みながら玄関ホールに続く暗い廊下をゆっくりと歩いた。
彼女がピタリと立ち止まり、震える手で掴んだ新聞から視線を外すまではさして時間はかからなかった。
まさか。そんな。
そこからどうやって迷わずに薬学の研究室まで戻ったのかはよく覚えていない。ただどうしようもないくらいに身体中が震え、静かにコーヒーを飲んでいるセブルスの目の前に広げた新聞を叩きつけた。
「セブルス、これはどういうことなの!」
物憂げに顔を上げたセブルスは、ちらりと予言者新聞に視線を走らせて眉根を寄せる。
「読んだのか」
「何なのこれは!意味が分からないわ…ねえ、こんなの…嘘でしょう!?」
「…それをダンブルドアが調べに行っているんだ」
うんざりと息をつき、セブルスは新聞を畳んで火の気のない暖炉に放り込もうとした。急いでそれを遮り、自分の机の引き出しに押し込む。
無造作に奥の厚手のコートを掴み取って、はギロリとセブルスの横顔を睨み付けた。
「私はこんなこと信じないわ。だって2人は忠誠の魔法を使ったはずだもの。有り得ない、こんなこと 有り得ないわ…」
そして自分の机に握り締めた拳を叩きつけ、くるりと踵を返して研究室を飛び出す。樫の扉を押し開けて身体を滑り込ませた夜風はあまりに冷たく、はコートの中で身震いした。側を通り過ぎたハグリッドの小屋の中は真っ暗だった。
静かな風が禁じられた森の木々を波立たせ、墨を流したような夜空はどこまでも澄み渡っている。それは苛々と沸き立つ彼女の胸の内を嘲笑うかのように城の敷地を出るまでしつこく彼女を追いかけてきた。
『名前を言ってはいけないあの人、敗れる!
生き残った男の子、ハリー・ポッター』