セブルスは闇の陣営と騎士団の間を行き来し、騎士団側を納得させられる程度の情報を与えながらも帝王の有利に物事が動くようにうまく取り計らった。

 もまたセブルスの持ち帰る死喰い人の動向を聞き入れながら、慎重に騎士団に差し出す情報を選び出す。そして狙われているとの情報が入った魔法使いやマグルの町の護衛に何度か赴いた。危ないところで死喰い人を捕らえそうになり、団員たちにはばれないほどの隙を与えて逃がしたこともある。エイブリー、気を抜くんじゃない。

 けれど厄介なのはムーディだった。彼はの就く任務には全て自分も行くと言い張った。エイブリーを逃がした時も、瞬時に磔の呪文を受けたの身を(エイブリー、いずれ報復してやる)他の団員たちは案じたが、ムーディだけは「お前が故意に逃がした」といきり立った。あの闇祓いは確かに有能だがダンブルドアとは正反対で、疑わしきは全て罰せよ、という信条らしく任務の度に余計な気回しをしなければいけない。

 そんなこんなで月日は流れ、何度目かの会合の後、とうとうの耳に信じたくはない事実が舞い込んできた。

「ジェームズ、おめでとう」

 いつもは厳格なヴァンスがジェームズに向けてにこやかに微笑む。ディグルも浮かれ顔でジェームズに近付いた。

「いやあ、こんな時代に実にめでたい!名前は決まってるのかね?」

「ああ…いえ、まだ。でも名前はシリウスに決めてもらおうと思っているんです」

「そうかい!シリウス、そりゃあ大仕事だね!フランク、君のところも男の子だって?」

「ええ。名前はどうしても母が考えたいと」

 団員たちのやり取りに、背筋が凍りつく。ああ、そうか。ロングボトムの息子も      ジェームズとリリーの息子も。7月末に生まれてしまった。

 椅子から腰を上げたままの状態で立ち尽くすをちらりと見て、ムーディが視線を鋭くした。逃げるように出て行けばまた怪しまれる。は軽く頭を下げてゆっくりと部屋を後にした。

 セブルスに報告しなければ。帝王を打ち破る力を持つ可能性のある赤ん坊が騎士団に二人生まれたと。

 お願い、どうか。ロングボトムでありますように。

     そうか…」

 帝王のもとから帰ってきたばかりのセブルスはの報告を聞くと、項垂れるようにソファに倒れ込んだ。
A LITTLE hesitation
 ストレスが溜まっていたらしいセブルスは体調を崩してしまい、しばらく双方の任務を休むことになった。はポッター夫妻とロングボトム夫妻の息子のことを帝王のところへ報告に行かねばと思ったが、騎士団に見張られていてとても動けそうにはない。セブルスの介抱をするようにとダンブルドアに言われ、も休みを貰い隠れ家に籠もった。

「無理のし過ぎよ。あなたらしくもない」

「俺はお前と違って真面目に働いているからな」

 ベッドの上で弱々しくもニヤリと笑い、セブルスが呟く。

「減らず口が叩けるようなら大丈夫みたいね」

 は彼の額に井戸水で冷やしたタオルを置いてからゆっくりと立ち上がった。

「じゃあ買い物に行ってくるね。大人しく寝てるように」

「子供扱いするな」

「何よ。人のことはいつも子供扱いするくせに」

 思い切り顔を顰め、くるりと踵を返して寝室のドアに向かう。部屋から足を踏み出そうとしたその瞬間、はセブルスに呼び止められた。



 振り返り、首を傾げる。

「何?」

 彼は真っ直ぐに天井を見つめながら呟いた。

「気を付けて行って来い」

「あら。心配してくれてるのね」

「帝王のためだ」

「そう?ありがとう」

 行ってきます、と小さく笑んで寝室を出る。寝巻きから簡単に着替えを済ませ、はすぐに姿くらましした。

 この数ヶ月ですっかり人通りの少なくなったダイアゴン横丁を抜け、食料品店で疲労回復に効きそうな食品を漁る。騎士団の追跡が鬱陶しいが仕方ない。は野菜や果物の入った紙袋を抱えてフローリシュ・アンド・ブロッツ店へと向かった。

 せっかく休みを貰ったんだ。何か疲れに効果のある薬でも調合してやろうと思う。本屋の中は薄暗くひっそりしていて、扱う書籍も今は大幅に減らしているようだった。昔はぎっしり詰まっていた棚がいくつも空っぽになっている。

 は魔法薬学の棚の前で足を止めた。紙袋を下に置き、簡単な調合本を手に取る。いくらNEWTでOを取ったといってもあまり難しい薬ならきっとセブルスは「お前の腕は信用できん」とか言って飲んでくれないだろうし。

 よし、これにしよう。これなら大した器具がなくても調合できそうだ。

 紙袋を腕に抱え直し、はその本を持ってレジに赴いた。物憂げな顔でカウンターに奥に座っていた若い魔女を見て、アッと息を呑む。

 相手もこちらに気付いたようで、彼女は手元の新聞を放り出して目を見開いた。

     …?」

 背筋が凍る思いがした。ああ、私は何ていうことを忘れていたんだ     

 2年ぶりに出会ったニースは以前にもまして痩せ細り、疲れた目の下にはくっきりと黒いクマがある。カウンターから出てきたニースはその場で立ち尽くすの腕を力なく掴んだ。ぞくりと悪寒が走る。

 は魔法薬の本を取り落とした。

よね?ずっとどこにいたの?ジェームズやリリーから聞いたわ、全然連絡が取れなかったって」

 ずっと押し殺してきた感情が。一気に溢れ出す。全身の震えが、止まらなかった。

 私はニースから両親を奪った死喰い人たちと     

「や…やめて!」

 ぱしんと乾いた音が響く。はニースの腕を払い除けた右の平手をぼんやりと見つめた。驚いた顔で、ニースが硬直する。

「…?」

「ごめんなさい。きっと人違いです。失礼します…」

「ま…、待って!」

 ニースの制止を振り切って、はフローリシュ・アンド・ブロッツ店を飛び出した。途中紙袋からいくつか果物が転がり落ちた。

 ようやく振り切った裏路地で、どさりと地面にしゃがみ込む。袖の下で左腕が奇妙に疼いた気がした。熱に侵されたように頭の奥が痛む。ああ、気持ち悪い…。

 最悪だ。ずっと抑え込んでいた感情がこんなにもあっさりと崩されるなんて。罪悪感に押し潰されそうになる。

     私、絶対に闇祓いになるって』

 それなのに。私は、もうこの世にはいない母の復讐のために多くの罪もない人間を犠牲にしてきた。

『私たち      間違って…ないのよね』

 セブルス、それでも私たち、間違っていないの…?

 薬草の専門店で簡単なものだけを手早く購入し、は隠れ家へ戻った。寝室のセブルスは大人しく横になっていたが瞼は薄く開いていて、苦笑しながらベッドの傍らの椅子に腰掛ける。

「寝てれば良かったのに」

「寝ていた。お前のせいで目が覚めた」

「それは失礼しました」

 買ってきたリンゴを摩り下ろす。だるそうに開いたセブルスの唇に、はそれをスプーンで流し込んでやった。

 半分ほど食べさせてから、徐に立ち上がる。

「じゃあ、軽く食事の用意するから」

    

 歩き出した足を止め、は瞬いて振り返った。僅かに身を起こしたセブルスが細めた目で真っ直ぐにこちらを見ている。

「…何?」

「何があった」

 セブルスの低い声に、どきりとする。慌てて目を逸らし、は小さく笑った。

「何も。ちょっと疲れただけよ」

「俺に嘘をつくな」

 答える代わりに、手にした半分のリンゴを少しだけ齧る。僅かに茶色がかったそれは随分と酸味が強かった。どうして彼は文句の一つも言わないのか。

 先ほどまで腰掛けていた椅子を隅に押しやり、今度はベッドの縁に浅く座った。

「何もないって言ってるじゃない」

「俺にそんな嘘が通じると思うのか」

 呆れたように息をつくセブルスの眉間のしわを見つめながら、微かに笑う。私に初めて閉心術を教えてくれたのは彼だ。まさか、騙せるなんて思ってない。

「どうでもいいでしょう、そんなの」

「良くない。お前が騎士団でヘマをすれば危うくなるのはこっちだ。俺はお前に関しては帝王から全てを任されている」

「お節介が過ぎるわね。一人じゃ悩むこともできないっていうの?」

「忠実だと言え」

 短く告げたセブルスの口に、自分の歯型がついたリンゴを押し込む。拒むことなくそれを受け入れた彼の左腕を布団から抜き出し、はその袖を無造作に捲り上げた。

「…この印に、ということ?」

 リンゴを銜えたままのセブルスは眉一つ動かさない。そのまま彼の手を持ち上げて、細いけれど以前に比べればしっかりとしてきた指を自分の頬に当てる。はそっと目を閉じた。

「私は…この印に忠実というわけでも、帝王に忠実というわけでもない。ただダンブルドアへの復讐のためだけにたくさんの無関係な人たちを犠牲にしてきた。自分がどこへ行きたいのか…本当にこれでいいのか…もしもダンブルドアの息の根を止められたとして、それからどうすればいいのか…」

 目的を果たしてしまえば。生きる意味も見失いそうで。

 大切な大切な友人たちのもとへ、戻れるはずもないから。

 頬を伝う涙はセブルスの指を濡らして零れ落ちる。

 もう片方の手で口からリンゴを外すと、セブルスは静かに口を開いた。

「そんなことはあの男を始末してから考えればいい。それとも、諦めるのか。それこそお前の居場所などなくなる」

 ずきんと胸が痛んだ。彼の手を掴む指先に力がこもる。でもセブルスの言葉は間違っていない。

 死喰い人にもなりきれず、騎士団員にもなりきれず。こんな私に、留まれる場所なんてない。

 セブルスは彼女の手を軽く払い、その左手でぐいとの頭を引き寄せた。驚いた拍子にそのまま彼の上に倒れ込む。

 耳にかけていた黒髪がセブルスの頬に流れ落ちた。

 彼の黒い瞳が、瞬きもせずに私を見ている。

 私はこの3年、この目にあらゆることを教えられてきた。

 それが間違いだったとは、思っていない。けれど。

「お前が忠実なものが一つだけある」

「…それは何?」

 眉を顰め、訊き返す。そんな答えは私には用意できない。

 セブルスは躊躇など微塵も感じさせずに言った。

「俺だ」

 一瞬理解に苦しんで、目を丸くする。彼はいたって真剣な目をしていた。思わず失笑し、セブルスの胸元に顔を押し当てては笑う。

「はは…いや、おかしい。そうね、間違っちゃいないわ」

 喉の奥から込み上げてくる笑いを堪えもせずに、彼の腕の中で肩を揺らす。は一頻り笑うとようやくセブルスの上から身体を起こした。立ち上がり、軽く髪を整えながら目を細める。

「そうね、今更こんなことで悩んでたって仕方ないわ。今はあなたと一緒に自分にできることをするだけね。ええ、どうかしてた」

 セブルスは答えずに、右手のリンゴを一口齧った。

 部屋を出る間際に、彼の声が追ってくる。

「お前はダンブルドアのことだけを考えていればいい。他のことは俺が何とかする」

 この時の彼の言葉の意味を深く考えることはしなかった。ただ微かに笑い、そっと寝室を後にする。

 立ち読みしただけでうろ覚えだった割にはうまく調合できたと思われる疲労回復薬を、セブルスは食事の後にきちんと飲んでくれた。ただ「薬草の配合が間違っている。6対3対1だ」とか、その本も読んでいないくせに無遠慮な文句付きで。

「こんな腕でよくNEWTでOが取れたな」

「う、うるさいわね。あれからもう2年も経ってるのよ!」

 自分で闇の道を選んだんじゃないか。今更引き返せるものか。

 あの男をこの手で葬り去るその時までは、振り返らずに。

 さよなら、ニース。

 セブルスはその翌朝には随分顔色も良くなって(元々血色の悪い男なのでその差異は彼女くらいにしか分からないだろうが)、通常の任務に戻った。もまた心を封じ込め、騎士団の中へと戻っていく。何度かジェームズ、シリウスと組まされたことはあるが、互いに事務的なやり取りしか交わさなかった。

 これでいい。これが、いい。

 私は自分の目的を      果たすのみ。

「セブルスが最も忠実なものは、一体何?」

 着替えを済ませたセブルスの後ろ姿に、何気なく問い掛ける。振り返りもせずに、彼はあっさりと言った。

「お前だ」

 ほんの一瞬だけ、口紅を塗る手を止める。小さく吹き出し、はまた鏡を覗き込みながら目を細めた。

     随分と、冗談がうまくなったわね」