気を付けて行ってこい、などと珍しく労いの言葉をセブルスにかけられ、はダンブルドアと魔法省にやって来た。今日もまた死喰い人の起こした事件の処理に追われているらしい役人たちが、厳しい顔で忙しなくホールを行ったり来たりしている。

「27センチ、一角獣のたてがみの芯、使用期間9年で宜しいでしょうか?」

「はい」

 は無造作に突き返された杖をサッと懐に仕舞い込んだ。

 守衛室を離れ、満員状態のエレベーターに乗り込む。魔法省の役人たちはダンブルドアを見ると、驚いて当惑する者もいれば嬉々として彼に挨拶する者もいた。

 どんどんと魔法使いたちが降りていくエレベーターの中で、ダンブルドアがそっと言った。

「さあ、まだ開廷までは時間があるが早すぎて困ることはない。君は包み隠さずに全てを打ち明けるのじゃ」

 空っぽになったエレベーターはやがて地下の9階に到着し、はダンブルドアについて廊下に降りた。壁は剥き出しで、突き当たりにある真っ黒な扉以外は窓もドアもない。こんな打ち捨てられた空間が魔法省の中にあるということに少なからず驚いた。

 ダンブルドアは緩慢な足取りで廊下を左の方へ歩いていく。するとその壁にぽっかりと穴が開き、いきなり下へと続く階段が現れた。

「不便なものじゃが、ここから下は階段しかついておらん」

 振り返ってニコリと笑い、ダンブルドア。その階段を下まで下りると、松明の掛かった石壁の廊下を長々と歩いた。ホグワーツの魔法薬学教室への廊下とよく似ている。どの扉も重そうな木製で、鉄の閂と鍵穴がついていた。

 やがて、数人の魔法使いが立ち止まって何やらヒソヒソと囁き合っている扉に辿り着いた。みんな赤紫のローブを着て、その胸元には複雑な飾り文字で「W」の印がついている。彼らはこちらに気付くとハッと息を呑んだ。

「ああ      やあ、アルバス」

 そのうちの一人が、強張った顔でダンブルドアに声をかける。彼らに朗らかに挨拶し、ダンブルドアはに視線を戻した。

「さあ、ここが10号法廷じゃ      君は先に入っておると良い。わしは今から、着替えねばのう」
the INNOCENTs
 その法廷、もとい広い地下牢は黒ずんだ石壁を松明がぼんやりと照らすだけの薄暗い部屋で、正面の一際高いベンチには既に大勢の影のような姿があった。みんな低い声で話していたが、が静かに入っていくと途端に水を打ったように静けさが満ちた。

「被告人が出廷した。着席せよ」

 法廷の向こうから聞こえてきた冷たい声に、は部屋の真ん中に置かれた椅子を見た。肘掛けに鎖がびっしり巻き付いていて、どうやら腰掛けた者を縛り上げる仕組みになっているらしい。鎖は今にもそうしたいとでも主張するようにジャラジャラと鳴っていた。恐ろしいとは思わなかったが、気が滅入る。

 は溜め息雑じりに指示された椅子に腰掛けた。すると肘の鎖が金色に輝き、くねくねと這い上がって彼女の腕に巻きつき、あっという間に椅子に縛り付けた。その力があまりに強く、思わず顔を顰める。

「バーティ、それほどきつく縛る必要はないと思うが      彼女は既に改心しておる」

 入り口から姿を現したダンブルドアは、いつものローブの上に、廊下に立っていた魔法使いたちと同じ赤紫のローブを羽織っていた。既にベンチに座っていた魔法使いたちが一斉にダンブルドアに注目する。バーティ?死喰い人の中にもそんな名前の魔法使いがいたように思う。皮肉だな。

 最前列の真ん中の厳格な顔をした男、バーティは不快そうに眉根を寄せた。

「それを確認するための評議会だ」

「それはもちろん承知しておる」

 落ち着いた声音でダンブルドアが返す。バーティはフンと鼻を鳴らし、それから法廷に向かって声を張り上げた。

「では法律評議会を開始する。全員席に着け」

 ダンブルドア、そして彼の後から入ってきた数人の魔法使いたちがを囲むベンチの一つに腰を下ろす。大きく一つ咳払いし、バーティは手元の書類に目を通しながら言った。

。お前は魔法法律評議会に出頭している。お前は『名前を言ってはいけないあの人』を支持し、死喰い人と呼ばれる支持者たちの手伝いをした。相違ないか」

「その通りです」

 はあっさりと返した。法廷中のあらゆる目という目が彼女を見下ろしている。息苦しい空気にうんざりした。バーティは一旦言葉を切り、ダンブルドアを苦々しげに一瞥しながら続ける。

     だが、ウィゼンガモットの Chief Warlock であるアルバス・ダンブルドアから先日魔法法執行部に申し出があった。被告人は既に改心し、今ではダンブルドアの下で闇の魔法使いを一掃するための活動に従事していると」

 すると傍聴席からフンと鼻を鳴らす音が聞こえ、ちらりと視線を上げるとベンチの端に甚だ疑わしいという顔をしたムーディが座っているのが見えた。側には厳しい表情のロングボトムもいる。

 ダンブルドアはベンチから悠然と立ち上がり、の傍らまで来てゆっくりと立ち止まった。

「わしが保証人となり、責任は全てわしが負う。最近殊に死喰い人たちの活動は目立っており、今は彼女のように敵の手の内を知る者の協力が必要じゃとわしは確信する」

「それでは、彼女が本当にこちら側に忠誠を誓っているのか…どのように確かめれば?ダンブルドア、いくらあなたが信用しているとしても、『例のあの人』のスパイではないとは言い切れません」

 バーティの傍らに座る鋭い目の魔女が言った。傍聴席から「そうだ」と口々に声があがる。バーティが冷ややかに言った。

「お前が本当に改心したというのなら、我々に有益な情報を提供することを厭わないはずだな。何かあるか」

 ああ、どう乗り切るか。あくまで心の奥はしっかりと覆い隠し、はやっと口を開いた。

「有益かどうか分かりませんが、自分が関わった事件のことを詳細にお話しすることはできます。ですが闇の帝王は常に極秘に物事を運びました。私は共に任務に就いた死喰い人の名前すらほとんど知らされていません」

「まさか!」

 傍聴席の何人かが声をあげ、バーティは嘲るように小さく笑った。

「話にならんな。それでは到底お前を信用することなどできん。それにその程度のことでどうやってダンブルドアに協力するという」

「彼女は既に死喰い人の動きを何度か予測してその対策を立ててくれた。仲間の名を知らずとも十分に彼女の情報は役立っておる」

 ダンブルドアの言葉に、バーティがムッと顔を顰める。彼は書類の載った机を苛々と指で弾きながら声を荒げた。

「だが、ダンブルドア、君は最も重要なことを考慮しないつもりか。彼女は『名前を言ってはいけないあの人』の孫だぞ?!」

 バーティの発言に驚き慄く者もいれば、あまり表情を変えない者もいた。その事実を知らされていたか否かの違いだろう。ダンブルドアはあくまで静かに言った。

「バーティ、それは事実じゃがこの評議会では無関係じゃろう。彼女はたまたまあやつの血を引いてしまっただけでそのこと自体は不可抗力じゃ」

「だが事実、彼女は『名前を言ってはいけないあの人』の下で動いていた!他の死喰い人よりもずっと危険だと考えるのが自然だろう!」

「私は闇の帝王を祖父だと思い接したことはありません」

 誰も彼も、血のことでうるさい。はバーティを真っ直ぐに見上げて口を開いた。

「私の知る範囲で死喰い人の名を申し上げます。エイブリー、ジャグソン、ウィルクス、ベイル、カルカロフ…以上です。私の関わった事件は全て日刊予言者新聞で読みましたので既にみなさんご存知かと」

 法廷が低い声でざわめき、書記らしい魔法使いが慌てた様子での言葉を書き留めていく。今打ち明けた死喰い人は帝王もあまり使えないと言っていた者ばかりなのでさして問題はないだろう。こんなことでアズカバンを逃れられるのなら帝王も文句は言うまい。本当はベラトリクスでも売ってやりたい気分だが、彼女は忠誠心に溢れているし有能で、ベラトリクスの喪失は帝王にとって痛手だということもはよく知っていた。

 冷え切った目で、バーティがを見下ろしている。

「だが、その程度の情報では…」

「バーティ」

 ダンブルドアは落ち着いた声音で口を開いた。バーティの口元がまた歪む。

「君は彼女があやつの血を引いているというだけで投獄したいと言うのかね。それは君自身の功績を高めるためか。こうして自らの罪を悔い手を貸すと願い出てくれている者を無慈悲にアズカバンに放り込むよりも、彼女の助けを借り一刻も早く今もこの国に蔓延る死喰い人を殲滅する方が賢明じゃと思うがのう」

 忌々しげに目を細め、バーティが口を噤む。傍聴席からは何やらヒソヒソ声が聞こえたが、それは「ダンブルドアがそこまで言うのなら…」というものが多かった。アルバス・ダンブルドアは不思議な男だ。人の心に強く訴えかける言葉を持っている。私が陪審の一人なら、感心していることだろう。尤も、今のの目には単なるお人好し≠ニしか映っていなかったが。だがそのお陰で自分が助かりそうだというのも事実だ。

 うんざりした様子で、バーティが傍聴席を見回した。

「…では陪審の評決を採りたいと思う。被告を無罪とし、ダンブルドアの下で活動させるべきだと考える者は挙手願いたい」

 やや間を置いて、パラパラと手が挙がり始める。数秒もすると半数以上が挙手し、その数を数えようとしていたバーティも溜め息とともにそれを中断し、唸るように言った。

「…を無罪とする」

 ロングボトムが物憂げに挙げていた手を下ろし、ムーディはポケットに突っ込んでいた両手を膝の上で組み、またフンと鼻を鳴らす。ちらりと傍らのダンブルドアを見上げると、彼はニコリと微笑んでみせた。彼女を縛り付けていた鎖が名残惜しそうに外れていく。

 「だが、」とバーティが低く呻いた。

「もしも再び『名前を言ってはいけないあの人』の下に戻ることがあれば、その時は確実にアズカバンへ送る」

「その心配は不要じゃ」

 静かにダンブルドアが答える。バーティは苛々と書類をまとめ、「評議会を終了する」と告げて足早に法廷を出て行った。

「ありがとうございます、ダンブルドア先生」

「君は騎士団にとって不可欠な存在じゃ。アズカバンなどへ行かれては困る」

 ダンブルドアは朗らかに言っての肩にそっと手を添えた。傍聴席にいた魔法使いたちが少しずつ部屋を去っていく。立ち上がったムーディがこちらに歩み寄ってきて低く唸った。

「精々足掻くといい。次はアズカバン行きだ」

「これ、アラスター」

 ダンブルドアが僅かに厳しい顔でたしなめる。ムーディは両方の眼でギロリとを見下ろし、鼻を鳴らしてから扉の方へ向かった。ロングボトムはダンブルドアに軽くアイコンタクトを送っただけで去っていく。

 声を落として、ダンブルドアが言った。

「セブルスたちに朗報を伝えることができるな。無罪放免じゃ。さあ、これからは余計な心配はせずに任務に集中して欲しい」

「はい」

 微かに笑い、は頷く。愚かな男だ。だからこそ有り難い。

 ムーディは明らかに私を疑っている。ロングボトムも不信感を拭いきれていない様子だ。だが、ダンブルドアは全面的に私を信用している。これで騎士団の中でも少しは動きやすい。

 いつか後悔する日がやって来る、絶対に。

 嘲笑を仮面の奥に覆い隠し、は従順にダンブルドアの後に続いた。







 が詳細に語ったウィゼンガモット裁判の様子に、セブルスは黙って耳を傾けていた。

「そうか、よくやった。これでお前は自由に動ける」

 彼に褒められることは少ないので、何だか気分が良くなる。は満足げに微笑んでセブルスの肩に頭を乗せた。

「エイブリーたちの名前出しても問題なかったわよね?」

「ああ、その程度なら構わんだろう」

 さらりと言って、セブルスがの頭を撫でる。はホッとするものを感じながら目を伏せた。彼に触れられると落ち着く。

「セブルスはもう帝王のところに行ったの?」

「いや、まだだ。騎士団に尻尾を掴まれんためにももう少し時間を置く」

 そう、と呟いてはそのままゴロリとセブルスの膝に倒れ込んだ。彼の手が優しく髪の毛を梳いてくれる。はセブルスの片手を取ってそこに軽く唇に寄せた。

 そしてその袖を捲り上げ、彼の腕に刻まれた髑髏を見つめる。

「私たち      間違って…ないのよね」

 セブルスは平然と言った。

「何を今更」

 そうだよね。瞼を下ろし、フッと小さく笑む。はその闇の印にもそっと口付けた。

 右手で彼女の頭を撫でながら、セブルスが口を開く。

「お前が無罪になったと知れば帝王もお喜びになるだろう。思う存分働け」

「もちろんよ」

 目を細め、はくすりと笑った。ちょうどその時、部屋の向こうの窓が外からカツカツと叩かれる。セブルスはの身体を軽く起こしながらソファから立ち上がり、僅かに開けた窓から手紙だけを受け取った。

 静かに窓を閉めたセブルスに、は非難がましく告げる。

「餌くらいあげなさいよ。こんな時間にせっかく働いてくれてるのに」

「他のふくろうを中に入れたらそいつが怒るだろう」

 テーブルの上にちょこんと乗った森ふくろうを顎で示し、セブルスが呟く。それもそうねと苦笑しながらは彼の近くまで歩いていった。は嫉妬深いのだ。

「誰から」

「ダンブルドアだ。お前に任務の話があるらしい」

 面倒臭そうに羊皮紙を広げ、セブルスが言う。が手紙を覗き込むと、そこにはあの流れるような字で明日の午後三本の箒に集合、とあった。

「明日?急ね、だるい」

 うんざりした様子で口を尖らせるに、セブルスは吐息を漏らす。

「せっかく無罪放免になったんだ、真面目に働け」

「分かってるわよ、言ってみただけ」

 舌を出し、拗ねてみせる。セブルスは眉根を寄せての頭を軽く小突き、ソファへと戻っていった。

 どさりと腰を下ろしたセブルスの隣にまた座りながら、口を開く。

「セブルスもいつかあの評議会にかけられるのかしらね」

「ヘマをすれば、そうだろうな」

「私は計画の一つとしてあんな陰気臭い部屋に閉じ込められて鎖に縛られてバーティとかいうオジサンに嫌味言われまくったのに。何かずるいわ、私も帝王のところに帰りたい」

「お前は文句が多いぞ」

 彼の眉間のしわを見るのが好き。安心する。は口元に浮かぶ笑みを右手で隠しながらセブルスに凭れ掛かった。

 ずっとこうしていたい。ただ目的のためにあらゆる感情を押し殺し、セブルスと共に帝王の下で動く。閉心術さえ習得すれば、それは楽な生き方だった。

 セブルスもまた同じ考えなのだろうと思う。目的は違っても、死喰い人という名の下で共に過ごしてきた。面倒で余計な感情を抱えずに寄り添える。

 嫌われたくないとか、不安にさせられる、とか。

 考えなくて済むから。

「セブルス」

「何だ」

「好きだよ」

「知っている」

 こんな言葉を、気楽に吐ける。こんな言葉を、気楽に受け止めてくれる。

 こうして生きているのは、楽だ。

 はテーブルの上に放り出したダンブルドアからの手紙を焼き払った。